茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

鹿苑寺庭園 ~京都府京都市~

鹿苑寺は、京都北山にある「金閣」で知られる臨済宗相国寺派の寺院です。金閣(舎利殿)前面には、衣笠山を借景とし、鏡湖池(きょうこち)と呼ばれる池泉を中心とした池泉舟遊兼回遊式庭園が広がっています。

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庭園は、鏡湖池に浮かぶ「葦原島」「淡路島」「出亀島」「入亀島」の四島を、それぞれ蓬莱思想に登場する仙島に見立て、平安時代に主流だった浄土式庭園の特徴を残しながらも、蓬莱思想の世界を表現しています。

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池泉中央には「葦原島」と呼ばれる東西に長い中島があります。本庭における蓬莱島で、島の南岸東部(写真中央)には、三尊形式の蓬莱石組があります。

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葦原島の東南には、亀島が浮かびます。

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亀島の西方にあるもう一つの亀島。先ほどの亀島と向かい合う形で配置されています。

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庭園の原型は、鹿苑寺が建立される以前、鎌倉時代の西園寺公経・実氏父子の山荘時代に既に造営されています。その後、応永四年(1397)に足利義満が西園寺家から土地を譲り受け、荒廃していた庭園を修復しています。

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正面となる、金閣側から見た庭園。左手が葦原島、右手の二島は先ほどとは別の鶴亀島、手前に浮かぶ岩島は夜泊石で、蓬莱島へ渡るための舟が海上に停泊している様子を表現しています。

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葦原島北岸の石組。左手の最も大きい石が蓬莱石で、三尊石組となっています。右奥には、西岸から「客人島」と呼ばれる出島が伸びています。

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金閣側から、葦原島北方の鶴島(左)と亀島(中央)を望む。亀島の奥には畠山氏が献上した「畠山石」が見えています。

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金閣漱清脇の出亀島(左)と入亀島(右奥)。それぞれ神仙蓬莱思想に登場する、方丈島と壺梁島を表現しています。

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この他、池泉西部には客人島や瀛洲島を表現した「淡路島」がありますが、現在の回遊路からでははっきりと観察することができません。

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金閣北方にある滝石組。中央下部に「登竜門」の由来である鯉魚石を置き、龍門瀑の形式をとっています。かつて池泉はこの滝の辺りまであり、金閣は池中に位置していたようですが、現在では池泉の金閣以北は埋め立てられています。

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今回、中学校の修学旅行以来の鹿苑寺再訪となりましたが、庭園がこれほどまでに素晴らしいとは知らず、初めて金閣を見た時よりもその感動は大きなものでした。数ある日本庭園の中でも指折りの傑作であることは間違いありませんが、訪れるほとんどの観光客にとって目当ては専ら金閣のようで、残念ながら庭にレンズを向けている人は見当たりませんでした。

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天龍寺庭園 ~京都府京都市~

京都市嵐山にある天龍寺は、康永4年(1345)、後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として足利尊氏が開創した、京都五山第一位の寺院です。方丈西側には、我が国屈指の名庭と賞される庭園が残されています。

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庭園は、曹源池(そうげんち)と呼ばれる広大な池を中心に展開する、池泉舟遊兼回遊式庭園です。背後の嵐山を借景として取り入れています。

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池の東岸(方丈側)は二箇所に出島を設け、緩やかで優雅な汀線を描きます。

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亀を模った池泉の形状や、築山や野筋の様式は、『作庭記』に基づいた平安期の様式を伝えているとされます。

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東岸出島の石組意匠や先端の岩島は、兵頭大社庭園などと共通する、鎌倉後期の様式とされます。

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方丈の対岸、池泉西岸の築山には、豪壮な滝石組が見られます。現在は枯滝となっていますが、戦前までは水が落ちていたようです。滝の下部には三枚の石橋と、池中には鋭い岩島による鶴島が浮かびます(写真右下)。

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対岸からしか見ることができないため肉眼では詳細が把握できませんが、滝石組は二段式で龍門瀑の形式をとっており、滝の上段には鯉魚石が置かれています。通常鯉魚石は滝の下部に置かれるものですが、天龍寺庭園の鯉魚石は滝を登り龍へと変化する瞬間を表現した、他に例を見ないものです。

