茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

立花氏庭園(御花)① 松濤園 ~福岡県柳川市~

福岡県柳川市にある料亭旅館「御花」は、元文3年(1738)に造営された柳川藩主・立花氏の別邸跡です。敷地内には、明治43年(1910)に築かれたとされる池泉観賞式庭園が広がります。

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庭園は宮城県の松島を模したものとされ、「松濤園」と呼ばれています。東西に長い池泉に中島二島と無数の岩島が配置され、池泉周囲には小ぶりの松が多数植栽されています。

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池泉東部は汀が入り組み、池中には中島が配置されています(写真左奥)。

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中島には立石を中心とした見事な石組が見られます。明治期のものとは思えない、意欲的な石組です。

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中島南部対岸には出島が見られ、地割に変化をつけています。

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中島の北部対岸にも、細長い出島が設けられています。池泉北岸には石組がほとんど見られません。

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中島手前には、石組による無数の小島が配置されています。ただ石をちりばめただけで、これといった意匠は見られません。

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池泉西部の中島。亀島とされます。

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庭園の北側には、庭園と同時期に造営された大広間があります。

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大広間は立花家14代当主・寛治(ともはる)の住居として、隣接する洋館などとともに建てられたものです。

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大広間は3つの部屋で構成され、全体で百畳の広さがあるとされます。東西両端には床の間と付書院が設けられています。

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大広間北側に建つ洋館。次回、詳細を紹介します。

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洋館東側に建つ家政局。大広間、洋館、家政局は廊下で連結されています。

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大広間は今年に入り修復工事が完了、家政局は今後1年半かけて修復工事が行われる予定です。

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御花にはもともと江戸時代に築かれた池泉廻遊式庭園があり、松濤園の東にある池(東庭園)がその遺構とされます。江戸時代に描かれた『御花庭園図』には2つの中島が描かれていますが、現在は消滅し、石組なども撤去され庭園としての面影は失われています。なお重森三玲の『日本庭園史大系』では松濤園の起源を江戸初期としていますが、これは東庭園と松濤園を混同しているものと思われます。

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光明禅寺庭園 ~福岡県太宰府市~

 光明禅寺は、福岡県太宰府市にある臨済宗東福寺派の寺院です。境内には昭和32年(1957)、重森三玲により作庭された二つの枯山水庭園があります。





主庭にあたる書院後庭は「一滴海の庭」と名付けられています。苔で大陸を、白砂で海を表現した池庭式枯山水です。

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書院前庭では、立石や岩島手法の力強い石組が随所に見られます。石材は当地にあった古庭園の遺構のものと、寄贈されたもののみ利用しています。

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庭園西部。三尊手法の石組が数ヵ所に見られます。

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庭園北西部にある三尊風の石組。

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曲線を多く用いた、洲浜状の地割。





南東部から庭園を見る。密生する楓は、作庭以前から当地にあったものです。

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庭園南部の石組。

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東部山畔の石組。重森三玲作庭以前の遺構かもしれません。

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書院前庭は平庭式枯山水で、「仏光石庭」と名付けられています。

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「仏光石庭」は「光」の字を表現したものとされ、中央に三尊石組、周囲には七五三式に石組を配置しています。

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光明禅寺は文永17年(1273)、鉄牛円心和尚により開創されました。円心和尚は菅原氏の出身で、光明禅寺は創建以来、菅原道真を祀る太宰府天満宮とは深い関係にあります。庭園を作庭した重森三玲は昭和日本庭園における巨匠で、京都の東福寺や松尾大社をはじめ数多くの庭園を手掛けるとともに、古庭園の研究・修復でも大きな功績を残しています。

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妙経寺庭園 ~大分県杵築市~

 杵築市にある妙経寺は、前回取り上げた長昌寺の西方にある、日蓮宗の寺院です。書院裏手には、安永4年(1775)作庭と伝わる枯山水庭園が残されています。

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庭園は北部の山畔を築山に見立て、江戸中期らしく、中央に出島を設けた凹字型の地割となっています。





