茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧朝倉家住宅② ~東京都渋谷区~

旧朝倉家住宅②です。

見学順路は再び一階に戻ります。一階の西半分は、中庭を中心に和室が配置された、日常生活用の空間となります。

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角の杉の間。形式的な書院造です。

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角の杉の間の縁側。外には緑豊かな庭が広がります。

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奥の杉の間。こちらは略式の書院造で、高級とされる板目材をふんだんに使用しています。

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奥の杉の間は窓を大きくとっています。庭の緑が畳に映り込んでいました。

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杉の間の奥にある、茶室と丸窓の間。

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玄関脇の洋間。執事の事務や日常的な来客対応に使用されていました。

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洋間の天井は格式高い、折上格天井になっています。

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庭から見る主屋外観。

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庭から見る杉の間。庭は崖線の高低差を利用した造りになっています。

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旧朝倉家住宅を紹介する際の決まり文句になっていますが、カフェやアパレルショップが建ち並ぶ代官山という場所を考えると、約100年間変わらずに建ち続けている旧朝倉家住宅は、やはり貴重な存在と言えます。庭にはもみじが多いので、紅葉の時期に訪れてみるのも良さそうです。


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旧朝倉家住宅① ~東京都渋谷区~

旧朝倉家住宅は、代官山の駅から程近い場所にある、大正時代の和風建築です。東京府議会議長や渋谷区議会議長を務めた朝倉虎治郎によって大正8年(1919)に建てられ、現在は国の所有となり重要文化財に指定されています。

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一階廊下。畳敷になっています。右手は応接間で、出書院の板欄間が見えています。

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廊下奥の戸に杜若が。まるで城の御殿のような華やかさです。

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応接間。典型的な書院造ですが、襖絵や出書院の欄間には上品な意匠が見られます。

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応接間の違い棚と襖絵。邸内の板戸や襖絵は橋本関雪に師事した狩野派の画家・小猿雪堂(こえんせつどう)が手掛けたとされます。

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二階・六畳の和室。

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上の和室の反対側にも四畳半の和室があります。数寄屋風の造りになっています。

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二階廊下。窓が大きく開放的です。

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二階から見た一階応接間の屋根。むくりが見られます。

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二階広間。格式の高い間で、会合などで使用されました。

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広間の違い棚と襖絵。

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広間には二種類の火燈窓が見られます。

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広間の襖絵。

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②へ続きます。


 
 
 
 

旧安田楠雄邸② ~東京都文京区~

旧安田楠雄邸その②です。

昭和4年(1929)に改造されている台所。大きくとられた天窓により、明るく開放的に感じられます。

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台所の床下収納。写真ごく一部で、実際は相当広い収納スペースがあります。

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木製冷蔵庫。

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風呂場。浴槽は当時より小さいものに交換されています。

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二階予備室。数寄屋風の意匠が見られます。

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予備室の猫間障子。春には新緑の、秋には紅葉のもみじを眺めることができます。

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二階水屋。

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邸内で最も格式の高い、二階客間。縁側には大きな窓と高欄が設けられるなど、開放的な空間になっています。

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客間の南西隅は出書院になっています。欄間の組子が洒落てますね。

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出書院の火燈窓。旧三井家拝島別邸でも同様でしたが、当代の流行なのか、火燈部分がデフォルメされています。

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客間に隣接する次の間から。

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約100年前に建てられた旧安田楠雄邸ですが、関東大震災と東京大空襲を免れ、平成7年まで安田家の住居として使用されました。その後、平成15年から修復工事が行われ、平成19年から一般公開されています。なお庭園は、通常時には立ち入ることができず、東京都の文化財ウィークの時などに入ることができるようです(今回は庭園に入れなかったため、外観写真は撮れませんでした…)。

 
 
 
 

旧安田楠雄邸① ~東京都文京区~

千駄木の高級住宅街にある旧安田楠雄邸は、大正8(1919)年に建てられた、木造二階建ての近代和風建築です。「豊島園」の創業者である藤田好三郎によって建てられ、関東大震災後には旧安田財閥の創始者・安田善次郎の婿養子・善四郎によって買い取られました。現在は公益財団法人である日本ナショナルトラストによって管理され、「旧安田楠雄邸庭園」として公開されています。

