茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

小田原の古い町並み①(城下町・宿場町としての面影と近代建築 【前編】) ~神奈川県小田原市~

神奈川県西部に位置する小田原市は、古くは小田原城の城下町、東海道の宿場町として栄え、明治以降は別荘地として、多くの著名人が別邸を構えた地です。4回に分けて町並みをご紹介したいと思いますが、初回と二回目は城下町・宿場町としての面影と、近代建築を中心にご紹介します。


栄町にある、寛文元年(1661)創業の江嶋(えじま)。茶葉や海苔、和紙などを販売するお店で、現在の建物は昭和3年(1927)に建てられたものです。立派な出桁が見られる、伝統的な町屋建築です。

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栄町は、部分的ですが戦前の建物が残り、現在も店舗として再利用されています。

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栄町にある小田原カトリック教会。現在の聖堂は下見板張りの木造洋館で、昭和6年(1931)に建て直されたものです。

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栄町の個人宅。モルタル壁の洋風の主屋に、伝統的な土蔵が付属しています。

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栄町の洋館・さくらい呉服店。かつて協和銀行の支店として使用されていたようで、建築年代は不明ですが、大正~昭和初期頃のものと思われます。

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鈴廣とともに、小田原の老舗蒲鉾店として知られる「籠清」。建物は大正13年(1924)に建てられたものです。

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籠清のある千度小路にある理容室。壁面のレリーフやステンドグラスが秀逸な看板建築です。

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本町にある個人宅。スクラッチタイルを用いた、洒落た洋館です。

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本町には戦前の和風建築が点在します。

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本町にある「なりわい交流館」。昭和7年(1932)に、網問屋の店舗として建てられた建物で、写真では分かりづらいですが立派な出桁が見られます。

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本町にある山本眼科医院。大正13年(1924)に建てられた洋館で、現役の眼科として使用されています。

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旧東海道に出て、昭和3年(1927)築の旧明和銀行本店(現・中央労働金庫小田原支店)。コーナーのアーチが印象的な洋館で、現在は修復工事中です(写真は2014年に撮影)。

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明治26年(1926)創業の、だるま料理店。建物は大正15年(1893)に建てられたもので、国の有形文化財に登録されています。車寄せの懸魚や内部の折上格天井など、豪華な意匠が見られる和風建築です。

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本町にある佐藤和夫法律事務所。木々で見えづらいですが昭和9年(1934)築の洋館で、左手には和風の住宅が付属しています。

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本町の老舗鰻屋・柏又(かしまた)。数寄屋風の和風建築で、正確な建築年代は不明ですが、大正期に建てられたようです。

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②へ続きます。


 
 
 
 

鵠沼・旧別荘地の町並み ~神奈川県藤沢市~

藤沢市の南部に位置する鵠沼(くげぬま)地区は、かつて別荘地だった地区で、現在でも松が岡、藤が谷、桜が丘などの地区に、往時の面影をかすかにとどめています。

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鵠沼海岸駅から松が岡の住宅街を歩きます。20〜15年前と比べると、新築の住宅が大幅に増え、風景は変わってきています。

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別荘地としての鵠沼の開発が始まったのは明治27年(1887)のことです。同年、東海道本線が横浜から国府津まで延長され、藤沢にも駅が設置されたことによります。

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明治35年(1905)、藤沢と江ノ島を繋ぐ江ノ島電鉄が開通すると、別荘地としての開発はさらに加速していきました。

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小田急線の車窓から見える、松が岡公園。大正期、西洋史家・村川堅固とその子・堅太郎の別荘地だった場所で、現在は松の巨木に覆われています。





松が岡公園の裏手には、古くからのお屋敷が並びます。

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江ノ電・鵠沼駅正面にある賀来神社。別荘地として開発される以前、鵠沼には子爵家・大給家の広大な別荘地がありましたが、この賀来神社は、大給家(大給松平家)の江戸神田屋敷内にあった稲荷を移してきたものと言います。





藤が谷の町並み。御影石の塀や竹垣、生垣で囲まれた住宅が見られます。





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かつては立派なお宅が存在していたと思われる広い空地。低い石垣と松の木は、鵠沼地区の住宅街ではよく見られる光景です。

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国の有形文化財に登録されている、桜が丘の林家住宅。昭和12年(1937年)、市内の六会(むつあい)にあった古民家の古材を使用して建てられたハーフティンバーの洋館で、思想家・林達夫の住居でした。

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桜が丘にある蓮沼では、毎年7月に蓮の花が見ごろを迎えます。

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鵠沼橘にある、旧後藤医院鵠沼分院。昭和8年(1933)に建てられた木造平屋建ての和洋折衷建築で、国の有形文化財に登録されています。

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私事ですが、数年前まで、松が岡に祖父母宅があった関係で(祖父母宅はボロ屋でしたが)、小中学生の頃は、よく辺りを散歩したものでした。当時(20~15年程前)と比べると、周囲の風景はどんどん変わってきていますが、生垣や竹垣で囲まれた風格ある住宅や、洋館風の住宅は今でも点在していて、辛うじて別荘地時代の面影を偲ぶことができます。


