茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧遠山家住宅(遠山記念館)【後編】~埼玉県比企郡川島町~

旧遠山家住宅、後編です。前編では東棟と中棟1階を紹介しましたが、今回は中棟2階と西棟を紹介します(2017年9月、2019年10月撮影)。





中棟2階・応接室。1階とはうって変わり、アール・ヌーヴォー調のシャンデリア、寄木張りの床など、洋風の意匠が目を惹きます。

旧遠山家住宅・中棟2階応接室



一方、応接室は格天井を崩したような天井や床の間も設けられ、和洋折衷の部屋となっています。天井は春日杉の杢目板、床の間には桑杢目(床柱)、赤松(落掛)、欅玉杢(床框・地板)といった良材が使用されています。

旧遠山家住宅・中棟2階応接室




応接室の北東部にある寝室。こちらも和洋折衷の部屋となっています。

旧遠山家住宅・中棟2階寝室




寝室に置かれたベッド。

旧遠山家住宅・中棟2階寝室



応接室と寝室では、窓の上に高窓が設けられています。オパールガラスを用いた珍しいもので、繊細な唐草模様の透かし彫りが意匠されています。

旧遠山家住宅・中棟2階寝室

 



応接室、寝室ともに床は寄木張りですが、デザインが数種類あり、こちらも見応えがあります。





寝室に隣接する便所。こちらも天井は格天井ですが、床や腰壁にはタイルを用いるなど、やはり和洋折衷となっています。

旧遠山家住宅・中棟2階便所




中棟2階には、14畳の座敷もあります。こちらも天井は春日杉の杢目板、床回りには桐四方柾目(床柱)、桐柾目(落掛)、檜(床框)、桑杢目(床脇)と、良材がふんだんに使用されています。

旧遠山家住宅・中棟2階座敷




座敷南側は平書院が設けられ、天井は杉杢目板と網代の目透かしによる上品な意匠となっています。





続いて西棟を見て行きます。西棟は、遠山元一が母のプライベートスペースとして設けた数寄屋風の棟で、真行草の3つの座敷と、仏間、台所などで構成されます。





屈曲と化粧屋根裏が美しい、中棟から西棟への渡り廊下。

旧遠山家住宅・渡り廊下




西棟内部に入ると廊下の趣は変わり、半分が畳敷、半分が板敷で、天井は掛込天井となります。

旧遠山家住宅・西棟畳廊下




客間として使用された、西棟・8畳半間。「行の間」と呼ばれ、錆竹の落掛、杉杢目板と網代の目透かしによる天井など、洗練された数寄屋風の座敷となっています。

旧遠山家住宅・西棟座敷




「草の間」と名付けられた、西棟・7畳間。こちらは踏込床のある茶室で、床柱や天井竿縁には皮付材を用い、壁は経年で色が変化する「黒差し天王寺」と呼ばれる土壁になっています。

旧遠山家住宅・西棟座敷




7畳間の南東2面は平瓦が敷かれ、建物内部と庭園を繋ぐようなスペースとなっています。

旧遠山家住宅・西棟座敷




寝室として使用された、西棟・12畳間。こちらは「真の間」で、屋久杉杢目板(天井)、北山杉絞丸太(床柱)、桐柾目(落掛)、松杢目(付書院)など、やはり高級材をふんだんに使用されています。





12畳間の欄間。桐材を用いて、見事な桐の彫刻が施されています。

旧遠山家住宅・西棟座敷




旧遠山家住宅は、遠山元一の弟・芳雄の指揮の下、旧石川組製紙西洋館などを手掛けた室岡惣七の設計により、3万5千人もの職人の手により建設されました。今回紹介した以外にも、土蔵や茶室、庭園が現存し、一連の建造物が重要文化財に指定されています。





以前から「近代和風建築の傑作」と評価されており、管理人もかれこれ5回ほど訪れていますが、棟ごと部屋ごとに違う趣向、随所に惜しみなく用いられた高級材、それでいて決して駄趣味にならず洗練された各部の意匠など、訪れる度に感動を覚える建築です。なお、中棟2階は通常非公開で、年に数回の特別公開日にのみ公開されます。

旧遠山家住宅・西棟畳廊下


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旧遠山家住宅(遠山記念館)【前編】~埼玉県比企郡川島町~

