茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

慶雲館庭園 ~滋賀県長浜市~

2年振りの慶雲館再訪、前回は建築について取り上げましたが、今回は庭園について見て行きます。庭園は慶雲館竣工から25年後の明治45年(1912)、近代日本庭園の先駆者である7代目小川治兵衛(植治)により作庭されたもので、主屋南側の主庭、主屋北側の玄関前庭、表門と中門の間に築かれた前庭の3部構成となっています。

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主屋南側の主庭。池庭式の枯池を中心とした、石組本位の庭となっています。

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枯池北東部にある、斜面を利用した枯流れ。栗石を敷いて流れを表現しています。

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枯流れの起点近くに架かる石橋と橋添石。

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枯池南東部の枯滝石組。三尊手法で、水落石は高さ3メートル以上、左手の添石も2メートルを越す迫力ある石組です。自然主義庭園の先駆者だった植治の庭としては、異色の石組です。

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枯滝の右手にある巨大な立石。こちらも高さ3メートル以上の巨石で、右手に傾斜した姿は、阿波国分寺庭園の石組を思わせる鋭さと迫力を備えています。

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巨石の奥の築山にも、栗石による枯流れと、立石を中心とした石組が見られます。

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枯池の中央付近には、力強い石橋が架かります。

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護岸石組と石橋。

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石橋右奥の山畔には、主庭の中で最も大きな枯流れが見られます。

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築山中央付近には、蓬莱石にも思える巨石も見られます。

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主屋北側の玄関前庭にも、「慶雲館の碑」を中心に、巨石による集団石組が見られます。桃山期を思わせる、立石を中心とした力強い石組です。

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玄関前庭のさらに北側にも、枯流れを意匠した前庭が作庭されています。

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7代目小川治兵衛(植治)は、日本庭園に西洋の作庭思想を取り入れ、その後の日本庭園の基礎となる自然主義庭園を広めたことで知られています(代表作に無鄰菴庭園、野村碧雲荘庭園、平安神宮庭園など)。植治以降の日本庭園が、それまでの伝統的な様式や手法を捨て去り急激に堕落していったことに、植治の自然主義的な作風が強く影響したことは事実だと思います。そんな中で慶雲館庭園は石組本位の庭であり、日本庭園の伝統に乗っ取った手法が随所に見られるなど、植治の庭としては異色の存在と言えるのではないでしょうか。

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慶雲館 ~滋賀県長浜市~

長浜市にある慶雲館は、明治天皇の長浜滞在時の行在所として、明治20年(1887)に建てられた木造二階建ての和風建築です。長浜の実業家・浅見又蔵が私費を投じ、3か月ほどの突貫工事で建設、昭和10年(1935)から長浜市の所有となり、現在は一般公開されています。今回、約2年振りに再訪しました。

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主屋北面。主屋は寄棟造り桟瓦葺ですが、玄関車寄せのみ杮葺になっています。

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玄関内部。主屋は総檜造りになっています。

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一階は、東西に3つの座敷が並び、南面は広縁が通されています。

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一階西端の座敷には、数寄屋風の床の間が設けられています。

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一階東端の座敷。炉が設けられ、茶室として使用されたようです。

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バリエーション豊かな、一階の欄間。

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一階南面の広縁は、畳が敷かれ縁座敷になっています。建物外には、「植治」こと7台目小川治兵衛が手掛けた庭園が広がりますが、そちらは次回取り上げたいと思います。

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二階への階段手摺。長浜のシンボルである瓢箪の意匠が施されています。

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二階・36畳の広間。南面は高欄が設けら、現在は埋め立てにより後退していますが、かつては庭園を挟んですぐ南側に琵琶湖が広がっていました。

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二階・玉座の間。明治天皇と昭憲皇后を迎えるための部屋でした。

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二階・広間の襖絵。作者が誰なのか分かりませんでしたが、創建当初のものといいます。

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襖の引手も、見事な意匠。

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広間のレトロな照明器具は、梅の花をモチーフにしたものです。

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二階広間の東側には、15畳の座敷が隣接しています。

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慶雲館は、とても工期3か月で建てられたとは思えない上質な和風建築です。天皇の行在所としての役目を終えたのちも、浅見又蔵の別邸として使用されました。なお、浅見又蔵は長浜の薬種商の出身で、22歳のときに浅見家の養子となり、浜縮緬の製造で浅見家を長浜有数の豪商へと発展させました。また、県会議員や町会議員を務め、銀行や小学校の設立に関わるなど、長浜の近代化に大きく貢献しています。

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次回は慶雲館の庭園をご紹介します。


 
 
 
 

神照寺庭園 ~滋賀県長浜市~

長浜市の郊外にある神照寺は、寛平7年(895)に宇多天皇の勅命で創建された、真言宗智山派の寺院です。客殿の南側に、江戸時代の池泉鑑賞式庭園が残されています。

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庭園は、中央南部に出島を張り出させた凹字型の池泉を中央とした比較的小規模なものです。地割や手法から、江戸中期終わり頃の作庭と考えられています。

