茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

臥龍山荘 ~愛媛県大洲市~

今月から8回にわたり四国の庭園をご紹介してきましたが、今回の記事で最後となります。最後は4日目に訪ねた愛媛県大洲市の臥龍山荘です。3年ほど前にも一度訪れ、当ブログでも以前紹介していますが、過去の記事を再度編集し、改めて取り上げます。

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臥龍山荘は明治40年(1907)、豪商・河内寅次郎の別荘として造営されました。肱川沿いの断崖上に庭園(露地)と、臥龍院、知止庵、不老庵の三棟の数寄屋建築が残されています。

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山荘は城郭のような石垣の上にあります。

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臥龍院と庭園。

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臥龍院は山荘の主屋で、建物内部には優れた意匠が見られますが、撮影禁止のため建物内のご紹介はできません。。





庭園のほぼ中央にある、知止庵。当初は浴室として建てられたようですが、昭和24年(1949)に茶室へと改造されています。

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苔で埋め尽くされた庭園には、様々な意匠の飛石が見られます。

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庭園の南端に、不老庵が建ちます。

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不老庵は、断崖に張出して建てられた懸造り(崖造り)の建物で、広間と小間(非公開)から構成されます。

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不老庵広間。西側前面を踏込床としています。

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不老庵広間の天井は竹の網代張りで、船底のような珍しい形状をしています。

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広間は三方に大きく窓をとり、高欄を巡らしています。。晴れの夜には、肱川の川面に映った月の光が天井に反射し、広間を明かるくするように設計されています。

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不老庵から肱川を望む。



もともと当地には、戦国末期に大洲城主であった藤堂高虎の家臣・渡辺勘兵衛が造った庭園があり、その後大洲城に入った加藤㤗恒により庭園が整備されたと伝わります。時代は下って、明治の貿易商・河内寅次郎が、荒れ果てていた庭園址を整備し、現在の山荘を築きました。創建から100年以上経った現在も、周囲の自然と見事に調和し、風景を型作っています。

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次回からは、今回の四国探訪で訪ねた、古い町並みや建築などを取り上げていきます。


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保国寺庭園 ~愛媛県西条市~

四国探訪3日目、この日は愛媛県へ移動し、西条市郊外にある保国寺へ。保国寺はもともと聖武天皇の勅願寺として創建され、現在は臨済宗東福寺派に属する寺院です。本堂裏手にある庭園は室町時代作庭と推定され、本堂の南から西にかけて池泉を穿ち、正面となる南西部に枯滝石組、その手前に中島(亀島)を配した池泉観賞式庭園です。






蓬莱石組も兼ねた枯滝石組。使用されている石は決して大きなものではありませんが、頂部の遠山石をはじめ、立石による意欲的な石組が見られます。

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枯滝の南部(左手)にも小ぶりの枯滝石組が見られます。

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南部枯滝石組。平石により枯流れを構成しています。

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枯滝手前に浮かぶ亀島。手脚石はほとんど失われていますが、右手の亀頭石は良好な状態で残されています。

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亀島と池泉西岸の出島には石橋が架けられていますが、これは後世のものとされます。

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亀島と西部出島の石組意匠。山畔には三尊石組も見られます。

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池泉南部山畔の石組。

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保国寺には、本堂手前にもう一つの池泉庭園があります。

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本堂手前の庭園は、手法的に江戸時代のものと考えられており、やや弱めではあるものの、立石を用いた石組はなかなかのものです。

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保国寺庭園の明確な作庭時期は不明で、足利義満の命で宗阿弥が作庭したする説があるようですが、様式や手法からしてもっと後の永享年間(1429~1441)、大愚和尚の頃の作庭と考えられています。宝暦2年(1752)に現本堂が再建された際、池泉の本堂側が埋められたようで、当初に比べ庭園の規模は小さくなっているようです。が、枯滝をはじめ、立石を多く用いた石組はどれも躍動的で、四国随一の名庭であることには変わりありません。

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東林寺庭園 ~徳島県美馬市~

四国探訪2日目、多聞寺から徳島方面へ折り返して、美馬市脇町の東林寺を訪ねます。

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東林寺は大永2年(1522)に開創したと考えられる、浄土宗知恩院派の寺院です。本堂裏手には、室町時代末期の作庭と推定される鑑賞式枯山水庭園があります。

