茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

地蔵寺庭園 ~長野県諏訪市~

長野県諏訪市にある地蔵寺は、天正12年(1584)に建立された曹洞宗の寺院です。境内には江戸中期に築かれた池泉観賞兼廻遊式庭園が現存します(2017年10月14日訪問)。

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庭園は書院北側、山畔との間に東西に長く池泉を穿ち、池泉には大小二つの中島を浮かべ、北東部の山畔には枯滝石組を設けています。

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池泉北東部にある中島。亀島とされ、巨石を用いた石組が見られます。

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南部から見た亀島。三方から石橋が架けられています。

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苔むして古色を帯びた、亀島東部の石橋。奥の対岸には護岸石組も見られます。

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亀島北部の石橋。奥には山畔への廻遊路が続いています。

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池泉東岸には、珍しい手法の滝があります。滝石組ではなく、導水のための切石をY字形に組んだもので、支柱の刻字から、宝暦7年(1757)には存在していたようです。

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山畔西部に設けられた枯滝石組。

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池泉西部には、もう一つ中島があります。亀島と比べると小規模で、これといった石組も見られず、後世に追加されたものとされます。

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地蔵寺はもともと諏訪・金子城の鬼門除けとして諏訪頼忠により創建され、元禄2年(1689)に諏訪家の祈願寺として現在地へ移されました。庭園はその頃から造営が始まり、宝永末年頃に完成したものと考えられています。細長い池泉の形状などは元禄以前の様式で、江戸末期の庭園が多い諏訪地域においては貴重な遺構と言えます。石組は荒廃していたり後世の改修箇所が多いものの、周囲の緑と透き通った池泉が美しい庭園でした。

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浄居寺庭園 ~山梨県山梨市~

恵林寺から少し北へ行ったところに、曹洞宗の寺院・浄居(じょうこ)寺があります。若き日の夢窓疎石が庵を結んだ地で、書院裏手には山畔を利用した観賞式庭園があります(2017年8月6日訪問)。

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庭園は東西に細長く築かれています。おびただしい石組から石庭のような印象を受けますが、かつては池泉に水を湛えた池泉庭園だったようです。

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斜面を埋め尽くす石組や細長い池泉など、蘭渓道隆による東光寺庭園(甲府市、鎌倉時代)との共通点が指摘されていますが、地割や石組手法から、東光寺庭園を参考に桃山時代または江戸初期に築かれたものと推定されています。

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山畔には二段の枯滝石組が設けられています。枯滝上段は発掘調査に基づき復元されたもので、鋭い立石をはじめ、この庭で最も優れた石組が見られます。

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枯滝石組下段は右手に折れ曲がるように意匠されており、脇には蓬莱石とされる巨石が据えられています。

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山畔頂部の石組。

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池泉の東部は流れの意匠となっています。

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東部山畔の洞窟石組。巨石を用いた品文字風の石組になっています。

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浄居寺は鎌倉時代末期、夢窓疎石を開山とし二階堂氏により創建されました。庭園は、寺伝では疎石の作とされていますが、重森完途は著書『日本庭園史体系』において、江戸初期の庭であるとしています。一方、京都林泉協会による『日本庭園鑑賞便覧』では桃山時代の庭と評価されています。一見すると無造作に多くの石を置いただけのように思えますが、よく観賞すると流れの意匠や力強い枯滝石組など、見応えのある庭であることが分かります。

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大善寺庭園 ~山梨県甲州市~

甲州ワインで知られる山梨県甲州市勝沼町に、真言宗智山派の古刹・大善寺があります。書院裏手には、恵林寺庭園とともに山梨県屈指の名庭とされる池泉観賞式庭園があります(2014年10月、2017年8月訪問)。

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庭園は、山畔を利用して東西に細長く築かれています。西部の小築山には須弥山石組を中心とした集団石組や、立石による岩島が見られます。

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池泉西部の小築山。頂部の三尊石組が須弥山石組で、象徴的な立石を中尊とし、下部にかけて枯滝石組を形成しています。余談ですが、管理人が日本庭園の石組の魅力に気づくきっかけになった石組でもあります。

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須弥山石組周辺には大小の石が組まれ、集団石組となっています。

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築山下部の池畔には、護岸石組もしっかり組まれています。

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池泉中央の山畔には、滝石組が残ります。現在は枯れていますが、かつては水が落とされていたようです。

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滝石組下部の池中にある、立石手法の岩島。滝石組を挟んで手前側は出島風になっています。





滝石組東部、出島風の先端には、亀頭風意匠の伏石が見られます。





池泉東部の滝石組。添石には巨石が用いられています。

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滝石組の左手山畔には、小ぶりの石を用いた石組が見られます。

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大善寺境内には庭園以外にも、室町時代建立の本堂(国宝)が現存します。室町期の寺院建築様式を伝える貴重な伽藍で、寺に伝わる『理慶尼記』によれば天正10年(1582)3月3日、織田軍の追撃を逃れるため岩殿山城に向かう途中の武田勝頼・信勝父子が、この本堂で一泊したとされます(勝頼一行は翌日、家臣・小山田信茂の裏切りに遭い、同月11日に鳥居畑で自刃又は討死)。

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大善寺は養老2年(718)、行基により創建された古刹です。行基は付近の村人に葡萄の栽培方法を教え、これが甲州葡萄の起源になったと言われています。庭園はそれほど規模の大きなものではありませんが、石組や地割の素晴らしさは目を見張るものがあり、甲斐の庭園文化の水準の高さを示す遺構と言えます。なお境内には、武田信玄の従妹で、『理慶尼記』の著者とされる理慶尼(りけいに)の墓も残されています。

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新潟・山形探訪⑩~石泉荘の紅葉(新潟県新発田市)~

清水園を訪れたのち、すぐ近くの石泉荘へ(2013年11月訪問)

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石泉荘は、もともと料亭のあった場所に、新津で製油業を営んでいた石崎家の別邸として建てられたものです。昨年から一般公開されるようになったそうで、離れ座敷では煎茶を頂きながら庭園を眺めることができました。


撮影日:2013年11月23日



 
 
 
 

新潟・山形探訪⑨~清水園の紅葉(新潟県新発田市)~

11月の新潟・山形探訪最終日。市島邸を訪れた後、国指定名勝・清水園を訪れました。


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清水園は新発田藩主・溝口氏の下屋敷として、元禄六年(1693)完成しました。昭和二十一年(1946)に修復された池泉回遊式庭園は、色鮮やかなもみじの紅葉で埋め尽くされていました。


撮影日:2013年11月23日



 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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