中央の出島付近と枯滝石組(左奥)はこの庭の最大の見所で、18世紀後半の庭園としては傑出した石組が見られます。

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出島上部には三尊石組を中心に、力強い見事な石組が見られます。

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枯滝石組も頂部を三尊手法とし、周囲にも大振りの石を用いた力強い手法となっています。

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西部方面から見た庭園。枯滝手前には沢渡り風の飛石が打たれていますが、作庭当初からの意匠なのかは不明です。





庭園東部に架かる太鼓橋風の石橋には、この庭の作者・淡州住秦治郎兵衛兼利の銘が刻まれているそうです。

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砂敷部分の三尊風の岩島。

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庭園東端部分の石組。護岸は丸みを帯びた石が散見され、後世に改変を受けているかもしれません。

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妙経寺は慶長10年(1605)に創建された常顕寺を起源とし、その後現在地へと移建され宝永6年(1709)妙経寺と改められました。

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庭園は長い間荒廃していましたが、近年になって日本庭園研究会により作庭当初の姿に復元されています。管理人が訪れたのは、一日中、雨の中杵築の町並みを歩き回った後でしたが、奥様と小学生?の息子さんのお気遣いには、心温まる思いでした。



次回は北九州市に移動し、門司港周辺の近代建築群を回ります。


 
 
 
 

長昌寺庭園 ~大分県杵築市~

古い町並みの残る杵築、南台武家屋敷跡の西方には寺町がありますが、その一画にある長昌寺(ちょうしょうじ)には、九州随一と評される枯山水庭園があります。

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庭園は書院北部に展開し、東西に二つの築山を並べ、その前面を砂敷としています。

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東部築山は規模が大きく、斜面は石組とサツキ類の植栽で覆われています。

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東部築山の下部は出島となり、亀出島とされます。

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東部築山の西寄りには、枯滝石組が設けられています。この庭で最も豪華な石組になっています。

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枯滝石組の西部にある出島。亀出島と向き合う形になっており、鶴出島とされます。

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二つの築山の間は渓谷風となります。

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渓谷上部には石橋が渡され、二つの築山を繋いでいます。一種の玉澗流ともされます。

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西部築山と石組。西部築山は東部築山と比べ小規模なものになっています。

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前面の砂敷部分には飛石が打たれています。

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長昌寺は、播磨国三田にあった松岳寺を起源とし、正保2年(1646)、杵築藩初代藩主・松平英親により当地へ移され、長昌寺と改称されました。庭園は慶安年間(1648〜1652)に築かれたものと推定されています。

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次回は、同じく杵築の寺町にある、妙経寺の枯山水庭園を取り上げます。


 
 
 
 

萬福寺庭園 ~島根県益田市~

山陰探訪最終日、最後に益田市の萬福寺を訪ねます。境内には医光寺と同様、室町期の画僧・雪舟作庭と伝わる庭園が残されています。

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庭園は本堂北側から書院北側にかけて展開する池泉観賞式の蓬莱庭園です。池泉の北側から東側にかけて築山を設け、池泉中央と東部に出島を、池泉北東部には枯滝石組を設けています。





築山には集団石組が見られます。石組は、頂部の須弥山石から渦巻状に築山を降りる意匠になっています。

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池泉北東部の枯滝石組と出島。室町期らしい、力強さと優美さを兼ね備えた石組が見られます。





護岸石組も、気品に満ちた見事なものになっています。




庭園西部、池泉から離れた位置に、三尊風の石組が見られます。




萬福寺はもともと平安時代に建立された安福寺を起源とし、応安7年(1374)、益田兼見(かねはる)によって萬福寺と改められ、当地へ移建されました。本堂は寺が当地に移建された時の建築で、重要文化財に指定されています。

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今回が二度目の訪問でしたが、萬福寺庭園は日本庭園の石組の持つ魅力を気づかせてくれた、管理人にとって思い入れの深い庭です。築山の集団石組をはじめ、抽象的な石組の存在感には、ただただ圧倒されます。この庭を見るたび、空間芸術たる日本庭園の本質的魅力を感じずにはいられません。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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