茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧下諏訪宿本陣庭園 ~長野県諏訪郡下諏訪町~

下諏訪の岩波家は信濃守護・小笠原家庶流の出身で、江戸時代には下諏訪宿の本陣を務めた名家です。現在その邸宅跡は資料館「本陣岩波家」と旅館「聴泉閣かめや」の敷地となっていますが、それぞれの敷地内に本陣時代の庭園が残されています(2017年10月14日訪問)。

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本陣岩波家に残る庭園は、座敷の東から西にかけて築かれています。山畔を利用した観賞式の池泉庭園で、様式や手法から江戸末期の庭と推定されています。

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池泉は江戸中期初頭の庭でよく見られるような、山畔に沿った細長いL字形をしています。

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庭のほぼ中央、刈込みの間に滝が落とされています。

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滝には石組もあるようですが、暗さと植栽のせいではっきりと確認できません。滝の手前には石組による出島を設けています。

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南部山畔には巨石による石組が見られますが、江戸末期らしく、鋭さや力強さは感じられません。

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山畔上部の石組。繁茂する植栽が石組を隠してしまっています。

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池泉西端に架かる石橋。

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和宮や明治天皇が宿泊したとされる座敷。庭園はこの座敷からの観賞を本位としています。

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「本陣岩波家」に隣接する旅館「聴泉閣かめや」に残る庭園。こちらも観賞式の池泉庭園になっています。

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こちらの庭も本陣岩波家のものと同様、山畔を利用しL字形に細長く池泉を穿っています。

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東部山畔にある滝石組。水落石は高さ1.3メートルほどあります。

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山畔の南東隅にも、枯滝のような石組が見られます。

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南部山畔の石組。上部の三尊風の石組は蓬莱石組でしょうか。

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旅館の一角に残されている「上段の間」。かつて皇女和宮も使用したと伝わり、庭園はここからの観賞を本位として築かれています。

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聴泉閣かめやに残る庭は、伝承では小堀遠州により桃山〜江戸初期に作庭されたとされますが、小堀遠州作庭の客観的根拠はなく、個人的には地割や石組手法から江戸中期頃の庭ではないかという気がします。本陣岩波家に残る庭と比べ、石組は小ぶりながら美しいものになっています。

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地蔵寺庭園 ~長野県諏訪市~

長野県諏訪市にある地蔵寺は、天正12年(1584)に建立された曹洞宗の寺院です。境内には江戸中期に築かれた池泉観賞兼廻遊式庭園が現存します(2017年10月14日訪問)。

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庭園は書院北側、山畔との間に東西に長く池泉を穿ち、池泉には大小二つの中島を浮かべ、北東部の山畔には枯滝石組を設けています。

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池泉北東部にある中島。亀島とされ、巨石を用いた石組が見られます。

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南部から見た亀島。三方から石橋が架けられています。

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苔むして古色を帯びた、亀島東部の石橋。奥の対岸には護岸石組も見られます。

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亀島北部の石橋。奥には山畔への廻遊路が続いています。

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池泉東岸には、珍しい手法の滝があります。滝石組ではなく、導水のための切石をY字形に組んだもので、支柱の刻字から、宝暦7年(1757)には存在していたようです。

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山畔西部に設けられた枯滝石組。

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池泉西部には、もう一つ中島があります。亀島と比べると小規模で、これといった石組も見られず、後世に追加されたものとされます。

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地蔵寺はもともと諏訪・金子城の鬼門除けとして諏訪頼忠により創建され、元禄2年(1689)に諏訪家の祈願寺として現在地へ移されました。庭園はその頃から造営が始まり、宝永末年頃に完成したものと考えられています。細長い池泉の形状などは元禄以前の様式で、江戸末期の庭園が多い諏訪地域においては貴重な遺構と言えます。石組は荒廃していたり後世の改修箇所が多いものの、周囲の緑と透き通った池泉が美しい庭園でした。

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旧田中銀行主屋 (旧田中銀行博物館) ~山梨県甲州市~

旧田中銀行主屋は、山梨県甲州市勝沼町にある明治期の擬洋風建築です。もともと勝沼郵便電信局舎として明治30年代に建てられたもので、大正9年(1920)から田中銀行社屋として、昭和11年(1936)以降は田中銀行頭取だった田中家の住宅として使用されました。現在は旧田中銀行博物館として一般公開されています(2017年8月5日訪問)。

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明治期の山梨県内には、藤村紫朗の指導の下、多くの擬洋風建築が建てられました。旧田中銀行主屋は、旧睦沢学校などの藤村式建築を手掛けた、松木輝殷の施工とされます。

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木造二階建て、屋根は入母屋造桟瓦葺で、正面に千鳥破風を備えています。一方で窓は上げ下げ窓、外壁には灰漆喰を使用して石造りのように見せるなど、和洋折衷のデザインになっています。

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一階玄関ポーチ。天井は菱組天井になっており、扉には塗装による「ペンキ木目」が描かれています。ペンキ木目は、建物内の他の扉にも見られます。

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玄関ポーチの支柱には、細かい矢羽根状の装飾が施されています。

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一階内部。郵便電信局舎時代は4つの部屋に分かれていましたが、銀行社屋として使用するにあたって壁が撤去されています。

