茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

岡山後楽園 ~岡山県岡山市~

岡山後楽園は、岡山県岡山市にある、江戸時代初期に築かれた大名庭園です。3年ほど前に当ブログで紹介していますが、今回再訪したので、写真含め内容を全面的に更新し、再度投稿します。


 IMG_3988_201806171816180cd.jpg



庭園は、貞享3年(1686)、岡山藩主・池田綱政の命で着工、元禄13年(1700)まで15年をかけて築造されました。沢の池と呼ばれる池泉を中心に展開する池泉廻遊式庭園で、その広さは約8.9ヘクタール(東京ドーム2個分)にも及びます。




園内の景観は変化に富んでおり、沢の池周辺の中心部では芝生と遣水により明朗な雰囲気とし、旭川沿いの南部や西部には植栽を多く用いて深山幽谷を思わせる景観とするなど、明暗両極の要素を備える点が特徴とされます。





庭園の中心となる沢の池には、3つの中島が配置されます。最も西部の中島(写真右奥)は「砂利島」と呼ばれ、赤砂で瀬戸内海に浮かぶ島を再現したものとされる、珍しい手法のものです。

IMG_4158_20180617115853431.jpg




沢の池南部に聳える唯心山。綱政の子・継政の頃に築かれた、園内最大の築山です。

IMG_4030.jpg



唯心山の頂部から背後の斜面にかけて、纏まった石組が見られます。後楽園において最も見応えのある石組で、頂部の立石を中心に、巨石をふんだんに使用しています。

IMG_4021.jpg




石組は、斜面を下るような躍動的な意匠になっています。

IMG_4041.jpg




唯心山の東麓にある陰陽石。陰陽石とは子孫繁栄を願うもので、江戸初期の大名庭園には好んで用いられた意匠です。

IMG_4035.jpg




唯心山の西麓には、流店(りゅうてん)と呼ばれる数寄屋建築があります。

IMG_4054.jpg



現在の流店は太平洋戦争後に再建されたものです。内部に流れが引かれた風流な建物で、往時はここで曲水の宴が催されたようです。

IMG_4048.jpg




流店脇の小築山には、枯滝石組があります。

IMG_4059.jpg




唯心山から、庭園西部の井田(せいでん)と茶畑を望む。かつては園内の大部分を稲田が占めていたようです。

IMG_4003.jpg



庭園の西端には、花交(かこう)の池と呼ばれる池泉があります。木々で覆われていますが、中島(百石島)の奥には花交の滝と呼ばれる滝があり、渓流のような意匠になっています。

IMG_4072.jpg



唯心山の南方にある茶室・廉池(れんち)軒。かつて園内にあった茶室のほとんどが戦災で焼失しましたが、この廉池軒は戦災を免れています。

IMG_4119.jpg




庭園南部にある、花葉(かよう)の池。池の北端(写真左奥)には、花葉の滝と呼ばれる水落の滝が設けられています。

IMG_4100.jpg



花葉の滝細部。園内で最も豪華な滝で、木々で見えづらいですが、上部には立石を中心とした見事な石組が見られます。近寄って見ることができないのが残念…

IMG_4106.jpg




花葉の池に臨む茶室・茂松庵と露地。周囲は「花葉の森」と呼ばれる鬱蒼とした森に囲まれています。

IMG_4095.jpg




花葉の池の北側にある延養亭。藩主が後楽園を訪れた時の居間として使用されました。

 
IMG_4139_20180617122659725.jpg




沢の池北方にある慈眼(じげん)堂。池田家と領民の繁栄を願って、元禄10年(1697)に建立された観音堂です。

IMG_4028.jpg



岡山後楽園はもともと菜園場、茶屋屋敷、後庭などと呼ばれていましたが、明治に入り一般公開するに当たり後楽園と改称されました。石組など造形的な部分はやや物足りなさはあるものの、景観は素晴らしく、全国に数ある大名庭園の中では傑出した庭園と評価されています。

IMG_4150.jpg 


スポンサーサイト



 
 
 
 

巨福寺庭園 ~岡山県高梁市~

岡山県高梁市にある巨福寺(こうふくじ)は、文和4年(1355)に創建された日蓮宗の寺院です。境内には、江戸初期の作庭と推定される枯山水庭園が残されています。

IMG_4207_201806171956322a7.jpg



庭園は、本堂と書院に挟まれた狭い空間に築かれています。本堂側(南側)に築山を設けて石組を施し、その下部に東西に細長く枯池を穿っています(訪問時は前日からの降雨により、池に水が張っていました)。