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来客用玄関の天井は、格調高い格天井になっています。

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内玄関。こちらが通常時の玄関となります。

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内玄関からは長い廊下が延びます。

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邸内で唯一の洋間・応接室。

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応接室天井の花飾りは、寒天の型で造られたそうです。

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応接室の外側は、L字状にサンルームが取り巻いています。

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サンルームの床は、ゴムタイルのパズルで出来ています。

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残月の間。床の間は、京都表千家の残月亭を模しています。

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残月の間の縁側。天井には網代が施されています。

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残月の間から庭園を望む。

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残月の間に隣接する茶の間。猫間障子の外側に庭園を望むことができます。

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②に続きます。


 
 
 
 

島薗家住宅 ~東京都文京区~

千駄木の高級住宅街にある島薗家住宅は、昭和7年(1932)に建てられた洋館と和館からなる邸宅です。旧安田楠雄邸に向かう途中、たまたま月に2回の公開日とのことだったので、立ち寄ってみました。

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玄関。庇にはパーゴラが設けられています。

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洋館一階の庇下にはレリーフ状の彫刻が巡らされています。

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玄関脇の窓。一階内部のホールの明り取りとなっています。

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一階の書斎兼応接間。作り付けの書棚には医療関係の本がびっしりと並んでいます。

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居間。インテリアは、家主・島薗順雄の留学先であるドイツから運んできたものだそうです。

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居間のシャンデリア。ガラスではなく雲母で出来ています。

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居間の南側にはサンルームが隣接しています。

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洋館の東側に隣接する和館。6畳と8畳の2つの和室で構成されます。

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和館の縁座敷。市松の床板部分はかつて畳でした。

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一階廊下の脇にある電話室。世田谷の旧小坂家住宅にも同様の電話室がありました。

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昭和16年(1941)に増築された二階部分。マントルピースと床の間が並ぶ和洋折衷の部屋です。

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マントルピースの上にあるステンドグラス。軍艦と戦闘機を象っており、増築当時の時代背景を表しています。

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反対側から見た二階部分。奥に一段高く和室が設けられています。

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二階部分の和室には、数寄屋風の意匠が見られます。

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島薗家住宅は、生化学を専門とした医師・島薗順雄が結婚を機に建てたもので、設計は銀行建築を多く手掛けた矢部又吉によります。現在は国の有形文化財に登録されており、毎月第1・第3土曜日に公開されています。


 
 
 
 

遠州横須賀の古い町並み ~静岡県掛川市~

掛川市の郊外、遠州灘に臨む横須賀は、戦国時代から横須賀城の城下町として発展しました。横須賀城址の南東、横須賀街道沿いには、往時を偲ばせる町並みが残っています。

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旧清水邸。旅籠かと思ったら、江戸時代の廻船問屋とのことです。

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清水家は横須賀藩の御用商人で、横須賀一の名家であったと言います。塀の奥には広大な庭園があります。

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松本歯科医院。洋館風のレトロな建物ですが、木に覆われて良く見えず…

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街道を東へ進むと、古くからの商店が点在しています。

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かつて床屋だった看板建築。

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江戸末期創業の老舗割烹旅館・八百甚。

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現在の八百甚の建物は昭和6年(1931)に建てられたもので、横須賀のランドマークとなっています。

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小規模ながら、「うだつ」が見られる山中酒造。

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杉玉が吊るされた外観は、老舗酒造の風格を帯びています。

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西大谷川の東側にも、古い民家が点在しています。

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レトロでスタイリッシュな床屋さん。こちらは現役のようです。

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松本医院。洋館がくっついた立派な近代和風建築です。

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公園として整備されている横須賀城址。天正6年(1578)、武田勝頼の高天神城を攻略するため、徳川家康が大須賀康高に築かせた城で、明治まで存続しました。発掘調査に基づいて復元された玉石積みの石垣が特徴的です。

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横須賀は、もともと遠州灘に面した港町でしたが、宝永4年(1707)の大地震で地表が隆起し、その後は宿場町として栄えました。ほとんどの建物は大正~昭和初期のものと思われますが、最近の新しい建物でも町屋風のデザインをとっているものが多く見られ、古い町並みの雰囲気を残そうとする地元の心意気が伝わってきます。

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浜松・湖北の庭園④ 龍潭寺 ~静岡県浜松市~

浜松の庭園巡り、最終回は旧引佐町にある名刹・龍潭寺(りょうたんじ)へ。徳川家重臣・井伊家の菩提寺として有名なお寺ですが、本堂裏には江戸初期作庭とされる庭園があります。

