茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧山田家住宅 ~東京都世田谷区~

東京都世田谷区にある旧山田家住宅は、昭和12年(1937)頃、実業家・楢崎定吉の住宅として建てられた洋風建築です。戦後に進駐軍の接収を受けた後、昭和36年(1961)から画家・山田隆盛の所有となり、長い間山田家の住宅として使用されていましたが、平成21年(2009)に世田谷区に寄贈され現在は一般公開されています(2018年8月、2019年1月訪問)。

旧山田家住宅・外観



建物は木造二階(地下一階)建て、寄棟造りフランス瓦葺き(庇は銅板葺き)で、外壁はリシン掻き落とし仕上げとなっています。二階南西部にはバルコニーが設けられています。

旧山田家住宅・外観




一階南東部にある玄関ポーチ。スクラッチ・タイルやアーチを用いたデザインなど、凝った造りになっています。

旧山田家住宅・玄関




玄関には、色鮮やかなステンドグラスが用いられています。

旧山田家住宅・玄関(ステンドグラス)




玄関内部の床はタイル張りになっています。

旧山田家住宅・玄関(タイル)




一階・食堂。山田家時代は応接間として使用されていたようで、北側には二階への階段が設けられています。

旧山田家住宅・食堂




食堂の照明。アール・ヌーヴォー風の装飾が見られます。

旧山田家住宅・食堂(照明)




階段とステンドグラス。階段は西側にももう一つ設けられています。

旧山田家住宅・階段とステンドグラス




一階・西側に位置する居間。現在は休憩スペースとして使用されています。

旧山田家住宅・居間




居間の照明。こちらもアール・ヌーヴォー風の装飾が見られます。

旧山田家住宅・居間(照明)



居間の南側にはサンルーム風のポーチが設けられています。当初は屋外だったものを、建築直後に室内としたことが分かっています。

旧山田家住宅・ポーチ




二階東部に位置する客間。壁は進駐軍に接収されていた頃に塗装されています。

旧山田家住宅・客間




客間・次之間。正面ドアの向こうは、ウォークイン・クローゼットになっています。

旧山田家住宅・次之間




二階・日本間。接客のための部屋で、旧山田家住宅では、この日本間と女中室だけが畳敷きとなっています。

旧山田家住宅・日本間




二階・家族用寝室。二階には寝室が2部屋あります。

旧山田家住宅・西側寝室




二階・物入。ウォークイン・クローゼットになっていて、2つの寝室と繋がっています。

旧山田家住宅・物入




二階・洗面場。進駐軍に接収された時期に、シャワールームに改修されたと考えられています。

旧山田家住宅・洗面場




旧山田家住宅では、ほとんどの部屋が寄木張りの床になっています。

旧山田家住宅・床(寄木)




部屋ごとに異なる寄木のデザインも見所です。

旧山田家住宅・床(寄木)



台所や風呂場等、一部改修を受けているものの、旧山田家住宅はほぼ建築当初の姿を残しており、旧小坂家住宅旧清水家住宅書院とともに、同じく世田谷区に現存する近代住宅建築として、貴重な遺構と言えます。なお、すぐ近くには、「近代数寄屋」で知られる吉田五十八が手掛けた、旧猪俣邸もあります。

旧山田家住宅・日本間(書院障子)


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旧陸奥宗光邸「聴漁荘」 ~神奈川県中郡大磯町~

神奈川県大磯町にある旧陸奥宗光邸「聴漁荘(ちょうぎょそう)」は、関東大震災で被災した旧陸奥宗光邸を復元する形で、大正14年(1925)に建てられた近代和風建築です。現在は古河電工(株)の所有となり非公開ですが、明治150年記念公開」として実施された特別公開に参加しましたので、ご紹介します。

旧陸奥宗光邸・外観①




南側から見た外観。建物は木造平屋建て、屋根は入母屋・寄棟造桟瓦葺で、屋根の下部には庇を伴います。





建物東面。右手の張り出し部分が玄関となります。

旧陸奥宗光邸・外観③




玄関上部には、「聴漁荘」の扁額があります。円覚寺派の管長を務めた太田晦厳が命名したものと言われています。

旧陸奥宗光邸・玄関①




玄関内部。上がり框を使用していない点が特徴とされます。

旧陸奥宗光邸・玄関内部




玄関を入って右手にある書生室。陸奥宗光が執筆した外交記録『蹇蹇録(けんけんろく)』編集のため書生が使用した部屋とされます。

旧陸奥宗光邸・書生室




玄関を入って左手には広間があります。10畳と8畳の2間続きで、応接間と主人室を兼ねていたようです。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室①




広間の床の間は琵琶床を備え、竹の落掛け皮付き柱を用いるなど、数寄屋を取り入れた上品な意匠になっています。掛軸は、庭の滝をモチーフに、日本画家の巨匠・横山大観が描いたものと言われます。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室(床の間)




