茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

江津本町の古い町並み ~島根県江津市~

山陰探訪3日目、小川庭園からバスで江津市街へ移動し、赤瓦屋根の古い町並みが残る江津本町へ。

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江津は、「中国太郎」の異称をもつ一級河川・江の川河口に位置し、古くから港町として栄えてきました。江戸時代は、天領として幕府の管理下にあり、北前船の寄港地でもありました。

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赤瓦屋根の多い町並みにあって、黒瓦が目立つ藤田佳宏家。かつて江津町長も務めた藤田龍夫氏の居宅で、江戸末期に建てられた主屋と、明治期に建てられた門や土蔵が残り、いずれも国の有形文化財に登録されています。

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旧山陰道沿いにある、円覚寺。浄土宗本願寺派の寺院です。

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町並みのほぼ中心、山辺神社参道脇に、大正15年(1926)に建てられた旧江津町役場があります。

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鉄筋コンクリート及び木造二階建ての洋風建築で、正面パラペットや、壁面のアール・デコ風のデザインが秀逸です。

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現在は「江津本町甍街道交流館」として一階部分のみ公開されています。

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旧山陰道沿いに残る、藤田家住宅主屋。藤田家は廻船業で財を成した豪商、嘉永6年(1853)に建てられた主屋をはじめ、土蔵、門などが国の有形文化財に登録されています。

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旧山陰道から藤田家住宅の脇を南へ入ります。

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旧山陰道の一本南の通りには、本町川が流れます。

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本町川通り沿いには、赤瓦屋根の古民家が密集しています。

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川通り沿いの横田家住宅(右)。横田家も回漕業(海運業)により材を成した豪商で、「沖田屋」を屋号としていました。

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古い民家の合間で一際目立つのが、旧江津郵便局です。

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旧江津郵便局は、明治20年(1887)頃に建てられた木造二階建ての擬洋風建築です。現存最古の郵便局舎といわれ、長年荒廃していましたが修復により往時の姿を取り戻しました。

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本町川沿いで最も広い敷地を有しているのが飯田家住宅です。初代江津市長の家で、かつて裏手には「二楽閣」と呼ばれた別邸もありました。

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旧山陰道に戻ると目に入ってくる、花田医院。昭和12年(1937)に建てられた和風建築で、一階には洋風の意匠も見られます(国登録有形文化財)。

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町並み北東部にある個人宅。資料がなく詳細は不明ですが、昭和初期頃のものと思われる洋館です。

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江津は江戸時代から昭和初期にかけて、石見地方有数の都市として繁栄しましたが、鉄道開通により衰退します。昭和37年の市庁舎移転に伴って市の中心も北方へと移りましたが、江津本町だけは時代に流されずに、昔ながらの風景を今に残しています。

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【再訪】温泉津の古い町並み ~島根県大田市~

山陰探訪3日目は、島根県大田市の温泉津(ゆのつ)からのスタートです。温泉津の町並みは2年前に訪問し当ブログでも紹介していますが、改めて取り上げたいと思います(2年前の記事はこちら)。

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温泉津は大森(石見)銀山の西方に位置し、古くから港町として、またその名の通り温泉地としても栄えてきました。JR温泉津駅の北方、温泉津の温泉街は、鄙びた温泉街としての雰囲気を色濃く残しています。




温泉街の入口付近に建つ、内藤家庄屋屋敷。大内氏や毛利氏に仕えて銀山奉行を務めた内藤氏の住居で、現在も内藤氏の末裔の方が居住されています。2年前に温泉津を訪れた際は、当主の18代内藤又座衛門さんから色々とお話を伺うことができました。

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温泉街入口付近の個人商店。町屋の一部をモルタル塗りの洋風ファサードとした、ユニークな近代建築です。

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内藤家庄屋屋敷の先を進むと道は右手に折れ、古くからの商店や旅館が見えてきます。

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古くから港町だった温泉津は、中世に入ると大森(石見)銀山からの銀輸送の仕立港としてさらに発展しますが、近世以降は徐々にその役割を広島や岡山に奪われ、銀の涸渇も重なって衰退していきます。

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江戸時代には主に北前船の寄港地としての役割を担いますが、近代に入ると鉄道や国道9号線の開通により、急速に衰退しました。しかし近代的な発展から取り残されたことで、時が止まったかのように古い町並みが今日まで残ることとなりました。

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通り沿いには、昭和初期のものと思われる洋風建築も見られます。一階は改造されていますが、頂部のメダイヨンや雷紋の意匠は見事です。

