茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

多賀大社奥書院庭園 ~滋賀県犬上郡多賀町~

多賀大社奥書院庭園は、「お多賀さん」の愛称で知られる多賀大社境内にある、桃山期の池泉庭園です。多賀大社はこれまで数回訪問し、以前当ブログでも紅葉の様子を紹介しましたが、改めて庭園のみに着目して取り上げます。

617_20170724122511fbd.jpg



庭は、天正年間に豊臣秀吉が寄進した一万石をもとに築かれたと伝わります。鑑賞式蓬莱庭園の様式をとり、池泉の東部と西部に出島を設けてそれぞれ鶴島・亀島とし、築山や護岸には桃山期らしい豪壮な石組を施しています。

646_201707252041566cc.jpg




池泉東部の枯滝石組。枯滝手前には、自然石による力強い石橋が架かります。

611_20170724122513ed9.jpg




石橋右手の山畔に築かれた集団石組。

647_2017072412261663e.jpg




石橋奥の築山には、巨石による三尊手法の蓬莱石組が見られます。





鶴島とされる東部出島の護岸石組と岩島意匠。

614_20170726190259d19.jpg




亀島とされる西部出島。

619_20170724122724f4b.jpg




池泉のさらに北には太田川と呼ばれる灌漑用水が流れており、その北岸にも石組が見られます。

628_2017072412272588d.jpg




奥御殿の東側、池庭から少し離れた所には、石組と苔を主体とした枯山水庭園が展開しています。

601_201707241228141f9.jpg




枯山水部分南部の三尊石組。池庭の石組に劣らぬ迫力がありますが、いつ頃作庭されたものなのかは分かりません。

599_20170724123146855.jpg




枯山水部分南部の舟石。

600.jpg




枯山水北部の三尊石組。

602_201707241228105ac.jpg


元来、一般的に神社に庭園が築かれることはなかったと言われ、多賀大社庭園は神仏混淆の頃、多賀大社の別当寺だった不動院の庭として築かれたものと考えられています。苔に覆われたしっとりとした雰囲気と、桃山期らしい豪華な石組の対比が、古庭園としての魅力を惹き立てています。

653_20170724122916d23.jpg


スポンサーサイト
 
 
 
 

唯念寺庭園 ~滋賀県犬上郡豊郷町~

滋賀県豊郷町にある唯念寺は、奈良時代後期に行基が開創した四十九院の一つに数えられる古刹です。荒廃してはいるものの、書院裏手には室町時代のものと推定される枯山水庭園が残されています。

572_20170724113440ab8.jpg




庭は北端に築山を築き、池畔西部には出島を設け、枯池には二つの中島を配しています。当初は池泉庭園であった可能性も指摘されています。




北部築山に残る須弥山石組。中心となる立石は高さ1.5m以上あるもので、右手に僅かに傾斜させる古風な手法がとられています。『日本庭園史大系』によれば、須弥山石組の左手には枯滝石組の痕跡が残っていたようですが、現在ではほぼ失われてしまっています。

577_20170724113633a69.jpg




築山南部には亀島らしき中島の痕跡が見られます。亀頭風の石組や、三尊風の中心石が残されています。





亀島東方の池畔にある巨石。木の根とすっかり同化してしまっています。

587_201707241136310e2.jpg




亀島南方池畔の石組。荒廃が激しく定かではありませんが、出島を構成していたのかもしれません。

570_20170724113745149.jpg




亀島の西方に、鶴島らしき中島があります。荒廃していますが、鶴首石らしきものをはじめ、比較的石組がよく残されています。





北方(枯滝方向)から見る、西部出島と鶴島(左奥)。出島には、護岸石組がわずかに残されています。

592_20170724113746ea3.jpg



唯念寺庭園は昭和13年(1938)、当時全国の日本庭園を調査していた重森三玲により発見されました。観光案内では「行基の庭」と紹介されていますが、様式や手法から室町初期の庭と評価されています。全体的に荒廃が激しく、今後の保存が危ぶまれます。

