茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

等持院庭園 ~京都府京都市~

等持院(とうじいん)は、足利尊氏ゆかりの寺院として知られる、臨済宗天龍寺派の名刹です。境内には、東西2つの池泉から構成される廻遊式庭園があります。以前、当ブログで一度紹介していますが、再訪したので全面的に記事をアップデートします(2021年11月訪問)。

等持院庭園・中心部景観



作庭に関する資料はないものの、2つの池泉からなる地割は知恩院庭園宗隣寺庭園などと共通し、南北朝期の作庭と推定されます。

等持院庭園・書院からの景観



西部池泉は「芙蓉池」と呼ばれ、本堂(方丈)北庭と書院東庭を兼ねています。後世に大幅に改修されているようで、円形の池泉や大きな中島は江戸中期の様式を示しています。

等持院庭園・西部池泉



庭園の北東角に、三段の枯滝石組があります。鋭さに欠けますが、周囲の石組も含め、巨石を用いた力強いものになっています。

等持院庭園・枯滝石組



中島は蓬莱島とも言われているようですが、現状ではそれらしき意匠は見られません。明治以降に改修を受けているとも言われます。

等持院庭園・中島




中島の護岸石組。

等持院庭園・護岸石組




中島と池泉南岸を結ぶ石橋。巨石を用いていますが、手法的にはやや弱さが感じられます。

等持院庭園・石橋




山畔西部には「清漣亭」と呼ばれる茶室があります。

等持院庭園・清漣亭



清漣亭は江戸中期に建てられた二畳台目の茶室です。一段高く畳敷の貴人床を設けた特異な造りで、皮付の赤松を用いた床柱、網代や2種類の竿縁天井など、意匠も凝ったものになっています。

等持院庭園・清漣亭




清漣亭下部の山畔にある三尊石組。小ぶりの石を用いたもので、やはり江戸中期頃のものでしょうか。

等持院庭園・築山の石組



芙蓉池の南部には本堂が建っています。もともと元和2年(1616)、福島正則が妙心寺海福院に建立したもので、文政元年(1818)に当地へ移築されています。

等持院庭園・本堂と庭園



東部池泉は「心字池」と呼ばれます。大小3つの中島を配置した、作庭当初のものと思われる古式な地割が残されています。

等持院庭園・東部池泉



3つのうち最も大きな中島には、かつて「妙音閣」と呼ばれる楼閣が建っていたとされます。立石を中心とした蓬莱石組と思われる石組がありますが、作庭当初からのものなのかは不明です。

等持院庭園・東部池泉の中島




先ほどの中島のやや西に、小さめの中島があります。こちらは亀島にも見えます。

等持院庭園・東部池泉の中島




3つのうち、最も西部にある中島。石組はほとんど失われています。

等持院庭園・東部池泉の中島




東部池泉は数ヶ所に出島を設けるなど入り組んだ形状をしており、西部池泉に比べ古式であることが分かります。

等持院庭園・東部池泉



等持院は暦応4年(1341)、足利尊氏の開基により建立されました。足利氏の菩提寺であり、本堂裏手には足利尊氏の墓所もあります。寺伝では、夢窓疎石の開山・作庭とされていますが、現在では誤りであることが指摘されています。

等持院庭園・本堂前庭

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無鄰菴洋館 ~京都府京都市~

南禅寺参道前にある無鄰菴。前回は庭園を取り上げましたが、今回は洋館を取り上げます(2021年11月21日撮影)。

無鄰菴洋館・外観



洋館は明治31年(1898)の竣工で、煉瓦造2階建て、玄関・階段室部分は木造となっています。北側(写真右手)には、前年に竣工した木造2階建ての主屋が並んでいます。

無鄰菴・主屋と洋館



設計は工部大学校増家学科出身の荒野孝正、施工は清水組の始祖・清水満之助によります。屋根は寄棟桟瓦葺、外壁は漆喰仕上げで、外観は土蔵のような簡素な造りとなっています。

