茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

つるべすし弥助 ~奈良県吉野郡下市町~

つるべすし弥助は、奈良県下市町にある、創業800年の老舗料理屋です。昭和初期に建てられた本館と別館が現在も使用されています。





本館外観。木造2階建て、屋根は入母屋造り桟瓦葺きで、ベンガラの塗られた外壁が華やかな印象を与えます。





本館玄関。格天井や下地窓など、凝った造りです。





本館1階は待合室と調理場が主で、客間は階段を上がった2階となります。





階段を上がると左(写真奥)が本館、右が別館への渡り廊下となります。まずは本館から見て行きます。




本館2階の中心となる大広間。床の間のある18畳半と17畳半の2間続きで、筬欄間で仕切られています。





大広間の隣にも6畳の座敷と次の間があります。

つるべすし弥助・本館2階座敷



2階座敷の欄間。富士と松原の見事な透かし彫りです。

つるべすし弥助・本館2階座敷     



続いて別館を見て行きます。別館は木造3階建てで、本館とは渡り廊下で接続されています。

つるべすし弥助・別館外観   



別館2階。廊下沿いに3つの客間が並びます。

つるべすし弥助・別館2階  


別館2階の客間は、いずれも7~8畳の数寄屋風の座敷となっています。南側は全面ガラス窓で、桟と框は弧を描く洋風の意匠となっています。





こちらの客間は、独特の落とし掛けや円窓など、凝った意匠が見られます。





客間入口の天井も、意匠が凝らされています。





こちらの欄間は、かつて使用されていた釣瓶型のすし桶を意匠しています。





別館3階は、3間続きの大広間となります。合わせて22畳の広さがあり、南側は縁側にガラス窓と、開放的な造りとなっています。




3間のうち、南側の座敷。屈曲した竹を用いた床柱や、華やかな下地窓など、凝った意匠の座敷です。





3間のうち、北側の座敷。こちらは付書院を備えています。

つるべすし弥助・別館3階座敷    



別館3階各室を隔てる欄間には、近江八景を意匠した透かしが施されています。こちらは「堅田落雁」。

つるべすし弥助・別館3階座敷   




こちらは大津の「石山秋月」。



つるべすし弥助は「日本最古の鮨屋」とされ、創業は平安末期の文治年間(1185~1190)と伝わります。現在の本館と別館は、旧店舗が焼失した直後、吉野実業学校(現・県立吉野高等学校)建築科教師の設計で再建されたものと伝わります。なお、営業はお昼のみで、3900円で、名物「鮎すし」を始めとする定食を頂くことができます。

つるべすし弥助・別館3階座敷   


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願行寺庭園 ~奈良県吉野郡下市町~

奈良県下市町にある願行寺(がんぎょうじ)は、「下市御坊」とも呼ばれる、浄土真宗本願寺派の寺院です。本堂と大書院に挟まれた一画に、室町末期作庭と推定される枯山水庭園があります。

  


庭園は蓬莱式の枯山水で、大書院からの観賞を本位として作庭されています。正面となる南側を低い築山とし、その前面は栗石敷として大海を表現しています。




正面築山の石組。中央に立石で遠山石を意匠し、その下部は枯滝とされますが、荒廃していて全容が掴めません。

IMG_0572_20200517204219d85.jpg   


庭園西部の集団石組。鋭く傾斜した立石が、玉澗や雪舟の水墨山水画を思わせます。




栗石敷部分には、3石による岩島が意匠されています。菱型の板石と山形の立石を用いたもので、やはり玉澗などの水墨山水画を思わせる、抽象的かつ鋭い手法です。

願行寺庭園・岩島    



岩島の左手には豪快な洞窟石組が見られます。蓬莱神仙思想における、仙人の住む洞窟を表現したもので、桃山~江戸初期の庭園によく見られるものです。





岩島と洞窟石組。奥の築山にも、巨石を用いた護岸石組が見られます。

願行寺庭園・岩島と洞窟石組  




築山は庭園東部まで続いており、東端付近には山形の巨石で蓬莱石(写真上部)が意匠されています。

願行寺庭園・蓬莱石組




庭園に臨む大書院。江戸時代に再建されたものです。

願行寺・書院



桃山期の建築とされる本堂。願行寺は本願寺三世・覚如の長子・存覚ゆかりの寺院で、応仁年間、本願寺中興の祖・蓮如により再建されました。吉野地方における本願寺勢力の拠点として隆盛を誇りますが、天正6年(1578)、織田信長に属した筒井順慶により焼かれました。

願行寺・本堂



作庭に関する資料はありませんが、地割や石組手法などから、永禄10年(1567)前後のものと推定されています。奈良県屈指の古庭園と評価されており、鋭くも優美な石組に、室町期の造形意識の高さが表れています。なお、庭園拝観を希望される場合は、事前にお寺へ電話連絡されることをおすすめします。

