茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

名古屋城三の丸庭園 ~愛知県名古屋市~

地下鉄・市役所駅から徒歩5分ほど、現在は官庁街となっている名古屋城三の丸址の一角に、桃山時代の様式を伝える庭園が残されています。

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庭園は中心に枯池を配した枯山水庭園で、東側と南側は三の丸土塁を利用して築山とし、東側の築山には枯滝石組を配しています。

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庭園東部。背後の築山は三の丸の土塁で、滝石組から石組を渓谷式に配しています。

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滝石組は鯉魚石を省略した桃山期の龍門形式とされ、頂部には三尊石組も見られます。

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滝石組から続く渓谷は、枯池へと繋がります。池には当初水が張られていたと考えられていますが、現在では二の丸庭園北庭同様、栗石を敷き詰めた枯池となっています。

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渓谷が池へ合流する地点には、力強い石橋が架かります。

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枯池東側から対岸(西側)を望む。池の西側には切石橋が架かります。

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枯池西岸の築山と切石橋。築山には立石を中心に、力強く豪快な石組が見られます。

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西岸の出島部分には亀島的な石組が施されています。

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切石橋付近から、北側を見る。枯池北岸には巨石と舟形の手水鉢が置かれますが、手水舎は後世に持ち込まれたようです。

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名古屋城三の丸庭園は、山林に埋もれていたものを、昭和11年(1936)に重森三玲により発見されました。地元では、明治期に吉田紹和が二の丸旧材を用いて作庭したと考えられていたようですが、重森三玲は『日本庭園史大系』において、吉田紹和により作庭されたのは三の丸庭園よりも北方の土塁に見られる石組であり、三の丸庭園自体は名古屋築城時に作庭されたものであると指摘しています。

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名古屋城二の丸庭園 ~愛知県名古屋市~

名古屋城二の丸庭園は、初代名古屋藩主・徳川義直によって、寛永5年(1628)頃までに造営されたと考えられる庭園で、北御庭と南御庭から構成されます。作庭者についてはっきりとしたことは分かっていませんが、「玉澗流」を窺わせる様式から、上田宗箇の関与が推定されています。

<北御庭>
北御庭は二の丸御殿の北側に造られた庭、栗石が敷き詰められた枯池に、「赤坂山」と呼ばれる巨大な中島が置かれます。

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枯池や中島の護岸石組は豪壮で、場所によっては二段に組まれている箇所もあります。

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中島西側。切石橋は後世に架け直されたものと考えられています。

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枯池南東隅の枯滝石組。枯池には数ヵ所に滝石組が見られます。

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池はさらに北東へ延び、池中には小規模な中島を置いています。汀の護岸石組には青石が使用されています。

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さらに池は東へ延びます。こちらにも中島が置かれ、右奥の権現山と呼ばれる大築山下部には、大規模な滝石組が存在します。

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権現山下部の滝石組と石橋は、玉澗流の特長を表しています。玉澗流は中国の山水画に由来する作庭意匠で、上田宗箇が好んだ手法ですが、本庭への上田宗箇の関与を裏付ける記録は残されていません。

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権現山の滝の西にも、小規模な滝石組が見られます。

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池庭の西方にある、笹巻山と呼ばれる築山。豪壮な石組で固められた築山で、枯滝のような石組が見られます。

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整備中で近寄れませんでしたが、池庭の北方にも、二子山と呼ばれる築山があり、石組が施されています。

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<南御庭>
南御庭は、二の丸御殿の南側に造られた庭で、池は現在は枯れていますが、作庭当初は水が張られていたようです。

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南西部の滝石組と切石橋。こちらの石橋も後世に架け替えられたものと思われます。

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豪壮な枯滝石組。

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枯滝手前の中島は亀島と思われ、向かって右手には立石による亀頭石が意匠されています。

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南御庭では、北西部にも枯滝石組が見られます。三尊手法の石組を中心に、意欲的な石組が集中して見られます。

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名古屋城は、もともと織田氏の那古屋城があった地に、慶長15年(1610)徳川家康の命により築かれた近世城郭です。戦前は築城当初に建てられた天守、御殿など本丸の建造物が完存していましたが、空襲により二棟の隅櫓と表二之門を残して焼失しました。天守は昭和34年(1959)に鉄筋コンクリートにより復元、本丸御殿は木造により現在復元工事中で、平成30年度中に完成予定です。

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北畠神社庭園(北畠氏館跡庭園) ~三重県津市~

津市郊外、山間の集落・上多気にある北畠神社は、北畠顕能を祭神とする神社です。境内はかつて伊勢国司・北畠氏の居館があった場所で、室町時代後期に造られた庭園が残されています。

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庭園は、東西に延びる池泉を中心に、池泉部分と東部野筋の枯山水部分から構成されます。作庭は、旧秀隣寺庭園旧玄成院庭園を手掛けた、室町幕府管領・細川高国によるとされます。

