茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

絲原家住宅 ~島根県仁多郡奥出雲町~

山陰探訪2日目、出雲市街から車を一時間余り走らせ、奥出雲町の山間にある絲原(いとはら)家住宅を訪ねます。

018_20170909195850b2c.jpg


絲原家は江戸時代に「たたら製鉄」と呼ばれる製鉄業により財をなした旧家で、同じく出雲で製鉄業を営んでいた田部家、櫻井家とともに「鉄師御三家」と称されました。広大な敷地内には、明治〜大正期に建てられた主屋、前座敷と、その他の土蔵、茶室と、江戸末期に作庭された庭園が現存します。




主屋は大正13年(1924)、10代・徳右衛門の植林した材を使用して13代武太郎により建てられました。木造二階建て、入母屋屋根を山陰地方特有の赤瓦(建築当初は栗そそぎ)で葺き、東面に玄関と車寄せを設けています。

095_201709091958527b7.jpg



主屋南部は平屋の書院となります。書院東部と南部には「出雲流」の庭園が広がりますが、こちらについては次回の記事でご紹介したいと思います。

129_20170909200045412.jpg




主屋玄関。賓客用の玄関で、天井は格式高い格天井になっています。

098_20170909200043f00.jpg



重厚な梁組が見られる、主屋中央の土間。主屋は現在も居住区域として使用されているため、二階は見学不可、一階も室内へ上ることはできません。

100_20170909200044209.jpg




土間から南部の書院方向を望む。独特の意匠の欄間が目を引きます。

105_20170909220528202.jpg




客間としても使用される書院。正式な書院造りになっています。

144_201709092001457a4.jpg




書院と二の間との間の仕切欄間には、出雲地方の古歌“八雲立つ”にちなんだ、八雲を象った個性的な意匠が見られます。

113_20170909220531723.jpg




主屋東部にある前座敷。平屋の書院建築で、明治期に創建、昭和11年(1936)に一部改造されています。

050_2017090920032800b.jpg




前座敷・上の間(前座敷も主屋同様、室内へ上がっての見学は不可となっています)

142_20170909200328959.jpg




前座敷上の間から二の間を見る。

140_20170909200326178.jpg




前座敷の仕切欄間には、細かな意匠が施されています。

133_20170909200331547.jpg




前座敷・控えの間。隣には和洋折衷の応接間があり、近衛文麿も滞在したそうです。

068_201709092003298af.jpg




御成門と前座敷。御成門は藩主専用の門で、江戸末期の建築とされます。

058_201709092004269d2.jpg



書院南部にある茶室・為楽庵(いらくあん)。大正13年(1924)の主屋建造時に、松江の向月亭を参考に建てられたものです。

028_20170909200424750.jpg




前座敷南部の南倉。明治期の建築で、外壁には海鼠壁が見られます。



江戸時代から製鉄業を営んできた絲原家ですが、大正末期に廃業し、その後は山林業に転業しました。かつては松江藩だけで全国の鉄生産量の7割を占め、絲原、田部、桜井の奥出雲鉄師三家だけでも全国の4割を占めていたといいます。奥出雲の緑に囲まれてほぼ完存する絲原家住宅は、出雲の郷土史においても、製鉄業の歴史においても、また建築・造園史においても極めて貴重な遺産と言えます。

057_20170909200459041.jpg


次回は絲原家の庭園を取り上げます。


スポンサーサイト
 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑰大橋家住宅 ~岡山県倉敷市~

倉敷の美観地区から少し西に離れた場所に、江戸時代の町屋建築・大橋家住宅が残ります。大橋家は、江戸時代初期に水田・塩田開発により財をなした大地主で、(当時の町屋では許されなかった)街道沿いに長屋門を建てることを許されたり、名字を名乗ることや帯刀を許されるなど、格式の高い商家でした。現在残る建物は、江戸時代後期に建てられたものです。

