茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧戸島家住宅 ~福岡県柳川市~

旧戸島家住宅は、旧柳川藩士・吉田兼儔(かねとも)が自身の隠居所として、文政11年(1828)頃に造営したものです。主屋と池泉庭園が現存し、現在は柳川市の管理の下、一般公開されています。

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主屋は木造二階建て、葦葺きの数寄屋建築です。武士の居宅でありながら、武家屋敷のような武骨さはなく、数寄屋らしい素朴ながら洗練された意匠が随所に見られます。

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主屋東面には来客用の式台玄関があります。正面の壁には三日月の下地窓がありますが、裏側の茶室側から見るとまた違った趣があります。

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主屋西面の内玄関。第二次大戦後に病院として使用されていたため、受付窓口が設けられるなど一部改造されています。

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取次に当たる、玄関内側の6畳間。

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寝室。戸棚や引き出しが設置されていますが、中でも北側の戸棚は内部に仕切りがなく、北側の部屋からも使用できる工夫がされています。

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寝室の東側にある仏間。もとは3畳間でしたが、後に4畳半に改造されています。

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仏間北の間。建物のほぼ中心にあたり、建物内の全ての部屋と繋がっています。





仏間北の間の天井には煙抜きが設けられています。

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仏間北の間から、東側の茶室(左)と座敷方面(右)を見る。

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北西隅にある茶室。床柱と落し掛けには竹の自然木が使用され、床脇には三日月の下地窓が見られるなど、遊び心溢れる空間になっています。三日月の下地窓は先ほど式台玄関で見られた下地窓の内側に当たります。

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南西隅にある座敷。4畳半と広さはありませんが、付書院と神棚が設けられるなど、興味深い造りです。

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座敷は東面と南面に入り縁を設けることで、空間を広く感じさせます。

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入り側の外側には縁側が設けられ、外には池泉庭園が広がります。

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次の間から座敷を見る。仕切り欄間には竹が使用されています。

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座敷入り側、式台との間の引き戸。桜や四十雀など、春の景色が描かれています。

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座敷入り側、仏間との間の引き戸。こちらは秋の七草を描いたものとされます。

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座敷南側の庭園。L字型の池泉は柳川城の堀から水を引いており、池泉西南部から中央付近にかけては出島を設けています。

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池泉江戸末期の庭園らしく石組などにはあまり意匠が見られないものの、栗石敷の浜辺や沢渡の意匠など、一地方藩士の庭とは思えないほど洗練された庭です。

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旧柳川藩士の隠居所だった旧戸島家住宅ですが、幕末には藩主・立花氏に献上され、廃藩置県後は由布氏に下賜されます。明治15年(1882)頃に戸島氏の所有となりますが、平成13年(2001)に柳川市に寄贈され、解体修理を経て同16年から一般公開されています。

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三宜楼 ~福岡県北九州市~

北九州市門司区にある三宜楼(さんきろう)は、昭和6年(1931)に建てられた料亭建築です。昭和30年代に廃業となり、平成21年に北九州市が建物の所有権を取得、その後修復工事を経て同26年から一般公開されています。


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木造三階建てで、現存する三階建ての木造建築では九州最大と言われます。


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玄関は一階東面に設けられています。欄間には屋久杉が使用され、天井も竿縁天井に一部格天井を合わせた、凝った造りになっています。

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一階座敷。一階は、大部分がふぐ料理店「三宜楼茶寮」の店舗として使用されているため、見学が制限されています。

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一階のギャラリーはかつての配膳室で、二階まで吹き抜けとなっています。往時は土間で、奥には調理場が続いていました。天井の長方形の部分は、当時画期的だった電動式リフトの痕跡です。

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一階北西部にある、支配人居室。仏壇が設けられています。

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「出世階段」とも呼ばれる二階への階段には、四つの下地窓があり、下から順に松、雲、山、月を表しているとされます。

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二階には64畳の大広間があります。

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大広間の床の間は琵琶床を備え、床柱には紫檀と黒檀が使用されています。火燈窓や書院障子の組子意匠も見所。

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格天井や矢羽根の意匠も見られる、大広間の天井。

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大広間の西側は能舞台が設けられています。こちらは見事な折り上げ格天井が見られます。

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二階・ダンスホール手前のベンチ。ガラス窓の向こうは、戦後、三宜楼を接収した米軍によりダンスホールとして使用されていたようです。

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三階廊下。竿縁天井の一部を網代張りにしています。左手には往時の電話室も。

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三階北東隅の座敷は「俳句の間」と呼ばれ、高浜虚子も訪れたそうです。窓の外には関門海峡を望むことができます。

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三階廊下の壁面にも、意匠が凝らされています。三階には「俳句の間」以外にも複数の部屋がありますが、修復が進んでおらず、公開されていません。

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二階西側階段の天井にも、細やかな意匠が見られます。

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部屋ごとに異なる下地窓や欄間の意匠も、三宜楼の見所です。

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門司は近代の洋風建築が多く現存することで知られていますが、戦前は木造三階建ての料亭建築が複数件存在していたようです。現在ではそのほとんどが取り壊されてしまいましたが、三宜楼だけは往時と変わらぬ威容を誇っています。

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次回は旧門司三井倶楽部を取り上げます。


 
 
 
 

一松邸 ~大分県杵築市~

一松(ひとつまつ)邸は、城下町・杵築の南台に建つ、近代和風建築です。法曹界や政界で活躍した一松定吉の居宅として昭和4年(1929)に建てられたもので、同32年(1957)に杵築市へ寄贈されたのち、現在地へ移築され一般公開されています。

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主屋は木造平屋建て、入母屋造桟瓦葺です。武家屋敷風の造りを基調としながらも、質素倹約の武家屋敷では見られないような凝った意匠が随所に見られます。

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玄関には車寄せが設けられています。

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式台を備えた玄関。

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玄関を入りすぐ右手にある一の間。応接間として使用されたものと思われます。

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一の間は書院造の座敷です。床の間には琵琶床が備えられ、床柱には孔雀杢のある黒柿が使用されています。

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一の間付書院の組子意匠。

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一の間書院障子の上段部分には、松皮菱の細かな組子意匠が施されています。

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一の間の仕切欄間には桐の一枚板が使用され、富士と松原の透かしが施されています。

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一の間は三方をガラス戸で囲まれており、縁桁には長さ13メートルの杉丸太が通されています。

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一の間の南西部に位置する三の間。床の間には棟札が。

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菊や桐の透かしを施した、三の間の仕切欄間。

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主屋の南端に位置する二の間。丸窓や掛込天井など、数寄屋風の意匠が見られます。

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二の間の床の間と仏壇。

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二の間の仏壇は造り付けのもので、障子には見事な組子意匠を見ることができます。

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二の間は家族の寝室として使用され、季節によって風通しを調節できるよう、取り外しのきく「掛障子」が見られます。

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二の間に隣接する、夫人のタンス置き場。往時は畳の周囲の板敷部分に、タンスが並べられていました。

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タンス置き場奥の便所。白いタイル貼りのモダンな意匠となっています。

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八坂川沿いの丘陵上に建つ一松邸。一松定吉は美和村(現在の豊後高田市)出身で、杵築藩の剣術・槍術の指南役だった一松家に養子に入り、法曹界で活躍したのち、第一次吉田内閣では逓信大臣、厚生大臣、建設大臣などを歴任しました。昭和48年(1973)に逝去しますが、その後杵築市の名誉市民第一号に選出されています。

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次回は杵築の長昌寺に残る枯山水庭園を取り上げます。
 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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