茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

善能寺庭園 (遊仙苑)~京都府京都市~

GW4日目、石塀小路を後にし、泉涌寺の塔頭・善能寺へ。

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境内には、近代日本庭園の巨匠・重森三玲が手掛けた池泉鑑賞式の庭園(遊仙苑)があります。

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かつて池泉にはポンプで給水されていたそうですが、現在では枯池になっています。

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立石を中心とした石組と新緑のもみじの対比が美しい。

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不思議な形の石組が見られます。同じく重森が手がけた東福寺龍吟庵のように、龍を模したものなのでしょうか。

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石橋付近の石組は、力強くも優美さを備えています。

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重森三玲は全国で数多くの庭を手掛けていますが、そのほとんどが枯山水のもので、池泉の見られるこの庭は非常に珍しい存在と言えます。

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重森は古典を意図してこの庭を造ったと言っていますが、石組からは伝統とモダンが共存する、重森らしい美的センスが感じ取れます。

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龍門瀑の石組。中央の石は、高さ2メートルほどの巨大なものです。

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善能寺は、大同元年(806)、弘法大師により創建されたとされ、天文24年(1555)に泉涌寺境内へと移されました。戦後に航空殉難者を祀るため現在の祥空殿が建てられ、庭園もこの頃造られました。

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次回は五条へ移動し、五条楽園の町並みを歩きます。

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石塀小路の古い町並み ~京都府京都市~

GW4日目、蓮華寺を後にし、東山安井でバスを降りて高台寺方面へと歩きます。

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東大路通から高台寺方面へぶらぶら歩いていたら、偶然石塀小路を見つけたので入ってみます。

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大正初期に開発された、閑静で京都らしい町並みが残ります。


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入り組んだ石畳の路地沿いに、料亭や喫茶店が建ち並びます。

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石塀小路の辺りは、明治期までは藪だったそうで、大正の初め頃、上村常次郎という商人によって開発されました。当時は貸座敷街だったようで、「妾の道」とも呼ばれていたそうです。

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高台寺寄りには、洗練された近代和風建築が建ち並びます。

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明治維新後、四条通や四条河原周辺では空き地や旧寺社境内の市街化が進み、その中で石塀小路の風景は生まれました。京都の町並みの中ではその成立は新しい方ですが、現在では祇園や清水などと並んで、京都らしい風情を感じさせる町並みの一つとなっています。

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次回は東大路通を南下し、重森三玲が手掛けた善能寺庭園を訪れます。

 
 
 
 

蓮華寺庭園 ~京都府京都市~

GW4日目、旅の最終日です。洛北の小さな寺院、蓮華寺を訪ねます。

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もみじの新緑が美しい境内を進み、書院へ向かいます。

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受付を済ませ書院へ上ると、庭園が見えてきます。

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水字形の池に亀島を浮かべた、池泉観賞式庭園です。

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亀島に据えられた鶴石と石橋。新緑のもみじと相まって、深山幽谷を思わせます。

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鶴石、石橋に加え、手前の舟石の配置が絶妙です。

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小さな寺院ですが、観光客も少なく、もみじと苔の新緑を静かに眺めることができました。

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蓮華寺は天台宗の寺院で、もともとは洛中にあり、応仁の乱で荒廃しましたが、寛文二年(1662)加賀藩家老・今枝近義が、父の菩提を弔うためこの地に再興したと伝わります。庭園もこの頃に作られたと考えられていますが、明確な作庭時期や作庭者については分かっていません。

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次回は、東山方面へ移動し、石塀小路を歩きます。


 
 
 
 

養浩館庭園 ~福井県福井市~

GW3日目、一乗谷から福井市街へ戻り、福井城址の北東にある養浩館庭園を訪ねます。
かつての福井藩主松平家の別邸で、江戸時代の池泉回遊式庭園が残されています。

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庭園内には平成に入り復元された数寄屋建築群が建ち並びます。

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復元された清廉。池泉の汀線には石組や玉石の洲浜が見られます。

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枯滝の石組と切石橋。

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池の畔には早くも杜若が咲いていました。

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復元された建物群は、余計な装飾がなく、簡素ながらも極めて洗練された数寄屋造です。

