茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

上時国家庭園 ~石川県輪島市~

輪島市東部、町野町に位置する上時国家は、壇ノ浦の戦い後、能登に配流された平時忠(平清盛の義弟)の子・時国がこの地に館を構えたのが始まりといわれ、江戸時代には天領の大庄屋を務めました。邸内には江戸後期に築造された建物と庭園が残されています。


4~5階建てのビルくらいの高さがあるという、主屋。江戸時代の民家建築を伝える、貴重な遺構です。まずは主屋の各部屋から見ていきます。

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「上広間」。折上格天井が見られる、格式高い間です。

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上広間の襖に金箔で描かれた「丸に揚羽蝶」が、平家末裔の邸宅であることを物語っています。

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「伺いの間」。奥の「御前の間」との間の欄間は、蜃気楼が彫られています。

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「御前の間」。「大納言の間」とも呼ばれ、縁に金の塗られた「金縁折上格天井」が、大納言・時忠を起源とする時国家の格式を物語っています。

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主屋の南方に、緑豊かな南庭が広がります。

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南庭は築山の手前に心字池を配した観賞式庭園、周囲は美しい苔で囲まれています。

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現地の案内では「鎌倉時代の様式」とされていますが、現在の建物が竣工した天保2年(1831)頃に改修されていると考えられます。

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護岸や橋添石には、力強い造形美が感じられます。

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鬱蒼とした木々で見えづらいですが、築山にも大ぶりの石を用いた、力強い石組が見られます。

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建物の西方には苔を中心とした平庭が広がります。

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建物東方にも池泉庭園があります。南庭とは遣水で繋がっており、こちらも江戸後期の作庭と思われますが、南庭と比べると池の形状や護岸の石組はやや陳腐な印象を受けます。

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東庭には枯滝石組が見られます。南庭の石組と比べると、石はだいぶ小ぶりになっています。

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上時国家の祖・平時国の父・平時忠は、「平家にあらずんば人にあらず」の発言で知られる、平家の官僚でした。壇ノ浦の戦い後、三種の神器の一つである神鏡を守った功績により命を助けられ、能登へ配流となりました。子の時国はこの地で300石の「時国村」を興し、以後、代々時国家を名乗り、豪農としてだけでなく、海運や製塩にも力を入れ、栄えました。現在、時国家の建物は国の重要文化財に、庭園は国の名勝に指定されています。

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次回は、江戸時代に上時国家から分家した下時国家を訪ねます。


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旧角海家住宅 ~石川県輪島市~

輪島市黒島町の重要伝統的建造物群指定地区にある旧角海家住宅は、江戸時代に廻船業で栄えた豪商の邸宅です。土蔵4棟以外は、明治4年(1871)の大火後に再建されたもので、平成19年(2007)の能登半島地震で半壊しましたが、その後輪島市へ寄贈され、往時の姿に復元されました。

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主屋正面の簾虫籠。波のような模様が縦に入る、優れたデザインのものです。長い間蔵にしまわれていましたが、能登半島地震後の修復時に再び取り付けられました。

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梁の持ち送りも洒落たデザインになっています。

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小さな扉から建物内へと入ります。

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主屋土間。高い天井と太い梁が立派です。

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土間に面した「店の間」。

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「中の間」(手前)から「座敷」(奥)を見る。

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「座敷」の襖は、漆を塗った紙が貼られた珍しいものになっています。

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「茶の間」。

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地元で「ミツボガコイ」と呼ばれる、三方を建物に囲まれた庭。ガラス戸は隅を直角に進むことができるようになっています。

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窓の木枠が幾何学的。

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主屋の西端に位置する「離れ」。

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離れの西隅には一段高く「望楼の間」が設けられています。ここから日本海を望むことができます。

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主屋の西に隣接する、地上三階建の家財蔵。明治の大火でも焼けずに残りました。

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江戸時代、輪島市黒島町は北前船の船主(廻船問屋)と船員の居住区として栄えましたが、角海家は黒島の船主の邸宅として、その特徴をよく残しています。能登半島地震の影響は大きかったようですが、見事に復元されました。現在は建物全体が石川県の文化財に指定されています。

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次回は、さらに輪島市内を北へ進み、平家末裔の庭園が残る、上時国家を訪れます。

 
 
 
 

