茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧斉藤邸 (孝順寺)~新潟県阿賀野市~

新潟県阿賀野市にある旧斉藤邸は、大地主・斉藤家の本邸として昭和11年(1936)に建てられた和風建築です。戦後の農地改革で斉藤家の手を離れ、現在は浄土真宗大谷派の寺院・孝順寺(こうじゅんじ)の堂宇として使用されています(2019年11月訪問)。

旧斉藤邸(孝順寺)・外観




建物は木造平屋建て、屋根は地元の安田瓦で葺かれており、東面には寺院や城郭建築で見られるような勾欄が巡らされています。建物の東方には中国の洞庭湖を模した広大な池泉庭園があり、石組なども残されています。





玄関は南面に設けられています。

旧斉藤邸(孝順寺)・外観




玄関車寄せの天井は、菱組のような格天井になっています。

旧斉藤邸(孝順寺)・玄関




玄関内部。式台を備え、こちらも天井は格天井になっています。

旧斉藤邸(孝順寺)・玄関




玄関を上がった取次の天井も、凝った意匠。

旧斉藤邸(孝順寺)・取次




玄関から入って最初の座敷。床柱には節付の黒檀、床框に紫檀、落とし掛けには鉄刀木(たがやさん)といった銘木が用いられ、天井は格天井になっています。

旧斉藤邸(孝順寺)・座敷




座敷の書院障子には、繊細な組子意匠。

旧斉藤邸(孝順寺)・座敷




現在は本堂として使用されている、大広間。天井は見事な折り上げ格天井で、間越欄間は格式高い筬(おさ)欄間になっています。

旧斉藤邸(孝順寺)・大広間




「菱とんぼ」の意匠を施した障子戸。

旧斉藤邸(孝順寺)・主屋大広間




広間西側の縁側。長押は八間通しの見事なものです。

旧斉藤邸(孝順寺)・縁側




大広間の裏にある脱衣場。隣には浴室がありました。

旧斉藤邸(孝順寺)・脱衣場




脱衣場の天井も凝った造りになっています。

旧斉藤邸(孝順寺)・脱衣場




大広間の脇にある座敷。床柱に節付の黒檀、床框に紫檀、落とし掛けに鉄刀木(たがやさん)が用いられ、天井は折り上げ格天井ですが大広間とは意匠が異なっています。

旧斉藤邸(孝順寺)・座敷




大広間から縁座敷を通り、「主人座敷」へと向かいます。

旧斉藤邸(孝順寺)・縁側




松の葉が意匠された、縁座敷の欄間。

旧斉藤邸(孝順寺)・縁側




建物北端にある主人座敷。10畳の座敷で、ここでは床柱に黒柿が用いられています

旧斉藤邸(孝順寺)・主人座敷




旧斉藤邸では部屋ごとに天井の意匠が異なりますが、主人座敷の天井は、最も豪華な小組折り上げ格天井になっています。

旧斉藤邸(孝順寺)・主人座敷




主人座敷・次の間。正面に火燈窓のある床の間があり、そこへ食い込むように、左手にも床の間があります。床柱にはモミジ、左手の床の間には珍しい四方竹が使用されています。

旧斉藤邸(孝順寺)・主人座敷




旧斉藤邸は、保田の村長だった斉藤家が不況対策として建てたと伝わり、戦後に財産税として国へ物納、その後宮ノ下にあった孝順寺に買い取られました。かつては奥に居住部分があり、現存部分は来客対応に使用されたようです。また近くには2階建て近代和風の別邸もあったようですが、近年になって取り壊されたようです。

旧斉藤邸(孝順寺)・外観


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飯塚邸 ~新潟県柏崎市~

新潟県柏崎市にある飯塚邸は、江戸末期から昭和期にかけて建てられた、大地主・飯塚家の本邸です。座敷棟、勝手棟、奥茶室、居宅棟、新座敷、土蔵、表門など主要な建築物と、明治期に作庭された庭園が現存します(2019年11月訪問)。