 願行寺庭園・中心部景観


 
 
 
 

旧川本家住宅(町家物語館)~奈良県大和郡山市~

大和郡山市にある洞泉寺町は、昭和33年(1958)の売春禁止法施行までの間、遊郭(赤線)として栄えた地区です。町内にある旧川本家住宅は、大正13年(1924)に建てられた妓楼建築で、現在は「町家物語館」として一般公開されています(遊郭=妓楼など遊女屋の集まる区画、妓楼=遊女屋)。

旧川本家住宅・本館外観  



建物は妓楼として使用されていた本館と、川本家の生活空間だった座敷棟で構成されます。通りに面した本館は木造3階建てで、正面(東面)は、1階が親子格子(3本子持ち)の窓に菱格子の欄間、2階が親子格子(2本子持ち)の窓に筬欄間、3階が欄間のない千本格子の窓と、各階で少しずつ意匠が異なっています。





書院造のような意匠の玄関。見学順路に沿って、まずは本館から見て行きます。





1階帳場。右手の棚は娼妓のロッカーとして使用されたもので、娼妓の源氏名が貼られています。




帳場の隣にある仏間の欄間。本館1階は帳場、仏間のほか、娼妓溜や客引控室、家計部屋などで構成され、客間は配置されていません。





仏間の書院廻りにも、凝った意匠の欄間が見られます。





本館と座敷棟の間にある中庭。棕櫚竹(シュロチク)のある、京町家風の坪庭です。

旧川本家住宅・中庭




モダンなタイル張りの手洗い。近くの階段から2階へと上がります。




2階に上がるとすぐ、8畳の座敷があります。案内所として使用された部屋で、娼妓と客はここで合流しました。

旧川本家住宅・2階案内所




2階吹き抜けから見える猪目(いのめ)窓。ハート型のように見えますが、猪の目を象ったものです。

旧川本家住宅・猪目窓




本館2階・客間。踏込床のある3畳座敷で、ほとんど全ての客間が同様の意匠となっています。

旧川本家住宅・2階客間




2階から3階への大階段。現在では毎年春に雛人形が飾られ、大和郡山の新たな風物詩となっています。





3階客間。3階には9室の客間が配置されています。

旧川本家住宅・3階客間



1階に戻り、今度は座敷棟を見学します。座敷棟1階の中心となるのが12畳の大広間で、賓客の応接に使用されたものと思われます。

 旧川本家住宅・座敷棟1階大広間



大広間の床の間。前彫の床柱、川本家の家紋を意匠した書院欄間など、凝った作りとなっています。

旧川本家住宅・1階大広間




大広間の窓や明かり欄間の格子も、美しい意匠です。




座敷棟の奥にある、家族用の浴室。タイル張りの洋風の浴室で、天井の中心飾りには川本家の家紋が意匠されています。

旧川本家住宅・浴室



浴室の奥にある便所。結霜ガラスの小窓も見事ですが、床はかつてガラス張りで、その下は金魚の泳ぐ水槽だったとのこと。

旧川本家住宅・1階便所



旧川本家住宅は、妓楼「川本楼」として昭和33年(1958)まで使用され、その後は下宿として使用されていました。平成11年(1999)に大和郡山市が買収し、復元・耐震工事を経て平成30年(2018)から一般公開されています。

旧川本家住宅・2階階段



洞泉寺町には他にも複数の妓楼建築が残されていましたが、今年に入り次々と取り壊されており、旧川本家住宅と同じく3階建ての旧山中楼(写真右手)も、既に取り壊しが決まっています。妓楼という建物の性格上、保存や公開には賛否があると思いますが、全国的にかつての遊郭の風景が次々と失われていく中、これだけの規模・質の妓楼が保存・公開されているのは貴重な例と言えます。

旧川本家住宅と旧山中楼


 
 
 
 

當麻寺西南院庭園 ~奈良県葛城市~

西南院(さいないん)は、奈良県葛城市の古刹・當麻寺の塔頭寺院です。境内には、江戸中期~末期作庭と推定される池泉観賞式庭園があります。以前当ブログで紹介していますが、再訪したので全面的に更新します。




庭園は書院南側、山畔を利用して築かれています。池泉は江戸中期の凹形池泉を踏襲して中央に出島を設け、東部では細く流れのように地割されています。山畔には滝石組を築き、斜面は当代庭園の特徴である小刈込を配しています。