黒島の古い町並み ~石川県輪島市~

北陸の旅・最終日となる4日目は、輪島市へ。公共交通機関だと恐ろしくアクセスが不便な場所なので、和倉温泉でレンタカーを借り一時間ほど、まずは古い町並みが残る、かつての天領・黒島地区を訪ねます。

海沿いの国道249号線から旧街道に入ると、黒島の町並みが現れます。古い建物はそれほど多くはありませんが、黒い瓦葺き屋根と下見板張りで統一された町並みが続きます。

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旧街道を北へと歩きます。こちらはかなり古そうな町屋。

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洋風のデザインが見られる、こちらも古そうな民家。

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別れ道の辺りにあった床屋。現在も営業しているのかは不明でした。

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黒島地区には細い路地や坂道が多く見られます。

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さらに街道を北へ進むと、次第に古い民家が多くなってきます。こちらはうだつ、出窓、格子が素敵な伝統的な町屋です。


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こちらのお宅は立派な門扉が気になります…。「家族會館」という表札があったのですが、帰って調べてもよく分かりませんでした。

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廻船業で繁栄した豪商・旧角海(かどみ)家住宅。次回の記事で詳しくご紹介します。

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角海家の周囲には、古そうな民家が点在しています。

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うだつや出窓の見られる町屋も。手前(左手)の町屋は廻船業で栄えた坂本家(明治20年(1887)築)。

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こちらの町屋は立派な出桁が見られます。

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黒島はもともと漁村でしたが、16世紀後半には廻船問屋が現れ、その後は北前船の船主・船員の居住区として栄えました。平成19年(2007)の能登半島地震で大きな被害を受けましたが、その後町並み保全型の町づくりが進められ、平成21年には国の重要伝統的建造物群指定地区に指定されています。

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次回は角海家住宅をご紹介します。

 
 
 
 

にし茶屋街の古い町並み ~石川県金沢市~

北陸の旅3日目、この日最後に訪れたのが、金沢市野町の、にし茶屋街です。

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もともとはひがし茶屋街と同じく、文政3年(1820)に藩から公許された遊廓で、「西の廓」とも呼ばれました。

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ひがし茶屋街と同様、石畳の道沿いに、千本格子や簾の見られる茶屋建築が建ち並びます。

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新しい建物も、茶屋風のデザインになっています。

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にし茶屋街の西端にある西検番事務所。大正11年(1922)築の木造洋館で、芸妓の管理事務所でした。

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軒下の装飾や電灯など、細部のデザインも凝っています。

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ひがし茶屋街・主計町とともに、「金沢三大茶屋街」として知られているにし茶屋街ですが、観光客でごった返していたひがし茶屋街と比べ、にし茶屋街は観光客も少なく、静かで落ち着いた雰囲気でした。

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もう少し金沢をゆっくり周りたかったのですが、次回は輪島市へ移動し、伝統的建造物群指定地区となっている黒島を訪れます。

 
 
 
 

いしかわ県政しいのき迎賓館 (旧石川県庁舎) ~石川県金沢市~

石川四高記念文化交流館の東隣に建ついしかわ県政しいのき迎賓館は、大正13年(1924)に石川県庁の庁舎として建てられた洋館です。

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設計は、国会議事堂建設に携わった大蔵省の技師・矢橋賢吉によります。鉄筋コンクリート造3階建てで、モダニズムを基調としながらも、外壁にはスクラッチタイルを貼り、細部にも細かい意匠が見られるなど、装飾的な外観が印象的です。

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コンクリート造建築としては北陸地方初、非様式的な近代建築としては金沢初のものでした。

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電気、暖房、水洗便所といった、当時の最新設備を導入した建築でもありました。

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正面玄関の扉。下部に鉄板が打ちつけられ、重厚な趣き。

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建物は平成15年(2003)に県庁が新庁舎へ移転した後に改築され、現在では飲食店や会議室等の入る複合施設となっています。

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大理石による重厚な手摺が見事な階段室。

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踊場の壁面も、大理石やタイルを使用した、凝ったデザインになっています。

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階段室3階部分にあるステンドグラス。鮮やかな青と幾何学的な模様が美しい。

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内部の部屋のほとんどは一般に公開されていませんが、3階中央の部屋は休憩所として開放されています。

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こちらの壁面にも、美しいステンドグラスが見られます。ステンドグラスは大正期に国内でも生産されるようになり、当時の公共建築に積極的に用いられました。

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建物の北側は大きく改造されていますが、三階北側の窓は往時の面影を残しています。

