茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

日光田母沢御用邸② ~栃木県日光市~

田母沢御用邸、後編です。今回は、3階建て部分の三階から、旧小林年保別邸時代に建てられた二階建て部分を中心にご紹介します(2018年1月訪問)。

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旧紀州徳川家江戸中屋敷から移築された、三階建て部分の三階・御展望室。御展望室は数寄屋風のくだけた造りで、通常は非公開、毎年冬場に特別公開されます。

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北側の土壁には、ステンシルの手法による丸窓が設けられています。

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御展望室の南面。ガラス戸の外側には高欄が設けられています。

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御展望室の天井には、朱漆塗りの竿縁と竹の竿縁が交互に通されています。

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赤坂仮皇居時代に増築された御食堂。天皇・皇后両陛下が日常の食事をとられた所です。

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同じく赤坂仮皇居時代に増築された御湯殿。江戸時代までの風呂は浴槽がなく「かかり湯」が一般的でしたが、皇室においてもこの入浴法がとられていたようで、湯殿の床は傾斜がつけられ、中央の排水溝から水が流れるようになっています。

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御用邸の南西部に位置する二階建て部分・皇后宮。

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皇后宮は、御用邸造営前の小林家別邸時代の建築で、明治22年(1889)頃のものと推定されています。

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皇后宮の一階は、皇后御座所と御寝室(奥)が並びます。

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皇后宮一階の呉服棚。奥は御寝室となります。

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皇后宮一階のシャンデリアは、女性らしい華やかなもの。赤い部分は、塩酸と硝酸の混合水に金を混ぜることで発色させているそうです。

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そのほか、皇后宮では様々な意匠の建具を見ることができます。

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皇后宮の西側に付属する御湯殿。こちらも先ほどの湯殿と同じく、排水のため床に傾斜を設けています。

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皇后宮の西側にある、高等女官部屋。皇后の身の回りの世話をした女官たちが使用したのでしょう。

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建物のほぼ中心に位置する、内謁見所。付書院のある典型的な書院造りですが、シャンデリアや絨毯など洋風の要素も備えています。

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日光田母沢御用邸は、建築だけで1360坪もの規模を有する、国内有数の近代和風建築です。これだけの規模の建築が完存していることも驚きですが、御用邸だけあって、その建築としての質の高さは群を抜いており、平成15年(2003)には重要文化財に指定されています。

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日光田母沢御用邸① ~栃木県日光市~

栃木県日光市にある日光田母沢(たもざわ)御用邸は、明治32年(1899)、嘉仁親王(のちの大正天皇)の静養所として、日光出身の実業家・小林年保の別邸跡に造営されました。江戸、明治、大正の三時代の建築が一体として残されており、国の重要文化財に指定されています(2018年1月訪問)。

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御用邸の建築は、赤坂離宮などに使用されていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の三階建て部分、明治に入り小林年保別邸として建てられた皇后御座所などの二階建て部分、明治〜大正時代に増築された平屋建て部分などから構成されます。

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北端に設けられた玄関棟。御花御殿(旧久邇宮家)から移築されたもので、唐破風を冠した立派な車寄せが目を惹きます。

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車寄せの天井は、柾目の向きを市松に配置した、見事な格天井。

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長い廊下の先は、大正期の増築部分となります。御用邸の設計は、創建時には宮内省内匠寮の建築家・木子清敬が、大正の増築時にはその子・幸三郎が、それぞれ担当しています。

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大正期増築部分の表御食堂。テーブルや椅子が置かれ、賓客との食事会に使用されていました。

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表御食堂の床は、欅の柾目寄木張りで、デザイン・技術とも見事なものです。

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同じく大正期増築の、御玉突所。床は欅の柾目と板目を組み合わせた寄木張りで、先ほどの御食堂とは違ったデザインになっています。

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天皇の公式の謁見の際に使用された、謁見所。同じく大正期の増築で、檜の格天井に、欅の玉杢を用いた西楼棚など、格式の高さが際立つ部屋です。