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一階には銀行時代にカウンターが設置されていましたが、住宅時代に撤去されたようです。天井には古民家で見られるような立派な梁が通されています。

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一階に展示されている事務用の机。銀行時代に頭取が実際に使用していたものです。

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一階には電話室も設けられています。

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一階便所の、陶器製の便器。

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二階への階段は螺旋階段になっており、手摺にも洋風意匠が見られます。

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二階は中央の廊下を挟み、左右に和室が設けられています。

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二階和室は、第二次大戦中に田中本家へ疎開していた北白川宮家の侍従・水戸部孚が住居として使用していました。

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現在も北白川宮家にまつわる調度類が多数残り、展示されています。

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二階・バルコニー手摺の意匠。

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主屋の北側には、大正9年に建てられた土蔵が残されています。

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コンクリート製の門柱。中央にはガス灯が設けられています。

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長い間、田中家の住宅として使用されていた旧田中銀行主屋ですが、平成9年(1997)に国の有形文化財に登録され、翌平成10年には勝沼町(現在の甲州市)に寄贈され、同17年から博物館として一般公開されています。山梨県内には旧津金学校旧室伏学校など「藤村式」の擬洋風建築がいくつか残されていますが、いずれも校舎建築であり、旧田中銀行は藤村式建築の流れをくむ銀行建築として、貴重な存在と言えます。

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浄居寺庭園 ~山梨県山梨市~

恵林寺から少し北へ行ったところに、曹洞宗の寺院・浄居(じょうこ)寺があります。若き日の夢窓疎石が庵を結んだ地で、書院裏手には山畔を利用した観賞式庭園があります(2017年8月6日訪問)。

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庭園は東西に細長く築かれています。おびただしい石組から石庭のような印象を受けますが、かつては池泉に水を湛えた池泉庭園だったようです。

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斜面を埋め尽くす石組や細長い池泉など、蘭渓道隆による東光寺庭園(甲府市、鎌倉時代)との共通点が指摘されていますが、地割や石組手法から、東光寺庭園を参考に桃山時代または江戸初期に築かれたものと推定されています。

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山畔には二段の枯滝石組が設けられています。枯滝上段は発掘調査に基づき復元されたもので、鋭い立石をはじめ、この庭で最も優れた石組が見られます。

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枯滝石組下段は右手に折れ曲がるように意匠されており、脇には蓬莱石とされる巨石が据えられています。

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山畔頂部の石組。

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池泉の東部は流れの意匠となっています。

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東部山畔の洞窟石組。巨石を用いた品文字風の石組になっています。

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浄居寺は鎌倉時代末期、夢窓疎石を開山とし二階堂氏により創建されました。庭園は、寺伝では疎石の作とされていますが、重森完途は著書『日本庭園史体系』において、江戸初期の庭であるとしています。一方、京都林泉協会による『日本庭園鑑賞便覧』では桃山時代の庭と評価されています。一見すると無造作に多くの石を置いただけのように思えますが、よく観賞すると流れの意匠や力強い枯滝石組など、見応えのある庭であることが分かります。

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大善寺庭園 ~山梨県甲州市~

甲州ワインで知られる山梨県甲州市勝沼町に、真言宗智山派の古刹・大善寺があります。書院裏手には、恵林寺庭園とともに山梨県屈指の名庭とされる池泉観賞式庭園があります(2014年10月、2017年8月訪問)。

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庭園は、山畔を利用して東西に細長く築かれています。西部の小築山には須弥山石組を中心とした集団石組や、立石による岩島が見られます。

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池泉西部の小築山。頂部の三尊石組が須弥山石組で、象徴的な立石を中尊とし、下部にかけて枯滝石組を形成しています。余談ですが、管理人が日本庭園の石組の魅力に気づくきっかけになった石組でもあります。

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須弥山石組周辺には大小の石が組まれ、集団石組となっています。

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築山下部の池畔には、護岸石組もしっかり組まれています。

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池泉中央の山畔には、滝石組が残ります。現在は枯れていますが、かつては水が落とされていたようです。

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滝石組下部の池中にある、立石手法の岩島。滝石組を挟んで手前側は出島風になっています。





滝石組東部、出島風の先端には、亀頭風意匠の伏石が見られます。





池泉東部の滝石組。添石には巨石が用いられています。

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滝石組の左手山畔には、小ぶりの石を用いた石組が見られます。

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大善寺境内には庭園以外にも、室町時代建立の本堂(国宝)が現存します。室町期の寺院建築様式を伝える貴重な伽藍で、寺に伝わる『理慶尼記』によれば天正10年(1582)3月3日、織田軍の追撃を逃れるため岩殿山城に向かう途中の武田勝頼・信勝父子が、この本堂で一泊したとされます(勝頼一行は翌日、家臣・小山田信茂の裏切りに遭い、同月11日に鳥居畑で自刃又は討死)。

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大善寺は養老2年(718)、行基により創建された古刹です。行基は付近の村人に葡萄の栽培方法を教え、これが甲州葡萄の起源になったと言われています。庭園はそれほど規模の大きなものではありませんが、石組や地割の素晴らしさは目を見張るものがあり、甲斐の庭園文化の水準の高さを示す遺構と言えます。なお境内には、武田信玄の従妹で、『理慶尼記』の著者とされる理慶尼(りけいに)の墓も残されています。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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