茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑲岡山城~ 岡山県岡山市~

山陰・山陽探訪、最後は旭川にたたずむ岡山城を訪れます。

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後楽園側(搦手)から見上げる天守。織田信長の安土城天主を模しているといい、天守台の平面は安土城と同じく五角形をしています。

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廊下門。昭和41年(1966)、鉄筋コンクリート造で復元されたものです。

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本丸表書院(中の段)に現存する月見櫓。元和~寛永年間(1615~1644)に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。

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昭和41年(1966)に復元された不明門。本丸表書院(中の段)から本丸本段への入り口です。

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本丸本段に建つ天守。慶長2年(1597)、宇喜多秀家により建てられましたが昭和20年(1945)に戦災で焼失しました。現在の天守は昭和41年(1966)に鉄筋コンクリート造により復元されたものです。

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下見板張りの黒い外観から、別名「烏城(うじょう)」とも呼ばれています。5層6階の望楼型天守で、鯱や鬼瓦には金箔が塗られ、桃山時代を象徴する外観になっています。

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表書院の地下から発掘された、宇喜多氏時代の石垣。

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大納戸櫓台の石垣。小早川秀秋により築かれたと考えられています。

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大手門跡の石垣。桝形虎口になっています。

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岡山城は、もともとはその名を石山城といい、浦上宗景の家臣・宇喜多直家の居城でした。直家の後を継いだ子・秀家は石山城を近世城郭として大改修し、岡山城が誕生します。関ヶ原合戦後に秀家が改易されると、その後は小早川秀秋、池田忠雄が入城しました。その後は鳥取城から池田光政が入城し、以後、明治まで池田氏の居城として存続しました。

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山陰・山陽探訪 ⑱後楽園 ~岡山県岡山市~

山陰・山陽探訪5日目、倉敷を後にし、旭川を挟んで岡山城の対岸にある後楽園を訪れます。

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後楽園は貞享4円(1687)~元禄13年(1700)にかけて、岡山藩主・池田綱政の命で津田長忠により造られ、その後歴代の藩主により改修されました。大小多くの池と、それをつなぐ水路、青い芝が印象的な池泉回遊式庭園です。

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藩主の静養や賓客の接待に使用されましたが、日を定めて藩内の人々にも観覧が許されていました。
園内全体に芝が敷かれたのは明治に入ってからのことで、江戸時代の園内には田畑が多く存在していたようです。

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園内の中心的建物でる延養亭。藩主滞在の際の居間として使用されていました。

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延養亭の全面には、「沢の池」と呼ばれる園内最大の池が広がります。

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沢の池の畔にある築山「唯心山」。

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唯心山からは沢の池を一望に収めることができます。沢の池と他の池を繋ぐ水の流れは、後楽園の重要なテーマとなっています。

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「流店」と呼ばれる数寄屋建築。一階部分は壁がなく、内部を水路が通るという変わった構造をしています。

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流店の脇にある枯滝と思われる石組。後楽園にはあまり意欲的な石組が見られませんが、この石組は見事です。

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園内東部にある「花交の池」。亀島のような中島が浮かび、ここだけで一つの庭として成立しています。

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花交の池の脇に佇む数寄屋建築「茶祖堂」。家老下屋敷にあった利休堂を、明治に入り移築したものです。

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池田綱政が好んだとされる数寄屋建築「廉池軒」。

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後楽園は、兼六園、偕楽園とともに三名園にも数えられる名庭とされます(もっとも三名園の選定根拠は不明で、個人的に偕楽園など日本庭園として優れているとは思えませんが…)。個人的に、都内の大名庭園などは成金趣味な感じであまり好きではありませんが、同じ大名庭園でもこの後楽園は嫌味な部分がなく、「雅」という言葉が合う気品に満ちた庭だと思います。

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山陰・山陽探訪 ⑰大橋家住宅 ~岡山県倉敷市~

倉敷の美観地区から少し西に離れた場所に、江戸時代の町屋建築・大橋家住宅が残ります。大橋家は、江戸時代初期に水田・塩田開発により財をなした大地主で、(当時の町屋では許されなかった)街道沿いに長屋門を建てることを許されたり、名字を名乗ることや帯刀を許されるなど、格式の高い商家でした。現在残る建物は、江戸時代後期に建てられたものです。

主屋は入母屋造り、二階の窓には「倉敷窓」が設けられています。

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主屋には、「どま」から上がります。

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「どま」から上がると、「なかのま」という6畳の小さな空間があります。