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建物北側はガラス張りの現代建築へと姿を変えていますが、県庁として使用されていた頃は略中字形の平面をしていたそうです。

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次回は同じく金沢市内の、にし茶屋街の町並みを歩きます。

 
 
 
 

石川四高記念文化交流館 (旧第四高等中学校本館) ~石川県金沢市~

金沢市役所の向かいにある石川四高記念文化交流館は、明治26年(1893)、旧第四高等中学校本館として建てられた煉瓦造の洋館です。現在は西半分が石川四校記念館、東半分が石川近代文学館となり、一般公開されています。

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整然と窓が並ぶ外観、屋根には煙突がそびえています。

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両翼の先端には左右対称に張出しが設けられています。明治~大正期の公共建築によく見られる様式です。

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玄関。窓上に煉瓦による繊細な意匠が見られます。

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一階廊下。床は菱型状にタイルが貼られています。

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一階・石川四校記念館の展示室。第四高等中学校の歴史に関する史料が展示されています。

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展示室にある古い書棚。中には、明治20年(1887)の開校式にあたって地元有志者から寄贈されたブリタニカ百科事典が並んでいます。

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古い電話機や蓄音機も。

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石川四高記念文化交流館の建物は明治22年(1889)、当時の文部技師・山口半六と久留正道の設計により着工、2年後の明治24年に完成しました。

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創建当初は第四高等中学校の本館でしたが、明治27年に第四高等学校と名を変え、昭和25年(1950)の閉校まで校舎として使用されていました。

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二階では当時の教室が再現されています。

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昭和25年(1950)に閉校した第四高等学校ですが、建物はその後も金沢大学理学部、金沢地方裁判所、石川県立郷土資料館などに使用され、昭和44年(1969)には国の重要文化財に指定されています。

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次回は、石川四高記念文化交流館の東隣に建つ、石川県政記念しいのき迎賓館(旧石川県庁舎)を訪れます。

 
 
 
 

長町の武家屋敷街 ~石川県金沢市~

金沢市には古い町並みが残るエリアが複数ありますが、長町はかつて加賀藩の上~中流藩士の屋敷が集まっていた地区で、大野庄用水と呼ばれる用水路付近に、往時の面影をよく残しています。

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石畳の路地沿いに、かつての武家屋敷の土塀が続きます。

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新家(しんいえ)邸長屋門。藩政期に桑島氏邸の門として使用されていたものです。

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武家屋敷だった土地は、現在では民家やカフェになっています。

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武家屋敷街に残る足軽屋敷・清水家。

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清水家の内部。隣接する高西家とともに、足軽資料館として公開されています。

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老舗記念館。明治11年(1878)築の中屋薬舗の建物を改築したものです。

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纏まった武家屋敷街が残っているのは長町1丁目のわずかな範囲だけですが、藩政期の雰囲気は十分に感じられる場所で、金沢でも有数の観光地となっています。ほとんどの武家屋敷が民家となり、現在でも住民の方が住まわれていますが、野村家だけはその跡地が一般公開されています。

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次回は明治期に建てられたレンガ造りの洋館・石川四高記念文化交流館を訪れます。

 
 
 
 

野村家跡 ~石川県金沢市~

北陸の旅3日目、ひがし茶屋街を後にし、同じ金沢市内の武家屋敷街にある野村家跡へ。野村家は加賀前田家の重臣で、代々奉行職などを務めた家で、現在は屋敷跡が一般に公開されています。

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奥の間。シンプルな書院造りになっています。

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奥の間縁側から庭園を見る。

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謁見の間。左奥は仏間、右奥は上段の間です。実は現在の謁見の間は明治以降、各地へ分割された野村家の跡地に、下橋立村(現在の加賀市)の豪商・久保彦兵衛の邸宅を移してきたもので、野村家オリジナルのものではありません。

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謁見の間の見事な襖絵は、大聖寺藩士であった山口梅園の作です。

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上段の間。紫檀・黒檀などの高級材を用い、天井は総檜作りの折上げ格天井という、格式高い造りになっています。こちらも久保彦兵衛の邸宅から移築されています。

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上段の間外側に広がる庭園。

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日本庭園の醍醐味である石組は特筆すべきものはありませんが、縁側下まで池が迫り、その上に飛び石が設けられるという、珍しい空間構成で、独特の美空間を演出しています。