埼玉県川島町にある旧遠山家住宅は、日興證券の創立者・遠山元一が、生家の再興と母の住まいとして、昭和11年(1936)に建てた近代和風建築です。東棟、中棟、西棟の3棟を渡り廊下で繋いだ大規模な住宅建築で、見所が多いため2回に分けて紹介します。初回は東棟と中棟1階を紹介します(2014年11月、2017年9月、2019年10月撮影)。




正面から見た中棟(写真左)と東棟(写真右)。東棟は茅葺屋根で伝統的な農家風の造り、2階建ての中棟は対照的に近代的な座敷や洋間を備えています。





東棟にある表玄関。客用の玄関で、入母屋破風を冠した立派な車寄せが設けられています。





表玄関車寄せ内部。格式高い式台、巨大な鞍馬石の沓脱石、欅の玉杢材を市松に配した格天井など、見事なものです。





表玄関を上がった、取次の間。

旧遠山家住宅・東棟取次の間




表玄関から、畳敷の廊下を進んでいきます。




東棟の中心となる居間。東棟は農家風の造りで、当初は天井がなく小屋組が露出していましたが、防寒のために見事な網代天井が張られました。





居間の天井は、細部まで趣向が凝らされています。

旧遠山家住宅・東棟居間




居間の東側には、家族用の内玄関が設けられています。土間部分は人造石研ぎ出しによるものです。

旧遠山家住宅・東棟内玄関




東棟から中棟への渡り廊下。畳敷の廊下で、天井は舟底天井になっています。





渡り廊下には書院風の空間が設けられています。地袋の市松の意匠が見事。

旧遠山家住宅・渡り廊下



渡り廊下の途中にある浴室。天井は見事な唐傘天井になっています。旧遠山家住宅は建築当初から全館給湯で、浴室にはシャワーも設置されています。

旧遠山家住宅・浴室




数寄屋風の脱衣所。





脱衣所の隣には化粧の間があります。掛込天井や面皮柱を用いるなど、数寄屋風に仕上げています。

旧遠山家住宅・中棟化粧室



賓客の接待や行事に使用された、中の間1階の座敷。北山杉(床柱)、桐の四方柾目(落掛)、欅の玉杢(床脇)、杉の四方柾目(天井)など高級材がふんだんに使用され、壁は宝石などに使われる柘榴石(ガーネット)の砂壁となっています。

旧遠山家住宅・中棟1階座敷




座敷の書院欄間。桐柾材に七宝花菱の透かしを意匠した、見事なものです。

旧遠山家住宅・中棟1階座敷




次の間から見た座敷。仕切欄間は桐を用いた筬欄間で、襖には家名に因んで「遠山に松」が描かれています。

旧遠山家住宅・中棟1階座敷




大広間の外側は、三方に畳敷の広縁が巡らされ、庭園を眺めることができます。

旧遠山家住宅・中棟1階畳廊下




中棟1階の客用便所。数寄屋風の上品な造りになっています。

旧遠山家住宅・中棟1階便所




次回は中棟2階と西棟を紹介します。

旧遠山家住宅・照明


 
 
 
 

旧陸奥宗光邸「聴漁荘」 ~神奈川県中郡大磯町~

神奈川県大磯町にある旧陸奥宗光邸「聴漁荘(ちょうぎょそう)」は、関東大震災で被災した旧陸奥宗光邸を復元する形で、大正14年(1925)に建てられた近代和風建築です。現在は古河電工(株)の所有となり非公開ですが、明治150年記念公開」として実施された特別公開に参加しましたので、ご紹介します。

旧陸奥宗光邸・外観①




南側から見た外観。建物は木造平屋建て、屋根は入母屋・寄棟造桟瓦葺で、屋根の下部には庇を伴います。





建物東面。右手の張り出し部分が玄関となります。

旧陸奥宗光邸・外観③




玄関上部には、「聴漁荘」の扁額があります。円覚寺派の管長を務めた太田晦厳が命名したものと言われています。

旧陸奥宗光邸・玄関①




玄関内部。上がり框を使用していない点が特徴とされます。

旧陸奥宗光邸・玄関内部




玄関を入って右手にある書生室。陸奥宗光が執筆した外交記録『蹇蹇録(けんけんろく)』編集のため書生が使用した部屋とされます。

旧陸奥宗光邸・書生室




玄関を入って左手には広間があります。10畳と8畳の2間続きで、応接間と主人室を兼ねていたようです。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室①




