茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

五個荘の古い町並み ~滋賀県東近江市~

滋賀県東近江市の五個荘(ごかしょう)は、近江商人の一つ・五個荘商人発祥の地で、現在でも古い町並みが良く残されています。2015年5月に訪れました。

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水路沿いの白壁が美しい、金堂町の弘誓寺。金堂町は五個荘の町並みにおいて中心的な地区で、水路沿いに古い民家が並ぶ、情緒的な風景が見られます。

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金堂町の通称「あきんど通り」。左手には「近江商人屋敷」として公開されている、旧外村(とのむら)繁邸と旧外村宇兵衛邸が続きます。

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旧外村繁邸は、芥川賞作家・外村繁の生家で、明治期に外村宇兵衛家から分家したものです。現在は外村繁文学館として公開され、二階建ての主屋と、茶庭風の庭園が残されています。

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旧外村繁邸に隣接する、旧外村宇兵衛邸。金堂町に残る3つの近江商人屋敷の中で、最も規模が大きなものです。

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旧外村宇兵衛邸には、明治期のものと思われる池泉庭園や、露地風の庭が残されています。

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旧外村宇兵衛邸を後にし、さらに金堂町を歩きます。

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金堂町北側の町並み。左手には、近江商人屋敷として公開されている旧中江準五郎邸があります。

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旧中江準五郎邸の主屋と庭園。大正~戦前にかけて中国・朝鮮半島で三中井(みなかい)百貨店を展開し「百貨店王」と呼ばれた、中江勝次郎の生家で、中江準五郎はその弟にあたります。

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金堂町の西南に位置する、川並町の町並み。現在も狭い路地沿いに古い家並みが残されています。

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金堂町の北東・宮荘町にある、旧藤井彦四朗邸。

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藤井彦四朗は、「スキー毛糸」の製造で知られる藤井糸店の創業者で、本邸は昭和9年(1934)に建てられたものです。

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旧藤井彦四朗邸の洋館内部。洋館はヨーロッパの古民家をイメージして設計されたもので、客殿として使用されていました。

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旧藤井彦四朗邸には池泉回遊式の庭園が残ります。造形的魅力に欠ける景観主体の自然主義庭園ですが、エメラルドグリーンの池泉は息を飲む美しさでした。

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五個荘はもともと稲作中心の農村でしたが、低湿地で水害が多く、農業だけでは生活が苦しかったため、江戸時代には副業として行商を行う者が現れ、これが五個荘商人の起源となりました。なお、訪問時は時間切れで回れませんでしたが、金堂町の南方・山本町にも、五個荘商人の町並みが残されています。

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堅田の古い町並み ~滋賀県大津市~

「浮御堂」で知られる大津市北部の堅田は、古く湖上交通で栄えた町です。現在でも浮御堂や伊豆神社の周辺には古い町並みが残されています。

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本堅田にある「堅田三大豪族」の一つ、居初氏邸。「天然図絵亭」と呼ばれ、琵琶湖に臨む庭園で知られます。いつかは訪れてみたいと思っているのですが、今回も時間の都合上訪問できず。。

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居初氏邸の近くには古い商店が残っています。

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本堅田は至る所に狭い路地が入り組んでいます。奥には琵琶湖が見えます。

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堅田は平安時代には下賀茂神社の御厨(みくりや)とされ、琵琶湖での漁業権と通行権を与えられていました。これらの特権を背景に経済力を強めていき、中世には「堅田衆」による自治統治が行われ、織田信長や豊臣秀吉など時の権力者からも特権的地位を認められるなど、大いに繁栄しました。

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本堅田一丁目の町並み。江戸時代にはこの辺りに陣屋が置かれ、堅田藩が成立しました。戦国時代には、当時の宣教師ルイス・フロイスから「甚だ富裕なる町」と評された堅田でしたが、江戸時代に入ると漁場を巡る他の港との紛争や内紛により、徐々にその影響力は減退していきました。

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琵琶湖に面した、陣屋の舟入跡。石垣が往時のものなのかは不明ですが、今でも舟入の形状をよく残しています。

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本堅田一丁目にある「湖族の郷資料館」。「湖族」とは、堅田の繁栄を築いた「堅田衆」のことで、資料館では堅田の歴史や文化を紹介しているようです。

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資料館周辺には、古い民家が点在しています。

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陣屋址のすぐ脇にある伊豆神社。なんで堅田で伊豆?と思いましたが、静岡県伊豆の伊豆大権現を祀っているそうです。

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堅田の中心部は現在では堅田駅の方へ移ってしまいましたが、かえってそのことで、本堅田周辺の町並みが今日まで残されてきたのかもしれません。

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次回は福井県に移動し、勝山市の平泉寺白山神社を訪れます。

 
 
 
 

宇陀松山の古い町並み(奈良県宇陀市)

宇陀市の南西部、宇陀松山地区は古く城下町として栄え、現在でもその面影を色濃く残しています(※2013年4月訪問)

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宇陀松山には室町~戦国時代に山城が築かれ、江戸時代には陣屋が設置され宇陀松山藩が開かれました。宇陀松山藩は短命に終わりましたが、城下の町並みはその後も残され、現在では国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。




撮影日:2013年4月28日



 
 
 
 

飛鳥の古い町並み(奈良県高市郡明日香村)

明日香村のほぼ中央、飛鳥坐神社の周辺には昔ながらの町並みが残されています

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飛鳥坐神社は延喜式内社で、起源については不明ですが天長六年(829)現在の場所に遷座したそうです。明治期の民俗学者・折口信夫は当社の宮司の養子になったことがあるそうです




撮影日:2013年4月27日




 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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