茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

戸定邸② ~千葉県松戸市~

戸定邸②です。中座敷棟、奥座敷棟、離座敷棟をご紹介します。

中座敷棟「衣装室」。中座敷棟は表座敷棟と奥座敷棟の間にあり、屋根の構造から、新たに増築された部分であることが判っています。

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奥座敷棟「八重の間」。昭武の後妻・八重の居間でした。

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奥座敷棟の奥にある、「湯殿」。家族や来客が使用していました。脱衣所が一段高い位置にあるのが特徴です。

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湯殿には立派な天井が見られます。杉板の「回し張り」という技法で、中央には網代が施されています。

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奥座敷棟から狭い廊下を通り、離座敷棟へ向かいます。

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離座敷棟「秋庭(しゅうてい)の間」。明治19年(1886)、昭武の実母・秋庭のために増築されたものです。

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蝶を象った、離座敷棟の欄間。

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こちらは小鳥を象った洒落た欄間になっています。

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戸定邸の家主・徳川昭武は、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の異母弟にあたり、水戸藩最後の藩主でした。廃藩置県の後、昭武は陸軍少尉に任じられ、小梅邸(現在の隅田公園)の別邸として戸定邸を建てます。しかし明治16年(1883)、妻の瑛子が急死すると、同年、甥の篤敬に家督を譲って隠居し、以後、戸定邸は昭武の隠居所として使用されました。兄の徳川慶喜も度々訪れ、昭武とともに釣りや写真撮影などの趣味に興じていたそうです。建物と敷地は昭和26年(1951)に松戸市へ寄付され、現在は一般公開されています。

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戸定邸① ~千葉県松戸市~

千葉県松戸市にある戸定邸(とじょうてい)は、明治17年(1884)、旧水戸藩第11代藩主・徳川昭武の別邸として建てられた和風建築です。建物は表座敷棟、中座敷棟、奥座敷棟、離座敷棟、台所棟など複数の棟から構成されます。部屋数が多いので2回に分けてご紹介します。

今回は、表座敷棟を中心にご紹介していきます。

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玄関を入って左手にある「使者の間」。皇族・華族の使者や、賓客の付添者が最初に通された部屋です。

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「使者の間」の欄間には、コウモリが象られています。

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耐火構造の内蔵。正面扉はセメントや石灰を混ぜて造られたものです。

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中庭越しに台所棟を見る。台所棟は建物内で唯一二階建てとなっている箇所で、二階は女中部屋として使用されていました。

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内蔵から奥へ進むと、表座敷棟に入ります。

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表座敷棟の「客間」。床脇の襖には金箔が設えてあります。

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客間の釘隠しは、徳川家の家紋である葵の花を象っています。

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欄間にも葵。各部屋の欄間に様々な意匠が見られるのも、戸定邸の見所の一つです。

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照明にも立ち葵。客間の外には芝庭が広がります。

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「御居間」。昭武が日常生活を送っていた部屋です。

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御居間の欄間にも独特の意匠が見られます。

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表座敷棟の端にある、小部屋。大正期に増築された部分で、昭武の孫夫婦が洗面所として使っていたといいます。

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表座敷棟は戸定邸内で最も日当たりが良く、風通しも良い位置にあります。棟の南側に広がる芝庭が、室内を明るく開放的な印象にしています。

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②に続きます。
 
 
 
 

建長寺方丈庭園 ~神奈川県鎌倉市~

鎌倉市山ノ内にある建長寺は、鎌倉五山第一位の禅宗寺院です。建長5年(1253)鎌倉幕府五代執権・北条時頼により開創、開山は宗からの渡来僧・蘭渓道隆と伝わり、方丈北側には蘭渓道隆作庭と伝わる池泉庭園があります。

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庭園は蘸碧池(さんぺきち)と呼ばれる、東西に細長い池泉を中心に構成されます。

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蘭渓道隆は、「龍門瀑」の手法を日本庭園に取り入れるなど、夢想疎石に先立って禅宗庭園を生み出した作庭家でもありますが、建長寺方丈庭園は後世の災害や改修により何度も姿を変え、鎌倉時代の面影はほとんど失われていると考えられています。現在の庭園は、江戸初期・延宝年間に描かれた絵図に基づいて、平成15年(2003)に復元整備されたものです。