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書院造の御座ノ間。建物の中心となる部分です。

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風呂場となる、御湯殿。蒸し風呂だったようです。

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建物内部では、それぞれ違った窓からの額縁庭園が楽しめます。

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御座敷から池泉を望む。
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築山と石組。

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屋敷裏手の曲水にかかる自然石の橋は、全国的に見ても最大級のものと言います。

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養浩館庭園はもともと「御泉水(おせんすい)屋敷」と言い、明確な成立時期は不明ですが、明暦二年(1656)頃には存在していたことが確認されています。福井大空襲で建物は焼失しましたが、昭和57年(1982)に国の名勝に指定されたのを機に復元整備が進められ、平成5年に整備が完了しました。なお、「養浩館」という名称は明治に入り元藩主・松平春嶽により命名されたものです。


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次回は京都に移動し、蓮花寺の庭園を訪れます。



 
 
 
 

一乗谷朝倉氏遺跡の庭園群 ~福井県福井市~

一乗谷朝倉氏遺跡には、国の特別名勝に指定されている庭園が4つあります。いずれも京都の文化に通じた素晴らしいもので、旧秀隣寺庭園や北畠氏館庭園とともに「三大武将庭園」とされます。

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<義景館跡庭園>
朝倉家の当主の館に造られた池泉観賞式の庭園で、長い間地中に埋もれていましたが、昭和四十三年(1968)の発掘調査で発見されました。

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庭園は屋敷と斜面の間の狭い空間を利用して造られています。

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池泉中央の滝石組。明確な作庭時期は不明ですが、荒々しくも優雅な趣は、室町~戦国期の洗練された美意識を象徴しています。

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<湯殿跡庭園>
義景館跡の背後の高台にある池泉回遊式の庭園です。力強い立石の存在感に圧倒される、戦国期らしい庭園です。

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三尊石(右端)を始め、戦国期らしい力強い石組に圧倒されます。現在では池は枯れてしまっていますが、この日は前日までの雨のせいか水が溜まっていました。

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亀島(左)と滝石組(右奥)。

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湯殿跡庭園は一乗谷の庭園で最も古いものと考えられており、10代孝景の頃に造られたと推定されています。

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<諏訪館跡庭園>
諏訪館は朝倉家最後の当主・義景が妻「小少将」のために造った館で、庭もその時期に造られたものと考えられます。一乗谷の庭園で最も規模が大きく、高低差を利用した上下二段構成になっています。

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池泉は複雑な形状をしています。美しい石組と、新緑のヤマモミジが調和し、見事な景観を演出しています。

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滝石組のうち、滝副石は高さ4mを超える巨大なもので、国内最大と言われます。

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上段の滝石組と湧泉石組。こちらもコンパクトながら見応えのある石組です。

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<南陽寺庭園>
南陽寺は3代貞景が再興した尼寺で、義景館跡の北東に位置します。かつての寺の境内の一角に、かつての池泉式庭園の一部が残ります。

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一乗谷を訪れた室町幕府15代将軍・足利義秋(義昭)を饗応するため、11代義景により観桜の宴が開かれました。

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現状では一乗谷で最も規模の小さい庭ですが、三段の滝と滝副石の美しさは、目を見張るものがあります。

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一乗谷は、将軍・足利義秋だけでなく、京から多くの公家や文化人が戦乱を逃れてやってきたため、「北の京」と呼ばれるほど、洗練された文化が発達しました。一乗谷に残された4つの庭園は、こうした背景と朝倉氏の文化的センスが重なって生み出された、室町~戦国期の庭園文化を象徴する傑作です。


次は福井市街に戻り、旧福井藩主別邸・養浩館庭園を訪ねます。



 
 
 
 

一乗谷朝倉氏遺跡 〜福井県福井市〜

GW3日目、4年振りに、福井市郊外の一乗谷へ。一乗谷は戦国大名・朝倉氏の本拠地で、一乗川沿いの谷間と周囲の山々が一つの城砦でした。国の特別史跡に指定され、戦国時代の山城、居館、城下町址の一帯が「一乗谷朝倉氏遺跡」として整備されています。

