茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

永保寺庭園 ~岐阜県多治見市~

永保寺は正和2年(1313)、夢窓疎石により開創された、土岐川に臨む古刹です。境内にある庭園は、夢窓疎石作と伝わります。




庭園は、国宝に指定されている観音堂の全面に池泉(臥龍池)を穿った、回遊式兼舟遊庭園です。池泉には三つの中島が配置され、多島式の様相を呈しています。

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水月場とも呼ばれる観音堂。正和3年(1314)の建築で、和様と唐様の折衷建築とされます。

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池泉を東西に分ける無際橋。橋によって池泉を二つに分けた形態を泮池(はんち)と呼び、宇治平等院や平泉毛越寺に代表される浄土式庭園の流れをくんだ意匠と言えます。

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池泉北西部にある岩山・梵音巌と滝。梵音巌は天然の岩山ですが、目立った石組が見られない永保寺庭園において、景観を引き締めています。

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池泉西部の中島と無際橋。中島の護岸石組は全て後世のもので、往時のものは消滅しています。




無際橋近くに二つ目の中島があります。こちらは亀島なのか、水中に亀頭石や手脚石らしき石組が見えますが、これらの石組も後世のもののようです。

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北西部から見た池泉と三つ目の中島。中島や汀線の護岸石組は全て後世のもので、往時の面影はありません。

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庭園西方に残る開山堂。文和元年(1352)の建立と伝わり、観音堂とともに国宝に指定されています。

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永保寺庭園では、後世の改変等により、石組など細部に見るべき意匠がないものの、観音堂を中心とした全体の空間構成は素晴らしく、自然や建築と一体となった独自の美しさが最大の魅力と言えます。なお、重森三玲は著書『日本庭園史大系』において、庭園は永保寺建立以前に当地にあった土岐氏居館の庭園として作庭されたものとし、夢窓疎石作庭説を否定しています。夢窓疎石の名にあやかった庭園は多く存在しますが、永保寺庭園も含め、その真偽は不明です。

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内々神社庭園 ~愛知県春日井市~

春日井市内津町にある内々(うつつ)神社は、延喜式の式内社に数えられる、由緒ある神社です。本殿背後には、江戸初期作庭と推定される池泉鑑賞式の蓬莱庭園が残されています。

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庭園は南側(本殿側)を正面とし、南北に長い池泉を中心に、池泉中央に中島を配し、周囲の山畔にも石組を施しています。

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鶴島とされる、池泉中央の中島。

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中島南部の鶴首石。立石を用いた鋭い造形です。

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北西部から見た中島。島全体が石組で覆われています。

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池中には中島のほかに、三つの岩島が浮かびます。中でも池泉南西部の岩島は、鋭い立石を用いた見事なものです。

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繁茂した下草で見えづらいですが、池泉北東部の山畔には多くの石組が築かれています。中央には滝石組も見られます。

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山畔に築かれた滝石組。立石を効果的に配置しています。

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北東部山畔の石組を南方から見る。護岸石組は所々三重に組まれています。

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滝石組の上部には、遠山石風の立石(左手)と、集団石組(右手)も見られます。

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北部山畔の池際には、蓬莱石と思われる山形の巨石が置かれています。

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池泉西岸の石組。巨石一石を置いている点など、明治以降のものと思われる手法が見られます。

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庭園北方の山畔には天然の巨石が鎮座し、庭園の一部として取り込まれています。池泉の南岸には、これら巨石群を礼拝するための礼拝石が現存しています。



元来、神社境内に鑑賞用の庭園が造営されたことはなく、内々神社庭園も、江戸初期まで当地に存在した妙見寺の庭園として築かれたものと推定されています。妙見寺は室町時代初期に開創された内々神社の神宮寺で、現在は内々神社の東隣に移建されています。

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名古屋城三の丸庭園 ~愛知県名古屋市~

地下鉄・市役所駅から徒歩5分ほど、現在は官庁街となっている名古屋城三の丸址の一角に、桃山時代の様式を伝える庭園が残されています。

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庭園は中心に枯池を配した枯山水庭園で、東側と南側は三の丸土塁を利用して築山とし、東側の築山には枯滝石組を配しています。

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庭園東部。背後の築山は三の丸の土塁で、滝石組から石組を渓谷式に配しています。

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滝石組は鯉魚石を省略した桃山期の龍門形式とされ、頂部には三尊石組も見られます。

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滝石組から続く渓谷は、枯池へと繋がります。池には当初水が張られていたと考えられていますが、現在では二の丸庭園北庭同様、栗石を敷き詰めた枯池となっています。

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渓谷が池へ合流する地点には、力強い石橋が架かります。

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枯池東側から対岸(西側)を望む。池の西側には切石橋が架かります。

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枯池西岸の築山と切石橋。築山には立石を中心に、力強く豪快な石組が見られます。

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西岸の出島部分には亀島的な石組が施されています。

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切石橋付近から、北側を見る。枯池北岸には巨石と舟形の手水鉢が置かれますが、手水舎は後世に持ち込まれたようです。