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庭園は北部(左手)に枯滝石組を設け、枯池東部(右手)に中島(亀島)を配しています。池に水が張られていた時期もあったようですが、現在は当初のとおり枯池に戻されています。

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亀島と、これに架かる石橋。石組には、徳島県内の他の庭園と同様、緑泥片岩(青石)が多用されています。

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亀島の亀頭石。

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枯池北部の枯滝石組。一般的には龍門瀑とされているようですが、最近になって大幅に改変されているようで、雑然とした石組になっているのが残念。。

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枯滝上段。

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枯滝周辺の護岸石組は比較的旧態を留めていると思われ、立石や臥石を織り交ぜた力強い石組が見られます。

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東林寺庭園の明確な作庭時期等は不明ですが、様式や手法は室町時代のものとされ、また天文2年(1533)に室町幕府管領・細川晴元の被官だった三好長慶が寺の営繕を行なった記録があることから、大永2年から天文2年の間に作庭されたものと推定されています。

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なお、脇町はうだつの町並みで知られていますが、そちらはまた改めてアップさせて頂きます。

 
 
 
 

多聞寺庭園 ~徳島県美馬郡つるぎ町~

四国探訪2日目、願勝寺から30分ほど車を走らせ、つるぎ町の山間にある多聞寺を訪れます。

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多聞寺は、元禄11年(1698)頃この地に移建された真言宗御室派の寺院です。本堂裏手にある庭園は、山畔を利用し、南北に細長い池泉を穿った池泉鑑賞式庭園です。

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山畔のほぼ中央に、三段構成の枯滝石組があります。

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枯滝上段。三尊石組となっています。

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枯滝下段は、阿波青石の巨石を用いた豪快な石組が見られます。水落石の下部に鯉魚石を配した龍門瀑の石組で、右にやや傾斜した鯉魚石は、前回ご紹介した願勝寺庭園のものと酷似しています。

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枯滝石組と石橋。

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滝石組以外にも、頂部の遠山石から、山畔を埋め尽くすように多くの石組が見られます。

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滝石組右手にある石組は、洞窟石組にも見えます。

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庭園南部には巨石による蓬莱石組も見られます。

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多聞寺庭園の明確な作庭時期は不明ですが、前回ご紹介した願勝寺や京都・天龍寺と龍門瀑の石組手法が似ていることから、鎌倉~南北朝時代に作庭されたものと推定されています。なお、多聞寺は自動車でないとアクセスが厳しい所にあるのですが、所々道幅が車一台分しかなく、カーナビにも寺の位置が正確に表示されなかったので、訪問される方は十分注意して下さい。

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願勝寺庭園 ~徳島県美馬市~

四国探訪2日目、徳島市街でレンタカーを調達し、徳島県内の庭園を回ります。最初に訪れたのが石井町の童学寺でしたが、最近火災で本堂が焼失した影響で庭園の拝観ができなかったため、次に訪れた願勝寺庭園からご紹介します。

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願勝寺は奈良時代に起源を持つ真言宗御室派の寺院で、本堂裏手には鎌倉〜南北朝時代に作庭されたとされる枯山水庭園が残ります。

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庭園北西部の山畔には、龍門瀑形式の優れた枯滝石組が見られます。





枯滝下段。水落石と添石には青石を使用し、水落石の下部に鯉魚石を配しています。

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龍門瀑の石組は、水落石より滝添石の方が高いことや、鯉魚石の手法から、京都・嵐山の天龍寺と酷似すると言われています。

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枯滝頂部の石組。弁天堂建立時に大幅に改変されており、当初の面影は残っていません。

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枯滝下部の護岸石組。青石を用いた力強い造形意匠が見られます。

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枯滝北部山畔の遠山石と護岸石組。

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庭園の枯滝より南部(左手)は、江戸時代以降に大きく改変されています。

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枯池南部の石橋と護岸石組。石橋の奥には、石組による亀島も見られます。いずれも江戸時代以降のもの。

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願勝寺庭園の作庭についての記録は残されていませんが、①山畔の石組が南北朝期の手法であること、②龍門瀑の石組が天龍寺のそれと同様の手法であること、③南北朝期の当地の豪族・細川頼春が、天龍寺開創に携わった足利尊氏と懇意だったこと、などの理由から、南北朝期に作庭されたとする説が主流となっています。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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