茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

願泉寺庭園~大阪府大阪市~

大阪市浪速区にある願泉寺(がんせんじ)は、その起源を古く飛鳥時代に遡る、浄土真宗本願寺派の古刹です。本堂裏手には、桃山時代の作庭と推定される枯山水庭園があります(2022年12月撮影)。

願泉寺庭園・中心部景観



庭園は一般に、室町時代の絵師・相阿弥による作庭とされていますが、かつて境内には慶長年間(1596~1615)に伊達政宗が寄進した書院があり(戦災で焼失)、専門家の間では庭園も書院と同時期の作庭と推定されています。江戸初期の正保年間(1644~1648)、正阿弥なる人物により改修されたという伝承があるようで、この正阿弥が相阿弥と混同されたものと思われます。

願泉寺庭園・全景



庭園は、かつて存在した書院からの観賞を本位とした、蓬莱式枯山水庭園となっています。正面に築山を設けて枯滝を配置し、前面は枯池としています。

願泉寺庭園・全景



築山に設けられた枯滝石組。近代以降、水を落とすように改造されていた時期もあるようで、ほぼ原型はとどめていないと思われます。

願泉寺庭園・枯滝石組




枯滝上方には立石を中心とした石組が見られますが、これらもいつ頃のものかは不明です。

願泉寺庭園・築山の石組




築山東部にも集団石組が見られますが、この辺りは非常に弱い手法となっており、近代以降の改修と思われます。

願泉寺庭園・築山の石組




築山西部には、巨石を用いた力強い石組が見られます。鶴石組としての意匠とされ、作庭当初の手法を残していると推定されます。

願泉寺庭園・鶴石組



枯滝から枯池に向けては、枯流れの意匠となっています。きれいに整形された切石橋は、近代に以降に設けられたものと思われます。

願泉寺庭園・枯滝石組と枯流れ



枯流れの下流に、もう一つの石橋があります。厚みのある自然石を用いた手法は桃山期によく見られるもので、作庭当初のものかもしれません。

願泉寺庭園・石橋



鶴石組の対岸、写真左手の出島は、鶴石組に対する亀出島であった可能性が指摘されています。後世の改変が著しく、現状では亀出島としての意匠は見られません。

願泉寺庭園・鶴石組と亀出島



出島の前方にある、青石を用いた岩島。戦前に第3代木津宗詮により設けられたもので、鋭さの感じられる手法となっています。付近は栗石敷による浜の意匠となっています。

願泉寺庭園・岩島



枯流・枯池ともに、中央にコンクリートで固められた流れが設けられています。かつては滝から水を流せるようになっていたようですが、これらは第3代木津宗詮による改造時に設けられたもので、あまり関心できる意匠ではありません。

願泉寺庭園・枯流れ



庭園南東部には茶室と露地がありますが、これらは近代以降のもののようです。

願泉寺庭園・茶室



願泉寺は、推古天皇11年(603)、小野妹子の子・多嘉麿義持により創建された無量寿寺を起源とします。当初は天台宗に属していましたが、室町時代に浄土真宗に改宗、第31世定龍の頃に願泉寺と改称しています。庭園は度重なる改造により作庭当初とは大きく姿を変えているものと思われますが、地割や一部の石組に作庭当初の面影が残されており、市街地にありながら貴重な遺構と言えます(拝観の際は、事前連絡をおすすめします)。

願泉寺・山門と本堂

スポンサーサイト



 
 
 
 

岸和田城庭園(八陣の庭)~大阪府岸和田市~

岸和田城は、室町時代から桃山時代にかけて、細川、三好、畠山、織田といった有力大名による争奪戦が繰り広げられた、畿内を代表する名城の一つです。本丸には昭和28年、近代日本を代表する作庭家・重森三玲によって作庭された枯山水庭園「八陣の庭」があります(2022年12月撮影)。

岸和田城・天守と庭園(八陣の庭)



再建された天守から庭園を見下ろす。庭園は天守が再建された際に、その最上層から見下ろせるように設計・作庭されました(天守が再建されたのは、庭園造営の翌年)。諸葛孔明の兵法「八陣法」をモチーフとした斬新な地割に、伝統的な日本庭園の手法による集団石組を9か所に施した、伝統と創作が同居した重森らしい枯山水庭園となっています。

岸和田城庭園・全景



庭園中心に位置する「大将」の石組を、天守方向から見る。中心に強く傾斜させた立石を据えた、須弥山式の力強い集団石組になっています。「大将」に限らず、この庭のすべての石組に、紀州産の緑泥片岩(青石)が使用されています。