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昭和初期のものと思われる立派な個人宅。

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温泉街の中心には温泉旅館が建ち並びますが、その温泉の湯元の一つが薬師湯です。昭和29年(1954)に建てられたレトロな外観の新館と、その奥にある大正8年(1919)築の旧館から構成されます。

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薬師湯旧館は木造二階建ての擬洋風建築で、一階は改造されているものの、全体的に大正期の建築意匠をよく残しています。

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薬師湯の入浴施設としての機能は新館に移り、旧館は一階がカフェとギャラリー、二階座敷は入浴客用の有料休憩所として活用されています。

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温泉街奥部に向かい合う、もう一つの湯元・元湯温泉。薬師湯よりも古い湯元で、1300年の歴史を誇ります。2年前に立ち寄りましたが、湯治場らしい激熱のお湯で、腰から下しか浸かることができなかったのを記憶しています。。

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温泉街には古くからの旅館が多く存在しますが、そのほとんどが現在も営業しているのか不明です。

 
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温泉街の中にある、龍御前神社。天文元年(1532)の創建とされ、北前船の守り神として信仰を集めました。

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龍御前神社の社殿背後の崖には「龍岩」と呼ばれる奇岩があります。龍の頭のような形状の岩で、この岩が神社の名称の由来になったのでしょう。

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温泉街からやや離れたところにある、温泉津港。三方を丘陵に囲まれた天然の良港で、北部には銀の積出港だった頃の遺構も残されています(2015年9月撮影)。

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温泉津は平成16年(2004)、国の重要伝統的建造物群指定地区に指定され、平成19年には「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界文化遺産にも登録されています。2年前の訪問時は観光客がほとんど見られませんでしたが、今回は町を歩く人の姿が増えているような気がして、少し安心しました。この町並みがいつまでも保存されることを願います。

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吉田の古い町並み ~島根県雲南市~

山陰探訪2日目、櫻井家庭園から車で移動し、雲南市吉田町の古い町並みを訪れます。

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吉田は、奥出雲町の絲原家櫻井家とともに「出雲鉄師御三家」と呼ばれた田部(たなべ)家を中心に、たたら製鉄により発展した町です。

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明治の町村制施行により飯石郡吉田村となりますが、平成16年(2006)に三刀屋(みとや)町や掛合(かけや)町など周辺の町村と合併し、雲南市吉田町となりました。





現在でも本町通り沿いを中心に、古い町並みが残されています。

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本町通りに入るとすぐ見えてくるのが、田部家の土蔵群です。江戸中期から明治期までに建てられた多数の土蔵が並ぶ様は圧巻です。

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かつての庄屋屋敷を改装した古民家カフェ。築150年以上経っているそうです。

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本町通り沿いにある、吉田町商工会館。吉田信用購買販売利用組合の事務所として昭和初期に建てられた擬洋風建築です。

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本町通り沿いには、古い町屋が点在しています。いずれも、屋根は山陰地方でよく見られる石州瓦(赤瓦)で葺かれています。

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本町通り沿いには、「鉄の歴史博物館」と呼ばれる博物館があります。

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博物館では、たたら製鉄の技法や歴史に関する資料を展示しています。絲原家住宅の記事でも触れましたが、江戸時代、出雲地方における製鉄業は松江藩の保護を受け、その鉄生産量は全国の7割近くを占めていたと言われます。

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江戸時代、藩の保護を受け発展した出雲の製鉄業でしたが、明治以降は廃藩置県や西洋の製鉄技術の輸入により急速に衰退し、田部家による製鉄も大正期を最後に廃業となりました。範囲が限定的ではありますが、吉田には製鉄業が盛んだった頃の面影が色濃く残っており、本町通りからやや離れた山内(さんない)地区には、かつてのたたら場も現存しています(菅谷たたら高殿)。

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多賀の古い町並み ~滋賀県犬上郡多賀町~

古くから多賀大社の門前町として栄えてきた多賀、現在も多賀大社表参道である絵馬通りには、古くからの建物が点在し、門前町の雰囲気を残しています。

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多賀大社前駅から多賀大社方面へ続く絵馬通りの入口、大鳥居の脇に古い旅館建築が残ります。現在は「もんぜん亭」として、地域のコミュニティスペースとして利用されているようです。

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絵馬通りを多賀大社に向かって歩を進めると、右手にモルタル壁の瀟洒な和洋折衷建築が見えてきます。現在も個人宅として使用されています。

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小川を渡るとT字路に突き当ります。左へ進むと、古い民家がぽつぽつ現れます。

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通りが東へ折れる辺りから、古い民家が多くなってきます。こちらの町屋は二階部分のファサードとうだつに洋風の意匠が見られます。