一乗谷への北の入口となる、下城戸の土塁と水堀。

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下木戸の石垣。枡形虎口になっています。

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城下町平面復原地区。昭和四十二年(1967)からの発掘調査で発見された屋敷跡や井戸、側溝がそのまま復元されています。

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町並復原地区。戦国時代の城下町と武家屋敷を忠実に再現しています。

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町並復原地区の武家屋敷跡。庭園があったようで、石組が残されています。

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一乗谷を南北に流れる一乗川。

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館址の北にある瓜割清水。生活用水に使われていたと考えられ、現在も水が湧いています。

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館址の土塁と水堀。

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館址に建つ唐門。江戸時代に建てられたものですが、すっかり一乗谷のシンボルとなっています。

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館址。朝倉家代々の当主の居館だった場所で、礎石や庭園が残されています。

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館跡の庭園。朝倉氏の文化水準の高さを物語る遺構です。

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湯殿庭園。一乗谷には、国の特別名勝に指定されている庭園が全部で4カ所残ります。次回記事で詳しく触れたいと思います。

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上城戸の土塁と堀。一乗谷の南端となります。

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朝倉氏が一乗谷を本拠としたのは7代孝景(敏景)の頃といい、以後朝倉氏5代に渡って栄えました。庭園などに見られる文化水準の高さや、全盛期には人口1万人を超えるなど、「北の京」と呼ばれましたが、天正元年(1573)織田信長の軍勢に攻められ、当主義景は自害。朝倉氏の滅亡とともに、一乗谷も灰燼に帰しました。

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次回は一乗谷の庭園群を取り上げます。



 
 
 
 

越前勝山の古い町並み ~福井県勝山市~

GW2日目、平泉寺白山神社を後にし、勝山市の古い町並みを歩きます。勝山は平泉寺の繁栄とともに古くから栄えた町ですが、安土桃山時代には柴田勝安が勝山城を築き、その後は城下町として栄えました。今でもうだつや庇が特徴的な民家・町屋が多く残っています。

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沢町の辺りには、かつて白山神社への参拝道として栄えた時の名残が見られます。耳のようなうだつが特徴的。

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沢町の一本義酒造さん。古い町屋ですが、一階部分や屋根の改造が惜しまれます。。勝山で唯一の造り酒屋とのことで、今宵の酒はこちらで購入。

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元町の石畝(いしぐろ)家。藩政期には「炭屋喜兵衛」を名乗り、木炭や材木を扱っていたようです。

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栄町の古民家。かつてこの辺りには茶屋があり、白山へ向かう乗合馬車の客で賑わったことから「茶屋通り」と呼ばれていました。

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勝山城三の丸大手付近の古民家。城の遺構は跡形もなく破壊されていますが、大手付近には城の面影を感じさせる地形がよく残っていました。


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本町通り商店街。勝山で古い町並みが最も良く残されているエリアで、呉服店を中心に、古い町屋が散在しています。

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勝山の町屋は庇が特徴的です。瓦葺のもの、銅葺のもの、むくりのあるもの・・・様々な庇が見られます。

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特に、上部に梁のようなものが通されている庇がよく見られますが、これは何と呼ぶのでしょう・・・
太い登り梁が、町屋を重厚なイメージにしています。

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洒落た持ち送りが見られる町屋も。


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またしても耳みたいなうだつ。それにしても、すごい存在感…笑

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明治以降、勝山の基幹産業は機業となります。昭和町にある「はたや記念館ゆめおーれ勝山」は、かつての中堅機業の建物をリニューアルしたもので、内部は機業に関する展示を行う資料館になっています。

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本町通りから歩いて勝山駅へ向かうと、夕暮れの九頭竜川に鯉昇りがたなびいていました。奥には大師山、その奥に白山が見えています。

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次回は福井市の一乗谷朝倉氏遺跡を訪れます。


 
 
 
 

旧玄成院庭園 ~福井県勝山市~

平泉寺白山神社境内にある旧玄成院(げんじょういん)はかつての平泉寺の塔頭で、その境内には戦国時代(室町時代後期)の鑑賞式の枯山水庭園が残されています。

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作庭は、旧秀隣寺庭園や北畠氏館庭園などを手掛けた室町幕府管領・細川高国によると伝わり、作庭時期は享禄年間(1528~1531)頃とされます。柵が張られ近寄れないため詳細は分かりませんが、本尊石を中心に、築山や枯池の護岸に石組が見られます。