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現在の庭園は寛永年間に幕府援助により寺が再興された際の姿がベースとなっていますが、池泉の形状は、江戸末期に南側が直線的に埋められ、第二次大戦後に東側も埋められるなど、後世に大きく改変されています。

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築山にはわずかに石組が見られます。右手のやや大きめの石は蓬莱石とされます。

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池の中央左手には出島と、鶴島とされる中島が見られます。

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池泉は中央付近で複雑な形状を見せます。手前の出島先端は亀頭石にも思えます。

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池の右手には亀島とされる中島が見られます。

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鎌倉時代の元弘年間に描かれた『境内指図』によると、今よりも広い池泉と、その脇に金閣や銀閣のルーツとなるような二層の楼閣風の建築があったようで、往時の風景はさぞ壮観だったと思われます。ただ、蘭渓道隆によって造られた最初期の庭は、元弘年間のものよりも小規模だったようです。

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先述のとおり、平成15年(2003)に整備されている建長寺方丈庭園ですが、整備前と比べ、繁茂していた植栽を大胆に取り払うなど、評価できる点もあります。しかし、『日本庭園史大系』の掲載写真や昭和13年の実測図では、池泉の中央部に枯滝石組が存在し、築山にも石組が見られるのに、現状ではいずれも撤去されています。そのほかにも、発掘調査で見つかった池の東半分を埋め戻して不似合いな建物を建てたり、その手前に胡散臭い枯滝まがいの石組を造ったりと、整備の仕方には疑問を感じさせる点が多々あります。由緒ある庭園だけに、残念でなりません。

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円覚寺庭園 ~神奈川県鎌倉市~

北鎌倉にある円覚寺は、鎌倉五山第ニ位の臨済宗の寺院です。国史跡に指定されている境内には複数の庭園があります。

方丈の北東ににある妙香池(みょうこうち)。天然の岩をくり抜いて造られた池庭です。

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『円覚寺境内図』に描かれていることから、妙香池は鎌倉初期から存在していたことが判っています。平成12年(2000)に整備され、周囲の植栽が取り払われました。

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池の中央には「虎頭岩(ことうがん)」と呼ばれる自然石があります。波浪の浸食を受けたような特徴的な形状をしています。

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妙香池周囲には意欲的な石組は見られず、あくまで自然石である虎頭岩を主体とした庭になっています。なお、夢窓疎石作庭説もあるようですが、確証はありません。

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方丈裏にも庭園があります。こちらは平成12年、妙香池の整備と同時に作庭されたようです。

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方丈から向かって手前は枯山水、奥は池泉式の庭となっています。

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建物とのバランスは絶妙、苔やモミジも美しいのですが、石組がどうにも陳腐。いかにも最近の庭という感じで、やや残念な庭です。

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総門の手前、JR横須賀線の線路を挟んで、白鷺池(びゃくろち)と呼ばれる、左右対称の2つの池があります。円覚寺創建以前から存在する池で、鎌倉に入った無学祖元が、白鷺に姿を変えた八幡宮の神霊に導かれてこの池に辿り着いた、という伝説があります。

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横須賀線の線路敷設時の埋め立てにより、白鷺池の規模はだいぶ小さくなっています。周囲には石組が点在しますが、これらは昭和の時代に設けられたようです。

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池の中央には、降魔橋(ごうまばし)と呼ばれる石橋が架かっています。

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円覚寺は臨済宗円覚寺派の本山で、弘安5年(1282)、鎌倉幕府第8代執権・北条時宗が、宋の僧・無学祖元を開山として創建しました。鎌倉の寺院では建長寺に次ぐ規模を誇り、緑豊かな境内には、四季を通じて多くの観光客が訪れます。

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能仁寺庭園 ~埼玉県飯能市~

能仁寺は、埼玉県飯能市・天覧山の南麓にある、曹洞宗の寺院です。

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本堂の裏には、見事な池泉回遊式庭園があります。

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庭園は江戸初期の様式を残しつつ、池泉の形状や中島意匠などの細部は江戸末期に改修されているようです。

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築山中央には江戸初期のものと思われる豪快な枯滝石組が見られます。現在の本堂からは見えづらいですが、かつて現在の本堂より右手に存在した方丈から観賞するよう設計されています。