座敷棟は、1階が江戸末期の建築、2階は昭和27~28年頃の増築とされます(2階は非公開)。正面となる南面は2ヵ所に玄関が設けられています。

飯塚邸・座敷棟外観




2つの玄関のうち、東側のものが主玄関のようです。立派な格天井と式台を備えています。

飯塚邸・座敷棟玄関




西側の玄関は客用玄関のようで、舞良戸や腰板を伴っています。





座敷棟1階は、上座敷、仏間、下座敷の3間で構成されます。こちらは10畳の上座敷で、周囲を縁座敷が巡っています。

飯塚邸・座敷棟主座敷




座敷棟の北西にある奥茶室。

飯塚邸・奥茶室



座敷棟の北側の廊下を進むと、新座敷棟があります。大正期の増築で、もとは平屋でしたが、昭和22年(1947)に昭和天皇の巡行に合わせて2階を増築しています。

飯塚邸・新座敷棟外観




新座敷棟1階・控の間。6畳の座敷で、奥に次の間、上座敷と続きます。

飯塚邸・新座敷棟一階




新座敷棟1階・次の間。襖絵には、瀟湘八景を描いたと思われる見事な水墨山水画が見られます。

飯塚邸・新座敷棟一階




新座敷棟1階・上座敷。

飯塚邸・新座敷棟一階




新座敷棟の浴室。竹を用いた舟底天井以外は至って簡素で、タイルなど洋風の意匠は見られません。

飯塚邸・浴室




新座敷棟2階・次の間。天皇の御寝所として使用された部屋で、襖や欄間は煌びやかなものになっています。

飯塚邸・新座敷棟二階 




新座敷棟2階・上座敷。昭和天皇の御在所として使用された部屋で、机や椅子も当時のものとされます。

飯塚邸・新座敷棟二階




上座敷の奥にある「新聞御縦覧所」。

飯塚邸・新座敷棟二階




上座敷と次の間の東側は広縁となっています。

飯塚邸・新座敷棟二階




新座敷棟2階・控の間。「御化粧所」とされます。

飯塚邸・新座敷棟二階




新座敷棟2階の西端にある書斎。こちらは数寄屋風の意匠になっています。

飯塚邸・新座敷棟二階




主屋の西側には池泉廻遊式庭園が広がります。昭和天皇により「秋幸苑」と命名されています。

飯塚邸・庭園(秋幸苑)




敷地の南面にある表門。番所を備えた長屋門で、両側に土蔵を伴う重厚な造りです。

飯塚邸・門



『新潟県近代和風建築総合調査報告書』(新潟県教育委員会著)によれば、飯塚家は上杉景勝配下の上条政繁家臣・星野六衛門の食客だった初代・隼人佐延忠が、上杉氏の会津移封に伴い六衛門から館と地禄を譲り受けて飯塚八郎と改名したのを起源とし、明治期以降は経済界や政界でも活躍しました。飯塚邸は平成13年(2001)に柏崎市へ寄贈され、同15年から一般公開されています。

飯塚邸・座敷棟外観


 
 
 
 

椿寿荘 ~新潟県南蒲原郡田上町~

田上町にある椿寿荘は、豪農・原田巻家の離れ座敷として、大正7年(1918)に建てられました。主屋、渡り廊下、江戸末期の薬医門などが現存し、一般公開されています(2019年11月訪問)。

椿寿荘・薬医門




主屋は原田巻家本邸「利恒庵」の北東部にあります。木造平屋建て、屋根は入母屋造桟瓦葺のむくり屋根となっており、当初は越前瓦で葺かれていましたが、現在は阿賀野の安田瓦に改められています。

