茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

高野山の重森三玲作品④本覚院庭園、桜池院庭園、西南院庭園 ~和歌山県伊都郡高野町~

高野山の重森三玲作品、今回で最終回となります。今回は、本覚院庭園、桜池院庭園、西南院庭園をまとめて取り上げます。

<本覚院庭園>
本覚院は、高野山千手院谷にある真言宗別格本山の寺院です。境内には昭和28年(1953)、重森三玲により作庭された枯山水庭園があります。

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回廊に囲まれた場所に、回廊に沿って弧を描くように築かれた珍しい地割で、苔地に石組を配置し、回廊に面する下部には玉石を敷いています。

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ある一点からではなく、回廊を歩きながら観賞するようになっていて、観賞位置によって石組の見え方が変わるように工夫されています。

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本覚院は平安時代の建久年間、行空上人が建立した講坊を起源とし、江戸時代の元禄年間に本覚院と改められました。現在は宿坊としても利用できますが、一般観光客の拝観は原則不可のようですので、庭園拝観を希望する場合は電話等で相談された方が良いでしょう。

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<桜池院>
桜池院(ようちいん)は、高野山西院谷にある真言宗別格本山の寺院です。境内には、昭和27年(1952)に重森三玲が作庭した、枯山水庭園があります。

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庭園は、本堂前庭としての平庭式枯山水庭園です。伝統的な禅宗寺院の枯山水の様式をとり、白砂敷の長方形の空間に、抽象的な石組を配しています。

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石組は、京都・龍安寺庭園と同じ全15石を使用して築かれています。

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庭園は「鶴亀蓬莱の庭」とされますが、どれが鶴島・亀島なのか、よく分かりません。

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羽石のようにも思える石組。鶴島でしょうか。
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桜池院は大治2年(1127)、白河天皇の第四皇子・覚法親王により養智院として開基されたといい、後に後嵯峨上皇が当院で詠んだ歌に因み桜池院と改められました。枯山水庭園は予約せずとも拝観可能のようですが、境内にある江戸末期の池泉庭園は通常拝観不可のようです。

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<西南院>
西南院(さいなんいん)は、桜池院と同じく高野山西院谷にある、真言宗別格本山の寺院です。境内の庭園は昭和27年(1952)に重森三玲により作庭されたものですが、どういう訳か後年に大きく改変されてしまっています。

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枯池に配置された鶴島。庭園はもともとは池泉庭園として作庭されましたが、現在では枯山水庭園に改造され、作庭当初の面影はほとんど残されていません。

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亀島も改造により重森の作風は失われています。唯一、龍門瀑の滝石組のみ当初のまま保存されているようですが、樹木に埋もれてしまって確認できません。

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西南院は平安初期、弘法大師空海の弟子・真然大徳により開基された古刹です。現在は院内にカフェが併設され、庭園はカフェか宿坊利用に限り拝観可能となっています。

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高野山の重森三玲作品③光臺院庭園 ~和歌山県伊都郡高野町~

先日から高野山の重森三玲作品を取り上げていますが、3回目となる今回は、光臺院(光台院)庭園を取り上げます。

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庭園は、既存の池庭を改造する形で昭和38年(1963)に作庭されました。重森三玲の作品としては後期のものになります。

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池泉の中央には中島を一つ配置し、正面にはいくつもの小築山により高野山を囲む山々(八葉)を表現した、創作庭園となっています。

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中島の三尊石組と、築山の石組。

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庭園西部の出島。三角形の巨石は、鶴の羽石のような手法です。

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池泉の汀は洲浜風の意匠となり、複雑に入り組んでいます。

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軒下の延段も洲浜風の意匠になっています。重森三玲が好んで用いた手法です。

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書院東側には、重森が手掛けたもう一つの庭園があります。

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こちらは昭和28年(1953)に作庭されたもので、やはり洲浜風の地割が特徴の観賞式庭園となっています。もとは池泉庭園でしたが、現在では水が抜かれ涸池となっています。

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山畔の滝石組。龍門瀑とする資料もありますが、龍門瀑の構成要件である鯉魚石らしき石は確認できませんでした。

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光臺院(光台院)は高野山においては格式の高い寺院で、仁和寺と関係が深く「高野御室」とも呼ばれます。なお、境内には江戸時代のものと思われる池泉庭園も残されていますが、庭園も含め、拝観には前日午前までに電話予約する必要があります。

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高野山の重森三玲作品②西禅院庭園 ~和歌山伊都郡高野町~

前回に続いて、高野山内の重森三玲作品をご紹介します。今回は、前回取り上げた正智院の東隣にある、西禅院(さいぜんいん)庭園を取り上げます。境内には重森三玲が手掛けた、様式の異なる3つの庭園があります。

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<枯山水庭園>
新書院と茶室に面した枯山水庭園は、昭和28年(1953)に作庭されたものです。

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苔地に青石を用いた鋭い石組を配置し、燈籠や蹲踞(つくばい)を設けた、創作茶庭となっています。