無鄰菴洋館・外観




玄関は1階北側に設けられています。

無鄰菴洋館・玄関




玄関扉の意匠。

無鄰菴洋館・玄関




階段室を兼ねた玄関ホール。土蔵のような扉の奥が室内となります。

無鄰菴洋館・階段室




1階室内は無鄰菴に関する展示室となっています。

無鄰菴洋館・1階




煉瓦壁むき出しの内壁。

無鄰菴洋館・1階




1階内部から見た玄関ホール兼階段室。

無鄰菴洋館・階段室




階段室2階。天井が市松の格天井になっています。

無鄰菴洋館・2階




2階は2部屋で構成されます。こちらは控室で、椅子は山縣家から寄贈されたものです。

無鄰菴洋館・2階




寄木張りによる床の意匠。

無鄰菴洋館・2階



2階・主室。和洋折衷の空間で、天井は折上格天井、床は寄木張りで、壁紙には狩野派のものとされる壁絵が見られます。こちらの椅子も山縣家から寄贈されたものです。

無鄰菴洋館・2階




寺院のような、見事な格天井。

無鄰菴洋館・2階




寄木張りの床の意匠。

無鄰菴洋館・2階


無鄰菴は現在では京都市が所有し、植彌加藤造園株式会社が管理・運営を担っています。洋館はもともと防寒室として建てられたと言われ、2階主室は、明治36年(1903)の日露戦争開戦に先立ち、山縣有朋、伊藤博文、小村寿太郎、桂太郎の4人で行われた「無鄰菴会議」の舞台としても知られています(新型コロナウイルス感染症対策のため、見学の際は事前予約が必要です)。

無鄰菴洋館・2階

 
 
 
 

本年もよろしくお願いいたします。


最乗寺・山門



当ブログをご覧の皆様


いつもご覧いただき、ありがとうございます。

引き続きのコロナ禍で、昨年も、遠出をしたり人に会ったりすることが難しい一年だったと思います。

私は11月に京都を訪れた以外、遠方に出かけることを控えていましたし、仕事以外ではほとんど人に会うことができませんでした。


そんな中で、昨年はいつも以上に美術館に足を運ぶ回数が増えました。狩野派と土佐派(根津美術館)、吉田博展(東京都美術館)、モンドリアン展(SOMPO美術館)、川瀬巴水展(平塚市美術館、大田区郷土博物館)、イサムノグチ展(東京都美術館)、ランス美術館コレクション展(SOMPO美術館)、ミネアポリス美術館展(サントリー美術館)、ポーラ美術館コレクション展(Bunkamura美術館)、その他多くの展覧会を観に行きましたが、特に印象に残ったのは、吉田博や川瀬巴水ら、新版画の画家の作品でした(特に、吉田博の自然を見つめる目の鋭さには、圧倒されました)。他にも昨年は新版画関連の展覧会が多く開催されましたが、ほとんど行くことが出来なかったのが心残り…

吉田博展
※吉田博展リーフレット(画像出典元:東京都美術館HP




そらから、昨年は新たに音楽ブログを開設したのですが、いつの間にか、そちらの記事を書くことが日々の習慣になってきています。



そんなこんなで、昨年は当ブログの更新頻度が極端に落ちてしまいました。



感染状況次第なので不透明ですが、今年はもう少し出かける機会を増やせたらと思っていますし、当ブログの更新頻度も増やしたいと思っています。出来れば久しぶりに山陰あたりの庭を訪れたい…



しばらくの間は、昨秋訪れた京都の庭園と建築を取り上げていきたいと思います。



引き続き、当ブログをどうぞよろしくお願いいたします。



※画像はいつぞやに撮影した、大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)の風景です
 
 
 
 

無鄰菴庭園 ~京都府京都市~

南禅寺参道前にある無鄰菴(むりんあん)は、明治期に造営された、元勲・山県有朋の別荘です。過去に当ブログで紅葉の写真を紹介していましたが、改めて庭園観賞の視点で取り上げます(2021年11月21日撮影)。