IMG_4187_20180617195607ed2.jpg




築山奥部には枯滝石組が築かれています。

IMG_4179_20180617195007ad3.jpg




枯滝石組を正面から見る。

IMG_4201_2018061719500985b.jpg




枯滝上段。三尊手法の石組で、石そのものはさほど大きなものではありませんが、配石のバランスが見事です。

IMG_4162_20180617195006ef0.jpg




枯滝下段。こちらも三尊手法のように見えます。枯滝手前には、自然石の石橋が渡されています。

IMG_4172_20180617195007d50.jpg




築山西部にも、複数の石組が見られます。

IMG_4180.jpg




築山西部には、蓬莱石らしき山形の巨石が置かれています。

IMG_4176.jpg




築山下部の護岸石組。書院側の護岸石組や飛石は、手法からして後世のものと思われます。

IMG_4186.jpg




巨福寺庭園は、比較的小規模な庭ですが、枯滝や山畔の石組は力強いものがあり、なかなかの見応えがあります。高梁には本庭と前回紹介した頼久寺庭園のほか、薬師院にも見事な池泉庭園が残されています。

IMG_4184_20180617195606953.jpg


 
 
 
 

頼久寺庭園 ~岡山県高梁市~

頼久寺(らいきゅうじ)は、備中の小京都・岡山県高梁市にある、臨済宗永源寺派の寺院です。境内には、江戸初期作庭と推定される枯山水庭園が残されています。

IMG_3893.jpg



文献は残されていませんが、寺伝や作風から、小堀政一(遠州)の作庭と推定されています。書院前面に白砂を敷き、刈込みや石組で鶴亀島を意匠した蓬莱式枯山水庭園で、後方の愛宕山を借景として取り込んでいます。


 



サツキの刈込みと石組で構成された鶴島。天をつくような鋭い石組は、この庭最大の見所です。

IMG_3878.jpg



鶴島と亀島(左奥)。鶴島は中心の石組が三尊手法で、枯滝石組を兼ています。中尊である立石は、右にやや傾斜させる、古式な須弥山石風の手法がとられています。

IMG_3879.jpg



庭園南部、築山状に配置された亀島。後世に改変されているようで、鶴島の鋭さに比べると、石組などは陳腐なものになってしまっています。

IMG_3875.jpg



この庭の最大の特徴が、大海を表現したと言われる、東部山畔のサツキの大刈込みです。曲線を用いた律動的なもので、桃山~江戸初期らしい大和絵的な意匠です。

IMG_3888_20180616224413c6b.jpg 



東部山畔の下部には小規模な池が築かれていますが、これは後世に加えられたもので、この庭の作庭意図からはかけ離れた意匠です。

IMG_3885.jpg




書院手前は飛石と栗石を敷いた、露地風の洗練された意匠になっています。

IMG_3894_201806162219139b8.jpg



頼久寺の起源は不明ですが、暦応二年(1339)に足利尊氏が備中国の安国寺として再興します。その後、寺は荒廃しますが、永正年間(1504〜1521)に備中松山城主・上野頼久により再興され、頼久の死後、その名をとって安国頼久寺と改称されました。

IMG_3886.jpg



江戸初期、備中松山の代官となった小堀政一(遠州)は、備中松山城の修復の間、頼久寺を仮の居館としますが、庭園はこの頃に築かれたものと推定されています。

IMG_3853_20180616221910567.jpg  



全国に数ある伝・遠州作庭園と同様、頼久寺庭園についても、遠州作の史料的裏付けはありません。しかしながら、鶴島の鋭い造形や豪快なサツキの大刈込みなど、本庭は遠州作を信じさせるだけの造形的魅力に満ちた庭園と言えます。

IMG_3857_201806170023244c2.jpg     

 
 
 
 

備中松山城根小屋跡庭園 ~岡山県高梁市~

岡山県高梁市にある高梁高校は、かつて備中松山城の根小屋(山城における平時の居館・政庁)だった場所です。構内には、江戸初期に築かれた池泉庭園が残されています。

IMG_4243.jpg



庭園は江戸初期、松山に代官として赴任した小堀政一(遠州)により作庭されたと推定されています。現在の池泉は円形に近い形状で中島もありませんが、これは天和年間(1681〜1684)、水谷勝宗が藩主の頃に改修されたものと考えられています。

IMG_4213.jpg




東部池畔に築かれた枯滝石組。桃山期の影響が顕著な豪壮な石組で、この庭園の主景となっています。

IMG_4217.jpg



枯滝石組は、鶴石組であると同時に、蓬莱石組も兼ねています。三尊手法で、中尊石には高さ2メートル以上もある巨石が使用されています。

IMG_4236.jpg




裏側から見た枯滝石組。

IMG_4230.jpg




池泉南岸から枯滝石組を望む。

IMG_4220.jpg




枯滝石組の左手には出島が設けられ、先端には大小二つの平天石が並置されています(石灯籠は後補)。

IMG_4244.jpg




池泉の西岸(写真手前)にも、先ほどの出島と呼応するかのように出島が設けられています。

IMG_4254.jpg



西部池畔には、池中に張出すように平石が置かれています。重森三玲によれば、天正から慶長頃の亀頭石の手法で、もとは亀島だったものが埋立てられたものとしています。

IMG_4246.jpg


前述のとおり、備中松山城根小屋跡庭園は小堀政一(遠州)により築かれたものと推定されています。当初は現在よりも規模が大きかったようですが、天和年間の改修により池泉は埋められ、石組も枯滝などを除いて改変されてしまっており、凡庸なものになってしまっている点が惜しまれます。なお庭園は高校敷地内にあるため、見学の際は事前に事務室で許可をとる必要があります(平日のみ見学可)。

