茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

須玉歴史資料館=旧津金学校校舎(山梨県北杜市)

山梨県の藤村式擬洋風建築・3回目は、北杜市にある須玉歴史資料館です。明治7年(1874)に建てられた、かつての津金学校の校舎です。

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太鼓楼、二階部分のバルコニー、玄関の車寄せ、隅石など、藤村式建築の特徴を備えています。

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現存する藤村式の校舎の中でも、総面積120坪と規模が大きく、他の校舎と違って長方形、屋根は寄棟造りになっています。

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他の校舎と同じく、内部には教室が復元されており、当時学校教育で使用されていた教材や備品が展示されています。

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最上部の太鼓楼には、現在も太鼓が備置されています。

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津金学校は創建以来ずっとこの地を離れたことがない(移築されていない)そうで、創建時と同じ土地に現存する擬洋風建築としては、静岡県の旧見付学校と並んで最古のものだそうです。現在は資料館として開放され、一部はカフェになっています。入館料は200円ですが、入場券のデザインがとても格好いい!「POST CARD」って書いてあるけど、ほんとに投函できるんだろうか・・・

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増穂町民俗資料館=旧舂米学校校舎(山梨県南巨摩郡富士川町)

山梨県の藤村式擬洋風建築・2回目。富士川町にある富士川町民俗資料館です。明治9年(1876)、旧舂米(つきよね)学校の校舎として建てられたもので、現在は増穂小学校の敷地内に残されています。

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二階部分のバルコニーや玄関の車寄せ、太鼓楼など、藤村式の特徴を備えています。

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県内に現存する他の藤村式建築とはデザインが異なる部分が多く、背面部は左右非対称になっています。

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太鼓楼も他の藤村式建築と違って六角形、屋根には鯱が上がっているという、何とも不思議な外観…

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内部は資料館として開放されています。僕の大好きな、古い木造建築の匂い…

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もともと舂米学校は、地元の実業家・小林林太郎の多額の寄付によって、現在の場所よりも北東にある舂米地区に建てられましたが、明治21年、増穂尋常小学校として現在の場所に移築されています。

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資料館として公開されている旧舂米学校校舎ですが、見学できるのは水曜・日曜日と、第2土曜日だけで、しかも12~13時は昼休みとなり見学できないのがちょっと不便・・・。僕が到着したのは第2土曜日の11時55分でしたが、5分前なのにすでに昼休みに入ってしまっていて、13時まで待たなくてはいけない羽目になりました…笑

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次回は北杜市の藤村式建築・須玉歴史資料館です。


 
 
 
 

牧岡郷土文化会館=旧室伏学校校舎(山梨県山梨市)

道の駅まちおかの脇に建つ牧岡郷土文化会館は、明治期に建てられた室伏学校の校舎で、「藤村式」と呼ばれる、山梨県特有の擬洋風建築として、その姿を今に残しています。

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明治6年(1873)、山梨県権令(県令)に就任した藤村紫朗は、産業・土木とともに教育政策を推進して山梨県の近代化に努め、県内各地に擬洋風建築の小学校校舎を建設しました。

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旧室伏学校校舎もその頃建てられたもので、木造二階建てで宝形造り、玄関には車寄せ、二階部分にはバルコニー、最上部に太鼓楼を設けるなど、「藤村式建築」の特徴を備えています。

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出隅は黒漆喰塗りの隅石積み、窓には鎧戸が設置されています。

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内部は資料館として開放されています。二階部分は展示室に、一階部分には当時の教室が残されています。

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旧室伏学校庁舎は明治8年(1875)に建てられ、翌明治9年に室伏学校として開校しました。その後は保育所や公民館として利用され、地域住民からは「インキ壺」という愛称で親しまれてきました。平成15年に現在の場所に移築され、市の有形文化財に指定されています。

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「藤村式」の校舎は、旧室伏学校も含めると、山梨県内に5ヵ所残されています。次回は富士川町に残る藤村式建築「舂米学校」をご紹介します。


 
 
 
 

旧根津家住宅(山梨市根津記念館)~山梨県山梨市~

山梨市にある「根津記念館」は、「鉄道王」と呼ばれた実業家・根津嘉一郎の邸宅を博物館として開放したものです。全く存在を知らず、たまたま牧岡郷土文化会館を訪れる際に見つけて、気になって寄ってみました。

