茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧林芙美子邸 (新宿区立林芙美子記念館) ~東京都新宿区~

新宿区落合にある旧林芙美子邸は、『放浪記』『浮雲』などで知られる作家・林芙美子の住居として、昭和16年(1941)に建てられたものです。現在は林芙美子記念館となり、通常は建物内部の立入りできませんが、年に数回、特別公開時に内部を見学することができます(2017年11月11日訪問)。

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建物は、右手の主屋(生活棟)と左手の離れ(アトリエ棟)が並列する構造になっています。建設当時は戦時中で住宅一棟あたりの坪数に制限があったため、主屋を芙美子名義に、離れを内縁の夫・手塚緑敏名義としていました。

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伝統的な古民家を思わせる主屋。主屋・離れとも、山口文象が設計を担当しています。和風を無理に崩すことなく、それでいて余計な装飾を排したシャープなデザインと機能的な構造は、日本のモダニズム建築の先駆者であり和風建築への造詣も深かった、山口ならではの作品と言えます。

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主屋玄関。林芙美子はフランスから帰国後、下落合の洋館で暮らした後、昭和14年(1939)から当地に新居の建設を始めました。芙美子は建築に関する本を200冊近く読んだ上で、設計者と大工を連れて大徳寺や京都の民家を見学して廻るなど、新居建設へのこだわりが強かったようで、建物内部には随所に彼女の趣向が現れています。

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玄関内部では、正面に客間へと続く取次の間、左奥に茶の間へ続く入口と、公の空間と私的な空間を分ける工夫が見られます。天井板の張り方にも特徴が見られます。

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玄関脇にある客間。芙美子の原稿を待つ編集者たちが通された部屋です。

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作り付けの二段ベッドが備えられた使用人室。

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主屋北西に位置する台所。人造石洗い出しによる流し台は、小柄だった芙美子の身長に合わせて作られています。

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中庭に面した浴室。総檜造りの浴槽が置かれ、水滴が落ちないよう天井は斜めになっています。

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一家団らんの場だった、茶の間。南・西面に広縁を設け、ガラス戸越しに庭を眺められる開放的な空間で、二段押入れや収納式神棚など、機能的な収納も備えています。

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茶の間奥に設けられた小間。芙美子の母・キクが使用したといわれます。

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主屋の西側に、中庭を挟んで離れが建ちます。

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離れ・寝室。庭に面した南側を筵張りの傾斜天井とし、余計な装飾を排した、モダンな数寄屋造りと言えます。

 




寝室北側に続く、次の間。インド更紗の張られた押入れは、布団の収納に使用されていました。

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次の間北側の書庫。

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離れの中央に位置する書斎。芙美子が執筆に使用していた部屋で、雪見障子越しに庭を眺めることができます。

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書斎の北側には、裏庭に面して濡れ縁が設けられています。





離れの西端は、画家だった夫・緑敏のアトリエでした。邸内で唯一、椅子坐の部屋で、天井には大きく天窓が開けられています。

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アトリエでは、漆喰壁に、手斧削りを施した黒い梁や柱がアクセントになっています。

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旧林芙美子邸は、作家・林芙美子の終の棲家であるとともに、和風でありながらモダニズム的なデザインと機能性を兼ね備えた、優れた住宅建築でもあります。似たような試みとしては、吉田五十八(いそや)が自身の作品で表現した「近代数寄屋」が知られていますが、吉田の作品に比べ、旧林芙美子邸はより純粋な和風建築に近く、和風と近代の「融合」ではなく「和風そのものの近代化」という印象を受けました。

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瀬上嶋貫本家住宅 ~福島県福島市~

奥州街道沿いにある瀬上(せのうえ)嶋貫本家住宅は、江戸時代からの豪商だった嶋貫本家の住宅として、明治~大正にかけて建てられたものです。現在も敷地内にお住まいの嶋貫家により管理されており、事前予約制で一般公開されています(2017年11月3日訪問)。

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主屋は明治32年(1899)に建てられた、木造二階建ての近代和風建築です。東西に長い構造で、北側には大正2年(1913)に増築された離れが続いています。

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主屋一階南面に設けられた表玄関。当主や客用の玄関として使用されていました。

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現在は見学者の受付スペースになっている、一階・板の間。かつては厨房や食堂として使用され、奥の階段は二階の女中部屋に続いていました。

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一階西側の広間は、家族の居室として使用されていました。現在は、往時使用されていた調度品などが展示されています。

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居間の南面には入側が通されています。床には桜が使用されています。

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顧客台帳などが保管されていたという、一階の金庫。天井の意匠が見事です。

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主屋二階の大部分を占める、大広間。家族の寝室として使用されていました。

