旧五十嵐歯科医院(旧五十嵐邸) ~静岡県静岡市~
旧五十嵐歯科医院は、静岡市東部、かつて東海道の宿場町だった蒲原の地に建つ洋風建築です。もともとは江戸~明治時代に建てられた町屋建築でしたが、歯科医院開業のため大正3年(1914)に洋風建築へと改築されました。
木造二階建て桟瓦葺きで、街道に面した南面を正面とします。東側と西側は昭和14年(1939)頃までに、北側の離れは昭和15年頃に増築されています。
玄関。玄関上部と西側増築部分の庇には、歯型の軒下飾りが見られます。
一階・見世の間。洋風の外観とは打って変わり、建物内部はほとんどが和室になっています。
見世の間には電話室があります。「二三番」というのはかつての五十嵐歯科医院の電話番号で、今でも電話機は現役だそうです。
一階・中の間から仏間方向を見る。中の間には、金歯に使用する金を保管するための金庫が置かれています。仕切り欄間の意匠も見事。
後に増築された一階・座敷。居室として使用されていたようです。
座敷の各欄間には近江八景が彫られています。こちらは堅田の浮御堂でしょうか。
通り土間に設置された階段。二階は診療室と待合所となります。
二階・西側座敷(待合室)手前の襖。花鳥風月が描かれた豪華なもので、欄間には富士山と松原が彫られています。
二階・西側座敷。明治期の元老・田中光顕も使用した貴賓用の待合室です。襖は鷹と松を墨で描いた立派なもので、床の間の壁はこんにゃくと葛で固められているそうです。
二階・東側座敷。
東側座敷の欄間。菱型の凝った意匠です。
二階・診療室。壁はと天井は漆喰、床はリノリウムが貼られています。南面はほぼ一面ガラス窓で、採光と通気性を備えています。
診療室の隣にある技工室。治療に使用する器具が置かれていたところです。
旧五十嵐歯科医院は、外観を洋風としながら内部には町屋の面影が色濃く残るという、特徴的な建築で、同じく静岡市内に残る旧エンバーソン邸や旧マッケンジー邸と比べても異色の存在と言えます。蒲原地区には他にも橋澤家住宅や佐藤家住宅、田中光顕の別荘だった青山荘などの近代洋風建築が残りますが、現在一般公開されているのは旧五十嵐歯科医院のみです。
木造二階建て桟瓦葺きで、街道に面した南面を正面とします。東側と西側は昭和14年(1939)頃までに、北側の離れは昭和15年頃に増築されています。
玄関。玄関上部と西側増築部分の庇には、歯型の軒下飾りが見られます。
一階・見世の間。洋風の外観とは打って変わり、建物内部はほとんどが和室になっています。
見世の間には電話室があります。「二三番」というのはかつての五十嵐歯科医院の電話番号で、今でも電話機は現役だそうです。
一階・中の間から仏間方向を見る。中の間には、金歯に使用する金を保管するための金庫が置かれています。仕切り欄間の意匠も見事。
後に増築された一階・座敷。居室として使用されていたようです。
座敷の各欄間には近江八景が彫られています。こちらは堅田の浮御堂でしょうか。
通り土間に設置された階段。二階は診療室と待合所となります。
二階・西側座敷(待合室)手前の襖。花鳥風月が描かれた豪華なもので、欄間には富士山と松原が彫られています。
二階・西側座敷。明治期の元老・田中光顕も使用した貴賓用の待合室です。襖は鷹と松を墨で描いた立派なもので、床の間の壁はこんにゃくと葛で固められているそうです。
二階・東側座敷。
東側座敷の欄間。菱型の凝った意匠です。
二階・診療室。壁はと天井は漆喰、床はリノリウムが貼られています。南面はほぼ一面ガラス窓で、採光と通気性を備えています。
診療室の隣にある技工室。治療に使用する器具が置かれていたところです。
旧五十嵐歯科医院は、外観を洋風としながら内部には町屋の面影が色濃く残るという、特徴的な建築で、同じく静岡市内に残る旧エンバーソン邸や旧マッケンジー邸と比べても異色の存在と言えます。蒲原地区には他にも橋澤家住宅や佐藤家住宅、田中光顕の別荘だった青山荘などの近代洋風建築が残りますが、現在一般公開されているのは旧五十嵐歯科医院のみです。
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