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敷地西側、旧青梅街道に面した長屋門と掘割。

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主屋は、昭和8年(1933)に建てられた二階建て和風建築です。

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主屋北面。屋根は入母屋瓦葺きですが、むくりが見られます。各階とも、瓦葺き屋根の直下に銅板葺きの庇を設けています。

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主屋玄関。

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主屋は木造建築ですが、コンクリート布基礎、ボイラー設備、屋内消火栓、電気配線の埋め込みなど、当時の先端技術を導入した先進的な建築でした。

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一階座敷。数寄屋風の書院造りになっています。

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二階座敷。シンプルでありながら、上品でモダンな美的センスを感じさせます。

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二階座敷の仕切り欄間。

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旧主屋の南側には、青山荘が隣接しています。迎賓館として使用されていた建物で、残されていた図面と基礎に基づいて、解体以前の姿に復元されています。

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青山荘の前面には、復元された池泉回遊式の庭園が広がっています。根津嘉一郎自身による作庭と言われます。

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根津嘉一郎は山梨県出身の豪商・実業家で、明治期に東京で「甲州財閥」を形成し、明治8年(1905)には東武鉄道の社長に就任、経営再建にあたりました。「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」というのがモットーで、地元・山梨の各小学校にピアノを寄贈したり、旧制武蔵高等学校を設立するなど、教育事業にも力を入れていたと言われます。平成15年(2003)、根津家が土地と建物を山梨市に寄贈し、根津記念館として平成20年(2008)に初めて一般公開されました。現存する主屋、長屋門、土蔵はいずれも国の有形文化財に登録されています。

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桐生新町の古い町並みと近代建築(群馬県桐生市)

群馬県東部の桐生市は江戸時代、織物業で栄えた町で、「西の西陣、東の桐生」と呼ばれたほどでした。散在的ですが、現在でも本町周辺に古い町並みを残しています。


天保元年(1830)操業の鰻屋「泉新」。

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醸造業や質商で財をなした矢野家の店舗・矢野本店。店舗は大正5年(1916)の建築、隣接する倉庫群は「有鄰館」として開放されています。

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矢野本店の脇の路地「酒屋小路」

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旧街道沿いを歩くと、古い建築が散在しています。
花屋さんになっている、旧書上商店。かつての織物買継商・書上家の店舗です。

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大正3年(1914)築の平田邸

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さらに旧街道沿いに、古い建築が散在します。

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古い町並みをさらに進むと、右手に群馬大学工学部があります。同学部内には、大正5年(1916)に建てられた木造の洋館・旧国立染織学校講堂(現・群馬大学工学部同窓記念会館)が残っています。

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ベーカリーカフェになっている旧金谷レース工業には、大正モダン建築が残されていました。現存する工場とともに、大正8年(1919)に事務所として建てられたものです。

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旧金谷レース工場の正面には、近代和風建築が。
明治期、齋嘉織物を経営した齋藤嘉吉の邸宅で、現在は食事処?になっていました。

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桐生市内にはノコギリ屋根の工場が数ヵ所残っています。こちらは大正3年(1914)築の「曽我織物工場」。

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桐生市の町並みは、「桐生新町」として国の重要伝統的建造物群指定地区されています。今回は本町周辺しか周れなかったのですが、今度は相老の明治館や、桐生絹撚記念館などの洋館も周ってみたいと思っております。



 
 
 
 

足利学校(栃木県足利市)

栃木県足利市にある足利学校は、中世に創設された高等教育機関です。かつては学校門や孔子廟を残すのみでしたが、平成2年(1990)、方丈や庭園・水堀が復元され、江戸時代の姿を取り戻しています。富樫倫太郎氏の『早雲の軍配者』を読んでから、一度訪れてみたいと思っていた場所です。



現存する学校門(寛文8年(1668)築)

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復元された方丈と庫裡

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方丈も庫裡も、江戸時代の工法を忠実に再現しています。

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方丈の前面にあった南庭園も、方丈とともに復元されています。

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方丈の奥に復元された北庭園と、現存する孔子廟(寛文8年(1668)築)

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かつて学校の四方を囲っていた土塁と堀は一部を除いてほとんど消滅していますが、学校東側のものは復元され、旧状を偲ぶことができます。