岸和田城庭園(八陣の庭)・大将の石組




反対方向から見た大将の石組。どの面から見ても正面に見えるように意匠されています。

岸和田城庭園(八陣の庭)・大将の石組




「天陣」の石組。四つの立石を用いた斬新な手法で、天に上るような陣勢を表現していると言います。

岸和田城庭園(八陣の庭)・天陣の石組



「虎陣」の石組。こちらも立石を中心とした構成で、大きめの板石を手前に強く傾斜させるなど、古風な手法が用いられています。

岸和田城庭園(八陣の庭)・虎陣の石組




「鳥陣」の石組。鳥が羽ばたく姿を抽象的に表現したもので、立石や臥石を織り交ぜた見事な石組となっています。

岸和田城庭園(八陣の庭)・鳥陣の石組




「地陣」の石組。3つの臥石により、不動の様子を表現しています。

岸和田城庭園(八陣の庭)・地陣の石組




「風陣」の石組。横石を多用し、風が吹き荒れる様子を表現しています。

岸和田城庭園(八陣の庭)・風陣の石組



「竜陣」の石組。竜が海から姿を現し、天へと昇る様を表現したもので、重森はのちに東福寺龍吟庵庭園でも、同様のテーマで作庭を行なっています。

岸和田城庭園(八陣の庭)・竜陣の石組




「雲陣」の石組。三石からなるシンプルな石組で、千変万化する雲の様を表現していると言います。

岸和田城庭園(八陣の庭)・雲陣の石組



「蛇陣」の石組。蛇が獲物に飛びかかる様を表現したもので、長石を用いた斬新な手法は、昭和14年に重森が作庭した、東福寺本坊庭園に通じるものがあります。

岸和田城庭園(八陣の庭)・蛇陣の石組



岸和田城本丸庭園は、岸和田市の事業として造営されました。当初岸和田市では、城の堀を埋め立てて児童遊園地を建設する計画を立てていましたが、その相談を受けた重森三玲の提言により、城の遺構を破壊する遊園地建設は中止され、代わりに本丸の庭園築造が実現しました。伝統と創作を融合したこの庭は、まさに重森の言う「永遠のモダン」という言葉を具現化した庭と言えるでしょう。

岸和田城庭園(八陣の庭)・天陣と大将の石組

 
 
 
 

圓満院庭園 ~滋賀県大津市~

大津市園城寺内にある門跡寺院・圓満院には、江戸時代初期の池泉観賞式庭園が現存します。以前当ブログで紹介していますが、再訪したので全面的に記事を更新します(2022年7月撮影)。

圓満院庭園・中心部景観



庭園は宸殿(重要文化財)の南側に、山畔を利用して細長く築かれています。宸殿からの観賞を本位として作庭されており、池泉中央付近に亀島を、東部に鶴島を配置し、山畔には滝石組を意匠しています。

圓満院・宸殿と庭園




池泉東部にある鶴島。立石を中心とした力強い護岸石組は、この庭の最大の見どころです。

圓満院庭園・鶴島



鶴亀からは山畔に向けて石橋が架けられています。厚みのある切石橋で、立石による橋添石とともに江戸初期らしい手法となっています。

圓満院庭園・石橋




鶴島・石橋と、周辺の景観。

圓満院庭園・鶴島と石橋




池泉中央付近にある亀島。亀島としての意匠は失われていますが、護岸石組は比較的保存されています。

圓満院庭園・亀島




亀島対岸の山畔には、護岸付近に蓬莱石が意匠されています。山形の巨石を用いた立派な手法です。

圓満院庭園・蓬莱石




山畔側の護岸石組。巨石を用いた豪壮なものになっています。

圓満院庭園・護岸石組



庭園南西部には、山畔上部から枯流れが意匠されています。上部には枯滝石組があり、本堂から観賞することができます。

圓満院庭園・枯滝石組




宸殿の奥にある本堂。

圓満院庭園・本堂と池泉



本堂からは、先ほどの枯流れ上部にある枯滝石組を間近で見ることができます。立石主体の見事な石組ですが、落ち葉に埋もれて全容が掴みづらくなってしまっている点が惜しまれます。

圓満院庭園・枯滝石組



庭園に臨む宸殿内部。宸殿は慶長年間(1596~1615)、明正天皇の御所として建造されたもので、正保4年(1647)に圓満院へ移築されました。美しい小組格天井の見られる上段の間や、江戸初期の狩野派の手によると見られる襖絵など、一見の価値があります。

圓満院・宸殿



圓満院は寛和3年(987)、村上天皇の第三皇子・悟円親王により開基された平等院を起源とします。藤原頼通によって宇治に阿弥陀堂(鳳凰堂)が造営されると、平等院の名をそちらに譲り、圓満院へ改称。以後、門跡寺院として繁栄しました。

圓満院・宸殿



庭園は相阿弥によって室町時代に作庭されたと伝わりますが、宸殿の移築年代や山畔を利用した細長い地割などから、専門家の間では正保~慶安年間(1644~1652)頃の作庭と推定されています。宸殿に面した池泉部分はよく管理されていますが、山畔の枯滝石組が荒廃している点は惜しむべきことで、適切な管理が望まれます。

圓満院庭園・中心部景観

 
 
 
 