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狭い通路を通って、茶室へと向かいます。

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茶室手前には露地風の坪庭があります。

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茶室は主屋よりも一段高い場所にあるため、石段を登って入ります。

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茶室入口。引き戸には網代が施されています。

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茶室内部。船底天井、略式の床の間など、素朴ながらも遊び心が感じられる空間です。この隣にも茶室がもう一間あります。

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野村家は、建物の主要部分が失われているものの、往時のままの庭園や、久保家から移築された上段・謁見の間は素晴らしく、金沢でも有数の観光スポットになっています。ただ、庭園を「遠州好みの庭」として紹介していますが、小堀遠州の作風とは全く異なり、よく意味が分かりませんでした。。

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次回は野村家のある、長町の武家屋敷街を歩きます。


 
 
 
 

ひがし茶屋街(東山ひがし)の古い町並み ~石川県金沢市~

北陸の旅、3日目は加賀前田家の城下町・金沢を訪れます。まずは古い町並みが有名な東茶屋街へ。昼に金沢在住の知人に会う予定があったため駆け足での散策となりました。まずはひがし茶屋街のメインストリート、一番町を歩きます。

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ひがし茶屋街は、江戸時代後期に遊廓が置かれた場所で、かつては「東の廓」と呼ばれました。戦後は遊廓から茶屋街へと姿を変えます。現役の茶屋は少なくなってしまいましたが、現在でも多数の茶屋建築が建ち並ぶ景観は圧巻です。

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文政3年(1820)に建てられた茶屋・志摩。国の重要文化財に指定されており、内部が公開されています(一眼レフ撮影禁止とのことで、内部の写真は撮れませんでした)。

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ひがし茶屋街の茶屋建築に共通する、一階部分の千本格子。洗練されたきめ細かさに驚かされます。

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雨戸で覆われていて見えませんが、ほとんどの茶屋は二階部分に欄干を設けています。

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二階部分が張り出している建物も多く見られます。

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現役の茶屋・懐華楼。日中は一般公開されており、写真撮影もOKとのことですが、知らずに素通りしてしまった。。

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石畳沿いに茶屋が並ぶ風景は、京都のような上品な風情を感じさせます。

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一番町の一本北にある二番町。狭い路地沿いに茶屋建築が密集しています。

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二番町にはベンガラ塗りの茶屋や、簾の掛かった茶屋が多く見られます。

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二番町にあるかつての茶屋・旧中屋。志摩と同じく内部公開されていますが、こちらは全面撮影禁止とのことです。

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二番町から一番町へ戻る路地にあった、ベンガラの塗り直された茶屋建築。窓の格子や持ち送りのデザインが凝っています。

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かつては遊廓だったひがし茶屋街ですが、今や金沢を代表する観光地となっていて、平日の朝9時過ぎでも、たくさんの観光客で溢れていました。洗練された茶屋建築が並ぶ町並みは、京都の祇園新橋と並ぶ美しさで、国の重要伝統的建造物群指定地区となっています。なお、今回は時間がなくて回ることができませんでしたが、浅野川を挟んだ対岸にも、同じく古くからの茶屋街・主計町(かずえまち)の町並みが残っていますが、そちらはひがし茶屋街よりも格の高い茶屋街とのことです。

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次回は長町の武家屋敷街にある加賀藩士の旧宅・野村家を訪れます。

 
 
 
 

高岡市街の近代建築群 ~富山県高岡市~

山町筋金屋町の古い町並みが有名な高岡には、明治~昭和初期に建てられた多くの近代建築が残ります。
※一部山町筋の記事と重複する物件があります

県道23号線(昭和通り)沿いに建ち並ぶ、昭和9年(1934)築の大村三書堂印房(右)と、和田屋(左、建築年不詳)。

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同じく県道沿いにあるアール・デコ調の、おだけやスポーツ。昭和9年(1934)スポーツ用品店にとして創業したそうで、現在の建物もその頃建てられたものと思われます。

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山町筋にある、室崎商衡(株)。明治33年(1900)に建てられ、昭和10年(1935)に看板部分が付け加えられたようです。

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山町筋にある、個人宅。建築年代は不詳ですが、戦前のものと思われます。

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山町筋にある、井波屋仏壇店。明治38年(1905)築。

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山町筋にある富山銀行本店。大正4年(1914)築。東京駅を手掛けた辰野金吾の監修のもと、清水組(現在の清水建設)の田辺淳吉が設計しました。