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築山や枯滝近くには灯籠が見られますが、恐らく後世に持ち込まれたものでしょう。

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池中の巨石は鶴島とのことです。近寄って見ることができないのが残念。。

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枯滝の石組。見えづらいですが、品のある優れた石組であることは確認できます。

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全体的に荒廃していますが、そのことがかえって、古庭園の趣を感じさせます。

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旧玄成院庭園は、北陸地方では現存最古の庭園とされ、昭和五年(1930)に国の名勝に指定されています。玄成院はかつて白山の別当がいた塔頭で、現在は平泉家として存続し、庭園も平泉家が管理されているようです。

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次回は勝山市の古い町並みです。

 
 
 
 

平泉寺白山神社 ~福井県勝山市~

GW2日目は、百名山に数えられる白山の西麓、以前から訪れたかった平泉寺白山神社を訪れます。

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養老元年(717年)、泰澄により白山神社が開かれ、平泉寺はその別当寺として建てられました。白山信仰の拠点として中世には比叡山の勢力下に入り、戦国時代には城砦化され、朝倉氏と並ぶ大勢力となりますが、天正二年(1574)一向一揆の焼討で全山焼失し、衰退しました。

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明治に入り神仏分離令により平泉寺は廃され、白山神社のみが残りました。苔むした石垣参道や寺院城郭として城砦化された点は、湖東三山の一つ・百済寺(滋賀県東近江市)にどこか似ています。

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一の鳥居を過ぎ参道左手にある旧玄成院(げんじょういん)庭園。戦国時代に管領・細川高国により作庭されたと伝わる枯山水庭園です。次回の記事で単独で取り上げます。

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境内にある御手洗(みたらし)池は、「平泉寺」の名前の由来となった泉で、今も水が湧き続けています。

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池中にある影向石(ようごういわ)に現れた白山の大神のお告げにより、白山神社が建てられたと伝わります。

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新緑の参道を進むと、やがて二の鳥居が見えてきます。

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二の鳥居を過ぎるといよいよ拝殿です。

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現在の拝殿は安政六年(1859)に造営されたものです。周囲の苔の美しさは京都の西芳寺と並び賞され、「苔寺」とも呼ばれています。

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拝殿周囲にある礎石は、一向一揆による焼討で焼失したかつての拝殿のものです。正面が四十五間(約80メートル)もある巨大な拝殿だったといいます。

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拝殿の奥にある本社(寛政七年(1795)造営)。伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀っています。

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本社の奥の参道を上ると、境内最奥の三之宮(奥社)があります。この先は三頭山への登山道となります。

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境内南方の谷は、多くの坊院が建ち並んでいた地区です。発掘調査により、石垣や石畳、用水路が発見されています。

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坊院址には発掘調査に基づいて門と土塀が復元されていました。

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連休ということもあってか、昨年JRのCMで宣伝されたからか、思っていた以上に観光客が多くて写真を撮るのに苦労しましたが、杉の大木に囲まれ苔で埋め尽くされた境内は、まさに「幽玄」という言葉が相応しい、神秘的な空間でした。

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次回は旧玄成院庭園です。

 
 
 
 

堅田の古い町並み ~滋賀県大津市~

「浮御堂」で知られる大津市北部の堅田は、古く湖上交通で栄えた町です。現在でも浮御堂や伊豆神社の周辺には古い町並みが残されています。

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本堅田にある「堅田三大豪族」の一つ、居初氏邸。「天然図絵亭」と呼ばれ、琵琶湖に臨む庭園で知られます。いつかは訪れてみたいと思っているのですが、今回も時間の都合上訪問できず。。

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居初氏邸の近くには古い商店が残っています。

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本堅田は至る所に狭い路地が入り組んでいます。奥には琵琶湖が見えます。

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堅田は平安時代には下賀茂神社の御厨(みくりや)とされ、琵琶湖での漁業権と通行権を与えられていました。これらの特権を背景に経済力を強めていき、中世には「堅田衆」による自治統治が行われ、織田信長や豊臣秀吉など時の権力者からも特権的地位を認められるなど、大いに繁栄しました。

