茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

日光田母沢御用邸① ~栃木県日光市~

栃木県日光市にある日光田母沢(たもざわ)御用邸は、明治32年(1899)、嘉仁親王(のちの大正天皇)の静養所として、日光出身の実業家・小林年保の別邸跡に造営されました。江戸、明治、大正の三時代の建築が一体として残されており、国の重要文化財に指定されています(2018年1月訪問)。

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御用邸の建築は、赤坂離宮などに使用されていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の三階建て部分、明治に入り小林年保別邸として建てられた皇后御座所などの二階建て部分、明治〜大正時代に増築された平屋建て部分などから構成されます。

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北端に設けられた玄関棟。御花御殿(旧久邇宮家)から移築されたもので、唐破風を冠した立派な車寄せが目を惹きます。

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車寄せの天井は、柾目の向きを市松に配置した、見事な格天井。

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長い廊下の先は、大正期の増築部分となります。御用邸の設計は、創建時には宮内省内匠寮の建築家・木子清敬が、大正の増築時にはその子・幸三郎が、それぞれ担当しています。

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大正期増築部分の表御食堂。テーブルや椅子が置かれ、賓客との食事会に使用されていました。

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表御食堂の床は、欅の柾目寄木張りで、デザイン・技術とも見事なものです。

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同じく大正期増築の、御玉突所。床は欅の柾目と板目を組み合わせた寄木張りで、先ほどの御食堂とは違ったデザインになっています。

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天皇の公式の謁見の際に使用された、謁見所。同じく大正期の増築で、檜の格天井に、欅の玉杢を用いた西楼棚など、格式の高さが際立つ部屋です。

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大正期増築部分の御手洗。便所の中まで畳が敷かれています。

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三階建て部分(旧紀州徳川家江戸中屋敷)の一階にあたる、御学問所(梅の間)。こちらも柾目を市松に配した格天井で、格縁には朱漆が塗られています。

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同じく三階建て部分の一階に設けられた御座所を、次の間から見る。御座所は天皇の執務室で、次の間との仕切欄間には、絵扇が付けられています。

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御学問所の奥に、二階への階段が設けられます。

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三階建て部分の二階・御日配所。大正天皇はこの部屋から、皇居内にある三殿への遥拝を日課にしていたそうです。

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二階・剣璽(けんじ)の間。三種の仁義のうち剣と勾玉は、天皇の行幸時に皇居から持ち出され、奥の上段に安置されました。左手の窓には明治時代のガラスがそのまま使用されています。

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剣璽の間の杉戸絵は、江戸時代からのものが残されています。

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剣璽の間に隣接する、御寝室。電灯が設置されず、燭台に蝋燭を灯して明かりとしていました。

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後編へ続きます。

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旧中山晋平邸(中山晋平記念館) ~静岡県熱海市~

旧中山晋平邸は、戦前に多くの童謡や流行歌を生み出した作曲家・中山晋平の旧宅です。昭和19年(1944)に熱海市西山に建てられたもので、現在は熱海梅園敷地内に移築され「中山晋平記念館」として一般公開されています。

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建物は木造二階建て、屋根は入母屋造銅板葺で、各階とも南・東面は一面ガラス張りになっています。主屋の西側に玄関棟が設けられています。

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玄関内部。柱や落とし掛けに皮付丸太を使用し、数寄屋風としています。

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玄関から右手へ進むと、6畳の居間があります。

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居間の壁には、作り付けの収納が備えられています。

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居間・欄間の意匠。

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居間の東側に座敷があります。8畳の広さで、雪見障子を隔てた東側と南側には入側が設けられています。

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座敷の付書院。

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付書院板欄間の透かし。

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玄関棟を挟んで西側にも和室があります。

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玄関棟西側の和室は、広さ4畳半とこじんまりとしています。中山晋平が使用していたピアノや蓄音機が展示されています。

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主屋まで戻り、狭い階段から二階へと上がります。

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二階・階段室。左手に板の間、右手に座敷が配置されます。

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階段室の天井は、格天井を崩したような、遊び心のある意匠になっています。

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二階・10畳の座敷。

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二階座敷の付書院。板欄間や障子の組子には、一階とは異なる意匠が施されています。

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二階座敷を取り巻く入側。

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入側の欄間には、五線譜に因んで5本の竹格子が付けられています。

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中山晋平は明治20年(1887)、現在の長野県中野市に生まれ、東京音楽学校卒業後、『カチューシャの唄』『東京行進曲』などのヒット曲や、『てるてる坊主』『証城寺の狸囃子』といった著名な童謡を生み出しました。

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昭和3年(1928)以降は、ビクターの専属作曲家として活躍しますが、昭和19年(1944)、疎開のため熱海に本邸を建て、昭和27年(1952)に亡くなるまで使用しています。

