茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧堀氏庭園 ②楽山荘 ~島根県鹿足郡津和野町~

旧堀氏庭園、後編です。主屋の東部に、明治33年(1900)、第15代・堀藤十郎礼造によりに建てられた客殿・楽山荘と池泉庭園が残ります。

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楽山荘は、木造二階建ての数寄屋建築です。屋根は入母屋造り桟瓦葺きで、各階とも庭園に面した東面に濡れ縁・広縁を設けています。

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玄関は南西部に設けられています。

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玄関は、式台を備えた格式高い造り。

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一階・主座敷。庭園に面した8畳の座敷で、床柱や付書院などに数寄屋風の意匠が見られます。

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主座敷床脇の長押は、釿(ちょうな)削りを意匠として見せています。

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主座敷北側の、次の間。こちらも8畳で、踏込床を備えた数寄屋造りになっています。

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主座敷と次の間の仕切り欄間。大根の彫刻が施された、ユニークな意匠です。

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一階次の間から庭園を見る。

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一階南東部には3畳の茶室が付属しています。

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二階・次の間。違い棚のある床の間や竹を使用した欄間など、独特の意匠が見られます。

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二階・主座敷。琵琶床を備えた書院造りで、床柱には名栗が施され、床框には金箔が埋め込まれるなど、凝った造りになっています。

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二階・座敷の仕切り欄間。雲を模った板欄間には燕が、裏面には花が描かれています。

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二階広縁から庭園を望む。

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二階南西部にある、8畳茶室。

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その他、意匠の数々。

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堀氏はもと吉見氏の家臣で、戦国時代から当地で鉱山開発を行っていたとされます。江戸時代には銅山経営により財を成し、明治に入ると15代・藤十郎礼造による事業拡大で、「中国の銅山王」と呼ばれるほど隆盛を極めました。二回に渡って旧堀氏庭園を取り上げましたが、紹介した以外にも、付近には「和楽園」と呼ばれる大正期の池泉庭園や、大正6年(1917)に堀氏が建てた木造洋風建築・旧畑迫病院が現存し、往時の天領差配家としての繁栄ぶりを窺うことができます。

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旧堀氏庭園 ①主屋と主庭 ~島根県鹿足郡津和野町~

山陰探訪4日目、市街地を離れ、津和野の山間に残る旧堀氏庭園を訪ねます。二回に分けて、まずは主屋と主庭を取り上げます。

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堀家は江戸時代、天領だった当地において、大森代官による管理の下、代々銅山年寄役を務める差配家でした。石垣上に白亜の土蔵が建ち並ぶ姿は、まるで近世城郭のような趣きです。

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表門を入って正面に建つ主屋。天明5年(1785)の建築で、木造二階建て、屋根は入母屋造りで石州赤瓦で葺かれています。

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玄関内部。奥には土間が続いています。

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玄関に面した、三畳の間。二階への箱階段が設けられています。

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玄関西側にある電話室。

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広間。10畳の広さがあります。

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主屋のほぼ中央に位置する、中の間。明治期に当主の居間として整備されたもので、壁には金庫、天井には明かり採りが設けられています。

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北東部の土間。煉瓦造りの三連式カマドが設置されています。

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主屋の主室となる座敷。8畳二間で構成されます。

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座敷は応接用の部屋として使用されたものと思われ、床の間を備えた書院造りになっています。

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鶴を模った、座敷の欄間。組子の繊細な意匠に驚かされます。

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釘隠しにも凝った意匠が見られます。

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座敷の南側、土塀との間には庭園が築かれています。堀氏庭園には3つの日本庭園が存在しますが、主屋南庭は最も古いもので、主庭とされます。

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主庭は江戸末期の作庭、平庭式枯山水の様式をとり、南部から西部にかけて石組が見られます。

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主庭南西隅にある、三尊の枯滝石組。

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主庭の飛石と、イヌマキの生垣。

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後編に続きます。次回は明治時代に建てられた客殿、楽山荘をご紹介します。


 
 
 
 

絲原家住宅 ~島根県仁多郡奥出雲町~

山陰探訪2日目、出雲市街から車を一時間余り走らせ、奥出雲町の山間にある絲原(いとはら)家住宅を訪ねます。

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絲原家は江戸時代に「たたら製鉄」と呼ばれる製鉄業により財をなした旧家で、同じく出雲で製鉄業を営んでいた田部家、櫻井家とともに「鉄師御三家」と称されました。広大な敷地内には、明治〜大正期に建てられた主屋、前座敷と、その他の土蔵、茶室と、江戸末期に作庭された庭園が現存します。