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庭は斜面との間の細長い土地に造られています。心字池と、3つの築山と枯滝、それらを固める石組で構成される、池泉鑑賞式庭園です。

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一番西の枯滝。優美で上品な石組が見られます。

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池の左右に対象に置かれた巨石は、仁王石で、鶴羽石も兼ねるとされます。

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3つあるうちの、中央の枯滝。

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中央の築山に据えられた守護石。三尊石組となっています。

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中央の築山下の出島は、亀を象っていると考えられています。

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一番東側の枯滝。3つの枯滝の中で、この庭で最も力強く豪壮な石組が見られます。

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東方から全景を見る。5月にはサツキが満開になりますが、植込みで一部の石組が隠れてしまっているのが残念。。

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龍潭寺は行基によって天平5年(733)に開創された古刹です(開創当時の寺号は地蔵寺)。寺の周辺は古くから井伊谷(いいのや)と呼ばれ、徳川家重臣として知られる井伊家発祥の地と言われます。庭は、寺伝では小堀遠州作とされ、国の名勝に指定されています。

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浜松・湖北の庭園③ 実相寺庭園 ~静岡県浜松市~

摩訶耶寺を後にし、車で東へ40分ほど、旧引佐町の実相寺を訪れます。本堂の東側に、平成6年(1994)に地中から発見された枯山水庭園があります。

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砂石で海を表現し、その奥に3つの頂を持つ築山が聳えます。中央の築山と左の築山の間にある立石が蓬莱石を表し、手前の平たい石は座禅石と考えられています。

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築山の見事な枯滝石組。右手の大きな黒い立石が龍門瀑を表し、その手前の小さい石が鯉魚石、手前の「へ」の字方の石は蓬莱島を表しているといいます。

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庭の手前の方には出島があり、見事な石組が見られます。中央左は鶴羽、右奥は亀を模した蓬莱石組と考えられています。

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庭を書院側(西側)から見ると、出島の石組の美しさが際立ちます。

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南側から見た全景。3つの頂のある芝の築山、築山の左右の仁王石と思われる立石、サツキの丸い刈り込みなど、この後訪れた龍潭寺の庭と似ている点が多く見られますが、両者の関係性については明らかになっていません。

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庭園の脇に建つ、延宝6年(1678)再建の本堂と元禄15年(1702)再建の観音堂。これらの伽藍の再建時期から、庭園の作庭時期は17世紀末頃と推定されています。
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享保2年(1717)築の鐘楼門。現存する古建築も、実相寺の見所です。

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実相寺は嘉慶元年(1387)に開創され、徳川家臣・近藤季用を祀っています。庭園の北側には季用夫妻の廟所があり、庭園はこの廟所を遥拝するために作庭されたと考えられています。なお、寺までの道路は恐ろしく狭く傾斜が急なので、車で行かれる場合はご注意を!

次回は、同じく旧引佐町にある龍潭寺庭園です。

 
 
 
 

浜松・湖北の庭園② 摩訶耶寺庭園 ~静岡県浜松市~

大福寺を訪れた後、すぐ近くの摩訶耶寺(まかやじ)へ。境内には、昭和43年(1968)、東名高速道路建設工事の際に発見された、中世の池泉観賞式庭園が残されています。

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池の奥に2つの築山を配し、石組で険しい山々を表現しています。

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向かって左手の築山には、力強い三尊石組と護岸石組が見られます。右手の築山にも三尊石らしき石組が見られます。

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池の右手には中島があります。中島の左側には鶴首とされる細長い石、背中には鶴羽と三尊石を兼ねた石組という、独特の意匠。

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鶴島と相対する形で池に突き出た出島は、亀島と思われます。

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入り組んだ汀線を持つ池泉、優美な築山、豪壮な石組…全てが絶妙なバランスで構成されています。

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明確な作庭時期は分かっていませんが、調査の結果から鎌倉初期と推定されており、静岡県内では最古の庭とされます。

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摩訶耶寺は神亀3年(726)、行基によって新達寺として開創され、その後名称や場所を変えて、平安時代末期に現在の場所へ「摩訶耶寺」として移されました。庭以外にも、極彩色の花鳥が描かれた本堂の格天井や、平安時代に造られた3つの仏像など、見所の多いお寺でした。