付書院には、松皮菱の繊細な組子意匠。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室(付書院)




竹を用いた、広間の欄間。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室(欄間)




広間は東南西の三面が広縁とガラス戸で囲まれ、明るく開放的になっています。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室(広縁)




広間北側を通る中廊下。右手の棚には屋久杉が使用されています。

旧陸奥宗光邸・廊下





広間の西側、中廊下の先には家族用の和室があります。

旧陸奥宗光邸・和室①




家族用和室も、網代張りの落天井や飾り窓など、数寄屋風の意匠が取り入れられています。

旧陸奥宗光邸・和室②




家族用和室の西側にある、茶の間。こちらも、織部床や竹を用いた落掛けなど、数寄屋風の意匠が見られます。

旧陸奥宗光邸・茶の間




家族用和室の北側にある洗面室。こちらも皮付き柱や竹の長押など、数寄屋を感じさせる空間です。

旧陸奥宗光邸・洗面室




洗面室に隣接する脱衣室。奥は浴室となります。

旧陸奥宗光邸・脱衣室




浴室は曇りガラスが使用され、明るく開放的な雰囲気になっています。唐傘天井やタイル張りの床も見事。

旧陸奥宗光邸・浴室




浴室にはシャワーも設置されています。

旧陸奥宗光邸・浴室(シャワー)



旧陸奥宗光邸は、もともと明治27年(1894)に、陸奥宗光の別邸として、現在地と同じ場所に建てられました。現在の建物は関東大震災後の再建であるため、実際に陸奥宗光によって使用されたことはなく、長く古河家の別邸として使用されていたようです。なお、旧大隈重信邸の記事でも触れましたが、国は隣接する旧大隈重信邸、旧伊藤博文邸(滄浪閣)、旧西園寺公望邸を含む一帯を「明治記念大磯邸園」として整備し、将来的には通年公開を予定しているとのことです。

旧陸奥宗光邸・外観④


 
 
 
 

本年もよろしくお願い申し上げます

いつも当ブログをご覧頂き、ありがとうございます。

三が日も過ぎ、今さらな感じではありますが、、、
改めまして、本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年は、他のサイト様から色々と勉強させて頂いたり、RAW画像編集が実はそんなに難しくないということに気づいたり (いまさら…笑)、実り多き一年でした。

本年も、可能な範囲で、様々な地域の庭園や建築などを回れたら、と思っています。
そして、皆さまにとっても、安らかで実り多き一年となりますように。

拙いブログですが、また一年間よろしくお願いいたします。


※写真は昨年訪れた奈良県吉野の町並みです

吉野の町並み


 
 
 
 

旧大隈重信邸 ~神奈川県中郡大磯町~

神奈川県大磯町にある旧大隈重信邸は、内閣総理大臣を2度務め、日本史上初の政党内閣を立ち上げたことでも知られる政治家・大隈重信の別邸として、明治30年(1897)に建てられた近代和風建築です。現在は古河電工(株)の所有となり非公開となっていますが、「明治150年記念公開」として実施された特別公開に参加しましたので、ご紹介します。

旧大隈重信邸・外観



建物の西部にあたる、「富士の間」外観。木造平屋建てで、当初は茅葺だった屋根は、現在ではアルミ板棒葺に変えられています。

旧大隈重信邸・富士の間(外観)




西側に設けられた玄関。車寄せが大きく張り出しています。

旧大隈重信邸・玄関①



車寄せの垂木、玄関扉、欄間と、どれも左右対称・直線を意識したもので、明治期の建築とは思えない、合理的でモダンなデザインとなっています。

旧大隈重信邸・玄関②




玄関内部。入って右手が応接空間である富士の間、左手が居住空間へと続く廊下となります。

旧大隈重信邸・玄関内部




玄関と富士の間の間にある応接間。こちらも明治期の建築とは思えない、モダンな空間になっています。

旧大隈重信邸・応接間




16畳と10畳の2部屋からなる、富士の間。旧大隈邸には毎日のように来客があり、ここで宴が開かれたそうです。

旧大隈重信邸・富士の間




富士の間、床の間と付書院。床柱には百日紅(さるすべり)が使用されています。

旧大隈重信邸・富士の間(床の間)




書院障子と板欄間の意匠。

旧大隈重信邸・富士の間(書院障子と欄間)




鶴をかたどった釘隠。

旧大隈重信邸・富士の間(釘隠)




富士の間、欄間の意匠。

旧大隈重信邸・富士の間(欄間)




富士の間を取り巻く広縁。富士の間は東面と南面がほぼ全面ガラス戸で、明るく開放的な空間となっています。

旧大隈重信邸・富士の間(広縁)