主屋は大正13年(1924)、10代・徳右衛門の植林した材を使用して13代武太郎により建てられました。木造二階建て、入母屋屋根を山陰地方特有の赤瓦(建築当初は栗そそぎ)で葺き、東面に玄関と車寄せを設けています。

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主屋南部は平屋の書院となります。書院東部と南部には「出雲流」の庭園が広がりますが、こちらについては次回の記事でご紹介したいと思います。

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主屋玄関。賓客用の玄関で、天井は格式高い格天井になっています。

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重厚な梁組が見られる、主屋中央の土間。主屋は現在も居住区域として使用されているため、二階は見学不可、一階も室内へ上ることはできません。

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土間から南部の書院方向を望む。独特の意匠の欄間が目を引きます。

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客間としても使用される書院。正式な書院造りになっています。

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書院と二の間との間の仕切欄間には、出雲地方の古歌“八雲立つ”にちなんだ、八雲を象った個性的な意匠が見られます。

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主屋東部にある前座敷。平屋の書院建築で、明治期に創建、昭和11年(1936)に一部改造されています。

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前座敷・上の間(前座敷も主屋同様、室内へ上がっての見学は不可となっています)

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前座敷上の間から二の間を見る。

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前座敷の仕切欄間には、細かな意匠が施されています。

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前座敷・控えの間。隣には和洋折衷の応接間があり、近衛文麿も滞在したそうです。

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御成門と前座敷。御成門は藩主専用の門で、江戸末期の建築とされます。

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書院南部にある茶室・為楽庵(いらくあん)。大正13年(1924)の主屋建造時に、松江の向月亭を参考に建てられたものです。

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前座敷南部の南倉。明治期の建築で、外壁には海鼠壁が見られます。



江戸時代から製鉄業を営んできた絲原家ですが、大正末期に廃業し、その後は山林業に転業しました。かつては松江藩だけで全国の鉄生産量の7割を占め、絲原、田部、桜井の奥出雲鉄師三家だけでも全国の4割を占めていたといいます。奥出雲の緑に囲まれてほぼ完存する絲原家住宅は、出雲の郷土史においても、製鉄業の歴史においても、また建築・造園史においても極めて貴重な遺産と言えます。

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次回は絲原家の庭園を取り上げます。


 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑰大橋家住宅 ~岡山県倉敷市~

倉敷の美観地区から少し西に離れた場所に、江戸時代の町屋建築・大橋家住宅が残ります。大橋家は、江戸時代初期に水田・塩田開発により財をなした大地主で、(当時の町屋では許されなかった)街道沿いに長屋門を建てることを許されたり、名字を名乗ることや帯刀を許されるなど、格式の高い商家でした。現在残る建物は、江戸時代後期に建てられたものです。

主屋は入母屋造り、二階の窓には「倉敷窓」が設けられています。

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主屋には、「どま」から上がります。

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「どま」から上がると、「なかのま」という6畳の小さな空間があります。

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「なかのま」の隣に「みせのま」

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「おおざしき」(上の間と下の間)

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「おおざしき」(下の間)

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「しょさい」の丸窓。

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「しょさい」から見る坪庭。

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「しんざしき」

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京都の町屋を思わせる坪庭。

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「おおざしき」外の庭。かつては主屋の南側には広い庭がありましたが、現在では消滅しています。

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大橋家住宅は寛政8年(1796)~寛政11年(1799)に主要部分が建てられ、その後2度に渡り大改造されています。
現在、主屋・長屋門・米蔵・内蔵の4棟が国の重要文化財に指定されています。

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次回は岡山に移動し、後楽園へ向かいます。

 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑬森川邸 ~広島県竹原市~

竹原の古い町並みから少し離れた所に、大正期の豪邸・森川邸が残ります。大正~昭和にかけて竹原町長を務めた森川八郎氏の邸宅で、竹原でも随一の規模を誇る近代和風建築となっています。

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主屋は沼隈(福山市)の富豪・山路家から移築・再生したもので、玄関・座敷・離れ座敷等はその後に増築されています。

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主屋や座敷の内部には、随所に洗練された意匠が見られます。

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主屋と離れ座敷からは庭園を眺めることができます。

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9月中旬でしたが、もみじが色づき始めていました。

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玄関脇の庭も露地のような趣があります。

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かつて森川邸の周囲は塩田に囲まれていたようで、塩田が埋め立てられた今では周囲の風景は様変わりしてしまっていますが、森川邸の建物は大正期の姿をそのまま伝える貴重なもので、竹原市の重要文化財に指定されています。

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竹原の町並みはここまで、次は福山に移動し、鞆の町並みを訪れます。
 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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