567_20170724202151650.jpg 

 
 
 
 

旧芝離宮恩賜庭園 ~東京都港区~

旧芝離宮恩賜庭園は、貞享3年(1686)、江戸幕府老中・大久保忠朝の屋敷に築かれた「楽壽園」を起源とする回遊式蓬莱山水庭園です。明治に入り皇室所有の離宮となったのち、大正13年(1924)からは東京市(現在の東京都)の所有となり、現在は都立庭園として一般公開されています。

142_20170709181154003.jpg




庭の中心を占める池泉は複雑な形状をしており、池中には大小4つの中島が配置されています。往時は海水を取り入れた「汐入の庭」で、潮の干満による変化を楽しめるように設計されていました。

146_201707091816050a6.jpg




池泉西岸、栗石による洲浜。池畔に変化を持たせています。

151_20170709181607700.jpg




池泉中央の中島。蓬莱島を表現したもので、上部には蓬莱連山の石組が築かれています。

220_20170709182136e85.jpg




中島の蓬莱石組。巨石を用いた、豪壮なものです。

191_201707091821345ea.jpg




蓬莱石組には、傾斜をもたせた立石など、優れた意匠が見られます。造形美に欠けるものが多い都内の大名庭園の中では、傑出した石組と言えます。

145_20170709182133c40.jpg




蓬莱島と池泉西岸との間には、石造りの堤が築かれています。中国杭州にある「西湖の堤」を表現したもので、同様の意匠は千代田区の小石川後楽園にも見られます。

137_20170709181950e49.jpg




蓬莱島の北方にある中島。現在は水面下に沈んでいて見え辛いですが、写真手前にある蓬莱島からは沢渡が設けられています。

140_20170709182033292.jpg




蓬莱島の南部対岸には、大小二つの築山が築かれています。右手の大きめの築山は、大名庭園でよく見られる、富士山を模したものです。

219_201707091813491fd.jpg




二つの築山の間には、枯滝石組が見られます。

133_20170709181948659.jpg




枯滝石組は、巨石をふんだんに使用した豪華なものです。中央の回遊路は渓流を表現しているとされます。

135_20170709181950dd4.jpg




池泉南東部には「根府川山」と呼ばれる、集団石組が施された築山があります。

159_20170717202231229.jpg





根府川山の石組には、大久保忠朝の藩地だった根府川(神奈川県小田原市)の石材が使用されたと伝わります。

174_20170709182228ff9.jpg




根府川山の北方にある集団石組。大久保忠朝の旧藩地・唐津にちなんで「唐津山」と呼ばれています。

170_20170709182226c72.jpg




池泉北東部の池畔にも、力強い石組が見られます。現在は水没していますが、池中には沢渡も見られます。

185_20170709182405449.jpg




自然主義的で大味なものが多い都内の大名庭園において、旧芝離宮恩賜庭園は地割や細部の意匠において極めて優れていて、都内の他の大名庭園とは一線を画す存在と言えます。ただし、護岸石組などが大正・昭和の整備で部分的に改悪されていたり、埋め立てによる海岸線の後退や新幹線建設による庭園の一部縮小、周囲の高層ビルの林立など、往時の環境が一変してしまっている点は惜しまれます。

180_20170709182403955.jpg


 
 
 
 

松尾神社庭園 ~滋賀県東近江市~

近江鉄道八日市駅のすぐ近くにある松尾神社の境内には、室町時代末期の作庭と考えられる枯山水庭園が残されています。豪壮な石組を主体とした庭園で、滋賀県内でもとりわけ優れた庭園として評価されています。