主屋は入母屋造り、二階の窓には「倉敷窓」が設けられています。

IMG_0102.jpg




主屋には、「どま」から上がります。

IMG_0103.jpg




「どま」から上がると、「なかのま」という6畳の小さな空間があります。

IMG_0104.jpg




「なかのま」の隣に「みせのま」

IMG_0107.jpg




「おおざしき」(上の間と下の間)

IMG_0140.jpg




「おおざしき」(下の間)

IMG_0117.jpg





「しょさい」の丸窓。

IMG_0121.jpg




「しょさい」から見る坪庭。

IMG_0122.jpg




「しんざしき」

IMG_0125.jpg




京都の町屋を思わせる坪庭。

IMG_0133.jpg





「おおざしき」外の庭。かつては主屋の南側には広い庭がありましたが、現在では消滅しています。

IMG_0147.jpg




大橋家住宅は寛政8年(1796)~寛政11年(1799)に主要部分が建てられ、その後2度に渡り大改造されています。
現在、主屋・長屋門・米蔵・内蔵の4棟が国の重要文化財に指定されています。

IMG_0136.jpg


次回は岡山に移動し、後楽園へ向かいます。

 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑬森川邸 ~広島県竹原市~

竹原の古い町並みから少し離れた所に、大正期の豪邸・森川邸が残ります。大正~昭和にかけて竹原町長を務めた森川八郎氏の邸宅で、竹原でも随一の規模を誇る近代和風建築となっています。

IMG_9794_2016020611010096a.jpg




主屋は沼隈(福山市)の富豪・山路家から移築・再生したもので、玄関・座敷・離れ座敷等はその後に増築されています。

IMG_9820.jpg




IMG_9824.jpg




主屋や座敷の内部には、随所に洗練された意匠が見られます。

IMG_9825.jpg




IMG_9816.jpg




IMG_9817.jpg




主屋と離れ座敷からは庭園を眺めることができます。

IMG_9798.jpg




9月中旬でしたが、もみじが色づき始めていました。

IMG_9827.jpg




IMG_9804.jpg




IMG_9834.jpg




玄関脇の庭も露地のような趣があります。

IMG_9822.jpg




かつて森川邸の周囲は塩田に囲まれていたようで、塩田が埋め立てられた今では周囲の風景は様変わりしてしまっていますが、森川邸の建物は大正期の姿をそのまま伝える貴重なもので、竹原市の重要文化財に指定されています。

IMG_9838.jpg




竹原の町並みはここまで、次は福山に移動し、鞆の町並みを訪れます。
 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑫松阪邸 ~広島県竹原市~

古い町並みが残る竹原の本町通りで、一際目立っているのがかつての商家・松阪邸です。

IMG_9680.jpg




主屋は、屋根の妻側が唐破風、二階部分の窓は菱格子という、珍しい構造です。

IMG_9613.jpg




松阪氏初代は延宝2年(1674)広島から移住、「沢田屋」と称し、薪問屋、石炭問屋、製塩業、酒造業、醸造業を経営していました。現在の建物は江戸時代末期の文政年間(1818~1830)頃建てられ、明治12年(1879)に改築されています。

IMG_9681.jpg





松阪邸は全体が茶掛かっていて、随所に数寄屋風の意匠が凝らされています。庭も露地っぽい趣き。。

IMG_9692.jpg




IMG_9705.jpg




IMG_9710.jpg




縁側の床板まで手が込んでいて、洗練されたデザイン。手前側と奥側で、張り方が異なっています。

IMG_9712.jpg




IMG_9695.jpg




IMG_9702.jpg




IMG_9706.jpg




松阪氏は文化への造詣も深く、また、下市庄屋、割庄屋、塩浜庄屋、竹原町長などをつとめるなど、精力的に活躍していました。松阪邸の随所に凝らされた華やかな意匠に、その繁栄ぶりを偲ぶことができます。

IMG_9685.jpg



次回は、松阪邸と並ぶ竹原の豪邸、森川邸を訪れます。




 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
 
 
QRコード
QR
 
 
Pagetop