茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

日野の古い町並み ~滋賀県蒲生郡日野町~

滋賀県南東部に位置する日野町は、近江商人の一つ・日野商人発祥の地として、また戦国武将・蒲生氏郷で知られる蒲生氏ゆかりの地として知られる町です。

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日野にはもともと、商人と職人の町が形成されており、戦国時代の天文2年(1533)、六角氏の家臣だった蒲生定秀が西大路に日野城を築城すると、その城下町として整備されました。

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定秀の孫・氏郷は楽市楽座を導入するなど商工業振興を推進し日野は大いに発展しましたが、蒲生氏の会津への移封とその後の御家断絶により衰退、代わって漆器や合薬の行商で全国を回るスタイルが定着します。

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南大窪町の個人宅。南大窪町には、塀で囲まれた立派な旧家が多く残されています。

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南大窪町の個人宅。和風の主屋に、戦前の洋館が隣接して建てられています。

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南大窪町の旧山中兵右衛門邸。日野商人・山中兵右衛門の旧宅で、現在は近江日野商人館として公開されています。次回詳しく取り上げます。

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清水町の町並み。清水町にも古い民家が点在しています。

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大窪越川(えちがわ)町の町並み。蒲生定秀が日野城築城の際、愛知川(えちがわ)宿(現在の愛知郡愛荘町)から住民を移住させ城下町としたことから、「越川」と呼ばれるようになったようです。

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大窪にある旧正野玄三薬店。日野合薬の元祖「感応丸」の製造元で、現在は「日野まちかど感応館」として観光案内所になっています。

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旧正野玄三薬店の隣にある個人宅。塀の向こうに二階建ての立派な主屋が見えます。

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新町にある江戸時代の大庄屋・西田家住宅。左手の塀には、日野の旧家特有の「桟敷窓」が見られます。

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西大路の旧山中正吉邸。日野商人・山中正吉の旧宅で、「近江日野商人ふるさと館」として公開されています。次々回の記事で詳しく取り上げます。

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大字松尾の鮒吉。立派な料亭ですが、現在も営業しているのかは不明です。

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松尾や大窪周辺には、戦前の洋風建築もいくつか見られます。こちらは下見板張りとモルタルで仕上げられた、松尾の輪田歯科。

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大字大窪の洋館・旧住井歯科医院。設計はヴォーリズ設計事務所です。

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蒲生家の断絶後、行商を始めた日野商人は、当初日野椀と呼ばれる漆器を取り扱っていましたが、日野椀の人気が下火になると、正野玄三の感応丸をはじめとする合薬の行商がメインとなります。日野における製薬は明治以降も続き、太平洋戦争中には日野町内の製薬会社が合併して日野薬品工業株式会社が誕生、現在も現役の製薬会社として活躍しています。近江商人の町として知られる日野町ですが、同じ近江商人の町である近江八幡や五個荘と比べると観光客は少なく、落ち着いた雰囲気に包まれていました。

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脇町の古い町並み ~徳島県美馬市~

徳島県美馬市の脇町は、江戸中期~昭和に建てられた町家が多く残る地区で、「うだつの町並み」として全国的に知られています。

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もともとこの地には豪族・脇氏が居館を構え、室町末期には三好長慶が脇城を築城、それらの城下町として「脇村」が形成されていったと考えられます。江戸時代に入ると、撫養街道と讃岐への街道が交差する交通の要衝として徳島藩に注目され、阿波藍の集散地として発展しました。

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旧街道沿いに、うだつの上がった古い町家が建ち並びます。

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 ところどころ、虫籠窓が設けられた町家も見られます。


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美馬市観光資料館。明治時代に税務署の庁舎として建てられた木造の和洋折衷建築です。

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美馬市観光資料館の向かいにある、重厚な造りの近代和風建築。建物左隅が洋風のデザインになっています。

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平田家住宅。幕末~明治にかけて活躍した将棋名人・小野五平の生家です。

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宝永4年(1707)に建てられた、国見家住宅。脇町で最も古い建築です。

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宝永8年(1711)築の、田村家住宅。国見家住宅に次いで、脇町で二番目に古い建築です。

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町並みを東へ進むと、またしても重厚な造りの近代和風建築が。軒の反りが個性的です。

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さらに東へと町並みは続きます。

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道がクランクする辺りに、間口の広い立派な町家が二軒並んでいます。いずれも屋根の上には鴟尾が。