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滝の左右には出島と洞窟が設けられています。この辺りの石組も江戸初期のものと推定されます。

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池泉の手前の方には鶴島である中島と、沢渡石が見られます。滝石周辺の石組とは雰囲気がかなり異なりますが、石橋以外の中島周辺の石組は江戸末期のものと考えられています。

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出島の石組(右)と中島の石組(左)。

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築山にも、石組が点在しています。

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以前から能仁寺に優れた庭園があることは知っていましたが、実際に訪れてみて、イメージしていたよりも遥かに素晴らしい庭園の存在に驚かされました。成金的な大名庭園ばかりで造形美の感じられる庭園が少ない東京近郊にあって、これだけ上品な庭園が残されていることは非常に貴重なことだと思います。

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能仁寺の明確な創建時代は判っていませんが、当地の武将・中山家勝がこの地に屋敷を構え、その子・家範が父の菩提を弔うため寺院を創建したと伝えられています。家範は後北条氏に仕えますが、豊臣秀吉による小田原征伐の際、八王子城で討死します。その子・照守は徳川家康に仕え、江戸時代に入ると能仁寺は幕府の庇護のもと大いに栄えました。戊辰戦争(上野戦争)に伴う戦闘で全山焼失し、昭和11年(1936)に現在の本堂が再建されています。

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靖国神社神池庭園 ~東京都千代田区~

千代田区九段北にある靖国神社は明治2年(1869)、明治天皇の勅許により建てられた「東京招魂社」を起源とする神社です。境内の一角・拝殿の西方に、「神池庭園」と呼ばれる日本庭園があります。

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庭園の様式は池泉回遊式、明治35年(1902)に作庭されたようですが、作庭者は不明です。現在の庭園は、長い間荒廃していたものを、平成11年(1999)に復元したものです。

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池中には、石橋で結ばれた2つの中島が並びます。

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反対側から中島を見る。橋添石や、小石を敷き詰めた洲浜の意匠が見事です。

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中島から南方を見る。池中には数ヵ所に石島が見られます。

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池の北西隅には滝石組があります。

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明治期らしい石組で、個人的には大味であまり好みではありませんが、巨石を用いた意欲的な石組です。

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池泉西側の護岸石組。こちらもいまいち鋭さに欠ける石組ですが、立石の配置はなかなか見事です。

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池中にある最も大きな石島。複数の石組で構成されますが、単に石を並べただけで、これといった意匠は見られません。

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池泉の北側には、靖泉亭と呼ばれる茶室があります。

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靖泉亭は庭園完成よりだいぶ後、昭和33年(1958)に建てられたものです。周囲は露地風の庭となっています。

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池泉の東側には、石組と苔で構成された小さな平庭がありますが、いつ頃造られたものなのかはよく分かりませんでした。

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靖国神社は恐らく日本人にとって最も有名な神社だと思いますが、その境内にこのような庭園があることはあまり知られていないようです。一般的に明治期の日本庭園は、江戸期以前のものと比べると造形的な美に乏しいものばかりですが、靖国神社は明治期の庭園にしては石組や地割が巧みとされ、一定の評価を受けています。

 
 
 
 

旧近藤邸 ~神奈川県藤沢市~

藤沢市民会館の前庭にある旧近藤邸は、大正14年(1925)に藤沢市辻堂の松林に建てられた別荘建築です。一時期は老朽化により解体される予定でしたが、市民の保存運動により、昭和56年(1981)現在地へ移築されました。現在は軽食喫茶として利用されていますが、内部を見学することができます。

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設計は、フランク・ロイド・ライトの弟子で、帝国ホテル設計にも関与した遠藤新によります。

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外観はモダニズムを基調とした直線的なデザインですが、外壁は下見板張りと白漆喰という日本的な構造になっています。

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南面は一部に出窓とパーゴラが設けられています。

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一階の居間兼食堂。窓際にはソファが作りつけられ、大谷石の暖炉は帝国ホテルと共通しています。正面奥には窓とガラス戸を隔てて、一段高く和室があります。

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居間兼食堂の奥にある和室。畳敷きの書院造りの部屋ですが、作り付けのベンチや幾何学的な窓など洋風の意匠も見られる独特な空間です。

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一階南側にあるもう一つの和室。こちらも作り付けのベンチと幾何学的な桟の窓が見られます。