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大広間は南面に入側が設けられ、一面ガラス窓になっています。欄間には黒柿の自然木が使用されています。

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大広間外周の四つの板欄間には、松竹梅に蓮と、それぞれ違った透かしが施されています。

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主屋二階の洋間へ通じる階段。洋間への入口はこの階段のみで、二階の他の部屋からは行き来できない構造になっています。

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主屋二階の洋間。当主の執務室や応接室として使用されていました。

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洋間の照明はガラス製で、当初のものが現存しています。

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主屋の北側に続く、離れ二階。客用の寝室として使用され、付書院や琵琶床、秋田杉の折り上げ格天井、絹製の襖など、嶋貫本家において最も格調高く凝った造りになっています。

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組子の意匠が見事な、離れ二階の付書院。

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離れ二階・次の間。仕切欄間は梅の自然木とされます。

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当主と夫人の寝室として使用された、離れ一階。

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離れ一階の便所。陶器製の便器と、松の自然木や竹による意匠がなんとも上品です。

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便所個室の天井にも、ちょっとした遊び心が見られます。

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嶋貫本家はもともと上杉氏の家臣であったと言われ、江戸時代には武士の身分を捨てて「穀屋」と号し、金融業や酒造業の経営を始めます。その後、屋号を「大國屋」と変え、明治以降は大地主となりました。現在、主屋と離れ、文庫蔵、表門が残り、いずれも国登録有形文化財となっています。現在も行政が入らずに嶋貫家の方々により管理されており、案内して下さったご主人や奥様の温かいお人柄が印象に残る訪問となりました。

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旧山本条太郎別荘・無畏庵 (神霊教鎌倉錬成場霊源閣) ~神奈川県鎌倉市~

鎌倉市にある無畏庵は、明治〜大正期の実業家・山本条太郎の別荘として大正7年(1918)に建てられた近代和風建築です。現在は神霊教鎌倉錬成場が管理しており通常は非公開ですが、昨年秋の特別公開に参加しましたので、内部の様子をご紹介します。

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主屋は木造平屋建てで入母屋桟瓦葺き、複数の棟を雁行型に配置し、南側には相模湾を望む眺望を取り入れています。設計は、大河内山荘の設計で知られる笛吹嘉一郎の父・笛吹嘉三郎によります。

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玄関内部。主屋は自然の高低差を利用して建てられており、玄関棟は他の棟より一段低い所に設けられています。

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玄関棟から主屋主要部へ続く渡り廊下。網代の舟底天井や、竹張りの建具など、数寄屋風の意匠が見られます。

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渡り廊下から階段を上がると、いよいよ主屋の主要部となります。

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階段を上がって左手にある居間。書院造りで、床框には黒柿、天井には桐の柾目板が使用されています。

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階段を上って右手にある客間。京風の数寄屋造りで、欄間や床脇は京都・残月亭を模したものとされます。

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客間の照明には鈴虫の飾りが見られますが、建築当初のものなのかは不明のようです。

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客間の欄間。残月亭の「踊り桐」の写しとされます。

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客間の入側は縁座敷になっており、小屋組の垂木は丸太と竹を交互に配しています。

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客間から奥へと続く廊下は、畳敷きになっています。

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廊下の梁では、釿削りを意匠として見せています。

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客間の西にある、6畳の茶室。

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主屋の北部に茶室棟が続きます。

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茶室棟は、山本家から土地と建物を譲り受けた九鬼悠巌氏により、昭和31年(1956)に増築されたものです。

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茶室手前の水屋。天井は玄関同様、筵張(むしろばり)の舟底天井になっています。

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主屋最奥部にある茶室。掛込天井には天窓が開けられています。

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茶室北部にある腰掛待合。

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山本条太郎は福井出身の実業家で、三井物産の取締役などを務めた後、政治家としても活躍しました。無畏庵は、鎌倉に現存する関東大震災以前の別荘建築として貴重な存在であり、また質の高い数寄屋建築であることから、主屋、門、腰掛待合、練塀が国の有形文化財に登録されています。

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旧戸島家住宅 ~福岡県柳川市~

旧戸島家住宅は、旧柳川藩士・吉田兼儔(かねとも)が自身の隠居所として、文政11年(1828)頃に造営したものです。主屋と池泉庭園が現存し、現在は柳川市の管理の下、一般公開されています。

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主屋は木造二階建て、葦葺きの数寄屋建築です。武士の居宅でありながら、武家屋敷のような武骨さはなく、数寄屋らしい素朴ながら洗練された意匠が随所に見られます。

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主屋東面には来客用の式台玄関があります。正面の壁には三日月の下地窓がありますが、裏側の茶室側から見るとまた違った趣があります。