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足利学校の創設時期についてははっきりと分かっておらず、平安時代とも鎌倉時代とも言われています。室町時代に衰退しますが、関東管領・上杉憲実によって再興され、戦国時代には後北条氏の保護を受けて繁栄しました。天文18年(1549)には、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルも見学に訪れています。現在では国の史跡に指定されており、多数の国宝指定文献が保管されています。


 
 
 
 

臨江閣(群馬県前橋市)

前橋市大手町に、「臨江閣」と呼ばれる、木造の近代和風建築があります。明治期に建てられた本館・別館と茶室が残り、無料で内部を見学することができます。


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<本館>
明治17年(1884)、当時の群馬県令・楫取素彦の提言によって建てられた迎賓館です。戦前は明治天皇や大正天皇を始め多くの皇族が滞在し、戦後は市庁舎や公民館など公共施設として使用されました。県の指定文化財に指定されています。これだけの建築なのに、国による文化財登録(指定)がないのが不思議。 。


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<別館>
 明治43年(1910)、前橋市で開かれた一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられました。本館よりも規模が大きく、公会堂としても利用されました。前橋市の重要文化財に指定されています。こちらも不思議なことに国による文化財登録(指定)はありません。


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<茶室>
明治17年、楫取素彦をはじめとする県庁職員の募金によって建てられたもので、京都の茶室大工・今井源兵衛による建築とされます。群馬県の重要文化財に指定されています。


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臨江閣の建設に携わった楫取素彦は元・長州藩士で、吉田松陰の親友だったそうです。吉田松陰の投獄後は、松下村塾の講師を務めていたと言われます。現在の臨江閣は、本館が資料館となり、別館はイベント会場として開放されており、訪れた時は生け花の大会?が開催されていました。近代和風建築としては、群馬県はもとより、関東地方でも有数の規模を誇るもので、十分見応えのある建築でした。


 
 
 
 

小幡の古い町並み(群馬県甘楽郡甘楽町)

群馬県甘楽町の小幡は、江戸時代、小幡藩の陣屋が設けられたことから城下町として栄えました。現在でも、その面影の一部が残されています。


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雄川堰と呼ばれる水路に沿って、かつての養蚕農家や商家が並びます。


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陣屋の大手道である中小路沿いには、武家屋敷や陣屋の石垣が今も残ります。

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中小路沿い残る武家屋敷・高橋家。小幡藩勘定奉行の屋敷です。

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高橋家に残る池泉式の庭園。江戸初期の築庭と言われています。

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陣屋へと続く道には、今も石垣が残されています。

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地元で「喰い違いの郭(くるわ)」と呼ばれる石垣。いわゆる桝形虎口です。

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陣屋の東方・旧街道沿いにも古い家並みが見られます。

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小幡藩は織田信長の孫・信良によって立てられ、寛永年間に城下町が整備されました。昭和の頃に比べると、だいぶ町並みは変わってしまったそうですが、国指定名勝・楽山園を中心に、今も藩政期の面影をかろうじて残しています。なお、楽山園の近くには武家屋敷・松浦家が残りますが、訪れた時は修理中で見学することができなかったのが残念。 。


 
 
 
 

楽山園(群馬県甘楽郡甘楽町)

楽山園は、江戸初期に造られた小幡藩の大名庭園で、国の名勝に指定されています。作庭は織田信長の次男・信雄(のぶかつ)によると伝わります。


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 楽山園は、江戸時代初期、小幡を領した織田氏の陣屋(小幡陣屋)の一角に造られました(現在は陣屋跡の敷地全体が「名勝・楽山園」と呼ばれています)。信長の次男・信雄は、家康による江戸開府後の元和元年(1615)、この地を拝領し、同7年(1627)から、陣屋の建造に先立ってこの庭園を造ったとされています。その後、信雄の嗣子・信良によって小幡藩が立てられ、信良の子・信昌の代に陣屋が完成しました。
 現在の庭園は、平成に入って発掘調査により復元されたものですが、背後の山並みを借景として絶妙に取り入れ、池泉には豪壮な石組を、築山には風流な茶室を設けるなど、織田宗家にふさわしい優美な庭園となっています。都心などに残る大名庭園とは違い、実に奥深い味わいのある庭園です。

 
 
 
 

