茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧芝川又右衛門邸 ~愛知県犬山市~

犬山市の博物館明治村にある旧芝川又右衛門邸は、大阪の商人・芝川又右衛門の別荘として、明治44年(1911)兵庫県西宮市に建てられた和洋折衷の建築です。阪神・淡路大震災による被害を受け取り壊しが決定していましたが、平成19年(2007)に明治村へ移築されました。

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設計は、国会議事堂の建設にも関与した武田五一によります。木造二階建て、屋根はスパニッシュ瓦葺きで、外壁は創建当初の杉皮張りから、関東大震災後に防火を意識したモルタル吹きへと変更されています。外観は洋風ですが、内部は和と洋が混じった独特な空間になっています。

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一階の東面と西面には、回廊風のテラスが巡らされています。小屋組は日本の伝統的な工法が用いられています。

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玄関は一階南面に設けられています。

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階段室を兼ねた玄関ホール。金色の壁には、渦巻模様が施されています。

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玄関ホールのステンドグラス。

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一階・客室は南面にボウウィンドウを設けてベンチを作り付け、その中央に暖炉を置いています。

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一階・客室の天井は、葦簀(よしず)と網代を市松状に配した特徴的なもの。

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二階・和室。一見純和風に見えますが、南面の襖の中には暖炉が設置されています。

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和室の天井は竿縁と網代を交互に配した特徴的なもの。

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和室の外側には、テラスが巡らされています。

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二階・和室の北側に隣接する小和室。数寄屋風の意匠が見られますが、炉は開けられておらず、周囲には一段高く、ベランダとも出窓ともとれる空間が巡ります。こちらの天井は一階客室と同様、網代と葦簀の市松模様になっています。

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二階・寝室。建物内で唯一、和風の意匠が見られない洋間です。

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二階・階段室。天井は葦簀ですが、手摺や照明には洋風の意匠を施した、和洋折衷の空間です。

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芝川又衛門は唐物商を営んだ豪商・芝川新助の子で、果樹園「甲東園」を開くなど、土地経営に力を入れました。明治44年に創建された旧芝川又右衛門邸はその後数回の増改築を受け、昭和2年(1927)に現在見られる姿になったようです。なお、設計者である武田五一は「関西建築界の父」と呼ばれ、関西地方に多くの作品を残しています(当ブログで以前ご紹介した旧山口県会議事堂旧山口県庁も、武田五一が設計に関与しています)。

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旧北里研究所本館・医学館 ~愛知県犬山市~

旧北里研究所本館・医学館は、北里柴三郎が設立した北里研究所の本館として、大正4年(1915)に東京市芝白金三光町(現在の東京都港区白金)に建てられた洋風建築です。昭和55年(1980)、愛知県犬山市の博物館明治村に移築されました。

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木造2階建て、屋根は天然スレート葺きで、全体的なデザインはドイツ・バロック風を基調としています。

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左右に存在した翼屋のうち、現在は右翼側だけ残されています。翼屋は屋根をマンサードとし、屋根窓を配しています。

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中央棟の頂部には八角形の尖塔を載せ、車寄せ上部(写真中央下部)には、北里柴三郎が治療法を発見した「破傷風菌」と月桂樹を模った紋章が付けられています。

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中央棟の玄関ホール。中央奥に階段室を配していますが、こちらの階段は現在は降り専用になっています。

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一階・展示室。北里柴三郎の研究に関する資料が展示されています。

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各部屋の内壁は白漆喰塗り、窓は上げ下げ窓になっています。

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右翼屋にも小さめの階段が設けられています。こちらから二階へ上がります。

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二階・所長用実験室。
 
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右翼屋二階・南東隅にあたる所長室。

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二階廊下。顕微鏡使用のため、各階とも光の変化が少ない北側に研究室を配置し、廊下は南側に通されています。