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幾何学的なデザインからは、ライトの影響が色濃く感じられます。

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狭い階段を上がって二階へと向かいます。

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階段を上がりきった二階内部。正面の引き戸の奥が和室となります。

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二階和室。こちらも作り付けのソファと、幾何学的な窓が見られる、和洋折衷の部屋となっています。

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現在は飲食店として使用されている旧近藤邸ですが、基本的に改築などはされずに建築当初の姿を留めています。居間兼食堂以外はすべて畳敷きの和室ですが、すべての部屋は和洋折衷の意匠が見られる、統一されたデザインとなっています。不思議と、「和」と「洋」が違和感なく混ざり合っている、非常に興味深い住宅建築です。

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鵠沼・旧別荘地の町並み ~神奈川県藤沢市~

藤沢市の南部に位置する鵠沼(くげぬま)地区は、かつて別荘地だった地区で、現在でも松が岡、藤が谷、桜が丘などの地区に、往時の面影をかすかにとどめています。

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鵠沼海岸駅から松が岡の住宅街を歩きます。20〜15年前と比べると、新築の住宅が大幅に増え、風景は変わってきています。

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別荘地としての鵠沼の開発が始まったのは明治27年(1887)のことです。同年、東海道本線が横浜から国府津まで延長され、藤沢にも駅が設置されたことによります。

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明治35年(1905)、藤沢と江ノ島を繋ぐ江ノ島電鉄が開通すると、別荘地としての開発はさらに加速していきました。

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小田急線の車窓から見える、松が岡公園。大正期、西洋史家・村川堅固とその子・堅太郎の別荘地だった場所で、現在は松の巨木に覆われています。





松が岡公園の裏手には、古くからのお屋敷が並びます。

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江ノ電・鵠沼駅正面にある賀来神社。別荘地として開発される以前、鵠沼には子爵家・大給家の広大な別荘地がありましたが、この賀来神社は、大給家(大給松平家)の江戸神田屋敷内にあった稲荷を移してきたものと言います。





藤が谷の町並み。御影石の塀や竹垣、生垣で囲まれた住宅が見られます。





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かつては立派なお宅が存在していたと思われる広い空地。低い石垣と松の木は、鵠沼地区の住宅街ではよく見られる光景です。

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国の有形文化財に登録されている、桜が丘の林家住宅。昭和12年(1937年)、市内の六会(むつあい)にあった古民家の古材を使用して建てられたハーフティンバーの洋館で、思想家・林達夫の住居でした。

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桜が丘にある蓮沼では、毎年7月に蓮の花が見ごろを迎えます。

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鵠沼橘にある、旧後藤医院鵠沼分院。昭和8年(1933)に建てられた木造平屋建ての和洋折衷建築で、国の有形文化財に登録されています。

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私事ですが、数年前まで、松が岡に祖父母宅があった関係で(祖父母宅はボロ屋でしたが)、小中学生の頃は、よく辺りを散歩したものでした。当時(20~15年程前)と比べると、周囲の風景はどんどん変わってきていますが、生垣や竹垣で囲まれた風格ある住宅や、洋館風の住宅は今でも点在していて、辛うじて別荘地時代の面影を偲ぶことができます。


 
 
 
 

大船軒本社ビル ~神奈川県鎌倉市~

「鯵の押寿し」で知られる大船軒は、神奈川県を中心に駅弁などを製造・販売している食品会社です。本社のある大船には、昭和6年(1931)に竣工した本社ビルが現在でも残されています。

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本社ビルはコンクリート造三階建て、外観はモダニズム的な直線的デザインを基調としています。

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三階の丸窓は、ダミーになっています。

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屋外の階段を上がった二階部分に玄関が設けられます。

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玄関は重厚な造り。

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玄関周りにはアール・デコ調のデザインが見られます。

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玄関内部。カウンターにはスクラッチタイルが見られます。

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ここにもアール・デコ調のデザイン。

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かつて事務所だった二階内部は、平成23年から軽食を提供するラウンジとなっています。