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正智院庭園と同じく、石組で高野山の峰々を、苔で雲海を表現しているとされます。暗くて見えづらいですが、奥の山畔には遠山石も配置されています。





庭園の中央に位置する三尊石組。




手前側にある三尊石組。青石は石そのものの美しさが際立つ素材ですが、これを優れた造形作品として完成させるには、言うまでもなく作者の優れた美的感覚が必要とされます。





庭園南端の石組。脇には燈籠と蹲が置かれ、この庭が茶庭であることを示しています。




<枯流れ>
新書院北側には、天然の岩盤を利用した枯流れによる庭園があります。

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枯流れ南端の枯滝石組。手前には自然石の豪快な石橋が設けられています。

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枯流れ北端の石組。絶妙な傾斜が美しい三尊石組です。

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<池泉庭園>
奥書院東側には、枯流れと同じく昭和26年(1951)に作庭された池泉庭園があります。





池泉庭園は既存の池庭を改造したもので、斬新な創作などは見られず、伝統的な蓬莱山水を主題とした観賞式庭園になっています。





護岸石組と岩島。

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奥書院から向かって左手・庭園北端には、山畔に滝石組が設けられています。

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西禅院は平安時代、明寂(めいじゃく)上人によって開創された古刹で、浄土真宗の宗祖・親鸞上人もここで修行したと伝わります。庭園は常時公開されているわけではなく、拝観には事前に電話での確認が必要となります。

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高野山の重森三玲作品①正智院庭園~和歌山県伊都郡高野町~

国内有数の仏教都市・高野山には、多くの庭園が存在します。前回まで山内の古庭園を紹介してきましたが、今度は昭和の日本庭園界の巨匠・重森三玲が手掛けた庭園を複数回に渡り取り上げていきます。今回は、正智院(しょうちいん)の庭園をご紹介します。

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正智院は、金剛峯寺壇上伽藍の北側に位置する寺院です。本堂裏手に、「明神岩」と呼ばれる天然の岩盤を背景として築かれた、枯山水庭園があります。

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立石を中心とした、水墨山水画風の石組。鋭さと優美さを兼ね備えた石組で、雲海に浮かぶ高野山の峰々を表現しているとも言われます。

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石組は、抽象的ながら、絶妙なバランスで配置されています。

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苔と白砂による洲浜の意匠。重森三玲が好んで用いた手法で、東福寺光明院庭園常栄寺南瞑庭光明禅寺庭園などでも同様のものが見られます。

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庭園背後の明神岩は、正智院を再興した道範大徳が、弘法大師空海を高野山へ導いた高野明神を感得した、神聖な場所とされます。

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庭園の北西部にも、小ぶりの石組が見られます。

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正智院は永久年間(1113~1117)、教覚正智(きょうがくしょうち)坊により開基されました。高野八傑の一人とされる中興の祖・道範大徳をはじめ、多くの傑出した学僧を輩出したと言われます。

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重森三玲は昭和26年(1951)から37年(1957)にかけて、高野山の8院に作庭しており、正智院庭園は比較的古く昭和27年に作庭されています。一般観光客の庭園拝観は原則不可のようですので、拝観を希望する場合は、事前に電話で確認を入れた方が良いでしょう。

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光臺院庭園 ~和歌山県伊都郡高野町~

高野山にある光臺院(光台院)は、快慶作の阿弥陀三尊像や豊臣秀次、織田秀信の墓所などで知られる寺院です。境内には3つの庭園があり、このうち2つは重森三玲によるものですが、今回は本堂裏にある江戸時代作庭と考えられる池泉庭園をご紹介します。

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庭園は、本堂北側の山畔を利用して築かれ、池泉観賞式の様式をとります。山畔の利用や細長い池泉は江戸初期末年頃の作庭を思わせますが、現状では枯滝の向きが不自然で、当初は池泉が今よりも東部(右手)まで延びていた可能性が考えられます。

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池泉中央は出島状になり、切石橋が架けられています。右手の雪見燈籠は、明治以降の後補でしょう。

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山畔東部の枯滝石組。前回紹介した普門院庭園と同様、山畔上部に枯滝を設けてその下部を栗石敷きの枯流れとするもので、江戸初期末年頃の庭でよく見られる様式とされます。

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枯滝細部。左方上部には遠山石風の立石が配置され、下部は右手に折れて枯流れへと続きます。

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枯流れ下部。枯流れの左右にも、護岸風に石組が施されています。

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庭園背後の山畔には、多宝塔があります。この地に多宝塔が建てられたのは元禄年間(1688~1704)とされますが、オリジナルの塔は大阪市・藤田美術館に移築され、大正年間(1912~1926)に現在の塔が再建されました。

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光臺院は白河天皇の皇子・覚法親王の開基とされる古刹で、御室仁和寺と関係が深く「高野御室」とも称されます。境内には今回紹介した以外にも重森三玲による池庭(後日紹介予定)が2つありますが、いずれも拝観には前日までに電話予約する必要があります。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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