清閑亭 (旧黒田長成別邸) ~神奈川県小田原市~
小田原城址公園の南方、小高い丘の上にある清閑亭は、黒田長成侯爵の別邸として明治39年(1906)に建てられた和風建築です。二階建て部分と平屋部分が雁行する数寄屋風の建築で、控え目ながら洗練された意匠が随所に見られます。
玄関。数寄屋風の造りで、天井は船底天井になっています。
一階、客間。地板には松の木が、天井板には屋久杉が使用されています。
客間の欄間。波と小鳥が象られています。
客間に隣接する、奥女中の間。現在では客間と行き来できるようになっていますが、かつては独立した一室だったようです。
一階南側の縁側。日当たりが良く、外側には芝庭が広がります。
二階「書の間」。地板は松の一枚板、床柱は榁が使用されているそうです。
書の間の欄間には光琳桐が彫られています。なんとも可愛らしいデザイン。
書の間からは相模湾や箱根外輪山を望むことができます。海からの涼しい風が入ります。
平屋部分「お居間」。清閑亭の中心となる部屋です。
お居間の外には芝生の庭が広がります。
平屋部分「食堂」には、花や孔雀の描かれた襖が見られます。
平屋部分の水屋。天井は網代になっています。
清閑亭の家主だった黒田長成は、最後の福岡藩主・黒田長知の子で、貴族院議員などを経て、明治24年(1894)から30年間、貴族院副議長を務めました。祖先には豊臣秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛孝高やその子・黒田長政らがいます。長成の死後、清閑亭は浅野侯爵家の所有するところとなり、その後は第一生命保険会社の保養所となりますが、平成20年(2008)に小田原市の所有となり、現在では無料で公開されています。
玄関。数寄屋風の造りで、天井は船底天井になっています。
一階、客間。地板には松の木が、天井板には屋久杉が使用されています。
客間の欄間。波と小鳥が象られています。
客間に隣接する、奥女中の間。現在では客間と行き来できるようになっていますが、かつては独立した一室だったようです。
一階南側の縁側。日当たりが良く、外側には芝庭が広がります。
二階「書の間」。地板は松の一枚板、床柱は榁が使用されているそうです。
書の間の欄間には光琳桐が彫られています。なんとも可愛らしいデザイン。
書の間からは相模湾や箱根外輪山を望むことができます。海からの涼しい風が入ります。
平屋部分「お居間」。清閑亭の中心となる部屋です。
お居間の外には芝生の庭が広がります。
平屋部分「食堂」には、花や孔雀の描かれた襖が見られます。
平屋部分の水屋。天井は網代になっています。
清閑亭の家主だった黒田長成は、最後の福岡藩主・黒田長知の子で、貴族院議員などを経て、明治24年(1894)から30年間、貴族院副議長を務めました。祖先には豊臣秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛孝高やその子・黒田長政らがいます。長成の死後、清閑亭は浅野侯爵家の所有するところとなり、その後は第一生命保険会社の保養所となりますが、平成20年(2008)に小田原市の所有となり、現在では無料で公開されています。
スポンサーサイト