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国の有形文化財に登録されている老舗料亭旅館・かぎ楼。ベンガラ仕立ての壁と3階建ての楼閣が特徴的な和風建築で、明治10年(1877)竣工、大正年間に増築されています。

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かぎ楼から絵馬通りをさらに歩くと、本格的に古い建物が多くなってきます。

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二階建ての主屋が立派な個人宅。大正〜昭和初期頃の建築でしょうか。

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多賀大社に近づくにつれ、飲食店や土産店が増えてきます。今回訪問時は絵馬通りの路面工事中でしたが、街灯やベンチが新設されるなど、以前とはだいぶ雰囲気が変わっていました。

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鳥居のすぐ近くには、土産店が建ち並んでいます。夕方だったのでシャッターが閉まっていますが、日中は観光客で賑やかになります。

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※ 以下、2014年訪問時の写真です。


絵馬通り沿いのかめや旅館。かぎ楼の向かいにあり、かぎ楼と同じく国の有形文化財に指定されています。

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現在かめや旅館が営業しているのかは不明ですが、大正13年(1924)竣工の本館は、向かいのかぎ楼とともに多賀の町並みのシンボル的存在になっています。

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道路整備前の絵馬通り。現在と比べ鄙びた雰囲気です。

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『古事記』にも登場する古社・多賀大社。現存の建造物はほとんどが明治以降に再建されたものですが、森に囲まれた境内は、いつ来ても神秘的な空気に包まれています。

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道路が整備されたり古民家を利用した新しいカフェが増えたりと、少しずつ雰囲気が変わりつつある多賀ですが、賑やかさと静けさを兼ね備えたような独特の雰囲気は以前から変わらず、何度訪れても不思議な魅力を感じさせてくれる町並みです。

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日野の古い町並み ~滋賀県蒲生郡日野町~

滋賀県南東部に位置する日野町は、近江商人の一つ・日野商人発祥の地として、また戦国武将・蒲生氏郷で知られる蒲生氏ゆかりの地として知られる町です。

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日野にはもともと、商人と職人の町が形成されており、戦国時代の天文2年(1533)、六角氏の家臣だった蒲生定秀が西大路に日野城を築城すると、その城下町として整備されました。

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定秀の孫・氏郷は楽市楽座を導入するなど商工業振興を推進し日野は大いに発展しましたが、蒲生氏の会津への移封とその後の御家断絶により衰退、代わって漆器や合薬の行商で全国を回るスタイルが定着します。

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南大窪町の個人宅。南大窪町には、塀で囲まれた立派な旧家が多く残されています。

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南大窪町の個人宅。和風の主屋に、戦前の洋館が隣接して建てられています。

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南大窪町の旧山中兵右衛門邸。日野商人・山中兵右衛門の旧宅で、現在は近江日野商人館として公開されています。次回詳しく取り上げます。

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清水町の町並み。清水町にも古い民家が点在しています。

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大窪越川(えちがわ)町の町並み。蒲生定秀が日野城築城の際、愛知川(えちがわ)宿(現在の愛知郡愛荘町)から住民を移住させ城下町としたことから、「越川」と呼ばれるようになったようです。

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大窪にある旧正野玄三薬店。日野合薬の元祖「感応丸」の製造元で、現在は「日野まちかど感応館」として観光案内所になっています。

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旧正野玄三薬店の隣にある個人宅。塀の向こうに二階建ての立派な主屋が見えます。

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新町にある江戸時代の大庄屋・西田家住宅。左手の塀には、日野の旧家特有の「桟敷窓」が見られます。

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西大路の旧山中正吉邸。日野商人・山中正吉の旧宅で、「近江日野商人ふるさと館」として公開されています。次々回の記事で詳しく取り上げます。

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大字松尾の鮒吉。立派な料亭ですが、現在も営業しているのかは不明です。

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松尾や大窪周辺には、戦前の洋風建築もいくつか見られます。こちらは下見板張りとモルタルで仕上げられた、松尾の輪田歯科。

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大字大窪の洋館・旧住井歯科医院。設計はヴォーリズ設計事務所です。

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蒲生家の断絶後、行商を始めた日野商人は、当初日野椀と呼ばれる漆器を取り扱っていましたが、日野椀の人気が下火になると、正野玄三の感応丸をはじめとする合薬の行商がメインとなります。日野における製薬は明治以降も続き、太平洋戦争中には日野町内の製薬会社が合併して日野薬品工業株式会社が誕生、現在も現役の製薬会社として活躍しています。近江商人の町として知られる日野町ですが、同じ近江商人の町である近江八幡や五個荘と比べると観光客は少なく、落ち着いた雰囲気に包まれていました。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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