茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

四国探訪⑧~大洲の古い町並み(愛媛県大洲市)~

西予地方に位置する大洲は「伊予の小京都」と呼ばれ、城下町であったかつての趣を今に残しています。

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大洲市大洲の町並み。古くからの商家が並びます。

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「おおず赤煉瓦館」。大洲商業銀行の建物として、明治34年(1901)に建築されたものです。

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「おはなはん通り」の町並み。昔の朝ドラのロケが行われた場所だそうです。

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大洲神社近くの町並み。

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大洲では、内子と同じく浅黄色の漆喰壁が多く見られます。

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大洲高校脇にある、「旧加藤家住宅主屋」。旧大洲藩主・加藤家の住居として大正14年(1925)に建てられた近代和風家築です。

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旧・大洲城三の丸付近の町並み。

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旧・大洲城二の丸付近の町並み。昭和の香り漂う商店が点在します。

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大洲は古くは伊予宇都宮氏が支配していましたが、その後、長宗我部氏・小早川氏・戸田氏の支配を経て、文禄4年(1595)藤堂高虎が大洲城に入城。慶長14年(1609)に城主は脇坂安治に代わりますが、藤堂・脇坂時代に城と城下町が本格的に整備されたようです。城下町は平成21年(2009)に建造物の修復整備が行われたとのことで、事前にネット上で見ていた写真よりも綺麗に整備されていました。

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四国探訪⑦~道後公園=湯築城址(愛媛県松山市)~

道後温泉の南方にある道後公園は、伊予の守護大名・河野氏が代々居城した湯築城の址です。当時の城の主要部はそのまま公園として整備され、現在でも土塁や水堀などの遺構をよく残しています。

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 湯築城は室町時代、河野氏によって築城され、以後、代々河野氏が居城としました。戦国時代になると、内紛や土佐の長宗我部氏の侵攻により河野氏は衰退の一途をたどり、天正15年(1587)、57代・道直の死によって滅亡しました。
 公園内は、発掘調査に基づいて武家屋敷や庭園が復元されるなど、全体的によく整備されていますが、内堀などは公園化の際にかなり改変されてしまっているようで、城郭ファンとしてはちょっと残念な感じもします…。ただ、むしろ内堀を池に見立てて日本庭園だと考えれば、それはそれで風情があるような気もして、個人的には結構好きな城址です。現在では国の史跡に指定されています。


 
 
 
 

四国探訪⑥~上芳我家住宅(愛媛県喜多郡内子町)~

上芳我家住宅は、内子町八日市地区に残る、かつての豪商の邸宅です。上芳我家は、江戸時代末期に同じ八日市地区の本芳我家から分家し、木蝋生産で財をなしました。

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内子は江戸時代後期から製蝋業が発展し、明治~大正期には生産量国内一位を誇っていましたが、大正期になると製蝋業の衰退とともにその製造場も姿を消すようになり、現在、その施設を完全に残しているのは全国で上芳我家のみと言われています。現在では屋敷全体が国の重要文化財に指定されています。

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四国探訪⑤ ~内子の古い町並み(愛媛県喜多郡内子町)~

四国探訪2日目、午後は古い町並みの残る、内子町を訪れました。内子は江戸時代後期から和紙と木蝋の生産によって栄え、本芳我家や上芳我家といった豪商の邸宅を始め、今でも古い建物が多く残されています。

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大正5年(1916)に建てられた「内子座」。歌舞伎劇場です。

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旧下芳我家住宅主屋。当初は木蝋生産を営んでいましたが、造り酒屋と和紙の生産に転向し、現在は飲食店とギャラリーになっています。

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活動写真館「旭館」。大正14年(1925)に建てられ、昭和40年代初頭まで現役でした。

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数年前までは朽ちるに任せる状態だったようですが、現在では修復され、映画館として復活しています。

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坂町地区の町並み

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坂町地区から八日市地区への入り口「桝形」。古い町並みによく見られる、防御用に道を食違いにしたものです。

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八日市地区の町並み

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八日市地区に残る本芳我家住宅。明治22年(1889)建築で、国の重要文化財に指定されています。

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豪商の邸宅らしく、細部に様々な意匠が凝らされています。

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主屋の懸魚。

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本芳我家の蔵。壁はこの地方でよく見られる、浅黄色の漆喰で塗られています。

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上芳我家。

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内子の町並みは、「八日市護国地区の町並」として、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。本芳我家住宅は内部の見学はできませんが、八日市地区の東側に残る上芳我家住宅は一般に開放されています。詳細は次回の記事に載せたいと思います。

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四国探訪④~萬翠荘(愛媛県松山市)

松山城の南麓、愛媛県庁の奥に、大正期に建設された洋館・萬翠(ばんすい)荘が建っています。


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 萬翠荘は大正11年(1922)、松山藩主の子孫・久松定謨伯爵が自身の別邸として建造しました。完成直後には、のちの昭和天皇・裕仁親王も滞在しました。当時としては先端の鉄筋コンクリート造、内部には巨大なステンドグラスや水晶のシャンデリアが飾られ、さらに裕仁親王が滞在した「謁見の間」は白を基調とした内装とするなど、内装も極めて格調の高いものになっています。
 なお、以前は敷地内に数寄屋風の愚陀仏庵という建物(夏目漱石の下宿場所)が復元されていましたが、残念ながら平成22年(2010)に土砂崩れで倒壊しています。

 
 
 
 

四国探訪③~松山城(愛媛県松山市)~

四国探訪2日目。道後温泉から出発して、松山城へ。
日本百名城であり、大天守は全国現存12天守のうちの一つです。

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太鼓櫓(復元)