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本堅田一丁目の町並み。江戸時代にはこの辺りに陣屋が置かれ、堅田藩が成立しました。戦国時代には、当時の宣教師ルイス・フロイスから「甚だ富裕なる町」と評された堅田でしたが、江戸時代に入ると漁場を巡る他の港との紛争や内紛により、徐々にその影響力は減退していきました。

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琵琶湖に面した、陣屋の舟入跡。石垣が往時のものなのかは不明ですが、今でも舟入の形状をよく残しています。

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本堅田一丁目にある「湖族の郷資料館」。「湖族」とは、堅田の繁栄を築いた「堅田衆」のことで、資料館では堅田の歴史や文化を紹介しているようです。

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資料館周辺には、古い民家が点在しています。

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陣屋址のすぐ脇にある伊豆神社。なんで堅田で伊豆?と思いましたが、静岡県伊豆の伊豆大権現を祀っているそうです。

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堅田の中心部は現在では堅田駅の方へ移ってしまいましたが、かえってそのことで、本堅田周辺の町並みが今日まで残されてきたのかもしれません。

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次回は福井県に移動し、勝山市の平泉寺白山神社を訪れます。

 
 
 
 

旧秀隣寺庭園 ~滋賀県高島市~

GW初日、兵主大社を訪れた後は、ずっと前から訪れてみたかった旧秀隣寺庭園へ。秀隣寺という寺院はすでに別の地に移転していますが、かつて秀隣寺があった場所に建つ興聖寺の境内に、戦国時代の池泉観賞式庭園が残されています。

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旧秀隣寺庭園は、この地の豪族・朽木稙綱が享禄元年(1528)、戦乱の京から逃れてきた室町幕府12代将軍・足利義晴のための館を建てた際に造られました。江戸初期にこの地に秀隣寺が建立され、その後興聖寺が移ってきましたが、庭園は作庭当初の姿をとどめ、国の名勝に指定されています。

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福井県の一乗谷朝倉館庭園、三重県の北畠氏館庭園とともに、「三大武将庭園」なるものの一つに数えられるそうです。鶴島の巨大な蓬莱石(写真右)をはじめ、豪壮で優美な石組は、室町・戦国の庭園文化の水準の高さを象徴しています。

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池泉北側にある亀島と滝石組(右奥)。滝石の合間から池泉へと水が流れ出ます。

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石橋越しに見る亀島と滝石組。低めの位置から観賞すると、石組の凄さがより強く伝わってきます。

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池泉の南東側に築山があり、頂部に本尊石を置いています。築山には千利休にも称賛された樹齢500年近い椿の木があり、今でも毎春に赤い花を咲かせます(今年は開花が例年よりも早かったようで、訪れた時にはすべて散っていました)。

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本尊石から続く石組は、枯滝を表します。

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築山から見下ろす全景。作庭は室町幕府管領・細川高国によるとされ、佐々木氏、京極高秀、浅井亮政、朝倉孝景ら周辺の戦国大名も協力したと伝わります。

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随所に見られる洗練された意匠が、風流人と言われた細川高国の優れた美的センスを感じさせます。高国はここ以外にも、北畠氏館庭園や旧玄成院庭園(福井県勝山市)を手掛けています。

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庭園を含め、現在興聖寺の建つ一帯は、当時「岩神館」と呼ばれる城館でした。興聖寺の墓地裏には、現在も土塁と空堀が残され、往時の面影を留めています。

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兵主大社庭園 ~滋賀県野洲市~

GWを利用して、滋賀~福井~京都と3泊4日の旅に行って参りました。まずは滋賀県野洲市にある兵主大社(兵主神社)にある、名勝庭園を訪れます。

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本殿の南側に、池泉回遊式の庭園が広がります。

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平安時代末期の作庭と伝わり、近年まで荒廃が進んでいましたが、発掘調査をもとに往時の姿に復元されました。

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面積は22,000㎡にも及びます。池泉は出島を伴い、複雑な形状をしています。

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本尊石を中心に、随所に配置された石が活き活きとしています。

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一部の護岸石組は二重に組まれ、石積みのような意匠になっています。