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次回は、旧引佐町の実相寺を訪れます。


 
 
 
 

浜松・湖北の庭園① 大福寺庭園 ~静岡県浜松市~

静岡県西部、現在は浜松市に編入されている旧引佐郡には、名庭と評される庭園が点在しています。東名高速を下ること3時間以上、まずは旧三ケ日町にある大福寺庭園へ。客殿の西側に、福助池と呼ばれる池を中心とした池泉観賞式庭園が広がります。

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池泉の奥には自然地形を利用した築山が聳えます。中央上部に須弥山石組、右手と中央下に三尊石組、左には滝石組と、いずれも見事な石組です。

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池の右手にある出島。上部の石組を羽と捉えると、鶴を表現しているように見えます。

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池泉の左手にも出島が見られます。池に突き出た松が特徴的ですが、その下には亀頭石のような石があり、亀を表現した出島とも思えます。

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池の周囲は回遊できるようになっています。写真は、築山下から客殿方面を見たところ。

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池では、至る所に蓮の花が咲いていました。

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大福寺は貞観年間(859~877)に現在よりも北東の地に幡教寺として開創され、承元3年(1209)現在の地に移され大福寺と改称されました。庭園は室町時代に作庭され、江戸時代に茶匠・山田宗偏によって改修されたとされます。近年になって築山や出島の植栽が取り払われたようで、石組が細部まで見やすくなっています。

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次は同じく旧三ケ日町の摩訶耶寺庭園を訪れます。


 
 
 
 

旧小坂家住宅 ~東京都世田谷区~

開発著しい二子玉川の駅から北西に徒歩約20分、緑に包まれた瀬田四丁目広場の一角に、戦前に建てられた近代和風建築・旧小坂家住宅があります。実業家であり政治家でもあった小坂順造の別邸として昭和12年(1937)に建てられたもので、渋谷区にあった小坂の本邸が戦災で焼失すると、以後は本邸として使用されました。現在は世田谷区により管理・公開されています。

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玄関を入ると、古民家のような天井の高さと梁の太さに驚かされます。小坂の生家もこのような天井だったのかもしれません。しかし、暗すぎてF3.5ではブレブレ。。。

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茶室。奥の天井が一段低くなっているところが、「織部床」と呼ばれる略式の床の間になっています。

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網代の床とマントルピースが共存する、和洋折衷の書斎。応接にも使用され、マントルピースの上にはその日の来客の趣味に合わせて、都度違った品が飾られたそうです。

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旧小坂家住宅のある国分寺崖線上には、かつて多くの別邸建築が存在したそうですが、現在残るのは旧小坂家のみとなっています。

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主屋の中心となる居間。典型的な書院造ですが、余計な装飾がなく、柱や落とし掛けも直線的なところに、モダンな印象も受けます。

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居間の出書院は、組子などがなく、至ってシンプル。甲板下の格子の中にはエアコンが設置されていたようです。旧小坂家住宅には、このように空調設備がさりげなく仕込まれている箇所が他にもあります。

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居間に隣接する茶の間。

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入側。縁座敷になっています。

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茶の間の外側には個室の電話室があります。

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女中部屋の呼び鈴。各部屋と繋がっていたそうです。

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脱衣室と浴室。

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主屋南東の離れにある寝室。マントルピースの付けられた洋室です。

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寝室に隣接するサンルーム。窓の外には芝庭が広がります。

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芝庭から見る主屋。高い屋根に煙出し櫓が設けられ、外観は日本の伝統的な古民家そのものです。

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下館の古い町並み ~茨城県筑西市~

栃木県との県境にある茨城県筑西市の下館、中世から下館城の城下町として栄え、今も町の至る所に古い建物が点在しています。

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羽黒神社の西にある立派な看板建築・中澤時計店。

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とにかく重厚で立派な造りです。看板もレトロでかわいいデザイン。

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同じく羽黒神社近くにあるコンクリート造の洋館・一木歯科醫院。国の有形文化財に登録されています。

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国道50号線を東へ進みます。この町は石蔵が多いですね。

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江戸時代からの醸造元・荒川家。町屋にモルタル造の洋館がくっついた、下館のシンボル的存在です。国の有形文化財に登録されています。

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荒川家住宅の対面にある、もう一つの荒川家住宅。こちらは明治期の卸問屋・荒川家の住宅で、やはり国の有形文化財に登録されています。

