茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

相国寺庭園 ~京都府京都市~

相国寺(しょうこくじ)は京都市上京区にある、臨済宗相国寺派の大本山です。境内には、毎年特別公開時のみ拝観できる、3つの庭園があります(2017年11月26日訪問)。

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<方丈前庭>
方丈南部に、前庭が広がります。現在の方丈は文化4年(1807)に再建されたもので、前庭も同時期に作庭されたようです。

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前庭は石組を用いず白砂を敷いただけの「無」の空間で、ある意味で禅寺らしい庭と言えるかもしれません。勅使門の奥には、豊臣秀頼の寄進により再建された法堂(重要文化財)が聳えます。

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<方丈後庭(裏方丈庭園)>
方丈北部には、東西に細長く後庭が築かれています。

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後庭も前庭と同じく文化4年(1807)に築かれたようです。中央を深く掘り下げ、栗石を敷き詰め枯流れの意匠とした、珍しい様式の庭です。

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枯流れは西から東へ流れるよう意匠されていて、西端は枯滝になっています。

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庭園西端にある枯滝石組。水落石に立石を使用し、その下部には大きめの栗石を置くことで、川の上流のような流れの激しさを表現しています。

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枯滝のやや東部にも、力強い立石が配されています。

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枯流れは所々に屈曲を。護岸石組は、江戸末期らしく丸い石が多く、弱い手法になっています。

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庭園東部には、前方へ傾斜した亀頭風の立石が見られます。

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庭園東部は比較的護岸石組が多く、東端には切石橋が架けられています。

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方丈後庭は、護岸石組などには弱さが見られるものの、枯流れを意匠の中心にするという、興味深い庭です。芸術性の乏しいものが多い江戸末期の庭園にあっては、非常に洗練された庭と言えるでしょう。

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<開山堂庭園(龍渕水の庭)>
開山堂は、相国寺開山の夢窓疎石木造を安置している伽藍です。前面には江戸末期の枯山水庭園が展開します。

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庭園は前面を白砂敷きの平庭式枯山水、後方を苔敷きの緩やかな築山とし、それらの間を隔てるように流れを設けた、珍しい様式になっています。

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石組は巨石を多く用いていますが、手法としてはあまり見応えのあるものではありません。

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流れは今出川の流れを取り込んでいたようですが、現在では枯れてしまっています。

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流れの東部には、自然石の力強い石橋が架けられています。

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相国寺は、後小松天皇の勅命により室町幕府第三代将軍・足利義満が創建した寺院で、京都五山第二位に列せられています。開山は夢窓疎石で、室町時代には画僧・雪舟を輩出するなど、日本庭園史における重要人物と関係の深い寺院でもあります。応仁の乱やその後の兵火で主要な伽藍は失われましたが、狩野光信作の「鳴き龍」が見られる法堂(慶長10年再建)は、一見の価値があります。

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霊鑑寺庭園 ~京都府京都市~

京都市左京区にある霊鑑寺(れいかんじ)は、承応3年(1654)、後水尾天皇の皇女・多利宮を開基として創建された臨済宗南禅寺派の寺院です。客殿南部から本堂南部にかけて、自然の高低差を利用した江戸中期の庭園が広がります(2017年11月26日訪問)。

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主庭となる客殿前庭は、山畔を利用した池泉観賞式庭園で、現在は池泉は枯れています。中央を出島状に張り出させ、左手山畔には枯滝石組を設けています。




中央出島には立石を中心とした蓬莱石組が組まれ、下部には切石橋が渡されています。いずれも江戸初期的な手法とされます。

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蓬莱石組下部の護岸石組も、巨石を用いた力強いものになっています。石組の合間にある石燈籠は「般若寺形燈籠」とされ、作庭当初から存在していたようです。

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往時は水が落ちていた、東部山畔の滝石組。最下部右手には鯉魚石らしき立石、前方池中には水分石が残存します。

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滝石組付近には、巨石による豪華な護岸石組が見られます。




庭園の東部、一段高い位置に本堂があり、その下部斜面には、巨石による集団石組が見られます。手法的に、池庭部分よりも後の時代に築かれたものと推定されています。

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本堂前庭は苔庭になっていて、僅かに景石が配置されています。

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霊鑑寺は通常非公開で、毎年春と秋に特別公開されます。昨年11月に訪れた際は既に紅葉の見頃を過ぎていましたが、今年はちょうど見頃を迎えていました。

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霊鑑寺は創建以来、明治維新まで皇女が住職を務め、「尼門跡寺院」として知られています。庭園については史料がなく詳細は不明ですが、寺が当地に移されたのが貞享2年(1685)であることや、池庭の凹型の地割や石組手法などから、貞享2年から元禄以前にかけての作庭と推定されています。

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南禅院庭園 ~京都府京都市~

南禅院は、臨済宗南禅寺派の大本山・南禅寺の塔頭の一つです。方丈の南部から西部にかけて、鎌倉時代作庭とされる庭園が現存します(2017年11月26日訪問)。

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庭園は、もともとこの地にあった亀山上皇の離宮内に造られたものです。方丈南部と西部に池泉を2つ配置した地割は、鎌倉後期~南北朝期の特徴とされます。

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南池は円形に近い形状で、鶴亀二島を配置しています。池泉の汀は後世に改修を受けているようで、護岸には大した石組は見られません。

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二つの中島のうち、中央やや東寄りにある大きめの島が鶴島とされます。