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複雑な汀線と美しい石組が、観賞位置によって様々な表情を見せてくれます。

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滋賀県野洲市の兵主大社(兵主神社)は、養老二年(718)創建と伝わり、式内社の一つに数えらる由緒ある神社です。境内入口の朱塗りの楼門は、足利尊氏の寄進によるものと伝わり、県の有形文化財に指定されています。

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深谷商業高等学校記念館 (旧深谷商業高等学校校舎) ~埼玉県深谷市~

深谷商業高校の敷地内に建つ深谷商業高校記念館。大正10年(1921)から大正11年(1922)にかけて建てられた、二階建ての木造洋館で、「二層楼」の別名で親しまれています。

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フレンチルネッサンス様式を基調としたデザインで、左右対称、中央部には尖塔と車寄せを設けています。黄緑色の外観は、創建当時の状態を復元したものです。

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一階内部の廊下は、いかにも古い校舎といった趣です。

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内部のドアはどれも、外側(廊下側)は茶色、内側(部屋側)は外観と同じ緑色と、表裏でカラーリングが違うユニークなものです。

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応接室(旧校長室)。

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机と椅子は、往年のものでしょうか。年季の入った味わい深さがあります。

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応接室の照明。

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二階廊下。等間隔で配置された照明とドアが美しい。。

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二階は、かつての教室が保存展示されています。

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創建当時から使われていた柱時計。高さは1.7 m もあるそうです。

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西側階段室。

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昭和42年(1967)、コンクリート造の新校舎が完成すると、「二層楼」は校舎としての役割を終えます。その後、老朽化により解体が検討された時期もありましたが、平成23年から平成25年にかけて保存修理が行われ、創建当時の姿に甦りました。なお、見学は日曜日のみ、12時~13時はお昼休みで入れないのでご注意を!

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旧重森三玲邸庭園(重森三玲庭園美術館) ~京都府京都市~

京都市左京区、京都大学近くの住宅街に、昭和日本庭園の巨匠・重森三玲の旧宅があります。重森三玲のご遺族により維持・管理され、「重森三玲庭園美術館」として、一般公開されています。(予約制)。

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書院の前には、枯山水の庭園が広がります。苔と石組で蓬莱島とその他3つの島を、白砂で海と雲を表しています。

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もともとこの地には吉田神社の社家・鈴鹿隆信の屋敷があり、昭和18年(1943)、この地に移り住んだ重森三玲が、大書院・主屋・庭園を改修し、現在の姿となりました。書院前庭園は昭和45年(1970)の作庭です。

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蓬莱島の出島部分に、三尊石と礼拝石が見られます。庭石のほとんどが徳島の青石とのことですが、礼拝石だけは鈴木家時代のものをそのまま残しているそうです。

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苔と白砂による曲線が女性的な優美さを演出します。

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波型の州浜も、三玲作の庭によく見られる特徴です。

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大書院から庭園を望む。

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書院の奥に、茶室「無字庵」があります。普段は公開されていませんが、期間限定で公開されます(予約制)。
今回の訪問の一番の目的は、この「無字庵」の特別公開です。

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茶室内部。波型の市松模様は、桂離宮を彷彿とさせます。

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モダンであると同時に、伝統的な日本美である、とう点に、数寄の真髄のようなものを感じさせます。タウトや石元泰博が桂離宮に見たような美意識を、三玲は「永遠のモダン」と呼んだのだと思います。

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書院奥にある坪庭と水屋。

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重森三玲は昭和を代表する作庭家です。古い物に時代を超えた新しさが存在する、という「永遠のモダン」をテーマに、東福寺、大徳寺、松尾大社など多くの寺社仏閣や個人宅の庭園を手掛けています。

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當麻寺の庭園② 中之坊庭園 ~奈良県葛城市~

前回に続いて當麻寺の庭園です。今回は東塔の袂にある中之坊庭園です。中之坊は當麻寺最古の塔頭で、當麻寺開創時に道場として開かれたのが始まりと言われます。

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庭園は鎌倉時代に造られ、江戸初期に片桐石州により改修されています。同じく江戸初期に建てられた書院の前面に、心字池を中心とした池泉庭園が広がります。