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「なかのま」の隣に「みせのま」

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「おおざしき」(上の間と下の間)

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「おおざしき」(下の間)

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「しょさい」の丸窓。

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「しょさい」から見る坪庭。

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「しんざしき」

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京都の町屋を思わせる坪庭。

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「おおざしき」外の庭。かつては主屋の南側には広い庭がありましたが、現在では消滅しています。

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大橋家住宅は寛政8年(1796)~寛政11年(1799)に主要部分が建てられ、その後2度に渡り大改造されています。
現在、主屋・長屋門・米蔵・内蔵の4棟が国の重要文化財に指定されています。

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次回は岡山に移動し、後楽園へ向かいます。

 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑯倉敷の古い町並み・後編 ~岡山県倉敷市~

倉敷の町並み後編。美観地区を東西に貫く本町通りを、西から東へと歩きます。
本町通り沿いは、倉敷川周辺とはまた違った趣があります。

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本町通りの西端にある旧倉敷郵便局。
明治35年(1902)に建てられた木造洋館で、昭和24年(1949)まで郵便局として使用されていました。

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旧郵便局の少し東方には、コンクリート造の洋館が。
第一合同銀行倉敷支店として大正11年(1922)に建てられ、現在も中国銀行の倉敷本町出張所として使用されています。

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本町通りには、町屋が建ち並びます。
多くの町屋が、現在も商店やカフェとして活用されています。

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美観地区の中心を過ぎると、道幅は一気に狭くなります。

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倉敷川沿いより観光客も少なく、落ち着いた雰囲気になります。

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美観地区唯一の造り酒屋・森田酒造。
黒い壁が迫力を感じさせる、明治期の建築です。

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さらに本町通りを東に進むと、通りは大きくカーブし、東町へと入ります。

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東町にある明治2年(1869)創業の呉服屋・楠戸家。
現役の呉服店として営業しています。

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明治初期に創業した呉服屋・旧十六屋。
最近まで旅館として使用されていたようですが、現在は閉業しています。

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倉敷は江戸時代、天領として栄えましたが、明治に入ると一気に衰退します。その後、地元の実業家・大原家をはじめとする商人の活躍により、、次第に経済は回復、全国に先駆けて古い町並みの整備も行われてきました。美観地区一帯は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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山陰・山陽探訪 ⑮倉敷の古い町並み・前編 ~岡山県倉敷市~

山陰・山陽探訪5日目、まずは倉敷の美観地区へ。倉敷の美観地区は範囲が広いため、2度に分けてお送りします。
前編は、倉敷の町並みを象徴する、倉敷川周辺の町並みです。

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倉敷は江戸時代初期、天領に定められ、物流拠点として栄えました。
運河として使用されていた倉敷川沿いには、古くからの町屋や蔵が建ち並びます。

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江戸時代の蔵を改装した、倉敷考古館。古代の出土品などを展示しています。

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考古館の側面の海鼠壁。倉敷の蔵や町屋には、海鼠壁が多く見られます。

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旧倉敷町役場(現・倉敷館)。
大正6年(1917)築の木造洋館ですが、周囲の町並みによく溶け込んでいます。

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江戸時代の蔵を改装した、倉敷民藝館。一見、海鼠壁に見えるのは、貼り瓦です。

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中橋を境に倉敷川は南へと折れ曲がり、白壁の町屋群が続きます。

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昭和5年(1930)設立の、大原美術館。
洋風建築ですが、旧倉敷町役場とともに、倉敷のシンボルとなっています。

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川沿いから一歩路地へ入ると、そこかしこに海鼠壁が見られます。

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こちらは貼り瓦。モダンデザインのようなセンスを感じさせます。

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倉敷川沿いの風景は、情緒的で、日本の古い町並みを代表する風景ですが、あまりに観光地として完成されてしまっているのが、少々残念。。次回は、倉敷川沿いから一本奥に入った、本町通りを歩きます。

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山陰・山陽探訪 ⑭鞆の古い町並み ~広島県福山市~

山陰・山陽探訪4日目、竹原を後にし、福山市南部の鞆へ。

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鞆の浦は、万葉集に詠まれるなど古くから景勝地として知られていました。鞆の浦の近くには、江戸時代~昭和初期の建物が数多く残り、今なお昔ながらの古い町並みを形成しています。

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古くは「潮待ちの港」として栄えましたが、航海技術の発達により徐々にその存在価値は薄れ、現在は漁港として使用されています。