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中央棟の階段室。下は玄関ホールとなります。

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北里柴三郎は破傷風の治療法を発見した医学者で、日本の近代医学の先駆者です。東大で医学を学んだ後、ドイツに渡ってコッホに師事し、破傷風菌の培養法と血清療法を発見します。帰国後に日本初の伝染病研究所を設立し、大正3年(1914)に伝染病研究所長を辞職した後、同年に北里研究所を設立しています。なお、旧北里研究所本館・医学館は、北里がドイツで学んだ研究所をもとに設計されたとされます。

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旧第四高等学校物理化学教室 ~愛知県犬山市~

旧第四高等学校物理科学教室は、かつて石川県金沢市にあった第四高等中学校の教室として、明治23年(1890)に建てられました。第四高等中学校が第四高等学校、金沢大学と変わってのちも、引き続き使用され、昭和40年(1965)に建物の中央部のみ博物館明治村に移築されました。

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構造は木造平屋建て、屋根は桟瓦葺きで、外壁は「南京下見」と呼ばれる洋風の下見板張りとなっています。中央の高くなっている部分には階段状の教室を備え、左右の寄棟部分には実験教室が置かれています。

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屋根上に突き出した煙突は、「ドラフト・チャンバー」と呼ばれる、実験で発生した煙や有毒ガスを排出するための装置です。

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建物中央に設けられた玄関ポーチ。旧第四高等学校本館と同様、設計は文部技師の久留(くる)正道、工事監督は同じく文部技師の山口半六によります。

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玄関ホール。壁面は白漆喰で仕上げられています。

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高い天井と大きな上げ下げ窓が印象的な廊下。

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階段状の化学教室。設計者の久留正道は西洋建築の理論や技術の研究を行い、これに基づいて設計を行っています。

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段の勾配や天井の高さも、久留の研究のもとに設計されています。

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東端の旧実験教室は、明治村の創立者で第四高等学校出身でもある、谷口吉郎と土川元夫に関する展示室となっています。

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旧第四高等学校物理化学教室は明治期の洋風校舎建築の代表とされ、設計者である久留正道は、工部大学校(現・東京大学工学部)でJ.コンドルに学び、『学校建築図説明及設計大要』を著すなど、学校建築の発展に貢献しました。同じく久留の設計による旧第四高等学校本館は現在も金沢市に現存し、石川四高記念文化交流館として一般公開されています。

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旧東松家住宅 ② ~愛知県犬山市~

東松家住宅、後編です。

2階・座敷。小規模な部屋が多い東松家住宅にあって、10畳の広さを備えます。

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座敷の雪見障子。

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3階・南側の座敷。こちらも10畳の広さがあります。

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座敷の欄間には光琳桐の意匠。

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3階は、部屋ごとに段差を設けた、「スキップフロア」風の造りになっています。

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3階・8畳和室。炉はありませんが、数寄屋風の造りになっています。

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8畳和室の西側は、通り土間の吹き抜けに面しています。

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8畳和室西側、通り土間の壁面に開けられた窓は、当時隣に建っていた建物の屋根に合わせて、傾斜をつけた配置になっています。

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茶室から通り土間を見下ろす。

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3階・北側の座敷。炉が開けられ、茶室として使用されました。

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側面から見た旧東松家住宅全景。奥行きが深く、典型的な町屋の構造であることが分かります。

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2回に分けて取り上げましたが、旧東松家住宅は近代和風建築としては珍しい3階建てで、スキップフロア風の段差をつけた構造や遊び心溢れる意匠など、見所の多い建物です。なお、旧東松家住宅では決まった時刻に15分間のガイドを行っていて、ガイドに参加しないと2階・3階部分の見学はできませんので、注意が必要です。建物ガイドの時刻はこちら

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旧東松家住宅 ① ~愛知県犬山市~

旧東松(とうまつ)家住宅は、名古屋市・堀川沿いに建てられた和風建築です。昭和40年(1965)、愛知県犬山市の博物館明治村に移築され、一般公開されています。

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現在は木造3階建てですが、江戸末期の創建当初は平屋建てで、2階の前半部は明治28年(1895)に、3階部分は明治34年(1901)に増築されたと考えられています。

