茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

下時国家庭園 ~石川県輪島市~

上時国家のすぐ北に位置する下時国家は、江戸時代に上時国家から分家し、農業、塩業、廻船業を営んで繁栄しました。敷地内には江戸時代に築造された主屋と庭園が残されています。


江戸時代中期に建てられたと推定されている主屋。茅葺の伝統的な民家建築です。

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主屋土間。太い梁や柱に、家柄が表れています。

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上段の間。最も格式高い部屋で、書院障子の組子意匠や豪華な襖絵など、贅を尽くしています。

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庭園は、主屋の南と北の二か所にあります。こちらは北庭で、自然地形を利用した座視観賞式の池泉庭園となっています。

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北庭は池の形状などから、江戸中期末頃の作庭と考えられています。

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築山には石組とともに、ツツジの植栽が多く見られます。

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池の中央には出島が設けられます。

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庭園は、伝統的建築である主屋と見事に調和しています。

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主屋を挟んで反対側に、南庭があります。

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南庭は座視観賞式の庭園で、細長い池の形状から、江戸初期(天和年間頃)の作庭と考えられます。

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細長い池は、北庭の池と繋がっています。築山には北庭と同じくツツジの植栽が見られますが、これは後世のものだそうです。

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南庭の入江部分には、「渓谷風」とされる素晴らしい滝石組が見られます。上部は三尊石組となり、左下の添石は、亀頭を兼ねているようです。近年、繁茂していた植栽が取り払われたことで、石組の全容を窺うことができるようになりました。

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南庭には巨石を用いた飛石が見られます。こちらは江戸末期~明治期頃に設置されたものと考えられています。

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上時国家とともに以前からずっと訪れていみたい庭でしたが、雨上がりのしっとりとした庭は、格別なものでした。

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屋敷の正面入り口には、桝形の石垣が見られます。野面積みの立派な石垣で、こちらも一見に値する遺構です。

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時国家は、平家官僚・平時忠を祖とし、時国村を興して豪農・豪商として栄えますが、江戸時代に入ると加賀藩と越中布市藩の二重支配を受けるようになり、これを回避するため寛永11年(1634)、本家(現在の上時国家)から分家する形で下時国家が成立しました。以後、上時国家は越中布市藩のもとで、下時国家は加賀藩のもとで互いに繁栄しました。現在、主屋は重要文化財に、庭園は国の名勝に指定されています。


次回は北陸の旅最終回、輪島市朝市と上町通りの町並みを歩きます。


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上時国家庭園 ~石川県輪島市~

輪島市東部、町野町に位置する上時国家は、壇ノ浦の戦い後、能登に配流された平時忠(平清盛の義弟)の子・時国がこの地に館を構えたのが始まりといわれ、江戸時代には天領の大庄屋を務めました。邸内には江戸後期に築造された建物と庭園が残されています。


4~5階建てのビルくらいの高さがあるという、主屋。江戸時代の民家建築を伝える、貴重な遺構です。まずは主屋の各部屋から見ていきます。

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「上広間」。折上格天井が見られる、格式高い間です。

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上広間の襖に金箔で描かれた「丸に揚羽蝶」が、平家末裔の邸宅であることを物語っています。

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「伺いの間」。奥の「御前の間」との間の欄間は、蜃気楼が彫られています。

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「御前の間」。「大納言の間」とも呼ばれ、縁に金の塗られた「金縁折上格天井」が、大納言・時忠を起源とする時国家の格式を物語っています。

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主屋の南方に、緑豊かな南庭が広がります。

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南庭は築山の手前に心字池を配した観賞式庭園、周囲は美しい苔で囲まれています。

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現地の案内では「鎌倉時代の様式」とされていますが、現在の建物が竣工した天保2年(1831)頃に改修されていると考えられます。

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護岸や橋添石には、力強い造形美が感じられます。

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鬱蒼とした木々で見えづらいですが、築山にも大ぶりの石を用いた、力強い石組が見られます。

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建物の西方には苔を中心とした平庭が広がります。

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建物東方にも池泉庭園があります。南庭とは遣水で繋がっており、こちらも江戸後期の作庭と思われますが、南庭と比べると池の形状や護岸の石組はやや陳腐な印象を受けます。

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東庭には枯滝石組が見られます。南庭の石組と比べると、石はだいぶ小ぶりになっています。

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上時国家の祖・平時国の父・平時忠は、「平家にあらずんば人にあらず」の発言で知られる、平家の官僚でした。壇ノ浦の戦い後、三種の神器の一つである神鏡を守った功績により命を助けられ、能登へ配流となりました。子の時国はこの地で300石の「時国村」を興し、以後、代々時国家を名乗り、豪農としてだけでなく、海運や製塩にも力を入れ、栄えました。現在、時国家の建物は国の重要文化財に、庭園は国の名勝に指定されています。

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次回は、江戸時代に上時国家から分家した下時国家を訪ねます。


 
 
 
 

平家庭園 ~石川県羽咋郡志賀町~

石川県志賀町の海岸近くにある平家(たいらけ)は、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲に敗れた平維盛の重臣・平式部太夫の子孫が建てた邸宅で、現在も敷地内には江戸中期作庭と伝わる庭園が残されています。

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受付を済ませ、まずは主屋へ。次の間から書院の間を見る。欄間や襖に独特の意匠が見られます。