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昭和13年(1938)築の洋館・旧・鞆信用金庫本店。奥には、鞆の名産・保命酒の醸造元が並びます。

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保命酒は鞆で生まれた薬用酒で、現在も鞆には数軒の現役の醸造元があります。「保命酒」ってすごいネーミングだけど、どんな味がするんだろう。。。

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看板建築の洋館が目を引く平野屋。洋館に続く長屋部分は資料館として公開されていますが、残念ながらこの日はすでに閉館していました。

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路地を挟んで左右に建つ太田家住宅。もともとは保命酒の元祖・中村家の店舗兼住宅で、明治に入り廻船業者・太田家に引き継がれました。

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太田家の主屋と蔵は一般公開されています。茶室や坪庭が多く、当主の文化的素養を感じさせます。

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幕末には、都を追われた三条実美ら尊王攘夷派の貴族が太田家に滞在しました(七卿落ち)。ちなみに鞆には、織田信長に都を追われた室町幕府最後の将軍・足利義昭も滞在していたことがあります。

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鞆の町並みの特長の一つである、狭い路地。特に海岸線の近くは、狭い路地が入り組んでいます。

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坂道が多いのも鞆の町並みの魅力です。

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古い町並みがこれだけ良好に残っている鞆ですが、「美しい日本の 歴史的風土100選」には選ばれているものの、国の重要伝統的建造物群保存地区には指定されていません。以前から、鞆の浦の埋め立て計画や道路の拡張計画が持ち上がっており、地元では賛否がはっきり分かれているそうですが、この美しい町並みと風景が今後も保存されることを願います。

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山陰・山陽探訪 ⑬森川邸 ~広島県竹原市~

竹原の古い町並みから少し離れた所に、大正期の豪邸・森川邸が残ります。大正~昭和にかけて竹原町長を務めた森川八郎氏の邸宅で、竹原でも随一の規模を誇る近代和風建築となっています。

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主屋は沼隈(福山市)の富豪・山路家から移築・再生したもので、玄関・座敷・離れ座敷等はその後に増築されています。

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主屋や座敷の内部には、随所に洗練された意匠が見られます。

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主屋と離れ座敷からは庭園を眺めることができます。

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9月中旬でしたが、もみじが色づき始めていました。

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玄関脇の庭も露地のような趣があります。

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かつて森川邸の周囲は塩田に囲まれていたようで、塩田が埋め立てられた今では周囲の風景は様変わりしてしまっていますが、森川邸の建物は大正期の姿をそのまま伝える貴重なもので、竹原市の重要文化財に指定されています。

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竹原の町並みはここまで、次は福山に移動し、鞆の町並みを訪れます。
 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑫松阪邸 ~広島県竹原市~

古い町並みが残る竹原の本町通りで、一際目立っているのがかつての商家・松阪邸です。

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主屋は、屋根の妻側が唐破風、二階部分の窓は菱格子という、珍しい構造です。

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松阪氏初代は延宝2年(1674)広島から移住、「沢田屋」と称し、薪問屋、石炭問屋、製塩業、酒造業、醸造業を経営していました。現在の建物は江戸時代末期の文政年間(1818~1830)頃建てられ、明治12年(1879)に改築されています。

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松阪邸は全体が茶掛かっていて、随所に数寄屋風の意匠が凝らされています。庭も露地っぽい趣き。。

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縁側の床板まで手が込んでいて、洗練されたデザイン。手前側と奥側で、張り方が異なっています。

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松阪氏は文化への造詣も深く、また、下市庄屋、割庄屋、塩浜庄屋、竹原町長などをつとめるなど、精力的に活躍していました。松阪邸の随所に凝らされた華やかな意匠に、その繁栄ぶりを偲ぶことができます。

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次回は、松阪邸と並ぶ竹原の豪邸、森川邸を訪れます。




 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑪竹原の古い町並み ~広島県竹原市~

山陰・山陽探訪4日目、宿泊先の広島から高速バスで移動し、昔から訪れたいと思っていた竹原市へ。江戸中期~明治期の古い町並みが残り、「安芸の小京都」と呼ばれています。

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竹原の古い町並みの中心となるのが、本町通り。町屋や蔵が建ち並び、100年前から時が止まっているかのようです。

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一般公開されている、旧笠井邸。竹原は江戸時代を通して製塩地として発展しましたが、笠井家も塩田経営で財をなしました。

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竹鶴政孝の生家・竹鶴酒造。竹原では、ここ以外にも黒漆喰の町屋が多く見られます。