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大正期増築部分の御手洗。便所の中まで畳が敷かれています。

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三階建て部分(旧紀州徳川家江戸中屋敷)の一階にあたる、御学問所(梅の間)。こちらも柾目を市松に配した格天井で、格縁には朱漆が塗られています。

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同じく三階建て部分の一階に設けられた御座所を、次の間から見る。御座所は天皇の執務室で、次の間との仕切欄間には、絵扇が付けられています。

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御学問所の奥に、二階への階段が設けられます。

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三階建て部分の二階・御日配所。大正天皇はこの部屋から、皇居内にある三殿への遥拝を日課にしていたそうです。

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二階・剣璽(けんじ)の間。三種の仁義のうち剣と勾玉は、天皇の行幸時に皇居から持ち出され、奥の上段に安置されました。左手の窓には明治時代のガラスがそのまま使用されています。

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剣璽の間の杉戸絵は、江戸時代からのものが残されています。

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剣璽の間に隣接する、御寝室。電灯が設置されず、燭台に蝋燭を灯して明かりとしていました。

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後編へ続きます。

 
 
 
 

旧山本条太郎別荘・無畏庵 (神霊教鎌倉錬成場霊源閣) ~神奈川県鎌倉市~

鎌倉市にある無畏庵は、明治〜大正期の実業家・山本条太郎の別荘として大正7年(1918)に建てられた近代和風建築です。現在は神霊教鎌倉錬成場が管理しており通常は非公開ですが、昨年秋の特別公開に参加しましたので、内部の様子をご紹介します。

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主屋は木造平屋建てで入母屋桟瓦葺き、複数の棟を雁行型に配置し、南側には相模湾を望む眺望を取り入れています。設計は、大河内山荘の設計で知られる笛吹嘉一郎の父・笛吹嘉三郎によります。

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玄関内部。主屋は自然の高低差を利用して建てられており、玄関棟は他の棟より一段低い所に設けられています。

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玄関棟から主屋主要部へ続く渡り廊下。網代の舟底天井や、竹張りの建具など、数寄屋風の意匠が見られます。

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渡り廊下から階段を上がると、いよいよ主屋の主要部となります。

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階段を上がって左手にある居間。書院造りで、床框には黒柿、天井には桐の柾目板が使用されています。

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階段を上って右手にある客間。京風の数寄屋造りで、欄間や床脇は京都・残月亭を模したものとされます。

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客間の照明には鈴虫の飾りが見られますが、建築当初のものなのかは不明のようです。

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客間の欄間。残月亭の「踊り桐」の写しとされます。

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客間の入側は縁座敷になっており、小屋組の垂木は丸太と竹を交互に配しています。

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客間から奥へと続く廊下は、畳敷きになっています。

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廊下の梁では、釿削りを意匠として見せています。

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客間の西にある、6畳の茶室。

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主屋の北部に茶室棟が続きます。

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茶室棟は、山本家から土地と建物を譲り受けた九鬼悠巌氏により、昭和31年(1956)に増築されたものです。

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茶室手前の水屋。天井は玄関同様、筵張(むしろばり)の舟底天井になっています。

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主屋最奥部にある茶室。掛込天井には天窓が開けられています。

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茶室北部にある腰掛待合。

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山本条太郎は福井出身の実業家で、三井物産の取締役などを務めた後、政治家としても活躍しました。無畏庵は、鎌倉に現存する関東大震災以前の別荘建築として貴重な存在であり、また質の高い数寄屋建築であることから、主屋、門、腰掛待合、練塀が国の有形文化財に登録されています。

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内野邸 ~神奈川県小田原市~

小田原市板橋の旧東海道沿いにある内野邸は、醤油醸造業を営む内野家の住居兼店舗として、明治36年(1903)に建てられました。主屋と袖蔵、穀蔵、かつての醤油工場などが残され、毎月第2・第4の土日に一般公開されています。