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一番町にある宮崎商店。昭和10年(1935)築、スクラッチタイル貼りの立派な看板建築です。

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県道23号線沿いを北西へ進むと、看板建築が点在しています。

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県道沿いの個人宅。以前は何かのお店だったのでしょうか。

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天野商店(奥)と屋号不明の魚屋(左)。どちらも立派な看板建築です。

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二番町の看板建築。高岡には外壁に銅板を貼った看板建築が多く見られます。

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坂下町交差点にある福尾商店。明治33年(1900)築の、高岡で最も古い洋風建築の一つです。

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福尾商店の真向かいにある内田寝具店。意匠が似ていることから、福尾商店と同時期に建てられたと考えられているようですが、詳細は不明。

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坂下町の前山洋服店。建築年代は不明ですが、二階部分の外観に凝った意匠が見られる、戦前の看板建築です。

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高岡大仏すぐ近くの喫茶余里道。こちらも戦前のものと思われる看板建築で、妻の部分の彫刻が見事。

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高岡市街の近代建築をざっとご紹介しましたが、これ以外にも市街地や伏木地区、福岡地区にも立派な洋風建築が多数残っているようですので、興味のある方は事前に入念に調査してから訪問されることをお薦めします。
※高岡の近代建築についてはいこまいけ高岡さんに詳しく紹介されています。


次回は金沢に移動し、東茶屋街の古い町並みを歩きます。

 
 
 
 

金屋町の古い町並み ~富山県高岡市~

山町筋から北西へ10分ほど歩いた所にある金屋町は、高岡の鋳物業発祥の地で、現在でも明治~大正期の雰囲気が色濃く残っています。

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川越のような蔵の町・山町筋と比べ、石畳沿いに木造の町屋が建ち並ぶ金屋町は、京風の上品な印象を受けます。

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金屋町の町屋には千本格子が多く見られます。

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うだつが多く見られるのも、金屋町の町屋の特長です。

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こちらのお宅は変わった位置に入母屋破風がついています。二階窓の柵がかわいいですね。

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さらに通りを西へ進むと、うだつのある町屋が続きます。

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県道を挟んで東側、金屋本町にも、うだつのある民家が数軒残っています。

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金屋町の起源は、加賀前田家2代・利長が、高岡城下の経済振興策として慶長16年(1611)、砺波から鋳物師を移住させて鋳物場を造ったことによります。鋳物工場の多くが移転した現在でも、かつての面影をよく残しおり、一帯は国の重要伝統的建造物群指定地区になっています。

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次回は高岡市街の近代建築群をご紹介します。

 
 
 
 

山町筋の古い町並み ~富山県高岡市~

北陸探訪2日目、黒部の松桜閣を後にし、城下町・高岡へ。まずは、明治~大正期の町並みがよく残る山町筋(やまちょうすじ)を歩きます。



木舟町交差点にある、塩崎商衡(株)。明治33年(1900)に建てられ、昭和10年(1935)に改築された、町屋をベースにした看板建築です。

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交差点から東へと進みます。右側の重厚な蔵は、明治36年(1903)築の筏井家住宅。

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山町筋の建物は明治33年(1900)の大火でほとんどが焼失し、防火性の高い蔵造りに建て替えられ、建物と建物の間には煉瓦造の防火壁が造られました。

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明治33年(1900)築の菅野家。菅野家は廻船業(海運業)で財をなした豪商で、建物は国の重要文化財に指定されています。屋根上の鯱や煉瓦造の防火壁も立派。

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菅野家を過ぎると、右手にアール・デコ調の近代建築が現れます。

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庇のメダイヨンと、タイル貼りの外壁が秀逸です。

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こちらも明治の大火直後に建てられた民家。

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こちらのお宅は屋根や二階部分の彫刻に、洋風の洒落た意匠が見られます。

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さらに蔵造りの町並みは続きます。右側の蔵造りの民家は「土蔵造りのまち資料館」として公開されています。

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「土蔵造りのまち資料館」の隣に建つ井本商店。天井には採光のための櫓が付いています。

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木船町交差点まで戻り、今度は山町筋を西へ進みます。まず目に付くのが、明治38年(1905)築の井波屋仏壇店です。アーチ窓や柱の彫刻が素晴らしいですね。


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井波屋仏壇店の西にある民家。屋根や庇の柱に、洋風の意匠が見られます。