広間の床の間は琵琶床を備え、竹の落掛け皮付き柱を用いるなど、数寄屋を取り入れた上品な意匠になっています。掛軸は、庭の滝をモチーフに、日本画家の巨匠・横山大観が描いたものと言われます。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室(床の間)




付書院には、松皮菱の繊細な組子意匠。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室(付書院)




竹を用いた、広間の欄間。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室(欄間)




広間は東南西の三面が広縁とガラス戸で囲まれ、明るく開放的になっています。

旧陸奥宗光邸・応接室兼主人室(広縁)




広間北側を通る中廊下。右手の棚には屋久杉が使用されています。

旧陸奥宗光邸・廊下





広間の西側、中廊下の先には家族用の和室があります。

旧陸奥宗光邸・和室①




家族用和室も、網代張りの落天井や飾り窓など、数寄屋風の意匠が取り入れられています。

旧陸奥宗光邸・和室②




家族用和室の西側にある、茶の間。こちらも、織部床や竹を用いた落掛けなど、数寄屋風の意匠が見られます。

旧陸奥宗光邸・茶の間




家族用和室の北側にある洗面室。こちらも皮付き柱や竹の長押など、数寄屋を感じさせる空間です。

旧陸奥宗光邸・洗面室




洗面室に隣接する脱衣室。奥は浴室となります。

旧陸奥宗光邸・脱衣室




浴室は曇りガラスが使用され、明るく開放的な雰囲気になっています。唐傘天井やタイル張りの床も見事。

旧陸奥宗光邸・浴室




浴室にはシャワーも設置されています。

旧陸奥宗光邸・浴室(シャワー)



旧陸奥宗光邸は、もともと明治27年(1894)に、陸奥宗光の別邸として、現在地と同じ場所に建てられました。現在の建物は関東大震災後の再建であるため、実際に陸奥宗光によって使用されたことはなく、長く古河家の別邸として使用されていたようです。なお、旧大隈重信邸の記事でも触れましたが、国は隣接する旧大隈重信邸、旧伊藤博文邸(滄浪閣)、旧西園寺公望邸を含む一帯を「明治記念大磯邸園」として整備し、将来的には通年公開を予定しているとのことです。

旧陸奥宗光邸・外観④


 
 
 
 

旧大隈重信邸 ~神奈川県中郡大磯町~

神奈川県大磯町にある旧大隈重信邸は、内閣総理大臣を2度務め、日本史上初の政党内閣を立ち上げたことでも知られる政治家・大隈重信の別邸として、明治30年(1897)に建てられた近代和風建築です。現在は古河電工(株)の所有となり非公開となっていますが、「明治150年記念公開」として実施された特別公開に参加しましたので、ご紹介します。

旧大隈重信邸・外観



建物の西部にあたる、「富士の間」外観。木造平屋建てで、当初は茅葺だった屋根は、現在ではアルミ板棒葺に変えられています。

旧大隈重信邸・富士の間(外観)




西側に設けられた玄関。車寄せが大きく張り出しています。

旧大隈重信邸・玄関①



車寄せの垂木、玄関扉、欄間と、どれも左右対称・直線を意識したもので、明治期の建築とは思えない、合理的でモダンなデザインとなっています。

旧大隈重信邸・玄関②




玄関内部。入って右手が応接空間である富士の間、左手が居住空間へと続く廊下となります。

旧大隈重信邸・玄関内部




玄関と富士の間の間にある応接間。こちらも明治期の建築とは思えない、モダンな空間になっています。

旧大隈重信邸・応接間




16畳と10畳の2部屋からなる、富士の間。旧大隈邸には毎日のように来客があり、ここで宴が開かれたそうです。

旧大隈重信邸・富士の間




富士の間、床の間と付書院。床柱には百日紅(さるすべり)が使用されています。

旧大隈重信邸・富士の間(床の間)




書院障子と板欄間の意匠。

旧大隈重信邸・富士の間(書院障子と欄間)




鶴をかたどった釘隠。

旧大隈重信邸・富士の間(釘隠)