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池の北岸(書院側)より枯滝石組と西岸護岸石組を見る。

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池の北部には亀島である中島が設けられています。石組は後世に改変されているようで、西岸の護岸や滝石組と比べると陳腐な印象は否めません。

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通説では天龍寺庭園を作庭したのは夢窓疎石とされていますが、重森三玲は著書『日本庭園史大系』において、池泉はもともと平安中期に兼明親王が山荘を構えた際に造られ、また現在見られる石組は鎌倉時代当地に後嵯峨上皇が御所を築いた際に造営されたと指摘し、夢窓疎石による作庭という説は誤りであるとしています。

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また重森は龍門瀑の滝石組について、弘長元年(1261)当時当地に御所を構えていた後嵯峨上皇が、勅招により建長寺にいた渡来僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を上洛させていることや、蘭渓作庭と伝わる複数の庭園に同様の龍門瀑が見られることから、蘭渓による築造の可能性が高いとしています。

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旧川﨑家住宅(紫織庵)~京都府京都市~

地下鉄烏丸御池駅から徒歩約5分、京都市中京区にある旧川﨑家住宅は、綿布商を営んでいた豪商・井上利助によって大正15年(1926)に建てられた大塀造りの住宅建築です。昭和40年から平成9年まで白生地商・川﨑家の住宅・迎賓館として使用され、現在は浴衣や襦袢の製造・販売を行う株式会社丸栄によって、「京のじゅばん&町家の美術館・紫織庵」として使用されています。

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主屋東側に付属する玄関棟。手前の洋間部分はF.L.ライトの建築を参考に武田五一が設計したもので、外壁には旧帝国ホテルと同様の大谷石とタイルが使用されています。

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洋間内部は天井を折上格天井とし、床は寄木張り、東面には電熱暖炉を備えています。木材部分は全てチーク材を使用しています。

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玄関棟の先端にある茶室。もともと「紫織庵」とは、この茶室の名称でした。

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茶室は、当時数寄屋の名工と呼ばれた上坂浅次郎が手掛けています。

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主屋一階・客間。広さ15畳、一階の主室で、奥には仏間が続きます。仏間との間の欄間は東山三十六峰を模ったもので、当時の京都画壇で注目を集めていた竹内栖鳳の手によるものです。客間を含め、旧川﨑家住宅では和室部分を上坂浅次郎が手掛けています。

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主屋一階・畳敷の中廊下。

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主屋一階の東西両側には広縁が通され、西側広縁の外には京町屋らしく露地風の中庭が造られています。

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主屋西側に続く便所浴室棟。浴室と着替化粧室の戸は、湿気を逃がすために網代張りとなっています。

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主屋二階・洋間。サロンとして使用された部屋で、一階洋間同様、武田五一が設計を担当しています。

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洋間の照明は、アール・ヌーヴォー風の意匠が見事。

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洋間東面にはステンドグラスも見られます。

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現在は「長襦袢友禅資料室」となっている、主屋二階・座敷。次の間との仕切り欄間には、光琳桐が彫られています。

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一階洋間の天井は祇園祭の際に鉾見台として使用されたそうで、二階東側の広縁と通路で往き来できるようになっています。

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伝統的な町家建築が多く残る京都ですが、数寄屋の中に洋風をうまく取り込んだ旧川﨑家住宅は、近代の京町家の様式を今に伝える貴重な存在です。主屋をはじめ当初の建物が一連で残り、洗練された質の高い意匠を随所に見ることができます。なお、見学にあたっては事前に紫織庵のホームページからの予約が必要となります。

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旧木島櫻谷家住宅(櫻谷文庫)~京都府京都市~

京都市北区衣笠の地にある旧木島櫻谷家住宅は、明治末期から昭和初期にかけて活動した日本画家・木島櫻谷(このしまおうこく)の旧宅です。同じく京都市内に残る白沙村荘などとともに近代日本画家の旧宅として貴重な遺構で、敷地内には大正2年(1913)に竣工した主屋(和館)、洋館、画室が現存します。

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主屋は木造二階建ての和館、その西に木骨モルタル造二階建ての洋館が並んでいます。