 
 
 
 

下館の古い町並み ~茨城県筑西市~

栃木県との県境にある茨城県筑西市の下館、中世から下館城の城下町として栄え、今も町の至る所に古い建物が点在しています。

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羽黒神社の西にある立派な看板建築・中澤時計店。

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とにかく重厚で立派な造りです。看板もレトロでかわいいデザイン。

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同じく羽黒神社近くにあるコンクリート造の洋館・一木歯科醫院。国の有形文化財に登録されています。

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国道50号線を東へ進みます。この町は石蔵が多いですね。

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江戸時代からの醸造元・荒川家。町屋にモルタル造の洋館がくっついた、下館のシンボル的存在です。国の有形文化財に登録されています。

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荒川家住宅の対面にある、もう一つの荒川家住宅。こちらは明治期の卸問屋・荒川家の住宅で、やはり国の有形文化財に登録されています。

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金井町にある、中屋製菓。黒くて重厚な建物群が一際目立ちます。

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同じく金井町の、こちらも立派なお宅。トタンに葺き替えられてしまっているのが残念。。

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金井町には、黒漆喰の塗られた蔵造りの建物が密集しています。

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洋館チックな石蔵を発見。一階はガレージになっています。

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50号線の南側にも、古い石蔵などが点在しています。

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廃業してしまった銭湯・松の湯。後ろの高台に見える赤い屋根の洋館は、堤歯科医院の建物です。

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下館は、江戸時代は真岡木綿の集積地として栄え、多くの豪商が生まれました。平成の大合併で筑西市となり、自治体としての下館という名称はなくなっています(今回訪れるまで知らなかった。。)が、思った以上に古い建物が残っていて、感動しました。ただ、近年になって失われた古い建物も少なくないようで、今残っている町並みだけでも保存されることを願います。

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桐生新町の古い町並みと近代建築(群馬県桐生市)

群馬県東部の桐生市は江戸時代、織物業で栄えた町で、「西の西陣、東の桐生」と呼ばれたほどでした。散在的ですが、現在でも本町周辺に古い町並みを残しています。


天保元年(1830)操業の鰻屋「泉新」。

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醸造業や質商で財をなした矢野家の店舗・矢野本店。店舗は大正5年(1916)の建築、隣接する倉庫群は「有鄰館」として開放されています。

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矢野本店の脇の路地「酒屋小路」

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旧街道沿いを歩くと、古い建築が散在しています。
花屋さんになっている、旧書上商店。かつての織物買継商・書上家の店舗です。

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大正3年(1914)築の平田邸

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さらに旧街道沿いに、古い建築が散在します。

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古い町並みをさらに進むと、右手に群馬大学工学部があります。同学部内には、大正5年(1916)に建てられた木造の洋館・旧国立染織学校講堂(現・群馬大学工学部同窓記念会館)が残っています。

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ベーカリーカフェになっている旧金谷レース工業には、大正モダン建築が残されていました。現存する工場とともに、大正8年(1919)に事務所として建てられたものです。

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旧金谷レース工場の正面には、近代和風建築が。
明治期、齋嘉織物を経営した齋藤嘉吉の邸宅で、現在は食事処?になっていました。

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桐生市内にはノコギリ屋根の工場が数ヵ所残っています。こちらは大正3年(1914)築の「曽我織物工場」。

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桐生市の町並みは、「桐生新町」として国の重要伝統的建造物群指定地区されています。今回は本町周辺しか周れなかったのですが、今度は相老の明治館や、桐生絹撚記念館などの洋館も周ってみたいと思っております。



 
 
 
 

小幡の古い町並み(群馬県甘楽郡甘楽町)

群馬県甘楽町の小幡は、江戸時代、小幡藩の陣屋が設けられたことから城下町として栄えました。現在でも、その面影の一部が残されています。


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雄川堰と呼ばれる水路に沿って、かつての養蚕農家や商家が並びます。


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陣屋の大手道である中小路沿いには、武家屋敷や陣屋の石垣が今も残ります。

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中小路沿い残る武家屋敷・高橋家。小幡藩勘定奉行の屋敷です。

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高橋家に残る池泉式の庭園。江戸初期の築庭と言われています。

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陣屋へと続く道には、今も石垣が残されています。

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地元で「喰い違いの郭(くるわ)」と呼ばれる石垣。いわゆる桝形虎口です。

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陣屋の東方・旧街道沿いにも古い家並みが見られます。

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小幡藩は織田信長の孫・信良によって立てられ、寛永年間に城下町が整備されました。昭和の頃に比べると、だいぶ町並みは変わってしまったそうですが、国指定名勝・楽山園を中心に、今も藩政期の面影をかろうじて残しています。なお、楽山園の近くには武家屋敷・松浦家が残りますが、訪れた時は修理中で見学することができなかったのが残念。 。


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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