茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

西教寺庭園(客殿庭園・大本坊庭園)~滋賀県大津市~

西教寺は、滋賀県大津市にある、天台宗真盛宗総本山の寺院です。境内には複数の庭園がありますが、そのうち江戸時代に築かれた客殿庭園と大本坊庭園を紹介します(2019年10月訪問)。




客殿庭園は、重要文化財である客殿の西側に築かれています。客殿からの観賞を本位とした庭園で、地割や石組手法から、江戸中期の作庭と推定されています。




出島を設けた凹形の池泉、山畔の石組と刈込意匠などは、当代庭園の典型的な様式とされます。山畔北部(写真右奥)には枯滝石組も設けられています。





池泉中央付近の出島。亀出島を兼ねているようです。





正面山畔の集団石組。亀出島に対する鶴石組とされ、蓬莱石組も兼ねているのでしょう。




池泉には中島がなく、舟石らしき岩島一島のみが配置されています。舟石の対岸には舟着石らしき板石も配置されています。





池泉東部の滝口。滝石組と言えるほどの石組ではなく、後世の改変を受けているようにも思えます。





山畔北部にある枯滝石組。立石を中心に構成されていますが、客殿から離れているため肉眼では詳細が掴めません。





池泉南端には切石橋も架けられています。




本堂から見た客殿外観。慶長3年(1598)に、旧伏見城御殿の一部を移築したものと言われ、狩野永徳作と伝わる各部屋の襖絵など、桃山様式を伝える美しい建築です。

西教寺・客殿




庭園に臨む、客殿茶の間。

西教寺・客殿




境内北部にある大本坊書院の南側にも、江戸初期作庭と推定される枯山水庭園があります。




庭園は書院からの観賞を本位とし、南側を低い築山として南東角に枯滝を設け、築山の前面は白砂敷としています。一見禅院枯山水のように見えますが、飛石を打って露地風の意匠も取り入れている点がこの庭の特徴です。






築山に築かれた枯滝石組。三尊手法のもので、複雑な形状の奇岩を用いています。




白砂敷部分に配置された飛石。抽象的表現である枯山水に、実用的である飛石は不相応にも思えますが、江戸中期以降に多く現れる、枯山水と露地との融合様式の先駆的なものとして評価されています。

西教寺大本坊庭園・飛石




北西方向から望む庭園。随所に刈込が意匠されています。





大本坊外観。現在の建物は、昭和期に再建されたものです。

西教寺・大本坊




庭園とは直接関係ありませんが、境内には明智光秀一族の墓があります。西教寺は桃山期、織田信長の比叡山焼討ちにより全焼しますが、その後明智光秀の支援により再興され、明智家の菩提寺とされました。




江戸中期に建てられた本堂。寺伝によると、西教寺は聖徳太子により創建され、平安期、延暦寺を再興した良源上人により念仏の道場とされました。昼夜を問わず念仏を唱える「不断念仏」の道場として知られ、全国に400以上の末寺を抱えていると言われます。