池泉中央の出島は亀出島とされます。西部(写真右手)に小石で亀頭石が意匠されています。

當麻寺西南院庭園・亀出島



亀出島の左手も軽い出島となっています。こちらは鶴出島とされますが、鶴としての意匠は見られず、形式だけのものになっています。

當麻寺西南院庭園・鶴出島




2つの出島を結ぶ石橋。下部の岩島は舟石のようにも見えます。

當麻寺西南院庭園・石橋




山畔の滝石組。植栽に隠され詳細は不明ですが、手法的には弱い印象です。





池泉北岸には礼拝石が据えられています。

當麻寺西南院庭園・礼拝石




池泉東部は流れのように細くなり、ここにも石橋が架けられています。

當麻寺西南院庭園・石橋




池泉と書院の間には飛石が打たれていますが、丸みがかった石ばかりで力強さは感じられません。

當麻寺西南院庭園・飛石




山畔から見た書院と庭園。庭園は観賞式ですが、山畔を伝って外周のみ廻遊できるようになっています。

當麻寺西南院・書院と庭園




山畔から見下ろした亀出島(左)と鶴出島(右)。

當麻寺西南院庭園・鶴出島と亀出島




庭園内には二か所に水琴窟が設けられています。

當麻寺西南院庭園・水琴窟




池泉越しに望む西塔(国宝)。西塔は天平期に建てられた三重塔で、庭園に景観として取り込まれています。

當麻寺西南院・庭園と西塔




西南院は白鳳12年(661)、當麻寺の裏鬼門の守護として創建されたと伝わります。庭園は寺伝によると江戸初期に作庭されたものを江戸中期に一音法印が改修したとされますが、江戸中期~末期の庭園らしく、景観は美しいものの造形的な魅力は乏しいものになっています。

當麻寺西南院・全景



當麻寺は推古天皇20年(612)、用明天皇の第3皇子で聖徳太子の弟・麻呂古親王が開いた万法蔵院を起源とします。国宝の本堂、東塔、西塔(いずれも平安期の建立)、重要文化財の金堂・講堂など貴重な古建築が現存し、古庭園としては西南院のほかに、前回紹介した中之坊庭園、護念院庭園があります。

當麻寺・本堂  

 
 
 
 

當麻寺中之坊庭園 ~奈良県葛城市~

中之坊は、奈良県葛城市にある當麻寺(たいまでら)の中心的な塔頭です。書院南側に、桃山期作庭とされる池泉観賞式庭園が残されています。以前当ブログで紹介していますが、再訪したので全面的に更新します。

當麻寺中之坊庭園・池泉と築山



庭園は書院南西に池泉を穿ち、中島は設けず、池泉西側を築山としています。寺伝では、桃山期に作庭されたものを、大名であり茶人の片桐貞昌(石州)が江戸初期に改修したとされますが、裏付けとなる資料がなく、実際のところは不明です。

當麻寺中之坊・書院と庭園



正面となる東側から見た池泉と築山。築山中央に滝石組を設け、その左手には大きく出島を意匠し、江戸中期の庭に多く見られるような凹字形の池泉となっています。





築山中央にある滝石組。前方には水分石が配置されています。

當麻寺中之坊庭園・滝石組




築山と護岸の石組。この辺りの石組は力強いものになっています。

當麻寺中之坊庭園・護岸石組



池泉はさらに東方へと延びます。この辺りは護岸石組も弱く、後世の改修を受けているか、後世に池泉が拡張されたのかもしれません。

當麻寺中之坊庭園・池泉




池泉越しに望む東塔(国宝)。東塔は平安期の三重塔で、庭園の借景として巧みに取り入れられています。

當麻寺中之坊・庭園と東塔




東塔下の山畔にも古風な石組が見られますが、全体的に荒廃しています。

當麻寺中之坊庭園・山畔部石組




このほか、書院西方には枯山水部分があります。

當麻寺中之坊庭園・枯山水部分




枯山水部分にある、亀島とされる集団石組。南端(向かって左手)に亀頭石が残されています。

當麻寺中之坊庭園・亀石組




飛石を挟んで亀島の向かいにも、集団石組が見られます。こちらは亀島に対する鶴島と推定されています。

當麻寺中之坊庭園・鶴石組




庭園に臨む書院。片桐貞昌が後西天皇を迎えるために建てたと伝わり、重要文化財に指定されています。

當麻寺中之坊・書院外観




書院に付属する茶室・丸窓席。やはり片桐貞昌が整備したと伝わります。




當麻寺は中将姫ゆかりの古刹で、推古天皇20年(612)、用明天皇の第3皇子で聖徳太子の弟・麻呂古親王が開いた万法蔵院を起源とします。中之坊は代々の別当が住房とした境内最古の塔頭で、奈良時代、當麻寺別当・実雅により中院として開創されました。霊宝殿には白鳳・天平期の仏像や絵画をはじめ、貴重な寺宝が保存・展示されています。

當麻寺中之坊・書院と庭園


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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