椿寿荘・外観




玄関は南側に設けられています。

椿寿荘・玄関




玄関内部は式台を備えた格式高い造りで、天井は見事な小組格天井、軒桁を舟肘木(ふなひじき)が支えています。

椿寿荘・玄関




主屋の中心部となる大広間。南北の三間続きとなっています。





大広間の欄間。クスノキの一枚板を用いたもので、彫刻師・岩倉知正による菊の透し彫りが見事です。





大広間・上段の間。天井は格天井、床框は輪島塗、床板は櫟(いちい)を用いたもので、床には貫名菘翁の作とされる見事な水墨画(江戸末期)が掲げられています。

椿寿荘・上段の間



座敷の西側は土縁となっています。縁板には樹齢800年以上の会津欅、軒桁には全長20メートルもの吉野杉の磨き丸太を使用しています。





土縁の外には、京都の庭師・広瀬万次郎が手掛けた庭園が広がります。

椿寿荘・庭園



全体的な地割は非常に弱いですが、当代の庭園としては珍しく、須弥山石組(写真右奥)や三尊石組(写真左手前)など、伝統的な日本庭園の意匠が取り入れられています。

椿寿荘・庭園




座敷の東側にある、脇の間。こちらも床框は輪島塗です。

椿寿荘・脇の間




主屋南東部にある、客用の便所。変則的な格天井が見事です。

椿寿荘・便所




客用の浴室。こちらも変則的な格天井ですが、便所のものよりもさらに複雑なデザインになっています。

椿寿荘・浴室





浴室に隣接する脱衣所。こちらも、また違ったデザインの天井です。

椿寿荘・浴室




座敷の北側には、高床式の奥の間が続きます。

椿寿荘・奥の間




奥の間は8畳の座敷と次の間で構成されます。

椿寿荘・奥の間




奥の間の筬欄間。

椿寿荘・奥の間




奥の間から望む庭園。

椿寿荘・庭園




原田巻家は豪農・本田巻家の分家で、本田巻家3代・三郎兵衛の次男・七郎兵衛を祖とします。第7代・堅太郎が、働き口のない小作人に仕事を与える目的で椿寿荘を建設したと言われます。

椿寿荘・庭園の紅葉



椿寿荘建設にあたっては、当時「日本3大名人」に数えられた越中井波の宮大工・松井角平を迎え、3年半の歳月をかけて完成しました。なお、椿寿荘の南側には原田巻家の本邸「利恒庵」が現存し、こちらは通常非公開ですが、年に数回見学会が開催されています。

椿寿荘・庭園の紅葉


 
 
 
 

中野邸記念館 ~新潟県新潟市~

新潟市郊外にある中野邸は、「石油王」こと中野貫一とその子・忠太郎の邸宅として、明治36年(1903)に造営されました。主屋、一~五の蔵、門、塀などが現存し、「中野邸記念館」として、季節限定で公開されています(2019年11月訪問)。

中野邸記念館・本館




主屋は東面を正面とし、木造2階建て、屋根は寄棟造り桟瓦葺で、外壁は黒漆喰仕上げの重厚な趣きとなっています。正面北部(右手)に玄関、南部(左手)には車寄せのある大玄関が設けられています。

中野邸記念館・本館外観




大玄関内部。冠婚葬祭や賓客を迎える時に使用されたもので、格天井に式台を備えた、格式高いしつらえになっています。

中野邸記念館・本館大玄関





1階・応接室。主屋で唯一、本格的な洋間です。

中野邸記念館・本館応接室




こちらは賓客用の応接室。12畳の座敷ですが、昭和30年代に改造され、洋風の空間になっています。

中野邸記念館・本館応接室




主屋1階の座敷。書院造の10畳の座敷で、賓客の応接に使用されました。

中野邸記念館・本館1階座敷




座敷前室。左の欄間は富士と松原の透し彫り、右の欄間は格式高い筬(おさ)欄間になっています。

中野邸記念館・本館1階座敷




富士と松原の欄間。見事な意匠です。

中野邸記念館・本館1階座敷



座敷の西側は畳敷の廊下が通され、その外側は欅板を使用した土縁となっています。土縁の外には庭園が広がりますが、お世辞にも優れているとは言えないものですので、割愛します。

中野邸記念館・本館土縁




土縁の土間には、陶器がはめ込まれています。

中野邸記念館・本館土縁




客用の浴室。天井は格天井の中央を網代張りとした、見事なものです。

中野邸記念館・本館浴室




1階の最も奥にある上段の間。6畳の座敷と8畳の次の間で構成されます。

中野邸記念館・本館1階上段の間




上段の間の間越欄間。月に雁の透しが見事です。

中野邸記念館・本館1階上段の間




1階西側にある座敷。代々の当主の部屋として使用されたもので、往時の座布団などが残されています。

中野邸記念館・本館1階当主の部屋




当時の部屋・書院欄間の意匠。

中野邸記念館・本館1階当主の部屋




主屋2階は、西側が賓客の応接、東側が家族の居室として使用されました。こちらは賓客用の8畳座敷です。

中野邸記念館・本館2階座敷




2階座敷・書院欄間の意匠。

中野邸記念館・本館2階座敷




座敷の隣にある、賓客の間。高松宮殿下をはじめ、北大路魯山人や電力王・松永安左ェ門などが使用したと言います。

中野邸記念館・本館2階賓客の間




賓客の間と座敷を隔てる間越欄間。亀の透しが意匠されています。

中野邸記念館・本館2階賓客の間




敷地内に残る二の蔵(右)と三の蔵(左)。中野家は江戸時代から続く当地の大地主で、明治30年(1897)頃、中野貫一・忠太郎父子が石油採掘に成功し、「日本の石油王」と称えられました。中野邸は、かつては総二階建ての別館もありましたが、こちらは星ヶ丘茶寮に移築され、平成8年(1996)、残された建物が中野家から公益財団法人・中野邸美術館(現・中野邸記念館)に寄贈され、現在では秋季限定で公開されています。

