茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

玉泉院丸庭園 ~石川県金沢市~

玉泉院丸庭園は、江戸時代、金沢城内の玉泉院丸に築かれた池泉廻遊式庭園です。明治期に陸軍により埋め立てられましたが、平成27年(2015)、発掘調査に基づき江戸末期の姿に復元されました。

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庭園は、後方の二の丸との高低差を利用して築かれています。二の丸の石垣を景観に取り込んでおり、山畔の4段の滝、3つの中島、洲浜など凝った地割となっています。

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滝石組は、発掘された遺構を埋め戻し、その上に同寸の石を用いて復元されたものです。石組手法等どこまで忠実に復元されているかは不明ですが、平凡で特筆すべき点のない石組という印象です。

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最も西にある中島は、3つの中島の中で最大のもので、蓬莱島とされているようです。





蓬莱島の西部には山形の巨石があり、蓬莱石としての意匠と思われます。丸みを帯びた鋭さのない石で、あまり見栄えの良いものではありません。

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蓬莱島にある三尊風の石組と護岸石組。いずれも、丸い石や小さな石を平凡に組んだもので、造形美は感じられません。

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蓬莱島西部に架かる切石橋。

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蓬莱島北部に架かる木橋。木橋の手前は洲浜となり、玉石を敷いた磯の表現となっています。





南東部の中島は鶴島のようです。鶴らしき意匠は見られず、護岸などの石組手法も非常に弱いものになっています。

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最も東にある中島は亀島のようです。右端に亀頭石らしき平石が意匠されていますが、小ぶりで形式的な印象です。

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蓬莱島と鶴島に架かる橋。木橋、石橋、土橋と、異なる様式の橋を向きを違えて架けているところに、美しさが感じられます。

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この庭の大きな特徴が、石垣を庭園の構成要素としている点です。城郭の防御構造として、塁壁に折れをつける「横矢掛かり」がありますが、この庭に面した石垣は折れだけでなく段差も複雑につけられており、庭園の意匠として「見せる」ことを意識して築かれています。

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石垣の一部は「色紙短冊積み」と呼ばれ、方形や長方形の石を積んだ美しいものになっています。かつて上部のV字形の石樋からは水が落とされ、石垣の滝となっていたことが分かっています。

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池泉南岸にある唐傘。天保3年(1832)に建てられ、後に兼六園に移築されたものを復元したものです。

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池泉西部にある休憩所「玉泉庵」。平成の復元整備時に建てられたもので、往時はここに庭園管理のための建物が建っていました。

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池泉は、南部で二の丸下部の水堀(現在は空堀)に繋がっています。城内に築かれた庭園が堀と繋がっている例は珍しく、和歌山城西の丸庭園で同様のものが見られます。

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金沢城の玉泉院丸は、加賀藩初代藩主・前田利長の正室・玉泉院の屋敷が構えられた地です。玉泉院の死後、寛永11年(1634)から作庭が始まり、時代とともに手が加えられていきました。江戸末期だからか、現状では石組に見るべきものはほとんどありませんが、高低差を活かした構成や地割の豪華さからは、加賀百万石の威容が感じられます。

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西田家庭園 (玉泉園) ~石川県金沢市~

金沢市にある西田家庭園は、江戸時代初期、加賀藩家臣・脇田家の邸内に作庭された池泉廻遊式庭園です。脇田家初代・直賢を養育した玉泉院(前田利長の正室)に因んで、玉泉園と呼ばれています。

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正面となる北側から庭園を見る。「水」字形の池泉を中心に、山畔には滝石組(写真中央上部)、池泉には岩島(写真中央下部)が意匠され、東南西の三方から出島が突出しています。

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滝石組は、添石に赤石(左手)と安山岩(右手上部)の巨石を用いています。滝石組上部に石橋を渡した「玉澗流」の手法とされますが、同じ玉澗流庭園である名古屋城二の丸庭園徳島城表御殿庭園に比べると石橋が弱々しく、迫力が感じられません。

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伊予青石を用いた、滝石組上部の石橋。右手の立石は滝添石と橋添石を兼ねています。

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滝を落ちた水は、東へ90度折れて流れとなります。

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流れは山畔東部で池泉へと注ぎます。

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山畔下部には巨石を用いた三尊石組がありますが、植栽により隠れてしまっています。