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旧松本家住宅(掛川市竹の丸) ~静岡県掛川市~

静岡県掛川市にある旧松本家住宅は、江戸時代から掛川で葛布問屋を営んでいた松本家の住宅として、明治36年(1903)に建てられた和風建築です。掛川城竹の丸址にあることから、現在は「掛川市竹の丸」として一般公開されています。5年程前に一度紹介していますが、昨秋再訪したため、改めて取り上げます(2017年9月訪問)。

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旧松本家住宅は、商売及び生活空間としての主屋(木造平屋建て)と、特別な客をもてなすための離れ(木造二階建て)、土蔵などから構成されます。離れはもともと平屋でしたが、大正9年(1920)に二階部分を増築しています。

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主屋南面に設けられた式台玄関。近年になって復元されたもので、武家屋敷のような格調高い造りになっています。

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主屋仏間(2013年10月撮影)。主屋は南側が見世、帳場、応接室などの公的な空間とし、北側は仏間、茶の間など私的な空間になっています。





主屋・台所。現在はフローリングが敷かれていますが、往時は土間でした。小屋組が見事で、梁は長いもので18メートルもあるといいます。

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主屋北西に続く離れ。二階南面は、東半分が和風の高欄、西半分が洋風の鉄製バルコニーという、ユニークな造りになっています。

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離れ一階の座敷。北側五畳分を一段高くし、上段の間としています。右手には「家人の間」が続きます。

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家人の間には小さな床の間が設けられています。地袋付きで、落し掛けには手斧削りを意匠として残しています。

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離れ二階・貴賓室。床の間のある書院造ですが、椅子坐で、南面にバルコニーを設け欄間にはステンドグラスを嵌め込むなど、和洋折衷の空間になっています。壁紙には葛布が張られています。

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貴賓室のステンドグラス。オウムがデザインされています。

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こちらは四十雀でしょうか。

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貴賓室の付書院。板欄間には鳳凰が意匠されています。

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貴賓室の床は寄木張りになっています。市松の美しい意匠です。

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貴賓室東面の板戸には、樹齢200年の杉の一枚板が使用されています。貴賓室の東側には、廊下を挟んで座敷が配置されています。

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離れ二階・座敷。数寄屋風の書院造で、桐材を多用していることから「桐の間」と呼ばれていたようです。





座敷の南東隅には床の間が設けられ、天井は屋久杉を使用した格天井になっています。

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座敷の東面は入側が通されています。

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座敷北側の水屋。

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座敷の襖には、桐の模様や桐を象った引手が見られます。

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松本家は、もともと掛川の中町で葛布問屋「松屋」を経営し、掛川藩の御用達として、苗字・帯刀を許される家柄でした。廃藩置県で旧掛川城竹の丸の地を取得し、当主・松本義一郎により住宅が建設されましたが、昭和11年(1936)に松本家の東京移住に伴い、土地と建物は掛川町(現・掛川市)に寄贈されました。長い間、市職員の厚生施設等に使用されていたため荒廃していましたが、平成19年からの修復工事により、往時の姿に復元されています。

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旧林芙美子邸 (新宿区立林芙美子記念館) ~東京都新宿区~

新宿区落合にある旧林芙美子邸は、『放浪記』『浮雲』などで知られる作家・林芙美子の住居として、昭和16年(1941)に建てられたものです。現在は林芙美子記念館となり、通常は建物内部の立入りできませんが、年に数回、特別公開時に内部を見学することができます(2017年11月11日訪問)。

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建物は、右手の主屋(生活棟)と左手の離れ(アトリエ棟)が並列する構造になっています。建設当時は戦時中で住宅一棟あたりの坪数に制限があったため、主屋を芙美子名義に、離れを内縁の夫・手塚緑敏名義としていました。

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伝統的な古民家を思わせる主屋。主屋・離れとも、山口文象が設計を担当しています。和風を無理に崩すことなく、それでいて余計な装飾を排したシャープなデザインと機能的な構造は、日本のモダニズム建築の先駆者であり和風建築への造詣も深かった、山口ならではの作品と言えます。

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主屋玄関。林芙美子はフランスから帰国後、下落合の洋館で暮らした後、昭和14年(1939)から当地に新居の建設を始めました。芙美子は建築に関する本を200冊近く読んだ上で、設計者と大工を連れて大徳寺や京都の民家を見学して廻るなど、新居建設へのこだわりが強かったようで、建物内部には随所に彼女の趣向が現れています。

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玄関内部では、正面に客間へと続く取次の間、左奥に茶の間へ続く入口と、公の空間と私的な空間を分ける工夫が見られます。天井板の張り方にも特徴が見られます。