IMG_4227.jpg


 
 
 
 

常栄寺庭園 ~山口県山口市~

常栄寺は、山口市宮野下にある臨済宗東福寺派の寺院です。本堂裏手には、室町時代の画僧・雪舟作庭と伝わる廻遊式の池泉庭園があります。3年ほど前に当ブログで紹介していますが、今回再訪しましたので、写真含め内容を更新し改めて投稿させて頂きます。

IMG_3292.jpg


庭園は本堂裏手に築かれています。もともと当地にあった大内政弘の別邸に築造されたもので、本堂側(写真手前側)が石組主体の枯山水部分、その奥に広大な池庭が広がっています。雪舟作庭と推定される庭の中では最も規模が大きく壮大な庭です。

IMG_3237.jpg



枯山水部分は、一見無造作に石を並べているように見えますが、全ての石が有機的に線で結ばれるよう、計算して配置されています。

IMG_3275.jpg




池庭部分は北東部に雄大な滝石組を築き、池中には鶴島、亀島の他、岩島一島と舟石を配置しています。

IMG_3388.jpg




池泉北部の山畔には、巨石を用いた集団石組があります。連山を表現した、雪舟らしい水墨山水画的な石組です。

IMG_3242.jpg




池泉南部の亀島。石組主体の抽象的な表現です。

IMG_3278.jpg




池泉南岸から見た滝石組。手前の山形の石が蓬莱石(写真中央)、池中の石組が鶴島です。

IMG_3400.jpg



東部山畔から滝石組を見下ろす。全部で七段にもなる長大なもので、もとは水落式だったようですが、現在では水は止められています。

IMG_3332.jpg




滝石組上段。立石を多く用い、右手には傾斜させた石を置くなど、室町期らしい鋭い石組となっています。

IMG_3302.jpg



滝石組下方の鯉魚石と護岸石組。通常、鯉魚石は滝石組の中に設けられますが、常栄寺では滝石組から離れた池中に岩島風に配置されています。

IMG_3326.jpg



池泉北東部、滝石組の上から池庭を望む。手前に鯉魚石、木橋の左手に蓬莱石、その奥に鶴島、舟石、亀島と配置されています。

IMG_3420.jpg




池泉北東部から見た蓬莱石と鶴島。

IMG_3337.jpg




東部山畔から、連山の集団石組を見る。

IMG_3346.jpg



東部から見下ろした池庭部分。右奥の山畔に集団石組、池中には右から鶴島、舟石、亀島が配置されています。集団石組の左手には入江があり、その左方の長方形の平地には、「迎月亭」という二層の楼閣が建っていました。

IMG_3381.jpg



本堂の南側にも、枯山水庭園があります。昭和43年(1968)、重森三玲により作庭されたもので、「南溟庭(なんめいてい)」と名付けられています。

IMG_3223.jpg




南溟庭は雪舟が中国に渡った際の海を表現したものです。洲浜形に苔地の築山を設け、白砂で海原を表しています。

IMG_3217.jpg




石組は七五三式に、それぞれが有機的に線で結ばれるように配置されています。

IMG_3226.jpg



山門を入ってすぐの所にも、「無隠」と名付けられた前庭があります。平成24年に作庭された枯山水庭園で、白砂敷の空間を苔地の築山で囲んだ、円形のモダンな地割となっています。

IMG_3440.jpg




前庭では中心に苔地の中島が配置され、正面奥の築山には三尊の枯滝石組が設けられています。

IMG_3439.jpg


常栄寺は永禄6年(1563)、毛利元就が嫡子・隆元の菩提を弔うため安芸国吉田(現・安芸高田市)に創建した洞春寺を起源とします。その後、幾度かの他寺との統合を経て常栄寺と改名し、文久3年(1863)に現在地へ移建されました。明確な史料的根拠はありませんが、手法からして、庭園は雪舟作庭とみて間違いないと評価されています。雪舟作庭と推定される庭は常栄寺のほか、益田の医光寺庭園万福寺庭園、江津の小川家庭園、英彦山の旧亀石坊庭園、京都・東福寺の芬陀院庭園などがあります。

IMG_3423.jpg


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
 
 
QRコード
QR
 
 
Pagetop