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石組は力強いものがあります。写真は滝石のようにも見えますが、不明瞭です。

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池には築山側から出島が突き出ています。

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汀線に沿って飛石の上を進みます。

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池泉の脇に建つ書院は、江戸初期に後西天皇を迎えるために造られたもので、庭園とよく調和しています。

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池泉は西の方にいくにつれ複雑な汀線となります。

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苔と飛石が美しい。。

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庭園は古くから、竹林院、慈光院とともに大和三名園に数えられています。由緒ある寺院にも関わらず、観光客は少なく、静けさに包まれていました。當麻寺には他にも千仏院や奥院にも庭園がありますが、いずれも特筆すべきものではなく、今回は取り上げておりませんので悪しからず。

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當麻寺の庭園① 西南院の庭園 ~奈良県葛城市~

奈良県西部の葛城市にある當麻寺は、推古天皇20年(612)に創建された、真言宗と天台宗の並立の古刹です。境内には、本堂や東西三重塔など、奈良~平安時代の貴重な建築が多く残りますが、塔頭である中之坊と西南院(せいないん)には古い庭園も残されています。まずは西塔の袂にある西南院の庭園からご紹介します。

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西南院は、當麻寺創建時、裏鬼門の要として造られた塔頭です。庭園は江戸時代初期に造られたものを、江戸中期に一音法印という者によって改修されています。

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西南院庭園は、書院裏の斜面を利用した池泉回遊式です。書院裏側から回遊路がついています。

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南側斜面から見下ろす池泉。左側の出島が亀島、中央の灯籠のある部分が鶴島、とされます。

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回遊を終えたあと、書院で抹茶を頂きます。書院からは庭園を正面から眺めることができます。

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亀島の奥に滝石組があります。植栽が繁茂していて分かりづらいですが。。

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石組に関しては特筆すべきものはありませんが、池泉周囲の苔と飛石が、この庭を趣深いものにしています。

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北西隅にある見晴台から、借景となる西塔(手前)と東塔を望む。いずれも平安時代に建てられたもので、国宝に指定されています。

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次回は當麻寺の中之坊庭園です。

 
 
 
 

旧大乗院庭園 ~奈良県奈良市~

更新が遅れもう一か月以上経ってしまいましたが、3月に訪れた奈良・京都の庭園をUPします。

まずは奈良ホテルの南隣にある旧大乗院庭園をば。東大池と西小池の二つの池泉から構成される池泉回遊式庭園です。受付を済ませ、まず目に入るのが広大な東大池です。


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大乗院は、寛治元年(1807)に創建された興福寺の塔頭の一つで、門跡寺院となるなど大きな勢力を誇りましたが、度重なる戦乱による荒廃と復興を経て、明治期の廃仏毀釈により廃院となりました。庭園は大乗院の創建と同時に造られましたが、戦乱により荒廃、銀閣庭園を手掛けた善阿弥父子により室町時代に大改修され、明治期まで「南都随一の名園」と賞されました。


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明治初期の廃院後、庭園は個人宅や学校の敷地となり荒廃しましたが、昭和48年(1973)からは日本ナショナルトラストが管理・整備を行い、平成7年(1995)から発掘・復元事業が行われ、平成22年(2010)から一般公開されています。

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大池の周囲は小石が敷き詰められています。

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大池の北部には中島があり、赤い木橋が復元されています。

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江戸時代の絵図によると、当時は中島に月見のための建造物が建っていたようです。

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庭園内の景石はほとんどが失われていますが、大池北東部には古い石組がまとまって残っていました。

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西小池は、近年まで完全に埋没していたそうですが、発掘調査に基づき江戸末期の姿に復元されています。南池(奥)と北池(手前)に分かれています。

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南池は入り組んだ形状をしいています。四阿の位置からは建物跡が確認されており、西小池はここを観賞位置とした観賞式庭園であったようです。

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やはり護岸には小石が使用されています。

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南池の中島は「オシマ(おしま)」と呼ばれていたようです。趣の異なる橋が連なっているのが印象的。

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西小池の北池。小島は「メシマ(雌島)」と呼ばれ、南池の「オシマ」と対をなす存在だったようです。

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次回は大阪府との県境にある當麻寺を訪れます。


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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