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「小京都」らしく、石畳の道が続きます。

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本町通り沿いで一際目立っているのが、豪商の邸宅・松阪邸です。他の町屋では見られないような華麗な意匠が随所に見られます。次回の記事で詳しく取り上げます。

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松阪邸前のカーブを過ぎ、本町通りはさらに奥へと続きます。

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本町通り沿いにある竹原市歴史民俗資料館。昭和4年(1929)、「町立竹原書院図書館」として建てられた木造洋館で、昭和55年(1980)から資料館として使用されています。

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本町通りから一歩脇へ入ると、路地沿いにも古い町並みが残ります。

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中ノ小路には、広島藩の儒医であった頼春風邸の離れ・光本邸が残ります。

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光本邸は一般に公開されています。露地っぽい洗練された中庭が素敵です。

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竹原は、平安時代は下賀茂神社の荘園、中世には竹原小早川氏の拠点となり、江戸時代に入ると製塩業や酒造業で栄えました。本町3丁目の辺りは、明治期からほとんど姿を変えずに残っていて、「竹原市竹原地区」として重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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山陰・山陽探訪 ⑩常栄寺庭園 ~山口県山口市~

山陰・山陽探訪3日目、宮野駅から歩いて20分、雪舟庭で知られる常栄寺を訪ねます。

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境内に入るとまず、「無隠」と題された前庭が広がります。

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前庭は平成24年に造られた新しいものですが、円形の枯池に中島を設け、奥には三尊石を据えるなど、モダンながらも日本庭園の要素を備えた枯山水庭園です。

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受付を済ませ本堂へ上がると、本堂前面に枯山水の庭園が広がります。

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なんともセンスの良い庭ですが、後で調べると、昭和43年(1968)に重森三玲により造られたものとのこと。重森三玲は昭和を代表する作庭家で、東山魁夷にも描かれた東福寺方丈庭園をはじめ、京都の光明院や岸和田城本丸庭園など、力強くモダンな庭園を多く残しています。

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「南溟庭(なんめいてい)」と名付けられたこの前庭は、雪舟が明に渡った際の海を表現しています。

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本堂の奥へ行くと、いよいよ雪舟作と伝わる庭園が現れます。

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池泉回遊式の庭園ですが、その規模の雄大さと、迫りくるような石組に圧倒されます。

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池泉の手前は枯山水となっていて、石組が不規則に配置されています。益田の萬福寺庭園を観たときのような、なにか俗世を超越したエネルギーのようなものを感じさせます。

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池泉の奥の方には半島状に突き出た部分がありますが、この辺りに楼閣が建っていたと考えられているようです。
奥には、「龍門之滝」と呼ばれる枯滝があります。

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上から見下ろす「龍門之滝」。古色を帯びた無数の石組に圧倒されます。

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壮大な池泉は、土橋のような部分により南北に分かれています。
手前(北)の池中にある岩は、「鯉魚石(りぎょせき)」と呼ばれ、水中から頭を出した鯉を表現しています。

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常栄寺は、毛利元就が居城・吉田郡山城内に建てたものを、江戸時代末期にこの地に移したものです。常栄寺が移される前、この地には大内政弘の別邸があり、雪舟庭はその時 政弘の命により造られました。医光寺・萬福寺・善生寺と、雪舟作と言われる庭園を観て来ましたが、ここ常栄寺で、その真骨頂に触れた気がしました。大正15年に国の史跡・名勝に指定されています。

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山陰・山陽探訪 ⑨善生寺庭園 ~山口県山口市~

山陰・山陽探訪3日目、大内文化を物語る日本庭園を求めて、上山口駅近くの善生寺を訪れました。

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善生寺は明治に入りこの地へ移転してきた寺院で、境内にはもともとは大内氏義隆の重臣・内藤興盛の菩提寺・西芳寺がありました。庭園は、史料や伝承から、雪舟作庭とも言われてきましたが、平成17年から行われた発掘調査により、室町時代後期以前に造られたことが判明しており、雪舟作庭の可能性も十分にあると思われます。

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傾斜を利用して造られた池泉観賞式の庭園ですが、池の形が不整形というか歪で、何だか全体像が掴めません。

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境内の案内板によると、庭園は江戸時代に改修され、さらに大正時代には池の東部分(本堂から見て左側)が大きく埋め立てられているらしく、作庭当初とはだいぶ違った姿になってしまっているようです。作庭当時の観賞位置は、庭の東端辺り(写真の辺り)であったと推定されています。