四国探訪⑪~玉藻公園=高松城址(香川県高松市)~

高松港に臨む玉藻公園は、かつての高松城址です。現在は埋め立てにより海岸線は後退してしまいましたが、往時は「玉藻の浦」と呼ばれた海岸線に築かれた「海城」で、今治城・中津城とともに「日本三大水城」に選定されています。 現在は主要部分が公園として整備され、着見櫓・水手御門・艮櫓及び披雲閣が重要文化財に指定されています。

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現存する着見櫓(延宝4年(1767)築)と水手御門(江戸末期築)

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水手御門と渡櫓

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三の丸に建つ披雲閣(大正6年(1917)築)

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現在の披雲閣は、三の丸御殿「披雲閣」を模して建てられた近代和風建築です。

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海水を取り入れている本丸の水堀

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堀のエメラルドグリーンの美しさは、息を飲むほどです。

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本丸の堀にかかる「鞘橋」(再建)

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南蛮造りの天守が聳えていた天守台

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桜の馬場に移築された旧北の丸艮櫓(延宝5年(1677)築)

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高松城は別名「玉藻城」とも呼ばれ、天正15年(1587)に生駒親正によって築城されました。寛永17年(1640)、生駒氏がお家騒動で出羽屋島へ転封となると、徳川光圀の兄・松平頼重が入城し、城を大改修、南蛮造りの天守を建造しました。玉藻の浦に臨むその美しさは、「わだつみの 玉藻の浦を前にしぬ 高松の城龍宮のごと」(与謝野晶子)と評されました。

 
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四国探訪⑨~栗林公園(香川県高松市)~

高松市にある栗林公園は、高松藩の大名庭園です。明治期に文部省から発行された教科書で日本三名園より優れている、と評されるなど、数ある大名庭園の中でも群を抜く美しい庭園です。

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南湖。背後の紫雲山を借景として取り入れています。

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南湖の汀線上には、栗石による洲浜が見られます。西岸には、掬月亭と呼ばれる数寄屋建築が建ちます。

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南湖東岸から望む南湖と掬月亭。掬月亭付近の洲浜には石組が見られます。

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掬月亭は江戸時代初期に建てられた数寄屋建築で、現在は茶会などのイベントに使用されています。

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南岸から掬月亭を望む。

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南湖東岸、飛来峰から望む掬月亭と偃月橋。

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南湖の西方、「小普陀(しょうふだ)」。庭園内で最も古くから存在した部分で、築山上には古風な石組が見られます。

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天然の岩盤を利用した「赤壁」。

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1700年ころ建てられたとされる茶室・旧日暮亭。

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芙蓉峰から望む北湖。

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栗林公園の歴史は古く、古い石組が残る「小普陀」は室町時代に造られたと推定されています。明治8年(1875)には県立公園となり、一般開放されるようになりました。個人的に大名庭園は大味で好きではないのですが、栗林公園は場所場所によって様々な表情を見せてくれる、素晴らしい庭園で、一見の価値があります。

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四国探訪⑧~大洲城(愛媛県大洲市)~

肱川に臨む地蔵ヶ岳と呼ばれる小丘が、大洲城址です。肱川沿いに複合連結式天守が佇む風景は、「美しい日本の歴史的風土準100選」に選定されています。

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天守(復元)と高欄櫓(現存)。 天守は老朽化と構造上の問題から、明治21年(1888)に解体されましたが、平成16年(2004)に古写真等をもとに復元されています。

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高欄櫓(文久元年(1861)築)。高欄を巡らせ、二層目屋根には唐破風を設けた、装飾的な建物です。

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本丸から見る天守群。左から高欄櫓、天守、台所櫓(現存)

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天守は四層四階の層塔型天守で、下見板張り、多くの破風や二層目だけ火燈窓が設けられるなど、珍しい構造をしています。

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本丸南面の石垣。打ち込みハギの石垣ですが、上部は後世に積み直されているようです。

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現存する三の丸隅櫓(明和3年(1766)築)

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肱川沿いに現存する苧綿櫓(天保14年(1843)築)

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大洲城はもともと地蔵ヶ岳城と呼ばれ、鎌倉時代末期に宇都宮豊房によって築城されました。近世城郭として改修されたのは、文禄4年(1595)に入城した藤堂高虎および慶長14年(1609)に入城した脇坂安治の時代で、天守もこの頃建てられたと推定されています。その後、元和3年(1617)には加藤貞㤗が入城し、以降、明治まで加藤氏が藩主を務めています。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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