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名古屋城三の丸庭園は、山林に埋もれていたものを、昭和11年(1936)に重森三玲により発見されました。地元では、明治期に吉田紹和が二の丸旧材を用いて作庭したと考えられていたようですが、重森三玲は『日本庭園史大系』において、吉田紹和により作庭されたのは三の丸庭園よりも北方の土塁に見られる石組であり、三の丸庭園自体は名古屋築城時に作庭されたものであると指摘しています。

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名古屋城二の丸庭園 ~愛知県名古屋市~

名古屋城二の丸庭園は、初代名古屋藩主・徳川義直によって、寛永5年(1628)頃までに造営されたと考えられる庭園で、北御庭と南御庭から構成されます。作庭者についてはっきりとしたことは分かっていませんが、「玉澗流」を窺わせる様式から、上田宗箇の関与が推定されています。

<北御庭>
北御庭は二の丸御殿の北側に造られた庭、栗石が敷き詰められた枯池に、「赤坂山」と呼ばれる巨大な中島が置かれます。

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枯池や中島の護岸石組は豪壮で、場所によっては二段に組まれている箇所もあります。

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中島西側。切石橋は後世に架け直されたものと考えられています。

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枯池南東隅の枯滝石組。枯池には数ヵ所に滝石組が見られます。

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池はさらに北東へ延び、池中には小規模な中島を置いています。汀の護岸石組には青石が使用されています。

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さらに池は東へ延びます。こちらにも中島が置かれ、右奥の権現山と呼ばれる大築山下部には、大規模な滝石組が存在します。

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権現山下部の滝石組と石橋は、玉澗流の特長を表しています。玉澗流は中国の山水画に由来する作庭意匠で、上田宗箇が好んだ手法ですが、本庭への上田宗箇の関与を裏付ける記録は残されていません。

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権現山の滝の西にも、小規模な滝石組が見られます。

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池庭の西方にある、笹巻山と呼ばれる築山。豪壮な石組で固められた築山で、枯滝のような石組が見られます。

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整備中で近寄れませんでしたが、池庭の北方にも、二子山と呼ばれる築山があり、石組が施されています。

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<南御庭>
南御庭は、二の丸御殿の南側に造られた庭で、池は現在は枯れていますが、作庭当初は水が張られていたようです。

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南西部の滝石組と切石橋。こちらの石橋も後世に架け替えられたものと思われます。

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豪壮な枯滝石組。

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枯滝手前の中島は亀島と思われ、向かって右手には立石による亀頭石が意匠されています。

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南御庭では、北西部にも枯滝石組が見られます。三尊手法の石組を中心に、意欲的な石組が集中して見られます。

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名古屋城は、もともと織田氏の那古屋城があった地に、慶長15年(1610)徳川家康の命により築かれた近世城郭です。戦前は築城当初に建てられた天守、御殿など本丸の建造物が完存していましたが、空襲により二棟の隅櫓と表二之門を残して焼失しました。天守は昭和34年(1959)に鉄筋コンクリートにより復元、本丸御殿は木造により現在復元工事中で、平成30年度中に完成予定です。

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北畠神社庭園(北畠氏館跡庭園) ~三重県津市~

津市郊外、山間の集落・上多気にある北畠神社は、北畠顕能を祭神とする神社です。境内はかつて伊勢国司・北畠氏の居館があった場所で、室町時代後期に造られた庭園が残されています。

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庭園は、東西に延びる池泉を中心に、池泉部分と東部野筋の枯山水部分から構成されます。作庭は、旧秀隣寺庭園旧玄成院庭園を手掛けた、室町幕府管領・細川高国によるとされます。

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池泉東部・枯山水部分の石組。渦巻式に配された石組は、須弥山を中心とした九山八海を表現しているようです。

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池泉越しに枯山水石組を望む。

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池泉はいくつもの出島が設けられた複雑な形状をしており、護岸には見事な石組が見られます。

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池泉中央にある石橋は、琴橋と呼ばれています。江戸末期に架けられたもので、他の石組とは明らかに意匠が異なっています。

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庭園西部。複雑な形状の池泉は、「米字形の池」として知られていますが、『日本庭園史大系』では、「米の字」を表現したものではなく、旧秀隣寺庭園と同じく曲水式の池泉であると指摘しています。

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池泉西部には亀島である中島が浮かびます。
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亀島と護岸の石組。

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苔むした石組が、栄枯盛衰の戦国の世を具現しているかのようです。優雅な池泉と石組の見事さから、旧秀隣寺庭園、朝倉氏庭園とともに、三大武将庭園と評価されています。

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池泉北西部にある石橋。ほとんどの石組が付近の川原石などを使用しているのに対し、この石橋は志摩の海石を使用しているそうです。

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北畠神社庭園の明確な作庭時期は伝わっていませんが、作庭者である細川高国は享禄年間(1528~1531)に、娘婿である北畠晴具への援軍要請のためこの地に滞在していることから、庭もこの時期に造られたものと考えられます。ちなみに、高国はこれとほぼ同時期に近江国・朽木で旧秀隣寺庭園を作庭しています。

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なお、北畠神社への交通の便はなかなか悪く、僕は松阪方面から車で訪れましたが、車一台分の幅(なのに対向車が結構来る)の山道がしばらく続くので、車で訪れる方は津方面から行かれることをお勧めします。


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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