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庭の東半分は保存状態が良く、池の奥には立派な石組が残っています。

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苔むした石組は、正に「古色蒼然」といった趣です。ただ、この辺りも後世に手が加えられているようです。

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9月というのに、池では蓮が咲いていました。

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東部分が破壊されているのは残念ですが、中世からの庭園が今もこのような美しいかたちで残っていることは貴重です。現在は山口県の名勝に指定されています。

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山陰・山陽探訪 ⑧大内氏館址 ~山口県山口市~

山陰・山陽探訪3日目。この旅のテーマの一つとして、山口を本拠とし、山口を「西の京都」と呼ばれるまで繁栄させた大内氏に関連する史跡や庭園を訪れたい、というのがありました。今回はその大内氏の本拠だった、山口の居館址を訪れました。

現在、大内氏代々の居館址は龍福寺の境内となっています。

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龍福寺本堂(国重要文化財)はもともと大内氏の氏寺であった興隆寺から移築されたもので、室町時代の建築様式を今に伝えています。

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館址西側には、発掘調査をもとに木戸が復元されています。付近には、同じく発掘調査で見つかった石組の水路が展示されています。

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館址北側に復元された土塁と虎口。堀痕には砂利が敷かれています。現地案内板には、龍福寺山門脇の竹藪にも土塁が残ると書かれていますが、現在では確認できません。

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館の南東部には発掘調査により、池泉式庭園があったことが確認され、復元されています。大内氏は文化・芸術を奨励した大名というイメージが強いのですが、それにしてはずいぶんと簡素な庭、という印象を受けます。一応、発掘に基づいて忠実に再現されている筈ではあるのですが…

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龍福寺境内にある、「豊後岩」。庭園に使用するため豊後国から運ばれましたが、雨の夜は豊後に帰りたがって泣いていたという伝承があります。

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館の北東部には、やはり発掘調査をもとに枯山水庭園が復元されています。

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恐らく御殿の裏庭のような小さな庭だったのでしょうが、石組の力強さは、素晴らしいものがあります。大内氏最後の当主、17代・義長の頃に改変されているようです。

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館址の北側、八坂神社境内には、当時「築山館」と呼ばれるもう一つの館がありました。

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築山館は、大内氏第16代・義隆が、居館に増設する形で築いたものと考えられています。今でも北西隅に、高さ3m近い大きな土塁を残しています。

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八坂神社西側の「竪小路」は、中世から明治まで山口のメインストリートとして栄えました。
今でも辛うじて面影が残ります。

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大内氏館の北西にある瑠璃光寺には、嘉吉2年(1442)に建てられた五重塔が現存します。もともとは大内氏により開かれた香積寺の塔で、大内文化の最高傑作とされ国宝に指定されています。余計な装飾を廃したシンプルかつ計算されつくしたデザインは、時代を超えた普遍的な美を感じさせます。

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大内氏は周防国の多々良氏を祖とし、戦国時代、第16代・義隆の頃には西国最大の大名となります。14代・政弘から16代・義隆の頃にかけて、山口を中心に「大内文化」と呼ばれる独特の文化が形成され、特に文化・芸術に熱心だった16代・義隆は、宣教師や公家を保護、明との貿易を独占化し、山口は「西の京」と呼ばれるほどの繁栄ぶりだったといいます。しかし義隆の代に重臣・陶隆房が謀反、義隆は自害し、これが原因となり大内氏は滅亡しました。


次回は上山口へ移動し、善生寺の庭園を訪れます。

 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ⑦旧山口県庁 ~山口県山口市~

山陰・山陽探訪3日目、旧山口県会議事堂を訪れた後は、隣にある旧山口県庁を訪ねます。

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旧山口県庁は旧県会議事堂と同時期に、旧県会議事堂を設計した大熊喜邦や武田五一らによって、妻木頼黄博士指導のもと、設計されました。

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旧県会議事堂と同じく、後期ルネッサンス様式を取り入れた和洋折衷の建築となっています。

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一部は現役の庁舎として使用されていて、それ以外の部分は見学することができます。

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二階部分にある、旧知事室。椅子や机は、実際に使用されていたものです。

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二階部分の応接室。内装は旧県会議事堂のデザインとよく似ています。

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二階部分の旧正庁会議室。現役当時の姿のまま保存されています。

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旧正庁会議室壁面の意匠。木工の細かい技巧に驚かされます。