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滝石組(上部)と三尊石組(下部)。下部に雪見燈籠がありますが、これも含め、庭内の石燈籠はどれも後世に持ち込まれたものでしょう。

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池泉中央の岩島。2石による構成で、立石を用いた鋭い表現となっています。

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西部出島先端の石組。繁茂した植栽に隠され詳細は不明です。

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池泉東部出島の石組。護岸石組は後世に改変されている箇所が多いようです。

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池泉北岸の礼拝石(らいはいせき)。

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庭園西部には、もう一つの滝があります。直下型のもので、見るべき石組はありません。

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庭園北部には、裏千家の茶室・寒雲亭の写しがあります。裏千家茶道に師事していた脇田家が、家元の許しを得て建てたものです。

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庭園入口付近にある切支丹燈籠(織部燈籠)。切支丹燈籠とは竿の下部に聖母マリアの姿を彫ったもので、こちらは隠れキリシタンだった脇田家初代・直賢が造らせたものと言われます。

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山畔上部には、もう一つの池泉庭園があります。荒廃しており、石組などはほとんど残されていないようです。

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上部池泉の脇にある茶室・灑雪亭(さいせつてい)。裏千家の祖・千仙叟(せんのせんそう)の指導により建てられたと伝わり、金沢最古の茶室とされます。

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灑雪亭内部。1畳台目2畳の簡素な造りです。

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灑雪亭の前には小さな露地が作庭されています。後世に改造されているようで、全体的に弱々しい意匠です。

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脇田家は、朝鮮の役の戦災孤児で前田家の家臣となった脇田直賢(金如鉄)を祖とします。庭園は直賢が着工、4代に渡って作庭・完成したと言われますが、全体的に江戸初期の様式を残しているとされます。明治期に西田家の所有となり、昭和46年(1971)に財団法人西田家庭園保存会へ寄贈され、一般公開されています。

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下時国家庭園 ~石川県輪島市~

上時国家のすぐ北に位置する下時国家は、江戸時代に上時国家から分家し、農業、塩業、廻船業を営んで繁栄しました。敷地内には江戸時代に築造された主屋と庭園が残されています。


江戸時代中期に建てられたと推定されている主屋。茅葺の伝統的な民家建築です。

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主屋土間。太い梁や柱に、家柄が表れています。

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上段の間。最も格式高い部屋で、書院障子の組子意匠や豪華な襖絵など、贅を尽くしています。

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庭園は、主屋の南と北の二か所にあります。こちらは北庭で、自然地形を利用した座視観賞式の池泉庭園となっています。

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北庭は池の形状などから、江戸中期末頃の作庭と考えられています。

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築山には石組とともに、ツツジの植栽が多く見られます。

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池の中央には出島が設けられます。

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庭園は、伝統的建築である主屋と見事に調和しています。

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主屋を挟んで反対側に、南庭があります。

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南庭は座視観賞式の庭園で、細長い池の形状から、江戸初期(天和年間頃)の作庭と考えられます。

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細長い池は、北庭の池と繋がっています。築山には北庭と同じくツツジの植栽が見られますが、これは後世のものだそうです。

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南庭の入江部分には、「渓谷風」とされる素晴らしい滝石組が見られます。上部は三尊石組となり、左下の添石は、亀頭を兼ねているようです。近年、繁茂していた植栽が取り払われたことで、石組の全容を窺うことができるようになりました。

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南庭には巨石を用いた飛石が見られます。こちらは江戸末期~明治期頃に設置されたものと考えられています。

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上時国家とともに以前からずっと訪れていみたい庭でしたが、雨上がりのしっとりとした庭は、格別なものでした。

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屋敷の正面入り口には、桝形の石垣が見られます。野面積みの立派な石垣で、こちらも一見に値する遺構です。

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時国家は、平家官僚・平時忠を祖とし、時国村を興して豪農・豪商として栄えますが、江戸時代に入ると加賀藩と越中布市藩の二重支配を受けるようになり、これを回避するため寛永11年(1634)、本家(現在の上時国家)から分家する形で下時国家が成立しました。以後、上時国家は越中布市藩のもとで、下時国家は加賀藩のもとで互いに繁栄しました。現在、主屋は重要文化財に、庭園は国の名勝に指定されています。