中野邸記念館・二の蔵と三の蔵


 
 
 
 

北方文化博物館新潟分館 ~新潟県新潟市~

新潟市にある北方文化博物館新潟分館は、油田開発で財を成した清水常作の別邸として、明治28(1895)年に建てられました。現在は沢海(現・江南区)にある北方文化博物館の分館となり、一般公開されています。

北方文化博物館新潟分館・西側



建物は「和洋館並列型」と呼ばれる様式で、南北に主屋(和館)と洋館を並べて配置しています。主屋は創建当初のもの、洋館は昭和3年(1928)、当時居住していた伊藤九郎太が、娘婿のために増築したものとされます。

北方文化博物館新潟分館・主屋と洋館



主屋は木造2階建て、屋根は寄棟造桟瓦葺となっています。現在は1階西側に玄関がありますが、これは博物館として改修された際に設けられたものです。

北方文化博物館新潟分館・主屋




主屋1階・10畳の座敷。「松風」と呼ばれています。

北方文化博物館新潟分館・主屋1階座敷(松風)




座敷の付書院。書院欄間は土壁を二階菱風に意匠した、珍しいものになっています。

北方文化博物館新潟分館・主屋1階座敷(松風)




座敷の間越欄間には、見事な松の透し彫り。

北方文化博物館新潟分館・主屋1階座敷(松風)



座敷の東・南面は土縁となり、欅の一枚板が用いられています。土縁の外には庭園がありますが、あまり感心できるものではないため、ここでは割愛させて頂きます。

北方文化博物館新潟分館・主屋1階土縁




1階次の間。神棚の下に、略式の床が設けられています。

北方文化博物館新潟分館・主屋1階次の間




「松風」の奥にも、8畳の数寄屋風の座敷があります。昭和3年(1928)に増築されたもので、「坐忘」と呼ばれています。

北方文化博物館新潟分館・主屋1階座敷(坐忘)




主屋2階の座敷。枇杷床のある数寄屋風の座敷で、「潮音堂」と呼ばれています。

北方文化博物館新潟分館・主屋2階座敷(潮音堂)




2階座敷の付書院。書院欄間には、波の透し彫りが意匠されています。

北方文化博物館新潟分館・主屋2階座敷(潮音堂)




間越欄間にも、波と蝙蝠の透し。

北方文化博物館新潟分館・主屋2階座敷(潮音堂)



主屋の南側に建つ洋館。木造2階建て、外壁はドイツ壁と呼ばれるモルタル塗りで、正面には主屋から移された和風の玄関が付いています。

北方文化博物館新潟分館・洋館



洋館は、歌人・美術史家・書家である會津八一が晩年に居住していました。現在は八一や良寛和尚に関する資料が展示されています。

北方文化博物館新潟分館・洋館




洋館入口の扉の意匠。

北方文化博物館新潟分館・洋館




主屋の北側には、「清行庵」と名付けられた茶室があります。大正13年(1924)に建てられた、3畳台目の茶室です。

北方文化博物館新潟分館・茶室(清行庵)




待合と土蔵。土蔵は大正4年(1915)、待合は大正13年に建てられたものです。

北方文化博物館新潟分館・待合と土蔵




敷地の南東部を囲む煉瓦塀。内側はモルタル塗りで、アーチが連続する意匠となっています。

北方文化博物館新潟分館・煉瓦塀



表門は土蔵と同じく大正4年の建築です。数寄屋風の腕木門で、もともとは現在より右方に建っていましたが、新潟地震後の修復で現在位置に移されました。

北方文化博物館新潟分館・門


北方文化博物館新潟分館は、清水常作の別邸として建てられましたが、大正4年に横越町の豪農・伊藤家の一族・伊藤九郎太が購入、居住しました。昭和21年(1946)、伊藤家7代が設立した財団法人史跡文化振興会の所有となり、昭和24年に財団名を北方文化博物館に変更しています。

北方文化博物館新潟分館・主屋と洋館


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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