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池泉東部・枯山水部分の石組。渦巻式に配された石組は、須弥山を中心とした九山八海を表現しているようです。

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池泉越しに枯山水石組を望む。

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池泉はいくつもの出島が設けられた複雑な形状をしており、護岸には見事な石組が見られます。

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池泉中央にある石橋は、琴橋と呼ばれています。江戸末期に架けられたもので、他の石組とは明らかに意匠が異なっています。

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庭園西部。複雑な形状の池泉は、「米字形の池」として知られていますが、『日本庭園史大系』では、「米の字」を表現したものではなく、旧秀隣寺庭園と同じく曲水式の池泉であると指摘しています。

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池泉西部には亀島である中島が浮かびます。
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亀島と護岸の石組。

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苔むした石組が、栄枯盛衰の戦国の世を具現しているかのようです。優雅な池泉と石組の見事さから、旧秀隣寺庭園、朝倉氏庭園とともに、三大武将庭園と評価されています。

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池泉北西部にある石橋。ほとんどの石組が付近の川原石などを使用しているのに対し、この石橋は志摩の海石を使用しているそうです。

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北畠神社庭園の明確な作庭時期は伝わっていませんが、作庭者である細川高国は享禄年間(1528~1531)に、娘婿である北畠晴具への援軍要請のためこの地に滞在していることから、庭もこの時期に造られたものと考えられます。ちなみに、高国はこれとほぼ同時期に近江国・朽木で旧秀隣寺庭園を作庭しています。

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なお、北畠神社への交通の便はなかなか悪く、僕は松阪方面から車で訪れましたが、車一台分の幅(なのに対向車が結構来る)の山道がしばらく続くので、車で訪れる方は津方面から行かれることをお勧めします。


 
 
 
 

浜松・湖北の庭園④ 龍潭寺 ~静岡県浜松市~

浜松の庭園巡り、最終回は旧引佐町にある名刹・龍潭寺(りょうたんじ)へ。徳川家重臣・井伊家の菩提寺として有名なお寺ですが、本堂裏には江戸初期作庭とされる庭園があります。

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庭は斜面との間の細長い土地に造られています。心字池と、3つの築山と枯滝、それらを固める石組で構成される、池泉鑑賞式庭園です。

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一番西の枯滝。優美で上品な石組が見られます。

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池の左右に対象に置かれた巨石は、仁王石で、鶴羽石も兼ねるとされます。

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3つあるうちの、中央の枯滝。

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中央の築山に据えられた守護石。三尊石組となっています。

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中央の築山下の出島は、亀を象っていると考えられています。

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一番東側の枯滝。3つの枯滝の中で、この庭で最も力強く豪壮な石組が見られます。

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東方から全景を見る。5月にはサツキが満開になりますが、植込みで一部の石組が隠れてしまっているのが残念。。

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龍潭寺は行基によって天平5年(733)に開創された古刹です(開創当時の寺号は地蔵寺)。寺の周辺は古くから井伊谷(いいのや)と呼ばれ、徳川家重臣として知られる井伊家発祥の地と言われます。庭は、寺伝では小堀遠州作とされ、国の名勝に指定されています。

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浜松・湖北の庭園③ 実相寺庭園 ~静岡県浜松市~

摩訶耶寺を後にし、車で東へ40分ほど、旧引佐町の実相寺を訪れます。本堂の東側に、平成6年(1994)に地中から発見された枯山水庭園があります。

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砂石で海を表現し、その奥に3つの頂を持つ築山が聳えます。中央の築山と左の築山の間にある立石が蓬莱石を表し、手前の平たい石は座禅石と考えられています。

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築山の見事な枯滝石組。右手の大きな黒い立石が龍門瀑を表し、その手前の小さい石が鯉魚石、手前の「へ」の字方の石は蓬莱島を表しているといいます。

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庭の手前の方には出島があり、見事な石組が見られます。中央左は鶴羽、右奥は亀を模した蓬莱石組と考えられています。

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庭を書院側(西側)から見ると、出島の石組の美しさが際立ちます。

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南側から見た全景。3つの頂のある芝の築山、築山の左右の仁王石と思われる立石、サツキの丸い刈り込みなど、この後訪れた龍潭寺の庭と似ている点が多く見られますが、両者の関係性については明らかになっていません。

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庭園の脇に建つ、延宝6年(1678)再建の本堂と元禄15年(1702)再建の観音堂。これらの伽藍の再建時期から、庭園の作庭時期は17世紀末頃と推定されています。
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享保2年(1717)築の鐘楼門。現存する古建築も、実相寺の見所です。

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実相寺は嘉慶元年(1387)に開創され、徳川家臣・近藤季用を祀っています。庭園の北側には季用夫妻の廟所があり、庭園はこの廟所を遥拝するために作庭されたと考えられています。なお、寺までの道路は恐ろしく狭く傾斜が急なので、車で行かれる場合はご注意を!

次回は、同じく旧引佐町にある龍潭寺庭園です。

 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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