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南西隅には三尊手法の枯滝石組や石橋がありますが、訪問時は時期的にちょうど杜若の葉が繁茂していて、詳細が確認できませんでした。

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池泉南部中央に突き出た出島。江戸中期の庭によく見られる地割で、池中に亀頭石らしき石が見られ亀出島とされます。

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亀出島の左方、池中に岩島があります。仁和寺から寄贈されたものと伝わり、亀出島に対する鶴島とされます。

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客殿と池泉の間には飛石が打たれています。

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本堂の南西部にも、池泉があります。草木で全容が掴めませんが、方形に近い形状のようです。

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周囲には石組らしきものが見られますが、いつ頃のものなのかは分かりませんでした。

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前回取り上げた安楽寺同様、神照寺も足利将軍家の庇護を受けて室町時代に隆盛を誇りますが、戦国期に度重なる兵火に遭い衰退、羽柴(豊臣)秀吉により再興されています。小ぶりの石が多く、やや物足りなさを感じる庭でしたが、枯滝石組や鶴島の意匠は上品で優美な印象を受けました。なお、庭園の拝観は、事前に確認を取ってから訪問した方が良さそうです。

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安楽寺庭園 ~滋賀県長浜市~

長浜市の郊外、細江町にある安楽寺は、鎌倉時代に創建された安楽精舎を始まりとする、臨済宗妙心寺派の寺院です。本堂南側には、蓬莱山水式の古庭園が残されています。

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庭は細長い池泉を中心に、南部に築山を築いて石組を施し、池の手前側には白砂を敷いています。

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築山の石組。安楽寺は足利尊氏と関係が深く、寺伝では尊氏が帰依していた夢窓疎石の作庭とされていますが、抑えめの石組やサツキの刈込みなど、現状の庭を見る限りでは江戸中期以降に改修されているものと思われます。

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築山中央下部には須弥山を象った不動石が置かれ、その真下、池に突出した石が鶴石とされます。右手の比較的大きな石は、護岸兼用の蓬莱石でしょうか。

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築山左手の石組。護岸には二箇所に洞窟のような石組が見られます。

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池泉西部の意匠。

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池泉西部には池中に亀島が配置されています。

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亀島と向き合う鶴石。

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室町時代、足利尊氏の庇護を受け繁栄した安楽寺ですが、戦国期に織田軍の兵火に遭い衰退、江戸時代に入り彦根城主・井伊直孝により再興されています。先に訪れた長浜八幡宮や大通寺の庭園と比べると、やや物足りなさは否めませんが、よく手入れが行き届いていて、お寺の庭を大切にする姿勢が伝わってきます。ただし、池泉南部の出島上にある蛙の置物は目障りであり、撤去されるべきと思います。

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大通寺庭園 ②(旧学問所庭園)~滋賀県長浜市~

大通寺の庭、後編は旧学問所庭園を取り上げます。前回ご紹介した含山軒庭園や蘭亭庭園と同様、五世・横超院の頃に築かれたと考えられている庭園ですが、現地では何の案内もなく、拝観受付の方に許可を頂いて見学しました。

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庭園は、含山軒庭園の北側に隣接し、含山軒庭園と同様、池庭式枯山水の様式をとっています。かつて存在した学問所の東側に築かれ、南北に長く枯池を穿ち、池の東部と北部に築山を築き石組を施しています。

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本庭の最大の見所である、南東部の石組。右手山畔に集団石組、左手には巨石による三尊石組が見られ、間には二石を入れ違えた形式の石橋が架かります。

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巨石を用いた、豪壮な三尊石組。中尊石は1.5メートルはある巨石で、言葉にできない迫力があります。

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三尊石組の右手にある集団石組。立石を効果的に用いた、見事な石組です。

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枯池東南部にある夜泊風の岩島。

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先ほどの三尊石組の左手に続く築山にも、護岸や山畔に石組が見られます。手前側は中島です。

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北部築山の石組。中央には三尊石組が意匠されています。

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旧学問所庭園は建物から離れた分かりづらい場所にあり、雑草も伸び放題、含山軒庭園や蘭亭庭園と比べるとぞんざいな扱いになっていますが、豪壮な石組や曲線の多い汀線など、江戸中期にしては見応えのある庭です。さほど期待していなかった分、嬉しい誤算でした。

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大通寺は別名「長浜御坊」とも呼ばれ、慶長7年(1602)、本願寺第十二代・教如により、長浜城址に創建されました(慶安4年に現在地へ移転)。庭園のほかにも、重要文化財に指定されている本堂、大広間、含山軒、蘭亭や、市指定文化財の山門など多くの伽藍が残っており、往時の威容を伝えています。

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大通寺庭園 ①(含山軒庭園・蘭亭庭園) ~滋賀県長浜市~

長浜市にある大通寺は、京都東本願寺を本山とする、真宗大谷派の別院です。境内にある3つの庭園について、2回に分けて紹介していきます。今回はまず、含山軒(がんざんけん)庭園と蘭亭(らんてい)庭園を取り上げます。