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旧県庁舎は旧県会議事堂とともに、昭和59年(1984)に国の重要文化財に指定されています。旧県会議事堂とともに県政資料館として公開されていますが、現在でも一部の部屋は執務室として使用されています。

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山陰・山陽探訪 ⑥旧山口県会議事堂 ~山口県山口市~

山陰・山陽探訪3日目、まずは旧山口県会議事堂を訪ねます。
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旧山口県会議事堂は、後期ルネッサンス様式を取り入れた煉瓦造の洋館で、大正期特有の和洋折衷建築となっています。
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壁も天井も漆喰で白く輝いています。
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二階部分の照明は、何とも不思議なかたち。インスタレーションの作品のようです。
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知事応接室は、壁もカーテンも洒落たデザインになっています。
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旧県会議事堂は、大蔵省臨時建築部長・妻木頼黄博士の指導のもと、大熊喜邦や武田五一らにより設計されました。この3人は後に国会議事堂を手掛けることになります。大正2年(1913年)に起工、大正5年(1916年)に完工しました。
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議場は現在もイベントスペースとして使用されています。
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旧県会議事堂は、隣接する旧県庁舎とともに山口県政資料館として一般に公開されています。昭和59年(1984)には国の重要文化財に指定されています。
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山陰・山陽探訪 ⑤益田市の雪舟庭園 = 萬福寺・医光寺 ~島根県益田市~

山陰・山陽探訪2日目、温泉津から電車で移動し、島根県の西部に位置する益田市へ。室町~戦国期の島根県(石見国)は主に守護大名・大内氏が支配していましたが、その家臣・益田氏の本拠だった益田には、大内氏の庇護を受けた禅僧・雪舟により造られたと伝わる庭園が二か所存在します。

<医光寺庭園>
医光寺はもともとこの地にあった崇観寺という寺院の塔頭として建立されました。文明年間(1469~1486)、雪舟は益田の地に滞在しましたが、医光寺には、その際に作庭されたと伝わる庭園が残ります。益田城から移築されたとされる総門が立派。

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雪舟作と伝わる池泉観賞式の庭園。書院と斜面に挟まれた細長い空間をうまく利用しています。

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力強く美しい石組が、庭全体を豪壮かつ優美なものにしています。

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i池は鶴池、中島は亀島とされます。亀の背中には中心石と三尊石が置かれています。

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亀島の左奥には、美しい枯滝の石組が残っています。

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山口には雪舟庭園で有名な常栄寺がありますが、山口から離れた益田にも、これほど素晴らしい庭園が存在するとは、驚きでした。古色に帯びた美しい庭園は、国の史跡及び名勝に指定されています。

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<萬福寺庭園>
萬福寺は、平安時代に益田川の河口付近に安福寺として建立されましたが、応安7年(1374)、益田兼見により益田川を上った現在の地に移され、益田氏の菩提寺となりました。兼見により建立された本堂(国重要文化財)の奥に、雪舟作庭と伝わる庭園が残ります。

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書院の奥へ進むと、目前に庭園が現れます。

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庭園は、中央に大きな築山を置き、全面に心字池を配しています。築山に置かれた数々の石からは、崇高で象徴的な印象を受けます。

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三尊石を中心とした、圧倒的な石の存在感。

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庭園全体が、仏教の世界観である須弥山を表現しているとされます。抽象的で、宇宙的な広がりさえ感じさせます。

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池は右半分で大きく広がり、右端には出島と枯滝が設けられ、風景を形作っています。

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萬福寺の庭園は、これまで僕が見てきたどの日本庭園よりも、インパクトの強いものでした。現代アートというか、芸術は爆発だ、というか、ものすごいエネルギーを、この庭は感じさせてくれます。須弥山を表現した庭園は全国にありますが、萬福寺の庭園はまさに、「俗世を超越した空間」という気がしました。

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山陰・山陽2日目はこれでおしまい、この日は山口の湯田温泉へ向かい、翌日は山口市内を歩きます。
 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ④温泉津の古い町並み ~島根県大田市温泉津町~

山陰・山陽探訪2日目、以前からの憧れの地、島根県大田市の温泉津町の町並みを歩きます。

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大森(石見)銀山の西方に位置する温泉津は港町として栄えてきましたが、その名の通り古くから温泉地としても有名で、今なお鄙びた温泉街の雰囲気を残しています。「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界文化遺産に登録され、国の重要伝統的建造物群指定地区にも指定されています。

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古い旅館が建ち並ぶ温泉街は、半世紀前から時が止まっているかのような錯覚を与えます。