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入口を潜ると、通り土間に入ります。

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通り土間は3階まで吹き抜けになっています。吸い込まれそうな高さ。

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通り土間に面した「ミセ」。もともと東松家は油屋で、明治20年代後半からは銀行業も経営していました。

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「ミセ」の脇にある階段は、引出しを兼ねています。

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一階・座敷。年末だったので、床の間には鏡餅が。

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座敷奥の階段を上がると、2階の小部屋に入ります。この小部屋から奥の茶室への廊下は露地をイメージしており、小部屋の床の板敷部分は飛石を表しているそうです。

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小部屋の襖には千鳥の引手。

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こちらの引手は舟を漕ぐ櫂を模っています。

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露地に見立てたという、小部屋から茶室へ続く廊下。通り土間の吹き抜けに面しており、障子の下部は無双窓になっています。

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半月の透かしを施した、待合の障子。遊び心の感じられる意匠です。

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2階・茶室。こぢんまりとした空間です。

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②に続きます。

 
 
 
 

旧東山梨郡役所 ~愛知県犬山市~

犬山市にある博物館明治村は、全国から近代建築を移築し野外展示しているテーマパークです。20数年前に一度訪れたことがありますが、当時は物心つかない子どもだったので、今回がっつり2日間かけて再訪しました。というわけで、向こう一か月くらいかけて明治村の建築を取り上げます。すでに色々なブログで紹介されてはいますが、しばらくの間お付き合い下さい。

明治村最初の記事は、旧東山梨郡役所です。旧東山梨郡役所は、明治18年(1885)、山梨県東山梨郡日下部村(現在の山梨県山梨市)に建てられた擬洋風の官庁建築で、昭和40年(1965)に明治村へ移築されました。

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木造二階建て、屋根は桟瓦葺きで、中央に玄関ポーチ、ベランダ付きの左右対称の翼屋を配置した、当時の典型的な官庁建築の様式をとっています。

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外壁の隅の部分は、黒漆喰による隅石積となっています。明治期の山梨県内に多く建てられた「藤村式」擬洋風建築の特長です。

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玄関ホール内部。

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玄関ホール天井の中心飾り。波と鳥を模った意匠が秀逸です。

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一階の玄関から背面までを貫く廊下。洋風の意匠が見られない、純和風な空間です。

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一階・旧事務室。各部屋は展示室として使用されています。

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旧事務室天井の中心飾り。それぞれ異なる中心飾りの意匠は、旧山梨郡役所の特長の一つです。

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階段室。人一人が通れる程度の狭い空間です。

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二階・大広間。

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大広間の張り出し部分。玄関ホールの上部に当たり、外側にはベランダが巡ります。

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大広間天井の中心飾り。こちらは松竹梅のようです。

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大広間天井の中心飾り。こちらは菊でしょうか。

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明治期の山梨県内では、県令・藤村紫朗の指揮の下、旧東山梨郡役所をはじめとする多くの擬洋風建築が建てられ、「藤村式建築」と呼ばれました。山梨県内には現在でも、旧室伏学校校舎旧舂米学校校舎旧津金学校校舎など計5件の藤村式建築が残されています。

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名古屋城二の丸庭園 ~愛知県名古屋市~

名古屋城二の丸庭園は、初代名古屋藩主・徳川義直によって、寛永5年(1628)頃までに造営されたと考えられる庭園で、北御庭と南御庭から構成されます。作庭者についてはっきりとしたことは分かっていませんが、「玉澗流」を窺わせる様式から、上田宗箇の関与が推定されています。

<北御庭>
北御庭は二の丸御殿の北側に造られた庭、栗石が敷き詰められた枯池に、「赤坂山」と呼ばれる巨大な中島が置かれます。

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枯池や中島の護岸石組は豪壮で、場所によっては二段に組まれている箇所もあります。

