仁和寺庭園 ~京都府京都市~
京都市右京区にある仁和寺は、真言宗御室派の総本山で、宇多上皇ゆかりの門跡寺院です。宸殿の北側には、江戸中期作庭とされる池泉式の庭園が残ります。
庭園は、平安時代に起源を持つ池泉を中心に、北側の山畔や護岸に石組を施しています。中央の石橋はもともとは土橋で、かつて池泉は東西二つに分かれていたようです。
庭園の右手奥には茶室・飛濤亭(江戸末期築)とその奥に五重塔(江戸初期築)が望まれ、借景として風景の一部に取り込まれています。飛濤亭の周囲は露地となっています。
東部池泉の石組と岩島。元禄期に改修された際のものと考えられています。
西部池泉。奥には明治44年(1911)に建てられた霊明殿が見えています。
池泉北西部にある滝と出島。大石を使用した滝石組は、平安~鎌倉期の手法とされます。
北西部山畔の石組。
庭園北西部、霊明殿から庭園を見る。
庭園北西部にある茶室・遼廓亭(江戸中期築)。飛濤亭と同様、周囲は露地になっています。
宸殿の南側には、南庭が広がります。
南庭は白川砂を敷いた枯山水庭園で、北東部には巨石による石組が見られます。
庭園の明確な起源は分かっていませんが、古くは平安時代に池庭が造られ、元禄2年(1689)に本格的な改修が行われ、現在見られる状態になりました。その後、大正期には七代目・小川治兵衛(植治)により再度改修を受けています。豪壮な石組こそ見られないものの、優雅な地割は、さすが京都の門跡寺院といった趣でした。
庭園は、平安時代に起源を持つ池泉を中心に、北側の山畔や護岸に石組を施しています。中央の石橋はもともとは土橋で、かつて池泉は東西二つに分かれていたようです。
庭園の右手奥には茶室・飛濤亭(江戸末期築)とその奥に五重塔(江戸初期築)が望まれ、借景として風景の一部に取り込まれています。飛濤亭の周囲は露地となっています。
東部池泉の石組と岩島。元禄期に改修された際のものと考えられています。
西部池泉。奥には明治44年(1911)に建てられた霊明殿が見えています。
池泉北西部にある滝と出島。大石を使用した滝石組は、平安~鎌倉期の手法とされます。
北西部山畔の石組。
庭園北西部、霊明殿から庭園を見る。
庭園北西部にある茶室・遼廓亭(江戸中期築)。飛濤亭と同様、周囲は露地になっています。
宸殿の南側には、南庭が広がります。
南庭は白川砂を敷いた枯山水庭園で、北東部には巨石による石組が見られます。
庭園の明確な起源は分かっていませんが、古くは平安時代に池庭が造られ、元禄2年(1689)に本格的な改修が行われ、現在見られる状態になりました。その後、大正期には七代目・小川治兵衛(植治)により再度改修を受けています。豪壮な石組こそ見られないものの、優雅な地割は、さすが京都の門跡寺院といった趣でした。
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