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温泉街の中心にある薬師湯。温泉街のシンボル的存在となっています。

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薬師湯は、大正年間に建てられた木造の洋風建築(旧館)と、昭和の頃に造られたレトロなコンクリート建築(新館)からなります。

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さらに温泉街を奥へ。

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築100年の旅館・長命館。湯治保養の宿です。

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温泉街の外にも、古い町並みが続きます。

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中世には大森(石見)銀山からの銀輸送の仕立港としてさらに発展した温泉津ですが、江戸時代に入ると徐々に銀の積出港としての地位を広島や岡山に奪われ、銀の涸渇も重なって次第に衰退していきます。

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その後も北前船の寄港地としての役割を担いますが、明治に入り鉄道が敷設されると温泉津港の存在価値は一気に薄れていきました。

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温泉街の入り口付近に立派な屋敷が。付近で写真を撮っていると、屋敷のご主人に声をかけられ、お話を伺うと、なんとかつての毛利家臣・内藤氏の末裔とのこと。大内氏に仕えた内藤興盛公や隆世公は知っていたので、まさかその子孫の方にお会いできるとは思わず、びっくりでした。

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温泉街からJR温泉津駅の方向へ歩くと、温泉津港が見えてきます。三方を丘陵に囲まれた穏やかな港で、まさに天然の良港といった感じです。

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温泉街から離れ、さらに温泉津駅の近くまで来ると、再び古い町並みが現れます。

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温泉街から少し離れたこの辺りは、鉄道開設時に整備された町並みだそうです。

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ちなみに、薬師湯より古い元湯(湯は同じ)は、1300年前から湧き続けているとのこと。早朝に浸かりに行きましたが、めちゃくちゃ熱くて、ものすごく鉄の臭いがして、いかにも湯治場といった雰囲気でした。番台のおばあさんが温かく迎えてくれましたが、世界遺産登録直後に比べ今では観光客が激減し、寂しくなったと仰っていました。確かに街を歩いていても、あまり人には出会わず。。それが故、他の温泉街にはない鄙びた魅力を持っている気もするので、複雑なところです。


次は島根県の西部、益田市に移動し、雪舟作の庭園を回ります。

 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ③打吹玉川の古い町並み ~鳥取県倉吉市~

山陰・山陽探訪1日目、鳥取市を後にし、倉吉市へ。倉吉は中世に打吹山(うつぶきやま)城の城下町として発展、江戸時代に打吹山城が廃されて陣屋が設置されると、陣屋町として栄えました。現在でも江戸時代から昭和初期の建物が多く残り、玉川沿いの町並みは「打吹玉川」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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倉吉駅からレンタサイクルで30分弱、まずは本町通りを歩きます。

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明治10年(1877)創業の桑田醤油醸造場(赤瓦六号館)。現役の醤油屋です。

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本町通りにある、昭和初期の洋館。かつては銀行、今は染物屋さんとして使用されています。

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本町通りの町屋群。右端は嘉永年間に創業した元帥酒造本店(赤瓦七号館)。現役の酒蔵です。

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本町通りから一本入って、白壁の土蔵が建ち並ぶ玉川沿いへ。

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「鳥取の小京都」と呼ばれる、倉吉を象徴する風景です。

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再び本町通りに戻り、明治期に建てられた旧・国立第三銀行倉吉支店。現在はカフェレストランになっています。

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旧・国立第三銀行倉吉支店の東側で、古い町並みは終わります。ここから折り返して、西方へ向かいます。

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本町通りの蔵元・高田酒造。天保14年(1843)築、倉吉に残る数少ない江戸時代の建築の一つです。

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本町通の西部は、かつてアーケードで覆われていましたが、平成19年(2007)に老朽化のため惜しまれつつも撤去されています。昭和の時代は多くの買い物客でにぎわっていたそうです。

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本町通り西端には、伝統的な町屋建築である豊田家住宅が残ります。

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豊田家住宅は明治33年(1900)築、数寄屋風の意匠や、茶庭的な坪庭が見られます。

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本町通りよりさらに西方には、倉吉淀屋というかつての商家が残ります。大阪の豪商・淀屋はそのあまりの財力ゆえに、幕府から闕所処分を受けますが、処分を受ける前に、淀屋4代目・重當がこの地に淀屋の大番頭・仁右衛門を送り込み、淀屋の暖簾を保ったと言います。宝暦10年(1760)築の、現存する倉吉市内最古の建築です。