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中島西側。切石橋は後世に架け直されたものと考えられています。

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枯池南東隅の枯滝石組。枯池には数ヵ所に滝石組が見られます。

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池はさらに北東へ延び、池中には小規模な中島を置いています。汀の護岸石組には青石が使用されています。

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さらに池は東へ延びます。こちらにも中島が置かれ、右奥の権現山と呼ばれる大築山下部には、大規模な滝石組が存在します。

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権現山下部の滝石組と石橋は、玉澗流の特長を表しています。玉澗流は中国の山水画に由来する作庭意匠で、上田宗箇が好んだ手法ですが、本庭への上田宗箇の関与を裏付ける記録は残されていません。

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権現山の滝の西にも、小規模な滝石組が見られます。

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池庭の西方にある、笹巻山と呼ばれる築山。豪壮な石組で固められた築山で、枯滝のような石組が見られます。

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整備中で近寄れませんでしたが、池庭の北方にも、二子山と呼ばれる築山があり、石組が施されています。

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<南御庭>
南御庭は、二の丸御殿の南側に造られた庭で、池は現在は枯れていますが、作庭当初は水が張られていたようです。

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南西部の滝石組と切石橋。こちらの石橋も後世に架け替えられたものと思われます。

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豪壮な枯滝石組。

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枯滝手前の中島は亀島と思われ、向かって右手には立石による亀頭石が意匠されています。

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南御庭では、北西部にも枯滝石組が見られます。三尊手法の石組を中心に、意欲的な石組が集中して見られます。

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名古屋城は、もともと織田氏の那古屋城があった地に、慶長15年(1610)徳川家康の命により築かれた近世城郭です。戦前は築城当初に建てられた天守、御殿など本丸の建造物が完存していましたが、空襲により二棟の隅櫓と表二之門を残して焼失しました。天守は昭和34年(1959)に鉄筋コンクリートにより復元、本丸御殿は木造により現在復元工事中で、平成30年度中に完成予定です。

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津島の古い町並み② ~愛知県津島市~

②です。引き続き、上街道周辺を南に進みます。

天王通り3丁目の沖邸。規模の大きい立派な町屋です。

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上街道沿いの渡邉邸。愛知県や岐阜県でよく見られる、「屋根神様」が祀られています。

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上街道沿い、本町3丁目の長珍酒造。江戸後期創業の老舗酒造です。

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本町4丁目の三養荘。大規模な主屋は貞享2年(1685)築と伝わり、庇には「屋根神様」が見られます。主屋の奥には茶室もありますが、津島では広く茶文化が浸透していたようで、他にも市内には茶室を備えた町屋が多く存在します。

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舟戸町の誠見堂薬局。昭和の香りを放っています。

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南本町の岡本邸。大規模な主屋は、道路拡張時に曳家されているそうで、奥には茶室も残っています。

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筏場町にある浅井邸。

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上街道を本町2丁目まで戻り、江戸後期創業の伊勢屋茶舗。こちらも建物内に茶室を備えているようです。

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レトロな香りの看板。

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西御堂町の加藤洋服店。

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加藤洋服店のレトロな看板。「キャップヤーンテックス」とは、紳士服用の超高級生地の名称のようです。

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片町の町並み。こちらの民家は屋根の妻側を正面にしています。

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片町にある、津島神社の社家・氷室作太夫家。津島に残る唯一の社家住宅で、江戸末期に建てられた母屋や長屋、門などが残されています。

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橋詰町の加藤薬局。

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以上、2回に渡って津島の町並みをご紹介しましたが、古い町並みがこれだけ広範囲に残り、また「屋根神様」や茶室のある町屋など、固有の景観が残されていることは貴重です。今回は下調べが不十分で回ることができませんでしたが、津島神社近くの祢宜町には、一般公開されている堀田家(重要文化財)や旧太田家など、見応えのある建物が残ってるようです。