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筒井門(復元)


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小天守と南隅櫓(いずれも復元)


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一ノ門(現存)と小天守(復元)


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大天守(現存)


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大天守より野原櫓(現存)と瀬戸内海方面を望む


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野原櫓(右)と乾櫓および乾門(左)(いずれも現存)


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乾門(手前)と乾櫓(奥)


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太鼓門北続櫓(復元)


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 松山城は慶長七年(1602)、加藤嘉明により築城されました。その後、蒲生氏を経て松平定行(徳川家康の甥)が城主となり、以後、明治維新まで代々松平氏が城主を務めました。
 現在残る大天守は幕末に再建されたもので、現存12天守の中で最も新しく、装飾も比較的簡素なものになっています。明治以降、大天守以外の本丸の建造物もほぼ完存していましたが、空襲や放火により小天守以下ほとんどの建造物が焼失し(大天守も一部焼失)、乾櫓や野原櫓など一部を除いて、現在見られる大天守以外の建造物はほとんどが復元されたものです。それでも、山上に天守や幾棟もの櫓や門が立ち並ぶ姿は壮観です。



 
 
 
 

四国探訪②~道後温泉本館(愛媛県松山市)~

道後温泉は万葉集にも登場する古湯で、日本三古湯の一つに数えられています。そのシンボル的存在が、道後温泉本館です。

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明治27年(1894)に建てられた近代和風建築ですが、数度にわたる増改築を受けており、その構造は複雑なものになっています。

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最も古くに建てられた神の湯本館棟。三階建てで、二階と三階は北側に高欄を巡らし、最上部には「振鷺閣」と呼ばれる搭屋を頂きます。

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神の湯本館棟は、唐破風や高欄の意匠など、凝った装飾が施されています。

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本館東面。右は明治32年(1899)築の又新殿・霊の湯棟 左が大正13年(1924)築の南棟です。


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又新殿・霊の湯棟は皇族用に建てられたものです。屋根は銅板葺き、幾重にも破風を連ねた重厚な造りで、二階には「玉座の間」があります。


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南館は二階建てで、南東部のみ三階建てとなります。二階と三階には高欄が巡ります。



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南東から見た南館と又新殿・霊の湯棟。


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玄関棟は南館と同じく大正13年(1924)の建造です。唐破風の車寄せは、道後温泉のイメージそのものです。


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道後温泉本館は、車寄せをはじめ至る所に設けられた唐破風や、高欄に施された彫刻、屋根に鷺を据えた振鷺閣と呼ばれる塔など、随所に意匠が凝らされた質の高い和風建築で、重要文化財にも指定されています。ちなみに、入浴だけなら料金は税込420円。ボディソープやシャンプーはありませんが(石鹸は50円払えば貰えます)、その辺のスーパー銭湯の半額の値段で入れるんだから、驚きです。

 
 
 
 

四国探訪①~高知城(高知県高知市)~

9月中旬、遅めの夏休みを取って四国探訪に行って参りました。初日は、子供の頃から行ってみたかった高知城へ。全国に12ある、現存天守を有する城の一つです。

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追手門と天守。お決まりの構図ですね。

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三の丸の石垣。野面積みで、高知城の前身である、長宗我部氏の大高坂山城の頃の遺構とされます。

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本丸石垣下から天守を望む。

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本丸~二の丸間の詰門。二階建ての櫓門であるとともに、内部は本丸~二の丸間の堀切を渡るための廊下橋となっています。

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二の丸から本丸の現存建築群を望む。天守をはじめ、高知城では本丸の建築が完存しています。

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四層六階建ての天守と本丸御殿。天守は寛延2年(1749)に再建されたものですが、創建当初の姿を忠実に再現したものとされています。天守と御殿を連結した構造は、全国的に見ても珍しいものです。

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天守は二層目に大入母屋を載せた望楼型天守で、最上部に高欄を巡らせ、随所に破風を設けるなど、桃山期の建築様式を色濃く残しています。


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天守最上層から本丸建築群を見下ろす。御殿や櫓の屋根が連なります。

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本丸搦手にあたる黒鉄門。全体が黒く塗られた二階建ての櫓門です。

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三の丸北側の苔むした石垣。高さは10メートル前後あり、近世城郭としての威容を伝えています。

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高知城は、関ヶ原合戦の功績により土佐を与えられた山内一豊によって、慶長6年(1601)から10年をかけて築城されました。一豊は高知移封前、遠江・掛川城を居城としており、高知城天守は掛川城天守に似せて造られたとされます。実際、黒漆塗りの高欄や唐破風が設けられた優美な姿は、復元された掛川城天守とよく似ています。もっとも、掛川城天守を復元する際は高知城天守を参考にしたみたいですが(ややこしや・・・笑)。

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神田の古い町並み(東京都千代田区)

色々あって半年以上放置しておりましたが、再び細々と続けて行こうと思います。

学生の頃に、たまに放課後ぶらぶらと散歩していた神田。昔ながらの商店や料亭が点在していて、すごく雰囲気が好きなのですが、古い町並みを求めて、改めてカメラを持って歩いてみました(なぜか縦撮りばっかりになってしまった…笑)

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「神田」と一言に言ってもその範囲は広いのですが、多町、淡路町、神保町あたりには古い町並みが点在していて、特に銅板で固められた看板建築が多いのが特徴です。昨年、淡路町で老舗蕎麦屋の「藪」が焼失するというとても残念な出来事がありましたが、いま残っている古い建築物は、この先も大切に保存されていくことを願います。


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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