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主屋一階・客間。炉はありませんが、数寄屋風の瀟洒な造りになっています。

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主屋一階・仏間。

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東山三十六峰を模った、仏間の欄間。

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主屋一階・居室。一階はもともと「田の字」型の典型的な農家の間取りだったものを、後年に改築していることが分かっています。

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主屋二階・控室。奥に座敷が続きます。

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主屋二階・座敷。10畳の座敷2室が南北に配置されています。

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二階・南側座敷の床の間。天井は、北半分と南半分で意匠に変化をつけています。

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二階は西側以外の三面に広縁が設置され、眺望に優れています。かつては周囲に高い建物がなく、北山や東山三十六峰を望むことができたといいます。

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主屋西方に建つ洋館。二階建て部分の応接棟と、奥に収蔵棟が続いています。

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洋館二階への階段。緩やかなカーブが美しい、木造の螺旋階段です。

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洋館二階・応接間。床の間を設けた和洋折衷の造りで、内壁は漆喰、腰壁は押縁の竹を使用した板張りとなっています。

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応接間では床の間や内壁に軸釘が打ち込まれ、部屋全体が掛け軸の展示室として機能していました。

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敷地北部に残る、木造平屋建ての画室。画室の前面にはかつて池が広がっていましたが、現在では埋め立てられテニスコートになっています。

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木島櫻谷は京都三条室町の商家出身で、京都画壇の大家・今尾景年に師事し、円山四条派の流れをくみながらも西洋の写実的技法を取り入れた独特の作風で、京都画壇において人気を集めました。櫻谷の死後、財団法人櫻谷文庫が設立され、現在に至るまで旧木島櫻谷家住宅を管理しています。なお建物及び敷地内部は通常非公開で、現在は桃の節句に合わせて毎年3月の金土日祝日に特別公開されているようです。

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五龍閣(旧松風嘉定邸) ~京都府京都市~

京都市東山、清水寺のすぐ近くにある五龍閣は、松風陶歯製造株式会社の創始者・松風嘉定(しょうふうかじょう)の邸宅として、大正10年(1921)に建てられた和洋折衷の建築です。現在は株式会社順正の所有となり、カフェとして営業しています。

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南側全景。一階はサンルームを設けてその上部をベランダとし、二階屋根には城郭建築のように入母屋破風と切妻破風を重ねて鴟尾を載せ、四階望楼の頂部には風見鶏を立てています。設計は、当時の関西建築界の重鎮・武田五一によります。

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屋根は桟瓦葺き、外壁は花崗岩とモルタル洗い出しによるもので、隅柱にはメダイヨンや雷紋の装飾が見られます。

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北側にある、旧玄関の扉。アール・デコ調の装飾が施されています。

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一階・控室。もとの部屋の用途は分かりませんが、天井から吊るされたシャンデリアは、建物内でも取り分け美しいものです。

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一階・広間。現在はカフェの客席が置かれていますが、往時はパーティーなどに使用するサロンだったようです。奥のアーチ窓の先はサンルームとなっています。

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広間の照明と中心飾り。

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広間北側。置かれている十二角形のテーブルは、建物とは直接関係ないものです。

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広間北西隅の壁には、ベンチが造り付けられています。

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一階・サンルーム。南面と西面に大きく窓をとり、天井にはアール・ヌーヴォー風の照明が設置されています。

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鳥が描かれた、サンルームのステンドグラス。

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建物の中心部に当たる、階段室。二階までを吹き抜けとし、手摺にはセセッション風のデザインが施されています。

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二階・居室。立派なシャンデリアとともに、星型の斬新な中心飾りが目を惹きます。

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二階・居室のステンドグラス。

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二階・広間。暖炉を備えた洋室ですが、天井は格縁を複雑に巡らせた折上格天井で、和洋折衷の空間になっています。

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五龍閣の設計者・武田五一は京都帝国大学(現・京都大学)建築学科の創設者で、国会議事堂をはじめ多くの公共建築を手掛けています。一方で武田の設計による個人宅の現存例は少なく、五龍閣は同じく武田が手掛けた旧芝川又右衛門邸などとともに、貴重な存在です。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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