次回は北陸の旅最終回、輪島市朝市と上町通りの町並みを歩きます。


 
 
 
 

上時国家庭園 ~石川県輪島市~

輪島市東部、町野町に位置する上時国家は、壇ノ浦の戦い後、能登に配流された平時忠(平清盛の義弟)の子・時国がこの地に館を構えたのが始まりといわれ、江戸時代には天領の大庄屋を務めました。邸内には江戸後期に築造された建物と庭園が残されています。


4~5階建てのビルくらいの高さがあるという、主屋。江戸時代の民家建築を伝える、貴重な遺構です。まずは主屋の各部屋から見ていきます。

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「上広間」。折上格天井が見られる、格式高い間です。

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上広間の襖に金箔で描かれた「丸に揚羽蝶」が、平家末裔の邸宅であることを物語っています。

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「伺いの間」。奥の「御前の間」との間の欄間は、蜃気楼が彫られています。

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「御前の間」。「大納言の間」とも呼ばれ、縁に金の塗られた「金縁折上格天井」が、大納言・時忠を起源とする時国家の格式を物語っています。

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主屋の南方に、緑豊かな南庭が広がります。

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南庭は築山の手前に心字池を配した観賞式庭園、周囲は美しい苔で囲まれています。

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現地の案内では「鎌倉時代の様式」とされていますが、現在の建物が竣工した天保2年(1831)頃に改修されていると考えられます。

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護岸や橋添石には、力強い造形美が感じられます。

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鬱蒼とした木々で見えづらいですが、築山にも大ぶりの石を用いた、力強い石組が見られます。

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建物の西方には苔を中心とした平庭が広がります。

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建物東方にも池泉庭園があります。南庭とは遣水で繋がっており、こちらも江戸後期の作庭と思われますが、南庭と比べると池の形状や護岸の石組はやや陳腐な印象を受けます。

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東庭には枯滝石組が見られます。南庭の石組と比べると、石はだいぶ小ぶりになっています。

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上時国家の祖・平時国の父・平時忠は、「平家にあらずんば人にあらず」の発言で知られる、平家の官僚でした。壇ノ浦の戦い後、三種の神器の一つである神鏡を守った功績により命を助けられ、能登へ配流となりました。子の時国はこの地で300石の「時国村」を興し、以後、代々時国家を名乗り、豪農としてだけでなく、海運や製塩にも力を入れ、栄えました。現在、時国家の建物は国の重要文化財に、庭園は国の名勝に指定されています。

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次回は、江戸時代に上時国家から分家した下時国家を訪ねます。


 
 
 
 

平家庭園 ~石川県羽咋郡志賀町~

石川県志賀町の海岸近くにある平家(たいらけ)は、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲に敗れた平維盛の重臣・平式部太夫の子孫が建てた邸宅で、現在も敷地内には江戸中期作庭と伝わる庭園が残されています。

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受付を済ませ、まずは主屋へ。次の間から書院の間を見る。欄間や襖に独特の意匠が見られます。

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夏用の簾戸。波の透かしが洒落ています。

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書院の間、違い棚。襖絵には金箔が施されています。

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書院の間の外側に、庭園が広がります。

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庭園は細長い心字池を中心とした観賞式庭園で、江戸中期の作庭とされます。

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枯滝の見事な石組。手前には石組による出島が設けられています。

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滝石以外にも、立石や伏石の配置が洗練されたセンスを感じさせます。

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築山には六地蔵の彫刻が施された、室町時代の石灯籠が残ります。

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東側から見た全景。

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西側から見た全景。

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もともと平式部太夫が居館を構えたのはここからすぐ近くの安部屋という地で、子孫は戦国時代に能登守護・畠山氏の家臣となりますが、上杉謙信の攻撃を受け、津軽(青森県)へ逃れます。その後、江戸時代に能登に戻ってこの地に屋敷を構え、天領地13カ村の支配を任される大庄屋となりました。羽咋駅からバスで訪れる場合は、高浜で降り、徒歩20分ほどで着くことができます。

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次回は富山県に移動し、黒部市の近代和風建築・松桜閣を訪れます。

 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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