325_20170709111805ead.jpg




庭は南部(写真左手)に鶴島、北部(右手)に亀島を配し、二島は自然石の石橋で接続されています。

297_20170709110004cc8.jpg




庭園南部の鶴島。頂部の羽石や護岸など、石組の力強さに圧倒されます。

306_2017070911051389e.jpg




鶴島の護岸と羽石組。羽石組は三尊手法となっています。

339_201707091116280ca.jpg




鶴島には立石による須弥山石組も見られます。もとは傾斜をもたせて立てられていたようですが、明治期の改修により直立にされてしまっています。

336_20170709111056abd.jpg




南東部から見た鶴島。

322_20170709110516770.jpg




南西部から見た鶴島。右が鶴羽石、左が須弥山石組で、右側の護岸は後世の改修によりいかにも陳腐になってしまっています。

319_20170709110514269.jpg




鶴島と亀島を繋ぐ石橋。戦国期らしい、自然石の力強い石橋です。左手の橋添石は鶴首石を兼ねているようです。

301_20170709112054b1d.jpg




東部から見た庭園全景。手前が亀島、左奥が鶴島、右奥の山畔には蓬莱石組が見られます。

302_20170709110006ece.jpg




亀島の護岸石組。鶴島のものと比べるとやや小ぶりの石が多い印象です。

331_20170709111718ec3.jpg




西部山畔に築かれた、蓬莱連山の石組。巨石を用いた豪壮な石組ですが、どこまでが往時のものなのかはよく分かりません。

321_20170709111324a06.jpg



織田信長の京都上洛以前、この地には六角氏家臣・建部氏の居館があったとされ、庭園は建部氏居館の庭として作庭されたものと考えられています。一説には、室町幕府15代将軍・足利義昭が六角義賢を頼って近江に逃れた際、将軍を饗応するために作庭されたとも言われています。

349_20170709111929bee.jpg


 
 
 
 

旧山中正吉家住宅(近江日野商人ふるさと館) ~滋賀県蒲生郡日野町~

旧山中正吉家住宅は、江戸時代末期に建てられた、日野商人・山中正吉家の旧宅です。幾度かの増改築を経て昭和13年(1938)頃に現在の姿となり、現在は近江日野商人ふるさと館として公開されています。

170_201707021916144d4.jpg




主屋玄関。左手のモルタル壁の部分は、昭和初期に増築された新座敷の洋間です。

173_20170710211901936.jpg




玄関内部。通り土間に続いており、右手は式台を上がると「みせのま」「ぶつま」と続きます。

251_20170702191622779.jpg




主屋「ぶつま」。主屋は伝統的な農家の構造で、数寄屋や洋間を取り入れた新座敷とは対照的です。

177_2017070219161781e.jpg




主屋の釘隠しはコウモリを模ったもの。江戸時代以前、コウモリは縁起の良い動物と考えられていました。

238_2017070219162149a.jpg




主屋に隣接して設けられた桟敷と、塀に開けられた桟敷窓。日野祭の山車を見物するために設けられたもので、日野の旧家によく見られます。

190_2017070219161845b.jpg




通り土間に面して設けられた電話室。

200_20170702191620ad6.jpg




通り土間には、かまどが設けられています。通り土間を隔てた北側には新座敷が続きます。

174_20170702191746dd9.jpg




新座敷主室。洗練された数寄屋風の座敷で、貴賓用の応接室でした。

220_201707102119038c6.jpg




新座敷の仕切欄間には、桐や鳳凰の見事な透かしが施されています。

222.jpg




新座敷には、電熱暖炉を備えた洋間も設けられています。

228_20170702191936d50.jpg




新座敷の浴室。シャワーを備えた洋風の空間で、窓にはステンドグラスも見られます。

204_201707021917495db.jpg




新座敷浴室の脱衣場。浴室とは対照的に和風の空間です。

201_20170702191747668.jpg




脱衣場の照明。

209_2017070219174599d.jpg



山中正吉家は、前回ご紹介した山中兵右衛門家の分家で、初代正吉は駿河国大間村(現・静岡県富士市)で天保2年(1831)から酒造業を経営し、財をなしました。その後山中正吉商店、富士高砂酒造株式会社と名を変え、現在も富士市で営業しています。

221_20170710212515db0.jpg
 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
 
 
QRコード
QR
 
 
Pagetop