西教寺・本堂


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青岸寺庭園 ~滋賀県米原市~

青岸寺(せいがんじ)は、滋賀県米原市にある曹洞宗の寺院です。書院北部に、江戸時代初期に作庭された蓬莱式枯山水庭園が現存します。

青岸寺庭園・枯滝石組と中島




南部から見た庭園。庭園は書院からの観賞を本位とした枯池式枯山水で、南北にやや長い枯池を穿ち、その中央に中島を一ヶ所配置して、山畔には枯滝を設けています。

青岸寺庭園・全景




西部から見た庭園。枯池には苔を敷き詰めて水の表現としており、雨水が溜まると池泉庭園のような景観が見られます。

青岸寺庭園・全景




南東方向から見た中島。蓬莱島であるとともに鶴島と亀島を兼ねるとされ、こちらの方向からは、立石による鶴首石の鋭さが際立っています。

青岸寺庭園・中島




南西方向から見た中島。鶴首石の左下部にある巨石は鶴羽石でしょうか。

青岸寺庭園・中島




中島西部の護岸石組。左手の立石が亀頭石にあたるようです。

青岸寺庭園・中島護岸石組




庭園北東角の山畔には、枯滝石組が築かれています。頂部の三尊石は強い傾斜の立石を「品」字形に配置したもので、その下方に水落石を意匠しています。

青岸寺庭園・枯滝石組




西方から見た枯滝と山畔の石組。斜面を覆うような豪華な石組に圧倒されます。





枯岸東岸の護岸石組。こちらも斜面を埋め尽くすように石組が築かれていますが、小ぶりの石も見られ、後世に改修されている箇所もあるかもしれません。

青岸寺庭園・東部護岸石組




中島の対岸、枯池南岸には、舟着石(写真右下)も意匠されています。

青岸寺庭園・中島と礼拝石




枯池西部の石橋。日本庭園における石橋は、桃山時代までは自然石を用いたものでしたが、江戸時代以降は切石橋が急速に普及します。

青岸寺庭園・石橋




庭園の一角に、珍しい燈籠が残されています。寄せ集めで作られたもので、竿は織部燈籠、中台は笠を逆さにしたもので、火袋には各面に地蔵尊が彫られています。

青岸寺庭園・燈籠





庭園奥の山畔には、明治34年(1904)に建てられた書院建築「六湛庵(ろくたんあん)」があります。

青岸寺庭園・六湛庵




六湛庵は、永平寺第64世・森田悟由により建てられました。明治期の建築ながら庭園にすっかり馴染んでいます。

青岸寺庭園・六湛庵内部




書院と庭園。青岸寺は南北朝時代、佐々木(京極)道誉により創建された米泉寺を起源とします。永正年間の兵火により荒廃しますが、慶安3年(1650)、彦根大雲寺の要津守三により再興され、この頃に庭園も造営されたようです。

青岸寺・書院と庭園




しかしその後、彦根城槻御殿(楽々園)造営のために庭園の資材が持ち出され、庭園は一度消滅しています。現在見られる庭園は、槻御殿の作庭を手掛けた井伊家家臣・香取氏により、延宝年間(1673~1681)に再度作庭されたものと考えられています。

青岸寺・書院から見た庭園




以前青岸寺を訪問した際は他に参拝客の姿もなく、ひっそりとしていた記憶がありますが、今回約5年ぶりに再訪してみると、書院に隣接してお洒落なカフェが併設され、観光客もちらほら見られるなど、ずいぶん雰囲気が変わっていることに驚きました。

青岸寺・山門


 
 
 
 

楽々園(彦根城槻御殿庭園) ~滋賀県彦根市~

滋賀県彦根市にある楽々園は、彦根城二の丸御殿(槻御殿)として江戸時代初期に造営されました。現存する建築群は江戸末期のものですが、枯山水庭園は江戸初期のものが残され、滋賀県湖東地区を代表する名庭の一つとして知られています。

楽々園・築山の石組



庭園は延宝5年(1677)、御殿造営に際して作庭されたものと推定されています。作庭にあたっては、米原の青岸寺庭園(次回紹介予定)から移した資材を用いていると言われます。

楽々園・築山の石組



書院前から見た庭園。様式は枯池式枯山水で、書院をはじめとする建築群の前面に枯池を穿ち、南部(写真右手)と東部(写真左手)に築山を設けています。

楽々園・書院前からの景観




庭園の主景となる南部築山。枯滝石組を中心に、力強い石組が見られます。

楽々園・築山の石組




枯滝上部には石橋が架けられています。築山頂部には鋭い立石を中心とした石組があり、須弥山石組とされます。

楽々園・須弥山石組と枯流れ




枯滝下部も、亀頭石風の水落石や巨石を用いた添石など、豪華なものになっています。

楽々園・枯滝石組




枯滝東部の出島。立石を中心とした力強い石組構成です。

楽々園・出島の石組




枯滝西部の出島。こちらは伏石が多く用いられています。

楽々園・出島の石組




築山北西部の護岸石組。

楽々園・築山下部の護岸石組




枯池北部。部分的に護岸石組が残されています。

楽々園・枯池




楽々園書院。文化10年(1813)、彦根藩第11代藩主・井伊直中の隠居に際して建てられたものです。

楽々園・書院



書院の東部には数寄屋建築が連なっています。左から地震の間(茶座敷)、雷の間、楽々の間と呼ばれ、周囲には江戸中期以降のものと思われる石組があります。





「地震の間」前の立石。傾斜角度の強い、象徴的な石組です。

楽々園・枯流れ




書院前の手水石と枯流れ。こちらは江戸末期以降のものでしょうか。

楽々園・手水石と枯流れ



楽々園は、彦根藩第4代藩主・井伊直興による造営とされます。作庭に関する資料は確認されていないようですが、青岸寺庭園と同様、井伊家家臣・香取氏による施工と考えられています。

楽々園・築山の石組



池泉廻遊式庭園である玄宮園とは隣接しており、かつては玄宮園と接続した池泉庭園だったとの説もあります。楽々園は玄宮園の池泉よりも高い位置にあるため、専門家の間でこの説は否定されていますが、現在は「玄宮楽々園」の名称で、玄宮園と一体のものとして名勝指定されています。

楽々園・築山の石組


 
 
 
 

名超寺庭園 ~滋賀県長浜市~

滋賀県長浜市にある名超寺(みょうちょうじ)は、後鳥羽上皇ゆかりの天台宗の寺院です。現在は無住となってしまっていますが、観成院、平等院、旧圓光院の3ヶ所に池泉庭園が残されています。