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大谷川を挟んで古い町並みの東方にある、オデオン座(脇町劇場)。昭和8年(1933)に建てられた擬洋風建築で、現在でも映画上映などに使用されています。

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かつては町並みのすぐ南を吉野川が流れており、現在でも道の駅の裏手には船着場の跡が残されています。

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現在は国の重要伝統的建造物群指定地区になっている脇町ですが、これだけ古い建築が隙間を空けずに残っている例は珍しく、以前訪れた愛媛県の内子とともに、四国を代表する町並みとなっています。

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次回は脇町にある豪商の邸宅・吉田家住宅をご紹介します。

 
 
 
 

青梅の古い町並み ~東京都青梅市~

東京都西部にある青梅市は、江戸時代には石灰や綿織物の産地として、また青梅街道の旅人や御嶽山への参拝者が集まる宿場町として栄えました。現在でも旧青梅街道沿いを中心に、古い町家や看板建築が点在しています。

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青梅駅から旧青梅街道を西に進むと見えてくる、旧ほていや玩具。二階部分の造りが個性的な看板建築で、現在はカフェとして使用されています。

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旧街道沿いの石川薬品と大正庵。いずれも古い看板建築です。

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森下町の柳屋。現在は茶を中心に取り扱っていますがかつては米屋で、出桁造りの立派な主屋は明治初期に建てられたものです。

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森下町にある旧稲葉家住宅。稲葉家は木材や青梅縞の仲買を営んでいた豪商で、江戸後期に建てられた主屋と、その北側には明治期に建てられた珍しい三階建ての土蔵が残ります。

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旧街道を東へ戻ります。こちらは青梅駅前にある個人宅。戦前の洋風建築で、正面の外壁は花崗岩、側面はモルタル吹き付けになっています。

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旧街道を東へ進みます。こちらも戦前の看板建築・ヘアーサロンよしざわ。奥には同じく戦前の看板建築であるスミレ写真館の建物が残っています。

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住江町の住吉神社。市内で最も大きな神社で、毎年5月の連休中には、「青梅大祭」と呼ばれる大規模な祭が開催されます。

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住江町の昭和レトロ博物館(右)と赤塚不二夫記念館(左)。青梅市では「昭和レトロ」を掲げた町おこしを行っていますが、どちらもその中心的な施設です。

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旧街道から一本入った、住江町の旧花街にある和食料理店・寿々喜屋。花街の面影を感じさせる、3階建ての和風建築です。

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住江町にある旧岩波土建。大正~戦前くらいの洋館でしょうか。

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住江町にある旧津雲邸。昭和の国会議員・津雲國利の邸宅として昭和9年(1934)に建てられたもので、内部には数々の豪華な意匠が見られるようです(訪問時は館内展示替えのため休館中でした)。ちなみに、この隣には定食屋・もりたやの立派な建物があったはずなのですが、残念なことに既に取り壊されていました。。

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JR青梅線の北側、青梅市本町に残る割烹・和田市。割烹としては閉業していますが、戦前の典型的な洋館付き和風建築の遺構です。

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旧街道をさらに東へ進み、西分町に入ります。西分町にも、旧街道沿いに古い建物が点在します。

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青梅は東京都内とは思えないくらい古い町並みが良く残されていますが、近年、もりたやをはじめ、古い建物が少しずつ失われているようで、今後が危惧される状況です。青梅市では古い映画看板を市内の至る所に飾り「昭和レトロ」を演出していますが、演出だけではなく、本物の古い建物が今後も長く保存されていくことを願います。

 
 
 
 

五個荘の古い町並み ~滋賀県東近江市~

滋賀県東近江市の五個荘(ごかしょう)は、近江商人の一つ・五個荘商人発祥の地で、現在でも古い町並みが良く残されています。2015年5月に訪れました。

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水路沿いの白壁が美しい、金堂町の弘誓寺。金堂町は五個荘の町並みにおいて中心的な地区で、水路沿いに古い民家が並ぶ、情緒的な風景が見られます。

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金堂町の通称「あきんど通り」。左手には「近江商人屋敷」として公開されている、旧外村(とのむら)繁邸と旧外村宇兵衛邸が続きます。