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この後、電車で4時間近くかけて島根の温泉津へ。次は温泉津の古い町並みを歩きます。

 
 
 
 

山陰・山陽探訪 ②観音院庭園 ~鳥取県鳥取市~

山陰・山陽探訪初日、仁風閣を訪れた後は、同じく鳥取市内の観音院へ。
国名勝にも指定されている「名庭」を拝観します。

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観音院は江戸時代初期に開創された天台宗の寺院で、補陀落山 慈眼寺 観音院を正式名称とします。
書院の奥に、江戸初期作庭と伝わる池泉観賞式の庭園が広がります。

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特に凝った意匠も見られず、豪壮な石組があるわけでもありませんが、全体がゆったりと落ち着いていて、優美な印象を受けます。

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天然の地形を利用した大きな築山の向こうに、天然の山と空を借景に取り入れ、壮大かつ優美な空間を作り出しています。

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中島は低い長円形の島で、亀島となっています。右奥の出島のような張り出しは、鶴島であるとも言われています。

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中島の奥に滝石組がありますが、植栽が繁茂していて、現状では明確に把握できません。

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観音院庭園は昭和12年に国により名勝の指定を受けましたが、昭和18年(1943)の鳥取大地震により石組などが崩落、昭和59年度~昭和62年度、平成20年度~平成25年度にかけて保存修理が行われ、現在の姿になっています。当初の姿とは若干違ったものになっているとは思いますが、当日は他に見学者はおらず貸切状態、書院から抹茶を頂きながらのんびりと眺める庭園は格別なものでした。

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山陰・山陽探訪 ①仁風閣 ~鳥取県鳥取市~

遅めの夏休みを取り、山陰・山陽を回って参りました。羽田から飛行機で鳥取へ行き、鳥取からは鉄路でぐるっと岡山まで、4泊5日の旅。簡潔に纏めたかったのですが、旅の模様は19回に分けて書いていくことになりそうです。。

初日は、鳥取県鳥取市と倉吉市へ。
まずは、鳥取城址に佇む明治期の洋館・仁風閣を訪ねます。

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仁風閣は明治40年(1907)、鳥取池田家第14代当主・池田仲博侯爵により、池田家の別邸として建てられました。設計は、赤坂離宮や京都国立博物館などを設計し、当時の宮廷建築の第一人者と言われた宮内省匠頭・片山東熊。当時の皇太子・嘉仁親王(後の大正天皇)の山陰行啓時には、親王の宿泊施設として使用されました。

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フレンチ型ルネッサンス様式の木造擬洋風建築で、屋根は寄棟&桟瓦葺と日本的ですが、白亜の壁に加え、アーチ型の破風や屋根に突き出た6つの煙突、八角の尖塔など、洋風の意匠が施された外観は、同時期の国内の擬洋風建築の中でも、特に洗練された印象を受けます。昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定され、現在は資料館として一般公開されています。

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一階部分は鳥取池田家や鳥取城に関する展示室、二階部分は当時の状態を維持した保存展示となります。

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しなやかに曲線を描く美しいらせん階段。柱を一切使わず、欅の木材だけで構成されています。

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二階部分の廊下。壁には「仁風閣」の名付け親、東郷平八郎直筆の額があります。

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御座所。親王滞在時、居室として使用された部屋です。絨毯、カーテン、椅子、ソファー、シャンデリア…すべてが気品に満ちた格別な空間です。

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謁見所。二階部分の各部屋は、親王が滞在した際の呼称が使用されています。

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御食堂。親王滞在時、らせん階段を使って調理場から食事を運んだそうです。

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御物置とのことですが、物置にしておくにはもったいない、美しい壁紙とカーテン。

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昭和18年(1943)の鳥取地震後、荒廃が進んだ仁風閣は取り壊しの危機に直面しますが、市民からの要望により文化財指定を受け、修復・保存されることになりました。

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二階部分のテラスは、窓が大きく開放的で、日光を最大限に取り込めるようになっています。開放的ですが、白を基調としており清楚な印象も受けます。

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仁風閣の前面には、宝隆院庭園と呼ばれる江戸時代の池泉回遊式庭園が残ります。

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仁風閣の建つ地には、もともと12代藩主・池田慶徳が、11代鳥取藩主・池田慶栄の未亡人・宝隆院のために建てた扇御殿がありましたが、宝隆院庭園はその庭園として、御殿と同時期に作庭されたものです。

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仁風閣の次は、同じ鳥取市内の寺院・観音院の庭園を訪れます。
 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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