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主屋は木造2階建てで、蔵造りの形式をとっています。外壁を黒漆喰塗り込めとし、玄関や窓には鉄扉を備え、窓周りに銅板を張るなど、防火を強く意識した構造になっています。

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一階の店舗入口。アーチ型の洋風意匠が特徴です。

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一階・事務所。かつてはここで醤油の計り売りが行われていました。

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一階・玄関。写真中央の柱は、欅を用いた大黒柱です。

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一階・座敷。書院障子の組子には見事な意匠が見られます。

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一階・座敷の欄間。櫛形の意匠です。

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一階座敷の北面と東面は、猫間障子で区画されています。上部の欄間も見事な意匠。

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主屋北側に増築された隠居所。茶室としても使用されていたようです。

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主屋北西隅に設置された客用階段。主屋ではこの他にも、配膳用にもう一つ階段が設置されています。

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客間として使用された、二階・10畳座敷。二階は10畳と8畳の座敷が南北に並んでいます。

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干網と亀甲の意匠が施された、10畳座敷の書院障子。細い組子を繋ぎ合わせた、見事な意匠です。

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二階10畳座敷も、北面と東面が猫間障子で囲まれています。上部の欄間の意匠も見事。

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10畳座敷の南側に並ぶ、8畳座敷。10畳座敷が主客用であるのに対し、こちらは付き人のための部屋でした。

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座敷の仕切り欄間には、雌雄の鳳凰の透かし。

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内野家は、万延元年(1860)、酒造業を営んでいた本家から分家したのを始まりとし、「ブコー(武功)醤油」というブランドで3代に渡り醤油醸造業を営みました。昭和55年(1980)に醤油醸造業を廃業すると、一時は内野邸の解体も検討されたようですが、現在は内野家所有のもと、非営利団体・板橋まちなみファクトリーによって管理されています。なお、小田原はかつて別荘地として多くの政財界人が別邸を構えた地で、内野邸の近くにも松永安左ヱ門の老欅荘や、山縣有朋の古稀庵庭園などが残されています。

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古民家山十邸 ~神奈川県愛甲郡愛川町~

神奈川県愛川町にある古民家山十(やまじゅう)邸は、明治16年(1883)、当地の豪農・熊坂半兵衛の住居として、中津川の河岸段丘上に建てられました。幾度か所有者が変わったのち、昭和63年(1988)に愛川町の所有となり、現在は一般公開されています。

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主屋は典型的な農家の構造をしていますが、屋根は当時珍しかったであろう瓦葺きとなっています。施工は愛川町半原の宮大工・矢内家の右仲、左仲、左文治の三兄弟とされます。

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主屋南面を占める土間。

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出居。邸内最大の部屋で、太い格縁の格天井は、前回ご紹介したお隣・厚木市の旧岸家住宅広間と似ています。

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主屋北西隅にあたる大広間。付書院と違棚のある正統な書院造りで、天井の竿縁には黒漆が塗られています。

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大広間の書院障子。細やかな組子の意匠が見事です。

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大広間の仕切り欄間。

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大広間の障子は額入り障子になっており、座りながら外の庭園を眺めることができます。

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茶の間。奥に納戸、二の間と続きます。

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北東隅にあたる二の間。こちらも大広間と同じく正統な書院造りになっています。

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二の間の付書院。欄間の松の透かし、障子の幾何学的な組子が見事です。

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主屋の北部には、枯山水の庭園が造られています。

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明治期の庭園らしくあまり面白みはありませんが、枯滝上部の遠山石はまずまず見応えのあるものでした。

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庭園から主屋を見る。

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熊坂半兵衛の邸宅として建てられた山十邸ですが、昭和19年(1944)には思想家・大川周明の所有となり、同32年までその住居として使用されています。伝統的な農家の構造をしていながらも、細部に凝らされた意匠は見事で、格式の高さが感じらる建築です。なお、「山十」とは熊坂家の屋号です。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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