本年もよろしくお願いいたします。

旧秀隣寺庭園


当ブログをご覧の皆様


いつもご覧いただき、ありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。


昨年は諸々の制限が緩和され、(まだまだ不安の多い状況ではありますが)世の中がかなりの部分でコロナ以前の状況に戻った年だったように思います。


個人的には体調が優れなかったり、旅先でカメラが壊れたり、その他なかなか散々な一年でしたが、久しぶりに色々な所へ出かけられる状況になったのは良かったかと思います。東北や畿内の建築・庭園にも行けましたし、(当ブログとは直接関係ありませんが)夏に京都で開催されたブライアン・イーノのインスタレーション展『AMBIENT KYOTO』に行けたのは本当に良かった…

当ブログについては更新が停滞気味になってしまっていますが、昨年訪れた青森や大阪の建築・庭園を、これから少しずつUPしていきたいと思います。


それから今年こそ、去年行けなかった山陰遠征に出かけたい…


というわけで、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



※写真は昨年、久々に再訪した旧秀隣寺庭園(滋賀県高島市)です。
 
 
 
 

仙洞御所 ~京都府京都市~

仙洞御所は、江戸時代初期の寛永7年(1630)、後水尾上皇のために、小堀遠州を作事奉行として造営された御所です。往時の御所建築は失われていますが、北池・南池の2つの池泉を中心とする廻遊式庭園が現存し、宮内庁管理の下、事前予約制で見学することができます。

仙洞御所・南池



庭園北部を占める北池。もともとは仙洞御所の北側にあった女院御所の庭園でしたが、のちの改修でに仙洞御所の庭園(現在の南池)と繋げられました。園路に沿って、北池の周辺から廻遊していきます。

仙洞御所・北池


北池に沿って園路を歩いて行くと、左手に小さな池泉が見えてきます。御所造営以前、当地に存在した豊臣秀頼の「京都新城」の庭園の名残とされ、付近に邸宅を構えていた平安時代の歌人・紀貫之の幼名「阿古久曾」に因んで、「阿古瀬淵(あこせがふち)」と呼ばれています。

仙洞御所・阿古瀬淵



阿古瀬淵を過ぎると、北東部から北池へと小さな流れが注いでいます。注ぎ口は小さな滝石組となっています。

仙洞御所・北池の小滝



北池では所々に護岸石組が見られますが、小堀遠州の手法は残されていないようです。

仙洞御所・北池の護岸石組



北池東部にある中島。巨石を用いた石組が見られますが、力強さが感じられず、造営当初のものではないようです。

仙洞御所・北池の護岸石組




美しい曲線を描く、南池南東部。一角には「雌滝」と呼ばれる小さな滝もあります。

仙洞御所・北池




雌滝を過ぎたところにある木橋「束(つか)橋」。橋を渡って「鷺の森」を通ると、「紅葉橋」へと出ます。

仙洞御所・束橋




北池と南池を区切る「紅葉橋」。周囲は木々が生い茂り、深山幽谷を思わせる雰囲気となっています。

仙洞御所・紅葉橋




紅葉橋を渡った右手には、紅葉山と呼ばれる築山があります。

仙洞御所・蘇鉄山




紅葉山には、巨石を用いた石組が点在しています。

仙洞御所・蘇鉄山




紅葉山付近から見た南池。中央に中島があり、右手からは、中島に渡る八ッ橋(石橋)が見えています。

仙洞御所・南池



八ッ橋から北東部を望むと、「雄滝」と呼ばれる滝石組が見えてきます。こちらも作庭当初のものではないようですが、巨石を用いた力強い石組になっています。

仙洞御所・雄滝




雄滝の右方には、美しい曲線を描く出島があり、奥には「土佐橋」と呼ばれる切石橋が見えます。

仙洞御所・南池の出島




土佐橋の右手には、巨石を集団風に組んだ護岸石組が見られます。

仙洞御所・南池の護岸石組




南池の南部にある中島「葭島(よしじま)」と岩島。

仙洞御所・南池



南池南西部分の池汀は、玉石を敷き詰めた浜の意匠となっています。文化14年(1817)、光格天皇譲位の際に作られた新しいものですが、今では仙洞御所を代表する景観となっています。

仙洞御所・南池




南池の南方にある茶亭・醒花亭(せいかてい)。文化5年(1808)の再建です。

仙洞御所・醒花亭



女院御所跡地に建つ、大宮御所の御常御殿。仙洞御所の建築は嘉永7年(1854)の大火で失われ、現在は幕末期の大宮御所の建築がわずかに残るのみです。

仙洞御所・大宮御所



仙洞御所は、もともとは豊臣秀吉が嫡子・秀頼のために築いた「京都新城」を前身とします。後水尾天皇の退位に際し、京都新城は破却され、その跡地に御所が造営されました。数度の改修により、庭園は小堀遠州の手法をほとんど残していないようですが、2つの池泉を中心とする景観に、御所の庭としての洗練された美を感じることができます。

仙洞御所・南池の護岸石組

 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
ジャンルランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
246位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
建築
12位
サブジャンルランキングを見る>>
 
 
 
 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
 
 
QRコード
QR
 
 
Pagetop