鶴島頂部の山形の巨石は鶴羽石で、蓬莱石を兼ねています。蓬莱石とは、中国蓬莱思想に登場する蓬莱山を表現したもので、日本庭園ではよく見られる意匠です。

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鶴島のすぐ西部に亀島があります。右手に亀頭石、左手には亀尾石が残ります。

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対岸(池泉南岸)から亀島を見る。

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南池の南部山畔に残る滝石組。

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南西方向から南池と方丈を見る。境内では毎年11月下旬に、楓の見事な紅葉を見ることができます。

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方丈西部にある西池。南東部で南池と繋がっています。

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西池にも複数の中島が残存しますが、荒廃が激しく、石組などは失われています。

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この地に亀山上皇の離宮が建てられたのは弘安10年(1287)のことで、庭園は上皇の指揮の下に作庭されたと考えられています。

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一説には夢窓疎石作庭との伝承もあるようですが、史料がなく詳細は不明です。後世に改修を受けているため、どの程度まで当初の姿を残しているかは不明ですが、上皇の離宮に相応しい気品を感じさせる庭園です。

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仁和寺庭園 ~京都府京都市~

京都市右京区にある仁和寺は、真言宗御室派の総本山で、宇多上皇ゆかりの門跡寺院です。宸殿の北側には、江戸中期作庭とされる池泉式の庭園が残ります。

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庭園は、平安時代に起源を持つ池泉を中心に、北側の山畔や護岸に石組を施しています。中央の石橋はもともとは土橋で、かつて池泉は東西二つに分かれていたようです。

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庭園の右手奥には茶室・飛濤亭(江戸末期築)とその奥に五重塔(江戸初期築)が望まれ、借景として風景の一部に取り込まれています。飛濤亭の周囲は露地となっています。

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東部池泉の石組と岩島。元禄期に改修された際のものと考えられています。

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西部池泉。奥には明治44年(1911)に建てられた霊明殿が見えています。

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池泉北西部にある滝と出島。大石を使用した滝石組は、平安~鎌倉期の手法とされます。

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北西部山畔の石組。






庭園北西部、霊明殿から庭園を見る。

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庭園北西部にある茶室・遼廓亭(江戸中期築)。飛濤亭と同様、周囲は露地になっています。

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宸殿の南側には、南庭が広がります。

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南庭は白川砂を敷いた枯山水庭園で、北東部には巨石による石組が見られます。

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庭園の明確な起源は分かっていませんが、古くは平安時代に池庭が造られ、元禄2年(1689)に本格的な改修が行われ、現在見られる状態になりました。その後、大正期には七代目・小川治兵衛(植治)により再度改修を受けています。豪壮な石組こそ見られないものの、優雅な地割は、さすが京都の門跡寺院といった趣でした。

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鹿苑寺庭園 ~京都府京都市~

鹿苑寺は、京都北山にある「金閣」で知られる臨済宗相国寺派の寺院です。金閣(舎利殿)前面には、衣笠山を借景とし、鏡湖池(きょうこち)と呼ばれる池泉を中心とした池泉舟遊兼回遊式庭園が広がっています。

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庭園は、鏡湖池に浮かぶ「葦原島」「淡路島」「出亀島」「入亀島」の四島を、それぞれ蓬莱思想に登場する仙島に見立て、平安時代に主流だった浄土式庭園の特徴を残しながらも、蓬莱思想の世界を表現しています。

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池泉中央には「葦原島」と呼ばれる東西に長い中島があります。本庭における蓬莱島で、島の南岸東部(写真中央)には、三尊形式の蓬莱石組があります。

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葦原島の東南には、亀島が浮かびます。

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亀島の西方にあるもう一つの亀島。先ほどの亀島と向かい合う形で配置されています。

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庭園の原型は、鹿苑寺が建立される以前、鎌倉時代の西園寺公経・実氏父子の山荘時代に既に造営されています。その後、応永四年(1397)に足利義満が西園寺家から土地を譲り受け、荒廃していた庭園を修復しています。

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正面となる、金閣側から見た庭園。左手が葦原島、右手の二島は先ほどとは別の鶴亀島、手前に浮かぶ岩島は夜泊石で、蓬莱島へ渡るための舟が海上に停泊している様子を表現しています。

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葦原島北岸の石組。左手の最も大きい石が蓬莱石で、三尊石組となっています。右奥には、西岸から「客人島」と呼ばれる出島が伸びています。

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金閣側から、葦原島北方の鶴島(左)と亀島(中央)を望む。亀島の奥には畠山氏が献上した「畠山石」が見えています。

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金閣漱清脇の出亀島(左)と入亀島(右奥)。それぞれ神仙蓬莱思想に登場する、方丈島と壺梁島を表現しています。

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この他、池泉西部には客人島や瀛洲島を表現した「淡路島」がありますが、現在の回遊路からでははっきりと観察することができません。

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金閣北方にある滝石組。中央下部に「登竜門」の由来である鯉魚石を置き、龍門瀑の形式をとっています。かつて池泉はこの滝の辺りまであり、金閣は池中に位置していたようですが、現在では池泉の金閣以北は埋め立てられています。

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今回、中学校の修学旅行以来の鹿苑寺再訪となりましたが、庭園がこれほどまでに素晴らしいとは知らず、初めて金閣を見た時よりもその感動は大きなものでした。数ある日本庭園の中でも指折りの傑作であることは間違いありませんが、訪れるほとんどの観光客にとって目当ては専ら金閣のようで、残念ながら庭にレンズを向けている人は見当たりませんでした。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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