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旧外村繁邸は、芥川賞作家・外村繁の生家で、明治期に外村宇兵衛家から分家したものです。現在は外村繁文学館として公開され、二階建ての主屋と、茶庭風の庭園が残されています。

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旧外村繁邸に隣接する、旧外村宇兵衛邸。金堂町に残る3つの近江商人屋敷の中で、最も規模が大きなものです。

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旧外村宇兵衛邸には、明治期のものと思われる池泉庭園や、露地風の庭が残されています。

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旧外村宇兵衛邸を後にし、さらに金堂町を歩きます。

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金堂町北側の町並み。左手には、近江商人屋敷として公開されている旧中江準五郎邸があります。

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旧中江準五郎邸の主屋と庭園。大正~戦前にかけて中国・朝鮮半島で三中井(みなかい)百貨店を展開し「百貨店王」と呼ばれた、中江勝次郎の生家で、中江準五郎はその弟にあたります。

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金堂町の西南に位置する、川並町の町並み。現在も狭い路地沿いに古い家並みが残されています。

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金堂町の北東・宮荘町にある、旧藤井彦四朗邸。

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藤井彦四朗は、「スキー毛糸」の製造で知られる藤井糸店の創業者で、本邸は昭和9年(1934)に建てられたものです。

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旧藤井彦四朗邸の洋館内部。洋館はヨーロッパの古民家をイメージして設計されたもので、客殿として使用されていました。

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旧藤井彦四朗邸には池泉回遊式の庭園が残ります。造形的魅力に欠ける景観主体の自然主義庭園ですが、エメラルドグリーンの池泉は息を飲む美しさでした。

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五個荘はもともと稲作中心の農村でしたが、低湿地で水害が多く、農業だけでは生活が苦しかったため、江戸時代には副業として行商を行う者が現れ、これが五個荘商人の起源となりました。なお、訪問時は時間切れで回れませんでしたが、金堂町の南方・山本町にも、五個荘商人の町並みが残されています。

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蒲原の古い町並み ~静岡県静岡市~

静岡市東部に位置する蒲原は、古く中世には蒲原城の城下町、江戸時代には東海道の宿場町として栄えました。JR新蒲原駅の北方、東西に延びる旧東海道沿いには、現在も古い建物が残り、宿場町の面影を残しています。

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蒲原宿の西境だった西木戸址から、旧東海道を歩きます。元禄12年(1699)の津波により、それまで海沿いを通っていた東海道は山側に付け替えられたため、西木戸の辺りで道が北へ直角に曲がっています。

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旧街道沿いには、古い町屋や昔からの商店が点在します。

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旧志田邸付近。右手の町屋が醤油の醸造業を営んでいた志田家、左手には前回ご紹介した五十嵐歯科医院のライトグリーンの壁が見えています。

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安政2年(1855)に建てられた志田邸。現在は資料館として一般公開されています。

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明治42年(1909)築の磯部家住宅。二階建ての重厚な和風建築で、一階の窓ガラスにはもみじの模様が施されています。

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本町会館。側面にはレンガによる防火壁が見られます。

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蒲原宿本陣址。現在は佐藤家の所有となり、敷地内には大正期に建てられた木造二階建ての洋館が残されています。





かつて「和泉屋」という名の旅籠だった鈴木家。現在の建物は天保年間(1830~1844)に建てられたもので、手摺や引き戸の櫛形の意匠が特徴的。

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旧街道をさらに東へと進みます。

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海鼠壁が印象的な、「塗り家造り」の吉田家。かつては僊華堂という屋号の和菓子屋でした。

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同じく塗り家造りの佐藤家。こちらもかつては佐野屋という屋号の商家でした。

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出桁造りの立派な町屋も見られます。

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渡辺家に残る3階建ての土蔵。渡辺家はかつて木材を扱う問屋で、「木屋」を屋号としていました。

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蒲原宿東端となる、東木戸址。道を屈曲させた「喰い違い」が見られます。

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蒲原は静岡県内の旧東海道宿場町としては、その面影を比較的よく残しています。旧街道沿いには至る所に解説板が設置され、古い町並みを残していこうする地元の姿勢が感じ取れます。なお、蒲原は中世まで蒲原城の城下町で、戦国時代には、今川、北条、武田、徳川と、次々と領主が変わり、現在でも旧街道の北方に聳える城山(蒲原城址)には戦国期の郭址や堀切などの遺構が残されています。


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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