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主屋西面の内玄関。第二次大戦後に病院として使用されていたため、受付窓口が設けられるなど一部改造されています。

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取次に当たる、玄関内側の6畳間。

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寝室。戸棚や引き出しが設置されていますが、中でも北側の戸棚は内部に仕切りがなく、北側の部屋からも使用できる工夫がされています。

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寝室の東側にある仏間。もとは3畳間でしたが、後に4畳半に改造されています。

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仏間北の間。建物のほぼ中心にあたり、建物内の全ての部屋と繋がっています。





仏間北の間の天井には煙抜きが設けられています。

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仏間北の間から、東側の茶室(左)と座敷方面(右)を見る。

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北西隅にある茶室。床柱と落し掛けには竹の自然木が使用され、床脇には三日月の下地窓が見られるなど、遊び心溢れる空間になっています。三日月の下地窓は先ほど式台玄関で見られた下地窓の内側に当たります。

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南西隅にある座敷。4畳半と広さはありませんが、付書院と神棚が設けられるなど、興味深い造りです。

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座敷は東面と南面に入り縁を設けることで、空間を広く感じさせます。

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入り側の外側には縁側が設けられ、外には池泉庭園が広がります。

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次の間から座敷を見る。仕切り欄間には竹が使用されています。

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座敷入り側、式台との間の引き戸。桜や四十雀など、春の景色が描かれています。

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座敷入り側、仏間との間の引き戸。こちらは秋の七草を描いたものとされます。

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座敷南側の庭園。L字型の池泉は柳川城の堀から水を引いており、池泉西南部から中央付近にかけては出島を設けています。

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池泉江戸末期の庭園らしく石組などにはあまり意匠が見られないものの、栗石敷の浜辺や沢渡の意匠など、一地方藩士の庭とは思えないほど洗練された庭です。

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旧柳川藩士の隠居所だった旧戸島家住宅ですが、幕末には藩主・立花氏に献上され、廃藩置県後は由布氏に下賜されます。明治15年(1882)頃に戸島氏の所有となりますが、平成13年(2001)に柳川市に寄贈され、解体修理を経て同16年から一般公開されています。

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三宜楼 ~福岡県北九州市~

北九州市門司区にある三宜楼(さんきろう)は、昭和6年(1931)に建てられた料亭建築です。昭和30年代に廃業となり、平成21年に北九州市が建物の所有権を取得、その後修復工事を経て同26年から一般公開されています。


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木造三階建てで、現存する三階建ての木造建築では九州最大と言われます。


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玄関は一階東面に設けられています。欄間には屋久杉が使用され、天井も竿縁天井に一部格天井を合わせた、凝った造りになっています。

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一階座敷。一階は、大部分がふぐ料理店「三宜楼茶寮」の店舗として使用されているため、見学が制限されています。

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一階のギャラリーはかつての配膳室で、二階まで吹き抜けとなっています。往時は土間で、奥には調理場が続いていました。天井の長方形の部分は、当時画期的だった電動式リフトの痕跡です。

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一階北西部にある、支配人居室。仏壇が設けられています。

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「出世階段」とも呼ばれる二階への階段には、四つの下地窓があり、下から順に松、雲、山、月を表しているとされます。

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二階には64畳の大広間があります。

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大広間の床の間は琵琶床を備え、床柱には紫檀と黒檀が使用されています。火燈窓や書院障子の組子意匠も見所。

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格天井や矢羽根の意匠も見られる、大広間の天井。

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大広間の西側は能舞台が設けられています。こちらは見事な折り上げ格天井が見られます。

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二階・ダンスホール手前のベンチ。ガラス窓の向こうは、戦後、三宜楼を接収した米軍によりダンスホールとして使用されていたようです。

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三階廊下。竿縁天井の一部を網代張りにしています。左手には往時の電話室も。

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三階北東隅の座敷は「俳句の間」と呼ばれ、高浜虚子も訪れたそうです。窓の外には関門海峡を望むことができます。

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三階廊下の壁面にも、意匠が凝らされています。三階には「俳句の間」以外にも複数の部屋がありますが、修復が進んでおらず、公開されていません。

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二階西側階段の天井にも、細やかな意匠が見られます。

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部屋ごとに異なる下地窓や欄間の意匠も、三宜楼の見所です。

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門司は近代の洋風建築が多く現存することで知られていますが、戦前は木造三階建ての料亭建築が複数件存在していたようです。現在ではそのほとんどが取り壊されてしまいましたが、三宜楼だけは往時と変わらぬ威容を誇っています。

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次回は旧門司三井倶楽部を取り上げます。


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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