富士の間、欄間の意匠。

旧大隈重信邸・富士の間(欄間)




富士の間を取り巻く広縁。富士の間は東面と南面がほぼ全面ガラス戸で、明るく開放的な空間となっています。

旧大隈重信邸・富士の間(広縁)



富士の間の東方にある「神代(じんだい)の間」外観。富士の間が来客のための空間だったのに対し、神代の間は大隈の居室として使用されました。

旧大隈重信邸・神代の間(外観)




富士の間から神代の間へと続く廊下。欅の一枚板が使用されています。

旧大隈重信邸・廊下




廊下の北側に、四つの和室が配置されています。家族の居室として使用されたものでしょうか。

旧大隈重信邸・和室




神代の間、書斎。数寄屋風の空間で、天井や引き戸に神代杉が使用されていることから、神代の間と呼ばれていました。

旧大隈重信邸・神代の間(書斎)




書斎に隣接する寝室。神代の間は、書斎と寝室の2部屋で構成されています。

旧大隈重信邸・神代の間(寝室)




神代の間では東南西の三面がガラス戸になっていて、入側が通されています。

旧大隈重信邸・神代の間(ガラス戸と入側)




神代の間のガラス戸には、非常に凝った、幾何学的なデザインの桟が見られます。

旧大隈重信邸・神代の間(ガラス戸①)


旧大隈重信邸は、竣工からわずか4年で古河市兵衛に譲渡され、その後は古河電工の所有となりました。一部増改築を受けているものの、関東大震災にも耐え、ほぼ建築当初のまま残されています。なお、国は隣接する旧陸奥宗光邸(聴漁荘、次回紹介予定)、旧伊藤博文別邸(滄浪閣)、旧西園寺公望別邸を含む一帯を「明治記念大磯邸園」として整備中で、将来的にこれらの施設は通年で公開される予定です。

旧大隈重信邸・神代の間(ガラス戸②)


 
 
 
 

日光田母沢御用邸② ~栃木県日光市~

田母沢御用邸、後編です。今回は、3階建て部分の三階から、旧小林年保別邸時代に建てられた二階建て部分を中心にご紹介します(2018年1月訪問)。

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旧紀州徳川家江戸中屋敷から移築された、三階建て部分の三階・御展望室。御展望室は数寄屋風のくだけた造りで、通常は非公開、毎年冬場に特別公開されます。

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北側の土壁には、ステンシルの手法による丸窓が設けられています。

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御展望室の南面。ガラス戸の外側には高欄が設けられています。

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御展望室の天井には、朱漆塗りの竿縁と竹の竿縁が交互に通されています。

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赤坂仮皇居時代に増築された御食堂。天皇・皇后両陛下が日常の食事をとられた所です。

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同じく赤坂仮皇居時代に増築された御湯殿。江戸時代までの風呂は浴槽がなく「かかり湯」が一般的でしたが、皇室においてもこの入浴法がとられていたようで、湯殿の床は傾斜がつけられ、中央の排水溝から水が流れるようになっています。

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御用邸の南西部に位置する二階建て部分・皇后宮。

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皇后宮は、御用邸造営前の小林家別邸時代の建築で、明治22年(1889)頃のものと推定されています。

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皇后宮の一階は、皇后御座所と御寝室(奥)が並びます。

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皇后宮一階の呉服棚。奥は御寝室となります。

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皇后宮一階のシャンデリアは、女性らしい華やかなもの。赤い部分は、塩酸と硝酸の混合水に金を混ぜることで発色させているそうです。

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そのほか、皇后宮では様々な意匠の建具を見ることができます。

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皇后宮の西側に付属する御湯殿。こちらも先ほどの湯殿と同じく、排水のため床に傾斜を設けています。

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皇后宮の西側にある、高等女官部屋。皇后の身の回りの世話をした女官たちが使用したのでしょう。

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建物のほぼ中心に位置する、内謁見所。付書院のある典型的な書院造りですが、シャンデリアや絨毯など洋風の要素も備えています。

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日光田母沢御用邸は、建築だけで1360坪もの規模を有する、国内有数の近代和風建築です。これだけの規模の建築が完存していることも驚きですが、御用邸だけあって、その建築としての質の高さは群を抜いており、平成15年(2003)には重要文化財に指定されています。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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