無鄰菴庭園・流れと石橋




庭園は、山県有朋の指揮の下、明治期を代表する庭師・七代目小川治兵衛(植治)により作庭されました。後方の東山を借景とし、流れを中心とした、景観本位の自然主義庭園となっています。

無鄰菴庭園・全景




流れは琵琶湖疎水を引き込み、傾斜を利用して東から西に下るように意匠されています。山県はのちに、小田原の別邸・古稀庵(こきあん)にも、同様に流れを本位とした庭園を作っています。

無鄰菴庭園・流れの意匠




流れの中に小石を散りばめたり、瀬落し(段差)を設けるなど、水の音を演出するような工夫も見られます。こういった意匠は、植治による作庭の特徴の一つです。

無鄰菴庭園・流れの意匠




庭園前方では、芝敷の中に苑路が通され、明るく軽快な雰囲気となっています。植治が研究していたとういう、西洋庭園からの影響と言われます。

無鄰菴庭園・苑路




流れを遡っていくと、淵状に池泉が広がります。景石や護岸石組などは明治期らしく弱々しいものですが、栗石を敷き詰めた浜の意匠は、日本庭園の伝統に基づいた手法で、植治の庭としては大変珍しいものです。

無鄰菴庭園・池泉




池泉は上下二段構成になっています。上段の池泉には現状では3つの中島状の地形が見られますが、これらは作庭当初にはなかったはずのものです。

無鄰菴庭園・池泉





池泉から苔地の苑路を通り、庭の奥部へと向かいます。

無鄰菴庭園・苑路





苑路を進んだ最奥に、滝石組があります。

無鄰菴庭園・滝と流れ




滝石組は、醍醐寺三宝院のものを手本とした三段の滝となっています。三宝院の石組とは比較になりませんが、三宝院同様、一段目と三段目を右手から、二段目を左手から落とすという、明治期の滝石組としては凝った構成となっています。

無鄰菴庭園・滝石組





滝から振り返って池泉を見る。毎年11月下旬には、紅葉が見頃を迎えます。

無鄰菴庭園・池泉





流れの下流、庭園北部に建つ主屋と洋館。主屋は明治28年(1895)、洋館は明治31年(1898)の建築です。

無鄰菴・主屋と洋館





主屋前・飛石の意匠。

無鄰菴庭園・飛石





庭園西部には、流れの傍らに茶席があります。無鄰菴造営時、他所から移築してきたものと言われます。

無鄰菴庭園・茶室





茶室は三畳台目で、藪内流・燕庵の写しとされます。

無鄰菴庭園・茶室





茶室には月見台のような部分があり、ここから庭園を見渡せるようになっています。

無鄰菴庭園・茶室





茶室手前、露地の意匠。飛石に石臼を用いるのは、明治期の茶庭でよく見られる手法です。

無鄰菴庭園・露地





茶室手前の流れには、御影石を用いた切石橋が架けられています。

無鄰菴庭園・石橋



明治24年(1891)、内閣総理大臣の職を辞した山県有朋は、京都・二条河原町付近の、角倉了以(すみのくらりょうい)旧邸跡に隠棲します。明治27年(1894)、当地に目を付けた山県は、新たな別荘の造営を開始。本格的な作庭は明治29年から行われたようで、地割から庭石・植栽の選定まで山県自身が行ったと言われます。

無鄰菴庭園・坪庭



施工にあたった植治は、自然主義風の作風で知られますが、その植治の出世作がこの無鄰菴と言われます。伝統的な日本庭園の要素である、石組などによる優れた造形や、廻遊することによる景観の変化などが見られず、物足りなさは否めませんが、流れを中心とした動きのある意匠は、以降、急速に普及する自然主義庭園の中にあって、独自の魅力を放っています。

無鄰菴庭園の紅葉
 
 
 
 

渉成園(枳殻邸) ~京都府京都市~

渉成園(しょうせいえん)は、江戸時代初期、本願寺第13代法主・宣如(せんにょ)の隠居所として造営された、池泉舟遊・廻遊式庭園です。後世に数度にわたる改造や縮小を受けていますが、地割はよく残されており、現在は東本願寺による管理の下、一般公開されています。