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山町筋で圧倒的な存在感を放つ、富山銀行本店。大正4年(1914)築の、煉瓦造の洋館です。

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富山銀行の西側にも蔵造りの町屋が続きます。こちらも煉瓦造の防火壁が立派。

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通りからやや外れた所にあった民家。二階の煉瓦貼りの外壁や、窓の格子のデザインが凝っています。

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山町筋は、江戸初期に高岡城の城下町の一部として整備され、高岡城が一国一条令で廃城となった後も、米や綿の集積地として繁栄しました。現在の町並みは明治33年の大火後に整備されたもので、現在では国の重要伝統的建造物群指定地区となっています。重厚な蔵の合間に洒落た洋風建築が見られる、歩いていて実に面白い町並みでした。

次回は、同じく高岡市の古い町並み、金屋町を歩きます。

 
 
 
 

松桜閣 (旧国重正文邸) ~富山県黒部市~

北陸の旅2日目、黒部宇奈月温泉駅のすぐ近くにある松桜閣(しょうおうかく)へ。松桜閣は明治16年(1883)、初代富山県知事(県令)国重正文の邸宅として建てられた二階建て楼閣風建築で、もともとは上新川郡奥田村(現在の富山市)にありましたが、豪農・西田収三によって現在地に移築され、周囲の庭園が整備されました。

庭園から見る松桜閣(右)と茶室(左)。

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松桜閣一階の座敷。数寄屋を取り入れた書院造りとなっています。

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二階への階段はらせん状になっています。

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階段を上がったところにある二畳間。

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二畳間から、庭園を見下ろす。庭園は、松桜閣をこの地に移した西田収三によって造られました。

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二階・座敷。こちらも数寄屋風の意匠が見られます。

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二階・次の間から見下ろす庭園。池は琵琶湖を象っているといいます。

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一階の雨戸は隅を直角に進むことができるようになっています。

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松桜閣の西側に建つ茶室の玄関。

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茶室玄関の欄間には繊細な意匠の組子が見られます。

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茶室玄関奥の二畳間。色ガラスと花形の電灯が洋風の趣を演出しています。

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二畳間の色ガラス。秀逸なデザインです。

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茶室・次の間。

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茶室。中央を高く持ち上げた天井が印象的です。

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庭園では、紫陽花が見頃を迎えていました。

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県令の私邸から豪農の別邸へとなった松桜閣でしたが、昭和6年(1931)には天真寺が購入、増改築により創建当初とは大きく姿を変えていましたが、平成26年に創建当時の姿に復元され、一般公開が始まりました。庭園と調和した美しい姿は、「北陸の銀閣」と呼ばれています。


次回は高岡市へ移動し、山町筋の古い町並みを歩きます。

 
 
 
 

平家庭園 ~石川県羽咋郡志賀町~

石川県志賀町の海岸近くにある平家(たいらけ)は、倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲に敗れた平維盛の重臣・平式部太夫の子孫が建てた邸宅で、現在も敷地内には江戸中期作庭と伝わる庭園が残されています。

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受付を済ませ、まずは主屋へ。次の間から書院の間を見る。欄間や襖に独特の意匠が見られます。

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夏用の簾戸。波の透かしが洒落ています。

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書院の間、違い棚。襖絵には金箔が施されています。

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書院の間の外側に、庭園が広がります。

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庭園は細長い心字池を中心とした観賞式庭園で、江戸中期の作庭とされます。

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枯滝の見事な石組。手前には石組による出島が設けられています。

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滝石以外にも、立石や伏石の配置が洗練されたセンスを感じさせます。

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築山には六地蔵の彫刻が施された、室町時代の石灯籠が残ります。

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東側から見た全景。

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西側から見た全景。

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もともと平式部太夫が居館を構えたのはここからすぐ近くの安部屋という地で、子孫は戦国時代に能登守護・畠山氏の家臣となりますが、上杉謙信の攻撃を受け、津軽(青森県)へ逃れます。その後、江戸時代に能登に戻ってこの地に屋敷を構え、天領地13カ村の支配を任される大庄屋となりました。羽咋駅からバスで訪れる場合は、高浜で降り、徒歩20分ほどで着くことができます。

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次回は富山県に移動し、黒部市の近代和風建築・松桜閣を訪れます。

 
 
 
 