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大船軒は、大船駅構内の弁当屋として明治31年(1898)に創業、その後、商業者の富岡周蔵は国内で初めてサンドイッチを駅弁として売り出し、「鎌倉ハム」の生みの親となります。大船軒で鯵の押寿しが製造されるようになるのは大正に入ってからのことで、戦時中は本社を海軍に接収されるなどし一時製造中止となりましたが、戦後に復活、現在では神奈川県内や都内の駅構内やスーパーなどでも販売される定番商品となっています。

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朝市通り・上町通りの町並み ~石川県輪島市~

UPに一か月かかってしまった北陸の旅ですが、今回で最後です。下時国家を後にし、輪島港に近い朝市通りを歩きます。輪島の朝市は日本三大朝市に数えられ、毎朝、通りには200以上の出店が並びます。

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通り沿いには古い建物が点在しています。

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通りはクランクしながら西へと進みます。

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朝市通りを抜け河原田川を渡ると、鳳至町上町に入ります。上町を南北に通る上町通り沿いに、古い町並みが残されています。

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商店街である朝市通りとは異なり、落ち着いた雰囲気の町並みが続きます。

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洋風のデザインを取り入れた千舟蔵。戦前の建物で、イベント会場などに使われています。

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黒瓦、下見板張り、格子の民家が集まる様は、門前町黒島とも共通しています。

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屋根の妻側を正面とする民家が多く見られるのも、上町通りの町並みの特長です。

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輪島の鎮守・住吉神社。毎年8月にはキリコ祭りが催されます。朝市が終わった後、小規模な「夕市」が開かれるそうです。

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輪島は江戸時代、北前船の寄港地として栄えるとともに、「輪島塗」で知られる漆器産業が盛んでした。現在も朝市通り周辺には輪島塗の塗師屋が多く存在します。また、時間が足らず立ち寄れませんでしたが、朝市通りの裏には江戸末期~明治頃に建てられた塗師屋の邸宅が現存し、母屋は予約制で公開されているようです。

 
 
 
 

下時国家庭園 ~石川県輪島市~

上時国家のすぐ北に位置する下時国家は、江戸時代に上時国家から分家し、農業、塩業、廻船業を営んで繁栄しました。敷地内には江戸時代に築造された主屋と庭園が残されています。


江戸時代中期に建てられたと推定されている主屋。茅葺の伝統的な民家建築です。

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主屋土間。太い梁や柱に、家柄が表れています。

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上段の間。最も格式高い部屋で、書院障子の組子意匠や豪華な襖絵など、贅を尽くしています。

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庭園は、主屋の南と北の二か所にあります。こちらは北庭で、自然地形を利用した座視観賞式の池泉庭園となっています。

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北庭は池の形状などから、江戸中期末頃の作庭と考えられています。

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築山には石組とともに、ツツジの植栽が多く見られます。

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池の中央には出島が設けられます。

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庭園は、伝統的建築である主屋と見事に調和しています。

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主屋を挟んで反対側に、南庭があります。

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南庭は座視観賞式の庭園で、細長い池の形状から、江戸初期(天和年間頃)の作庭と考えられます。

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細長い池は、北庭の池と繋がっています。築山には北庭と同じくツツジの植栽が見られますが、これは後世のものだそうです。

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南庭の入江部分には、「渓谷風」とされる素晴らしい滝石組が見られます。上部は三尊石組となり、左下の添石は、亀頭を兼ねているようです。近年、繁茂していた植栽が取り払われたことで、石組の全容を窺うことができるようになりました。

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南庭には巨石を用いた飛石が見られます。こちらは江戸末期~明治期頃に設置されたものと考えられています。

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上時国家とともに以前からずっと訪れていみたい庭でしたが、雨上がりのしっとりとした庭は、格別なものでした。

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屋敷の正面入り口には、桝形の石垣が見られます。野面積みの立派な石垣で、こちらも一見に値する遺構です。

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時国家は、平家官僚・平時忠を祖とし、時国村を興して豪農・豪商として栄えますが、江戸時代に入ると加賀藩と越中布市藩の二重支配を受けるようになり、これを回避するため寛永11年(1634)、本家(現在の上時国家)から分家する形で下時国家が成立しました。以後、上時国家は越中布市藩のもとで、下時国家は加賀藩のもとで互いに繁栄しました。現在、主屋は重要文化財に、庭園は国の名勝に指定されています。


次回は北陸の旅最終回、輪島市朝市と上町通りの町並みを歩きます。


 
 
 
 
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Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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