観音寺庭園 ~徳島県徳島市~
引き続き四国探訪1日目、徳島城表御殿庭園を後にし、徳島市勢見町にある観音寺庭園を訪れます。
観音寺は元和2年(1616)、徳島藩の藩祖・蜂須賀家政により当地へ移建・再興された寺です。書院裏手にある庭園は、眉山東麓の山畔を利用し、南北に細長い池泉を穿った、池泉式鑑賞式庭園となっています。
庭園南部には、豪快な枯滝石組があります。前回までにご紹介した阿波国分寺庭園や徳島城表御殿庭園と同様に、緑泥片岩(青石)を使用しています。
滝石組は頂部を三尊手法とし、写真中央の横石による水落石は、鶴首石を兼ねているとされます。巨大な立石による滝添石は、桃山期らしい豪快なものです。
枯滝上部から石組を見下ろす。作庭者・作庭時期については不詳ですが、様式・手法などから、桃山時代(江戸初期)頃に作庭されたと推定されています。
滝石組は現在は枯滝となっていますが、重森三玲らによる実験の結果、当初は水が落ちていた可能性も指摘されています。
枯滝上部から書院方向を見る。t池泉西部(写真左手)は天然の岩盤が剥き出しになっています。
池泉北部は不自然なほど狭くなっており、後世の改修が指摘されています。
池泉北部には青石による立派な石橋と橋添石がありますが、池泉北部が後世に改修されているとすれば、これらもその際に他の場所から移されてきたのかもしれません。
青石の産地ということもあり、徳島市周辺には優れた日本庭園が多く存在しますが、ここ観音寺庭園の存在はあまり知られていないようです。正直なところ僕自身あまり期待せずに訪問したのですが、滝石組の迫力は予想をはるかに超えるもので、良い意味で裏切られた気分でした。お寺の方にも、突然の訪問にも関わらず、おもてなしを頂き、ゆっくりと庭を堪能することができました。
観音寺は元和2年(1616)、徳島藩の藩祖・蜂須賀家政により当地へ移建・再興された寺です。書院裏手にある庭園は、眉山東麓の山畔を利用し、南北に細長い池泉を穿った、池泉式鑑賞式庭園となっています。
庭園南部には、豪快な枯滝石組があります。前回までにご紹介した阿波国分寺庭園や徳島城表御殿庭園と同様に、緑泥片岩(青石)を使用しています。
滝石組は頂部を三尊手法とし、写真中央の横石による水落石は、鶴首石を兼ねているとされます。巨大な立石による滝添石は、桃山期らしい豪快なものです。
枯滝上部から石組を見下ろす。作庭者・作庭時期については不詳ですが、様式・手法などから、桃山時代(江戸初期)頃に作庭されたと推定されています。
滝石組は現在は枯滝となっていますが、重森三玲らによる実験の結果、当初は水が落ちていた可能性も指摘されています。
枯滝上部から書院方向を見る。t池泉西部(写真左手)は天然の岩盤が剥き出しになっています。
池泉北部は不自然なほど狭くなっており、後世の改修が指摘されています。
池泉北部には青石による立派な石橋と橋添石がありますが、池泉北部が後世に改修されているとすれば、これらもその際に他の場所から移されてきたのかもしれません。
青石の産地ということもあり、徳島市周辺には優れた日本庭園が多く存在しますが、ここ観音寺庭園の存在はあまり知られていないようです。正直なところ僕自身あまり期待せずに訪問したのですが、滝石組の迫力は予想をはるかに超えるもので、良い意味で裏切られた気分でした。お寺の方にも、突然の訪問にも関わらず、おもてなしを頂き、ゆっくりと庭を堪能することができました。
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