妙成寺の伽藍建築群と庭園 ~石川県羽咋市~

早めの夏休みを取って、3泊4日で北陸地方を訪れました。まずは加賀前田家ゆかりの妙成寺へ。庭園が目当てだったのですが、前田家初代から五代にわたって造営された伽藍建築の素晴らしさに驚かされました。

寛永二年(1625)建立の仁王門。杮葺の伽藍が多い妙成寺では珍しい、瓦葺の建物です。

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仁王門を潜るとすぐ正面に五重塔が現れます。元和4年(1618)建立の、北陸地方唯一の木造五重塔で、屋根は栩(とち)葺です。

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寛文10年(1670)建立の経堂。屋根は天平時代の寺院建築に多く見られる寄棟造りになっています。

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貞享三年(1686)建立の丈六堂。高さ約5mもある釈迦牟尼仏像が安置されています。

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本堂の左手に隣接する、元和9年(1623)建立の三光堂。日天・月天・明星天の三光天を安置しています。

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慶長19年(1614)建立の本堂。室町時代~桃山時代の建築手法と密教的な建築手法が混在しています。

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本堂の右手に隣接する、寛永元年(1624)建立の祖師堂。内部の欄間や屋根側面の妻飾りなどに、桃山風の華やかな装飾が見られます。

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貞享3年(1686)建立の三十番神堂拝殿。奥に三十番神堂が控えています。

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慶長19年(1614)建立の三十番神堂。京都の北野天満宮から移築されたという説があります。

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文禄2年(1593)建立の庫裡。境内で最も古い建物で、建築様式も古式となっています。

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万治2年(1659)建立の書院。数寄屋風の建物で、前面に池泉庭園が広がります。

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書院の前に広がる庭園。心字池を中心とした観賞式庭園で、五重塔を借景としています。

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護岸には立石を中心とした、意欲的な石組が見られます。

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江戸時代前期の作庭と考えられていますが、江戸末期に改修されているようで、もともとは枯山水庭園だったと考えられているようです。

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池の左手には集団石組が見られ、亀を象っていると考えられています。

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妙成寺は日蓮宗の寺院で、日蓮の孫弟子・日像によって永仁2年(1294)に創建されたと伝わります。天正10年(1582)に前田利家から寺領を寄進され、江戸時代には前田家から庇護を受けました。境内には桃山~江戸時代前期に建てられた伽藍建築が多く残り、そのうち10棟は国の重要文化財に指定されています。

次回は羽咋市から志賀町へ移動し、平家庭園を訪れます。

 
 
 
 

旧前田家本邸 (前田侯爵邸) ~東京都目黒区~

目黒区にある駒場公園は、かつて旧加賀前田家16代当主・前田利為(としなり)侯爵の邸宅でした。公園内には昭和4年(1929)に建てられた本邸が残り、現在は国の重要文化財に指定されています。本邸が7月から修復工事で当分休館になるとのことだったので、先月末に訪問してきました。

本邸はチューダー様式の洋館で、外壁はスクラッチタイル貼り、屋根は銅板葺きとなっています。地上3階、地下1階建てですが、現在見学できるのは1階と2階のみとなっています。

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応接室。大理石の巨大なマントルピースが目を惹きます。この部屋も含め、邸内の部屋のほとんどは床が寄木になっています。

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大客室(手前)と大客室。巨大なマントルピース、シャンデリア、カーテンボックス、壁紙…全てが豪華です。

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階段広間。階段下には小部屋のようなスペースがあります。

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階段を上がると、二階ロビーです。

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二階ロビーの窓はステンドグラスになっています。

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二階・寝室。天井照明は、天井に光を反射させる間接照明になっています。

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夫人室。こちらの天井照明も間接照明になっています。

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書斎。

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長女居室。手前と奥で照明のデザインが異なっています。

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三女居室。

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二階廊下。

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女中室。狭くて簡素な和室です。

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南面外観。一階二階ともにテラスが設けられています。

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前田家本邸の建つ地は、もともと旧東京帝大農学部の敷地でしたが、昭和元年(1926)に前田利為が土地を取得し、本郷から邸宅を移しました。基本計画は東京帝国大学教授・塚本靖、設計は宮内省技師・高橋貞太郎によります。太平洋戦争で利為は事故死し、邸宅は戦後、連合軍極東軍の空軍司令官邸として使用されました。その後、東京都近代文学博物館として使用されたましたが平成14年(2002)に閉館し、現在では無料で一般公開されています。なお、同じく駒場公園内には前田家別邸(和館)も残されています。

 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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