名超寺・平等院庭園




<観成院庭園>
名超寺で現存する僕院の一つに、観成院があります。庭園は江戸初期に作庭された池泉観賞式のもので、力強い石組が残されているものの、池泉は枯れ、全庭雑草に覆われ荒廃してしまっています。

名超寺・観成院庭園




庭園南東部には築山が設けられ、そこに枯滝石組が築かれています。枯滝上部には、強く傾斜させた鋭い立石が見られます。

名超寺・観成院庭園




池泉西部の石橋と立石。切石の反橋で、大通寺蘭亭庭園池氏庭園で見られるものと酷似しています。

名超寺・観成院庭園




 観成院本堂。もとは地蔵堂だったもので、明治期に現在地へ移築されています。

名超寺・観成院本堂




観成院山門。江戸時代の建築ですが、室町期の特色を有するとされます。

名超寺・観成院山門




<平等院庭園>
観成院とともに現存する坊院として、平等院があります。こちらの庭園も池泉観賞式のものですが、作庭は江戸末期とされます。

名超寺・平等院庭園  



東西にやや細長く池泉を穿ち、南東部には築山を設けて枯滝を、池中には岩島を意匠しています。

名超寺・平等院庭園



南東部には築山が築かれ、そこから枯滝石組が組まれています。江戸末期ながら、栗石敷や鋭い立石による添石など、優れた意匠が見られます。

名超寺・平等院庭園




枯滝の西部には、三尊石組や蓬莱石のような石も見られます。

名超寺・平等院庭園



<旧圓光院庭園>
圓光院は現在では廃され、林の中に庭園のみがあります。資料を見つけることができませんでしたが、地割や石組の弱さから、江戸末期~近代の作庭でしょう。

名超寺・旧圓光院庭園




池泉北岸にある滝石組。滝も護岸も、石組に鋭さや力強さが感じられません。

名超寺・旧圓光院庭園




池泉西部の石橋。

名超寺・旧圓光院庭園



名超寺は平安時代の白鳳年間、伊吹山寺の開祖・三修沙門の高弟・名越童子の開基と伝わります。天台密教の道場として栄え、四十九院、九十九坊を数える大寺院でしたが、現在では見る影もなく、老朽化による建物の倒壊や庭園の荒廃など、今後の維持管理が危ぶまれる状況です。

名超寺・本堂


 
 
 
 

池氏庭園 ~滋賀県長浜市~

池氏は、もと近江源氏佐々木氏の支流・伊庭氏をルーツにもつ名家です。邸宅内には、江戸初期作庭と推定される枯山水庭園が残されています(個人宅につき非公開)。

池氏庭園・築山と中島



庭園は書院南庭に当たります。円形に近い枯池を中心に、その中央に中島を配置し、背後の三方は築山として、随所に石組を意匠しています。

池氏庭園・全景



庭園は、伊山軒白雲堂椿原斎(いざんけんはくうんどうちんげんさい)と号し、詩歌や作庭に秀でていたと言われる池木龍(ぼくりゅう)による作庭とされます。明確な作庭年代は不明ですが、元禄8年(1695)の『椿原斎場記 前園記』に庭園に関する記述が見られることから、この頃には既に庭園が存在していたようです。

池氏庭園・南西部からの景観



東部の築山には、集団石組が築かれています。鋭い斜石を用いた意欲的な石組で、築山頂部には遠山石が強い傾斜角度で意匠されています。





植栽の繁茂で見えづらいですが、築山の西面は枯滝石組となっています。

池氏庭園・築山の石組




南部築山の下部にも立石を中心とした石組が見られますが、雑草に阻まれ詳細が確認できません。

池氏庭園・築山下部石組




枯池の中央にある中島。亀島と蓬莱島を兼ねた意匠になっています。

池氏庭園・亀島




亀島には中心石もしっかり残されています。

池氏庭園・亀島中心石




南東部から見た亀島。

池氏庭園・亀島



枯池西部の野筋には三尊石組があります。鋭い傾斜角度の中尊石に、絶妙な配置の脇侍石、見事な石組です。

池氏庭園・三尊石組




枯池北西部の出島。

池氏庭園・西部出島




出島の付け根には、大通寺蘭亭庭園のような反橋と、巨石による添石があります。添石は鶴の羽石のようにも見えます。

池氏庭園・西部出島石組




枯池北東部にも出島が設けられていますが、刈込で石組が隠されてしまっています。

池氏庭園・東部出島



池氏は、伊庭新介の長男が南池村の池掃部の名跡を継いだことに始まると言われています。長浜市内には優れた古庭園が多く現存しますが、池氏庭園は民家の庭としては甚だ豪華で、市内太田町にある赤田氏庭園とともに、武家出身の旧家の庭園として貴重な遺構です。

池氏庭園・枯滝石組


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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