渉成園・南大島の石組と漱枕居



庭園は承応2年(1653)、徳川家光によって寄進された地に、宣如が石川丈山に命じて作庭したとされます。平安期、この地には源融(みなもとのとおる)の山荘「河原院」があったと伝わりますが、真偽は別として、庭園は印月池と呼ばれる池泉に4つもの中島を設けた、古式な多島式の神仙蓬莱庭園となっています。

渉成園・中心部の景観




北西方向から見た南大島(臥龍堂)。4つの中島で最も規模が大きく、築山を2つ繋げたような形状になっています。

渉成園・南大島全景



南大島には多くの石組が見られます。特に北西部には意欲的な集団石組が残されていますが、丸い石が多く、江戸中期~末期頃に改修を受けているように思われます。

渉成園・南大島の石組



池泉北部にある北大島(五松塢)。西部に侵雪橋という木橋が架かり、頂部には茶亭・縮遠亭があります。縮遠亭は、石川丈山が提唱したとされる「煎茶三席」のうちの、「飯店」にあたるとされます。

渉成園・北大島



縮遠亭の下部は入江のような地割となり、洞窟石組が意匠されています。巨石を用いた力強い手法であること、洞窟石組自体が江戸中期以降の庭園にあまり見られないことなどから、江戸初期以前のものではないかと思われます。

渉成園・洞窟石組



北大島北側にある塩釜。源融が奥州・塩釜の海景に憧れて作庭したという伝承に因んで、江戸中期以降に築かれたものでしょう。

渉成園・塩釜



北大島北部に架かる回棹廊(かいとうろう)。安政4年(1858)の大火で焼失した反橋に代わって、明治17年(1884)に設置されました。

渉成園・回棹廊




回棹廊付近の護岸石組。一部に江戸初期的な美しい石組が見られます。

渉成園・回棹廊付近の護岸石組




北大島の北部対岸に位置する獅子吼(ししく)。印月池への注水口となっています。

渉成園・獅子吼




池泉東部には、2つの中島が南北に並ぶように配置されています。こちらは北方の中島で、亀島と思われます。

渉成園・亀島




南方の中島は鶴島と思われます。羽石らしき中心石など、江戸初期以前のものと思われる美しい石組が見られます。

渉成園・鶴島



園内の建築はほとんどが幕末以降の再建となっています。こちらは傍花閣(ぼうかかく)と呼ばれる、文人趣味的な唐様の楼閣で、明治25年(1892)に再建されています。

渉成園・傍花閣




傍花閣の西方に建つ持仏堂・園林堂(右)と茶室・蘆庵(左)。ともに昭和32年(1957)の再建です。

渉成園・園林堂と蘆庵




園内南西部にある閬風(ろうふう)亭。幕末頃の再建で、明治天皇がご休息に使用されました。

渉成園・閬風亭




池泉南東部にある茶亭・漱枕居(そうちんきょ)。幕末頃の再建で、「煎茶三席」の「酒店」にあたるとされます。

渉成園・漱枕居




園内北西部にある滴翠軒と臨池亭。いずれも明治期に再建された書院建築です。

渉成園・滴翠軒と臨池亭




庭園北部にある茶亭・代笠席(だいりつせき)。明治期の再建で、「煎茶三席」のうちの「茶店」とされます。

渉成園・代笠席



先述のように、渉成園は源融の「河原院」の跡地であり、その園池を利用して築かれたものと伝えられてきました。しかし専門家の間では否定的な意見が多く、現在では、徳川幕府の支援をもとに築かれた江戸初期の大名庭園、という評価が妥当のようです。

渉成園・北大島と南大島の石組



幕末には頼山陽が訪れ、園内の名所「渉成園十三景」を掲載した、『渉成園記』を記しています。地割は作庭当初のものがほぼ残されているようですが、京都駅にほど近いこともあり、周囲に建ち並ぶビルが観賞の妨げになっている点が惜しまれます。

渉成園・回棹廊

 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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