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夏用の簾戸。波の透かしが洒落ています。

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書院の間、違い棚。襖絵には金箔が施されています。

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書院の間の外側に、庭園が広がります。

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庭園は細長い心字池を中心とした観賞式庭園で、江戸中期の作庭とされます。

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枯滝の見事な石組。手前には石組による出島が設けられています。

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滝石以外にも、立石や伏石の配置が洗練されたセンスを感じさせます。

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築山には六地蔵の彫刻が施された、室町時代の石灯籠が残ります。

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東側から見た全景。

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西側から見た全景。

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もともと平式部太夫が居館を構えたのはここからすぐ近くの安部屋という地で、子孫は戦国時代に能登守護・畠山氏の家臣となりますが、上杉謙信の攻撃を受け、津軽(青森県)へ逃れます。その後、江戸時代に能登に戻ってこの地に屋敷を構え、天領地13カ村の支配を任される大庄屋となりました。羽咋駅からバスで訪れる場合は、高浜で降り、徒歩20分ほどで着くことができます。

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次回は富山県に移動し、黒部市の近代和風建築・松桜閣を訪れます。

 
 
 
 

養浩館庭園 ~福井県福井市~

GW3日目、一乗谷から福井市街へ戻り、福井城址の北東にある養浩館庭園を訪ねます。
かつての福井藩主松平家の別邸で、江戸時代の池泉回遊式庭園が残されています。

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庭園内には平成に入り復元された数寄屋建築群が建ち並びます。

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復元された清廉。池泉の汀線には石組や玉石の洲浜が見られます。

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枯滝の石組と切石橋。

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池の畔には早くも杜若が咲いていました。

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復元された建物群は、余計な装飾がなく、簡素ながらも極めて洗練された数寄屋造です。

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書院造の御座ノ間。建物の中心となる部分です。

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風呂場となる、御湯殿。蒸し風呂だったようです。

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建物内部では、それぞれ違った窓からの額縁庭園が楽しめます。

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御座敷から池泉を望む。
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築山と石組。

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屋敷裏手の曲水にかかる自然石の橋は、全国的に見ても最大級のものと言います。

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養浩館庭園はもともと「御泉水(おせんすい)屋敷」と言い、明確な成立時期は不明ですが、明暦二年(1656)頃には存在していたことが確認されています。福井大空襲で建物は焼失しましたが、昭和57年(1982)に国の名勝に指定されたのを機に復元整備が進められ、平成5年に整備が完了しました。なお、「養浩館」という名称は明治に入り元藩主・松平春嶽により命名されたものです。


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次回は京都に移動し、蓮花寺の庭園を訪れます。



 
 
 
 

一乗谷朝倉氏遺跡の庭園群 ~福井県福井市~

一乗谷朝倉氏遺跡には、国の特別名勝に指定されている庭園が4つあります。いずれも京都の文化に通じた素晴らしいもので、旧秀隣寺庭園や北畠氏館庭園とともに「三大武将庭園」とされます。

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<義景館跡庭園>
朝倉家の当主の館に造られた池泉観賞式の庭園で、長い間地中に埋もれていましたが、昭和四十三年(1968)の発掘調査で発見されました。

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庭園は屋敷と斜面の間の狭い空間を利用して造られています。

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池泉中央の滝石組。明確な作庭時期は不明ですが、荒々しくも優雅な趣は、室町~戦国期の洗練された美意識を象徴しています。

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<湯殿跡庭園>
義景館跡の背後の高台にある池泉回遊式の庭園です。力強い立石の存在感に圧倒される、戦国期らしい庭園です。

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三尊石(右端)を始め、戦国期らしい力強い石組に圧倒されます。現在では池は枯れてしまっていますが、この日は前日までの雨のせいか水が溜まっていました。

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亀島(左)と滝石組(右奥)。

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湯殿跡庭園は一乗谷の庭園で最も古いものと考えられており、10代孝景の頃に造られたと推定されています。

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<諏訪館跡庭園>
諏訪館は朝倉家最後の当主・義景が妻「小少将」のために造った館で、庭もその時期に造られたものと考えられます。一乗谷の庭園で最も規模が大きく、高低差を利用した上下二段構成になっています。

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池泉は複雑な形状をしています。美しい石組と、新緑のヤマモミジが調和し、見事な景観を演出しています。

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滝石組のうち、滝副石は高さ4mを超える巨大なもので、国内最大と言われます。

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上段の滝石組と湧泉石組。こちらもコンパクトながら見応えのある石組です。

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<南陽寺庭園>
南陽寺は3代貞景が再興した尼寺で、義景館跡の北東に位置します。かつての寺の境内の一角に、かつての池泉式庭園の一部が残ります。

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一乗谷を訪れた室町幕府15代将軍・足利義秋(義昭)を饗応するため、11代義景により観桜の宴が開かれました。

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現状では一乗谷で最も規模の小さい庭ですが、三段の滝と滝副石の美しさは、目を見張るものがあります。

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一乗谷は、将軍・足利義秋だけでなく、京から多くの公家や文化人が戦乱を逃れてやってきたため、「北の京」と呼ばれるほど、洗練された文化が発達しました。一乗谷に残された4つの庭園は、こうした背景と朝倉氏の文化的センスが重なって生み出された、室町~戦国期の庭園文化を象徴する傑作です。


次は福井市街に戻り、旧福井藩主別邸・養浩館庭園を訪ねます。



 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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