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玄関脇にある客間。芙美子の原稿を待つ編集者たちが通された部屋です。

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作り付けの二段ベッドが備えられた使用人室。

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主屋北西に位置する台所。人造石洗い出しによる流し台は、小柄だった芙美子の身長に合わせて作られています。

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中庭に面した浴室。総檜造りの浴槽が置かれ、水滴が落ちないよう天井は斜めになっています。

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一家団らんの場だった、茶の間。南・西面に広縁を設け、ガラス戸越しに庭を眺められる開放的な空間で、二段押入れや収納式神棚など、機能的な収納も備えています。

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茶の間奥に設けられた小間。芙美子の母・キクが使用したといわれます。

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主屋の西側に、中庭を挟んで離れが建ちます。

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離れ・寝室。庭に面した南側を筵張りの傾斜天井とし、余計な装飾を排した、モダンな数寄屋造りと言えます。

 




寝室北側に続く、次の間。インド更紗の張られた押入れは、布団の収納に使用されていました。

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次の間北側の書庫。

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離れの中央に位置する書斎。芙美子が執筆に使用していた部屋で、雪見障子越しに庭を眺めることができます。

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書斎の北側には、裏庭に面して濡れ縁が設けられています。





離れの西端は、画家だった夫・緑敏のアトリエでした。邸内で唯一、椅子坐の部屋で、天井には大きく天窓が開けられています。

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アトリエでは、漆喰壁に、手斧削りを施した黒い梁や柱がアクセントになっています。

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旧林芙美子邸は、作家・林芙美子の終の棲家であるとともに、和風でありながらモダニズム的なデザインと機能性を兼ね備えた、優れた住宅建築でもあります。似たような試みとしては、吉田五十八(いそや)が自身の作品で表現した「近代数寄屋」が知られていますが、吉田の作品に比べ、旧林芙美子邸はより純粋な和風建築に近く、和風と近代の「融合」ではなく「和風そのものの近代化」という印象を受けました。

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瀬上嶋貫本家住宅 ~福島県福島市~

奥州街道沿いにある瀬上(せのうえ)嶋貫本家住宅は、江戸時代からの豪商だった嶋貫本家の住宅として、明治~大正にかけて建てられたものです。現在も敷地内にお住まいの嶋貫家により管理されており、事前予約制で一般公開されています(2017年11月3日訪問)。

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主屋は明治32年(1899)に建てられた、木造二階建ての近代和風建築です。東西に長い構造で、北側には大正2年(1913)に増築された離れが続いています。

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主屋一階南面に設けられた表玄関。当主や客用の玄関として使用されていました。

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現在は見学者の受付スペースになっている、一階・板の間。かつては厨房や食堂として使用され、奥の階段は二階の女中部屋に続いていました。

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一階西側の広間は、家族の居室として使用されていました。現在は、往時使用されていた調度品などが展示されています。

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居間の南面には入側が通されています。床には桜が使用されています。

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顧客台帳などが保管されていたという、一階の金庫。天井の意匠が見事です。

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主屋二階の大部分を占める、大広間。家族の寝室として使用されていました。

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大広間は南面に入側が設けられ、一面ガラス窓になっています。欄間には黒柿の自然木が使用されています。

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大広間外周の四つの板欄間には、松竹梅に蓮と、それぞれ違った透かしが施されています。

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主屋二階の洋間へ通じる階段。洋間への入口はこの階段のみで、二階の他の部屋からは行き来できない構造になっています。

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主屋二階の洋間。当主の執務室や応接室として使用されていました。

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洋間の照明はガラス製で、当初のものが現存しています。

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主屋の北側に続く、離れ二階。客用の寝室として使用され、付書院や琵琶床、秋田杉の折り上げ格天井、絹製の襖など、嶋貫本家において最も格調高く凝った造りになっています。

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組子の意匠が見事な、離れ二階の付書院。

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離れ二階・次の間。仕切欄間は梅の自然木とされます。

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当主と夫人の寝室として使用された、離れ一階。

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離れ一階の便所。陶器製の便器と、松の自然木や竹による意匠がなんとも上品です。

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便所個室の天井にも、ちょっとした遊び心が見られます。

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嶋貫本家はもともと上杉氏の家臣であったと言われ、江戸時代には武士の身分を捨てて「穀屋」と号し、金融業や酒造業の経営を始めます。その後、屋号を「大國屋」と変え、明治以降は大地主となりました。現在、主屋と離れ、文庫蔵、表門が残り、いずれも国登録有形文化財となっています。現在も行政が入らずに嶋貫家の方々により管理されており、案内して下さったご主人や奥様の温かいお人柄が印象に残る訪問となりました。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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