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津島の古い町並み① ~愛知県津島市~

名古屋市の西に位置する津島市は、古くから津島神社の門前町として栄え、また上街道と下街道が交差する交通の要衝でした。旧街道沿いを中心に残る古い町並みを、2回に分けてご紹介します。

JR津島駅から西に徒歩5分ほど、宝町あたりから古い建物が現れてきます。

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宝町にある山口建設。戦前の建物と思われます。

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天王通りの石原印刷。ベランダのバラスターなど、洋風の意匠が見られる近代建築です。

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旧上街道沿い、米町にある富永商店。うだつの見られる立派な町屋です。

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上街道沿いを北に歩き、米之座町の遠山邸。建物の裏には、塀で囲まれた広大な敷地が広がっています。

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上街道沿いをさらに北に歩くと北町に入ります。上街道への北の入口だった地区で、古い民家が多く残ります。

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上街道を南下し、津島で古い町並みが最も良く保存されている本町へ入ります。

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本町1丁目、糀屋。高欄の波型の意匠が印象的です。

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本町1丁目にある、米真商店(右)と佐藤進邸(左)。

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本町のシンボル・旧津島信用金庫本店(現・津島観光交流センター)。昭和4年(1929)築、鉄筋コンクリート造2階建ての洋館です。ルネッサンス様式を基調としながら装飾を簡略化した「近世復興式」と呼ばれる建築様式で、一部にアールデコ調の意匠も見られます。

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天王通りを挟んで、本町2丁目にある富永邸。格子が見事な町屋です。

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本町2丁目にも古い商店が残っています。

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上街道と下街道が交差する、交通の要衝「橋詰三叉路」。正面の建物はかつて魚屋だった、旧カネ長(信長ゆめ倶楽部)です。

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天王通り沿いの古民家。現在は空き家のようですが、各窓で桟の意匠がそれぞれ異なる、凝った造りの建物です。

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天王通り沿いにある小さな祠。津島の街中には、こうした祠や「屋根神様」が今でも点在していて、津島信仰の面影を伝えています。屋根神様のある建物については、次回の記事で取り上げます。

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②へ続きます。

 
 
 
 

旧足立正別邸 ~神奈川県三浦郡葉山町~

あけましておめでとうございます。
本年も皆様方のご多幸をお祈り申し上げます。

新年ではありますが、最初の記事は昨年10月に訪れた旧足立正別邸です。古くからの別荘地・葉山に昭和8年(1933)に建てられた別荘建築で、個人所有で通常は非公開ですが、昨年10月の特別公開時に内部を見学させて頂きました。
 ※ 現在も居住空間として使用されている二階や和室以外の紹介となります。

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木造二階建て、桟瓦葺き・ハーフティンバー様式の外観で、和風建築の多い葉山の別荘建築にあっては珍しい、和洋折衷建築です。施主である足立正は大正~昭和期に活躍した実業家で、王子製紙やラジオ東京の社長、日本商工会議所の会頭などを務めています。

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設計は、早稲田大学大隈記念講堂などを手掛けた佐藤功一によります。内壁・外壁ともに、王子製紙が当時開発した「トマテックス」という植物繊維板を使用しています。

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玄関内部。市松模様のタイル床が美しい、シンプルな空間です。

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一階・応接室。東面にはステンドグラス、北側には暖炉が設けられています。

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一階・食堂。南面の窓はベイ・ウィンドウになっています。

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食堂の照明。

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東側階段室。

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階段室の天井は、「トマテックス」による市松模様が施されています。

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西側の階段。

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二階・南西隅にあるバルコニー。相模湾を望むことができます。

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戦後米軍に接収され、その後別の所有者に渡った旧足立正別邸ですが、目立った改築はされず、現在でもほぼ創建当初の姿を残しています。現在でも所有者の方が居住されていることから、いまのところ一般公開は年1回のイベント開催時に限られています。なお、すぐ近所には大正期の別荘建築である旧伏見宮家別邸(現・イエズス孝女会修道院旧館)も残っています。

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Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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