富士の間の東方にある「神代(じんだい)の間」外観。富士の間が来客のための空間だったのに対し、神代の間は大隈の居室として使用されました。

旧大隈重信邸・神代の間(外観)




富士の間から神代の間へと続く廊下。欅の一枚板が使用されています。

旧大隈重信邸・廊下




廊下の北側に、四つの和室が配置されています。家族の居室として使用されたものでしょうか。

旧大隈重信邸・和室




神代の間、書斎。数寄屋風の空間で、天井や引き戸に神代杉が使用されていることから、神代の間と呼ばれていました。

旧大隈重信邸・神代の間(書斎)




書斎に隣接する寝室。神代の間は、書斎と寝室の2部屋で構成されています。

旧大隈重信邸・神代の間(寝室)




神代の間では東南西の三面がガラス戸になっていて、入側が通されています。

旧大隈重信邸・神代の間(ガラス戸と入側)




神代の間のガラス戸には、非常に凝った、幾何学的なデザインの桟が見られます。

旧大隈重信邸・神代の間(ガラス戸①)


旧大隈重信邸は、竣工からわずか4年で古河市兵衛に譲渡され、その後は古河電工の所有となりました。一部増改築を受けているものの、関東大震災にも耐え、ほぼ建築当初のまま残されています。なお、国は隣接する旧陸奥宗光邸(聴漁荘、次回紹介予定)、旧伊藤博文別邸(滄浪閣)、旧西園寺公望別邸を含む一帯を「明治記念大磯邸園」として整備中で、将来的にこれらの施設は通年で公開される予定です。

旧大隈重信邸・神代の間(ガラス戸②)


 
 
 
 

湯田中・渋温泉の古い町並み ~長野県下高井郡山ノ内町~

長野県山ノ内町の湯田中(ゆだなか)周辺は、古くから湯治場として栄え、現在でも多数の温泉街があります。古くからの温泉街の雰囲気が色濃く残る、湯田中から渋温泉にかけての町並みをご紹介します(2018年7月訪問)。

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長野電鉄の終点・湯田中駅から町歩きを始めます。湯田中駅の旧駅舎は昭和2年(1927)に建てられた木造洋風建築で、現在は「楓の館」として展示室などに利用されています。

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湯田中駅から東方に5分ほど歩くと、湯田中の温泉街に入ります。老舗の温泉旅館が軒を連ねます。

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湯田中にある老舗温泉旅館・見崎屋。明治期に建てられたとされる見事な木造旅館建築で、現在は廃業しているようですが、江戸時代には松代藩主も利用したという、由緒ある旅館です。

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湯田中温泉から渋温泉へと向かう途中、立派な近代和風建築がありました。旅館か料亭として使用されていたものでしょうか。

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渋温泉へと向かう途中にある、安代の温泉街。この辺りから道は石畳となり、温泉街の雰囲気が増してきます。

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安代の温泉街を抜けると、渋の温泉街に入ります。昔ながらの温泉旅館が軒を連ねます。

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温泉街らしからぬ洋館もあります。昭和初期頃の建築でしょうか。

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渋温泉の老舗温泉旅館・多喜本。現在の建物は、大正~昭和初期にかけて建てられたようです。

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一番湯周辺の町並み。渋温泉には全部で9ヶ所の外湯があり、温泉街の宿泊施設を利用すれば、これらの外湯を自由に回ることができます。

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渋温泉のシンボル・金具屋。木造4階建ての斉月楼は昭和11年(1936)に建てられたもので、群馬県の老舗旅館・積善館とともに、『千と千尋の神隠し』に登場する「油屋」のモデルになったとも言われています。


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渋温泉最古の温泉旅館と言われる、湯本旅館。木造2階建ての建物は、大正期に建てられたものです。

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明治期の建築とされる、つばたや本館。こちらも江戸時代に松代藩主が利用したとされる、由緒ある旅館です。

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つばたや本館の向かいには、別館もあります。別館は現在では使用されていないようです。

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つばたやを過ぎ、渋温泉のメインストリートを更に東へ進むと、温泉寺への参道となります。

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温泉寺は14世紀に臨済宗の寺院として建立され、弘治2年(1556)に曹洞宗に改宗・復興された寺院です。創建時から境内に温泉が湧いていて、武田信玄もよく湯治に訪れていたそうです。

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横湯川沿いに佇む、旧臨泉閣。昭和4年(1929)に建てられた木造3階建ての旅館建築で、現在は廃業しています。

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狭い路地が入り組んでいるところも、渋温泉の町並みの特徴です。

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至る所に、探索したくなるような小道が。

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私事ですが、湯田中は6年前、社会人2年目だった頃に人生初の一人旅で訪れた、思い入れのある場所です。その後、色々な温泉地を訪ねましたが、湯田中温泉と渋温泉は、島根県の湯泉津(ゆのつ)と並んで個人的に最も好きな温泉街の一つです。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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