茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

平泉の庭園遺構群 〜岩手県西磐井郡平泉町〜

世界遺産登録を受けている毛越寺や中尊寺で知られる平泉町では平安時代、奥州藤原氏支配の下に多くの庭園が築かれました。それらのうち、発掘調査に基づき復元された3つの庭園をご紹介します。

<旧観自在王院庭園>
観自在王院は、奥州藤原氏第二代・基衡の夫人により、毛越寺の東隣に建立された寺院です。天正元年(1573)の兵火で荒廃し、境内は長い間水田となっていましたが、発掘調査に基づいて平安末期の庭園が復元されています。





庭園は「舞鶴が池」と呼ばれる池泉を中心とした廻遊式庭園です。かつては池泉南部に南大門が、北部に阿弥陀堂が建ち、毛越寺と同じく浄土庭園の様相を呈していたものと思われます。

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池泉のほぼ中心に、東西に細長い中島があります。阿弥陀堂跡と南大門跡を結ぶ位置にありますが、発掘調査では橋の跡は検出されていないようです。

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西部池畔には滝石組が築かれています。平安時代に記された『作庭記』にある「伝落」の手法のものとされ、上部の遣水から岩盤を伝うように水が落とされています。





池泉北部には洲浜状の出島があり、先端は石組で荒磯を表現するなど、毛越寺庭園とよく似た意匠になっています。東部池畔(写真奥)にも石組が残されています。

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池泉東部から、出島と滝石組を見る。





出島のやや西にも、大きな洲浜があります。この辺りの地割も毛越寺庭園とよく似ています。

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巨石を用いた南部池畔の護岸石組。

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<旧無量光院庭園遺構>
無量光院は、奥州藤原氏第三代・秀衡が宇治平等院を模して建立したとされる、毛越寺の付属寺院です。奥州藤原氏滅亡後、度重なる兵火で焼失し境内は水田となっていましたが、発掘調査に基づき庭園の復元整備が進められています。

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正面となる池泉東部から東島と、本堂(阿弥陀堂)があった西中島(写真奥)を望む。毛越寺や観自在王院と同じく浄土庭園の形態をとり、庭園と伽藍の後方に、金鶏山に沈む夕日を望むように設計されていました。

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東島から見た西中島。庭内で最も大きい中島で、往時は平等院鳳凰堂を模した本堂が建っていました。

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西中島に残る、本堂の礎石。本堂は平等院鳳凰堂を上回る規模であったことが分かっています。

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西中島から見た東島。3棟の建物があったことが分かっていますが、橋の跡は検出されていません。

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西側(裏側)から見た西中島。西中島の北方にも、小さな中島が発見されています。

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<旧柳之御所庭園遺構>
無量光院跡のすぐ東にある柳之御所遺跡は、奥州藤原氏の政庁であった平泉館(ひらいずみのたち)に比定される遺跡です。奥州藤原氏第三代・秀衡により造営されたものと推定され、その一画に小規模な池泉庭園が復元されています。

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発掘調査により、庭園は三期に渡り築造され、その都度拡張されたことが分かっています。池泉中央に中島一島が配置され、発掘では護岸石組も見つかっているようですが、現在は撤去されているようです。

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池泉や中島の汀は曲線を描く洲浜式のもので、玉石が敷き詰められています。

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庭園に面した建物跡。往時は平泉館の中心的な建物が建っていたようで、儀式などに使用されたものと推定されています。

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柳之御所遺跡では発掘により大規模な堀が見つかっており、東側の堀では「横矢掛かり」が見られます。横矢掛かりは戦国時代以降の城郭でよく見られる防御施設ですが、戦国時代の300年以上も前に存在したのであれば、驚きです。

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平泉は奥州藤原氏が四代100年に渡って統治し、「藤原文化」と呼ばれる独自の文化が形成されていました。平泉町では今回紹介した以外にも、中尊寺の二箇所の庭園遺構を始め、計10箇所以上の庭園遺構が確認されており、今後の研究・整備が期待されます。

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毛越寺庭園 ~岩手県西磐井郡平泉町~

岩手県西磐井郡平泉町にある毛越寺は、嘉祥3年(850)に創建された天台宗の寺院です。境内には平安末期、奥州藤原氏による築造と推定される池泉廻遊式庭園が残されています。





庭園は、宇治平等院に代表される浄土庭園の形態をとります。大泉が池と呼ばれる池泉を中心に、往時は金堂(円隆寺)をはじめとする伽藍が建ち並び、浄土を具現したかのような景観が広がっていました。

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正面となる南大門を潜り、此岸から反橋を渡り中島(写真中央)へ、中島から平橋を渡り浄土である金堂円隆寺(写真正面奥)へと至るようになっていました。往時の建築は失われていますが、礎石や橋台は現存しています。

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池泉南東部には、もう一つの中島があります。石組主体の小島で、中央にはこの庭を象徴する、傾斜した2.5メートルの立石が据えられています。





中島池泉南東部の中島と、洲浜状の出島。出島先端にも巨石による石組が築かれ、荒磯(ありそ)の景観を演出しています。

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池泉東岸には、さらに大きな洲浜があります。こちらは石組が見られず、汀(みぎわ)に玉石を敷いた、優美で落ち着いた景観になっています。


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南西部池畔の築山。巨石を用いた見事な集団石組が見られます。

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池泉北岸から望む築山。中央右手の巨石は蓬莱石で、築山全体が蓬莱山の意匠となっています。

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池泉東岸から、出島、岩島、築山を望む。

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池泉西岸から北岸にかけては、玉石が広く敷かれ浜の意匠となっています。
 




北西方向から見た中島。南北に橋引石(橋の袂に置く石)が残されています。





庭園北部には、山畔から池泉へと遣水(やりみず)が流れています。

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遣水の山畔部には石組も見られます。遣水は平安時代に多く見られた手法で、毛越寺では毎年5月に、平安時代の催事・曲水の宴が再現されます。

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毛越寺庭園ではこれまで計3回の発掘調査が行われ、現在の庭園は昭和55年(1980)からの10年に渡る発掘調査に基づいて、往時の姿に復元されたものです。優美な洲浜、洒脱な汀、豪健な石組と、全てが完璧な庭であり、また現存する数少ない平安時代の浄土庭園として、貴重な遺構でもあります。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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