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金井町にある、中屋製菓。黒くて重厚な建物群が一際目立ちます。

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同じく金井町の、こちらも立派なお宅。トタンに葺き替えられてしまっているのが残念。。

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金井町には、黒漆喰の塗られた蔵造りの建物が密集しています。

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洋館チックな石蔵を発見。一階はガレージになっています。

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50号線の南側にも、古い石蔵などが点在しています。

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廃業してしまった銭湯・松の湯。後ろの高台に見える赤い屋根の洋館は、堤歯科医院の建物です。

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下館は、江戸時代は真岡木綿の集積地として栄え、多くの豪商が生まれました。平成の大合併で筑西市となり、自治体としての下館という名称はなくなっています(今回訪れるまで知らなかった。。)が、思った以上に古い建物が残っていて、感動しました。ただ、近年になって失われた古い建物も少なくないようで、今残っている町並みだけでも保存されることを願います。

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岡部記念館 (金鈴荘) ~栃木県真岡市~

古い建物が点在する栃木県真岡市で、一際目立つ重厚な木造建築が、「金鈴荘」です。明治中期、岡部呉服店を営む岡部久四郎の別荘として建てられた近代和風建築で、現在は岡部記念館として一般公開されています。

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1階内部。奥に向かって、「ぼたん」、「あじさい」、「ゆき」と部屋が続きます。

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「あじさい」の間。床の間周辺には紫檀や黒檀、鉄刀木などの高級木材が使用され、襖絵は明治~昭和初期の日本画家・佐竹永陵による作品です。

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「ゆき」の間。どの部屋もすべて書院造で、襖は金箔で仕上げられています。

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各部屋には、レトロな花形の照明。

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極端に狭い廊下から玄関方面へ戻り、二階へと上がります。

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二階、階段脇の「つた」の間。こちらも襖絵が凄い。。

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二階は「うめ」「もみじ」「つき」の順に部屋が続きます。

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「うめ」の間。やはり襖はすべて金箔です。

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「もみじ」の間。二階で最も広い部屋です。違棚が左右にあるという贅沢。

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「つき」の間。

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二階の窓の外には広大な庭園が広がっていました。

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敷地を囲う石塀には、珍しいアーチ型の門が見られます。

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岡部家は江戸時代末期に宇都宮の鈴木屋から分かれた呉服商で、金鈴荘は昭和27年(1952)までその別荘として使用されていました。その後は、長い間割烹として使用されていましたが、現在では真岡市が譲り受け、保存・公開されています。高級木材をふんだんに使用した建築ですが、建築意匠よりも、立派な襖絵や掛け軸の方が印象的でした。

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五条楽園の古い町並み ~京都府京都市~

UPに一ヶ月もかかってしまったGWの旅。最終回は、下京区河原町の旧赤線・五条楽園へ。五条通から高瀬川沿いを南へ歩くと、すぐにかつてのお茶屋・本家三友が見えてきます。

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五条楽園を代表する妓楼建築で、かなりの風格があります。現在は営業していませんが、京都らしい風情がよく表れた建築です。

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本家三友から路地へと入って行きます。古い町屋が点在します。

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本家三友の裏辺りにある妓楼建築。屋号は不明ですが、こちらも素晴らしい風格です。

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その隣にも洗練された妓楼建築が。高欄、細い格子、赤い壁… 「楽園」のイメージに相応しい風景です。

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路地の先にもかつてのお茶屋と思われる建物が続きます。

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路地の先には三階建ての立派なカフェ―建築が。「旅館」とありますが、すでに廃業している模様。

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旅館「平岩」。こちらも立派な妓楼建築です。

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下調べが足りていなかったのと、4日間歩き通しによる疲労のせいで、あまりじっくり回れませんでしたが、この他にも周辺にはかつてのお茶屋やカフェー建築が数多く残っているようです。

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五条楽園はもともとは七条新地と呼ばれる遊廓でした。昭和33年(1958)の売春防止法施行に伴って五条楽園へ名前を変え、赤線として存続していましたが、平成22年に京都府警による摘発後に休業となり、現在も再開の見通しは立っていません。休業後に取り壊された建物もあるようですが、それでも素晴らしい和風建築やカフェー建築が未だに多く残っています。今後もこの町並みが保存されることを願います。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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