【大通寺含山軒庭園】
含山軒庭園は、大通寺の伽藍・含山軒の前庭です。伊吹山を借景として取り入れ、見事な石組を施した池庭式枯山水庭園となっています。

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庭園北東部に築山を築いて枯滝石組を設け、枯池には中島を一島配置しています。枯滝手前に張り出した出島は亀島、その手前の中島は鶴島と思われます。枯池にはかつて栗石が敷かれていたようで、現在でもその痕跡が見られます。

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築山の枯池石組は頂部を三尊石組とし、下部に水分石を置き、左手には巨石による不動石を添えています。

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枯池南西の中島。鶴首石らしき細長い伏石を備えており、亀出島に対する鶴島と思われます。

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江戸中期に大通寺住職を務めた五世・横超院は書画を好んだ文化人だったそうで、含山軒庭園はこの横超院の頃に作庭されたとされています。

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重要文化財に指定されている含山軒内部。狩野山楽、山雪の山水画が残されています。

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【大通寺蘭亭庭園】
含山軒西側にある伽藍・蘭亭の南側にも、坪庭風の小規模な庭園があります。

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庭は細長い枯池を中心に、築山南西部に枯滝石組を設け、その手前に出島を突出させています。池にはかつて水が張られていたようです。

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築山上の見事な石組。枯滝、三尊石組、不動石の配置など、石組意匠は含山軒庭園のものとよく似ています。

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東部から見た不動石。蘭亭庭園も、含山軒庭園と同様、江戸中期・横超院の頃の作庭と考えられています。

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枯池東部には小さな太鼓橋が架かりますが、手法からして後世に加えられたものと考えられます。奥の手前に傾斜した石は蓬莱石のようです。

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重要文化財に指定されている蘭亭内部。襖や床の間には、円山応挙による蘭亭曲水宴図が描かれています。

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含山軒庭園と比べると、丸みがかった石が多い点にやや物足りなさを感じますが、巨石の立石を効果的に用いた石組は、事前に想像していたよりも素晴らしいものでした。

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次回は同じく大通寺の3つ目の庭園・旧学問所庭園をご紹介します。

 
 
 
 

長浜八幡宮庭園 ~滋賀県長浜市~

 「曳山祭」で知られる長浜市の長浜八幡宮は、延久3年(1071)、後三条天皇の勅願により源義家が創建した由緒ある神社です。境内には桃山時代に造られたと考えられる庭園が残されています。

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南側から見た庭園。円形に近い池泉を中心とした回遊式庭園で、中央に小社・都久夫須麻神社の建つ中島を浮かべています。

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中島南西隅には、立石による三尊形式の見事な石組が見られます。

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対岸から三尊石組を見る。左手に向かって滝石組を形成しています。

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中島では枯滝の裏側にも、巨石による見事な石組が施されています。

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中島北東隅にも、傾斜をもたせた立石が見られます。

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立石を対岸から見る。二段構成の護岸石組も見事です。

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中島南東隅にある、巨石による蓬莱石組。

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中島には南側と東側に石橋が架けられています。東側の石橋は自然石で、南側の石橋より古いものと考えられます。

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池泉の手前側も、岩島や力強い護岸など、剛健な石組が見られます。

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植栽で見え辛いですが、池泉北東隅には立石による三尊石組も見られます。

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平安時代に創建された長浜八幡宮ですが、室町時代に衰退、天正2年(1574)に長浜を領地とした羽柴(豊臣)秀吉が社殿を再建しており、庭園もこの時に築かれたものと考えられています。小規模な庭ですが、石組の素晴らしさは想像していた以上で、長浜市内に数ある庭園の中でもとりわけ優れた庭園であると言えます。

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内野邸 ~神奈川県小田原市~

小田原市板橋の旧東海道沿いにある内野邸は、醤油醸造業を営む内野家の住居兼店舗として、明治36年(1903)に建てられました。主屋と袖蔵、穀蔵、かつての醤油工場などが残され、毎月第2・第4の土日に一般公開されています。

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主屋は木造2階建てで、蔵造りの形式をとっています。外壁を黒漆喰塗り込めとし、玄関や窓には鉄扉を備え、窓周りに銅板を張るなど、防火を強く意識した構造になっています。

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一階の店舗入口。アーチ型の洋風意匠が特徴です。

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一階・事務所。かつてはここで醤油の計り売りが行われていました。

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一階・玄関。写真中央の柱は、欅を用いた大黒柱です。

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一階・座敷。書院障子の組子には見事な意匠が見られます。

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一階・座敷の欄間。櫛形の意匠です。

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一階座敷の北面と東面は、猫間障子で区画されています。上部の欄間も見事な意匠。

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主屋北側に増築された隠居所。茶室としても使用されていたようです。

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主屋北西隅に設置された客用階段。主屋ではこの他にも、配膳用にもう一つ階段が設置されています。

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客間として使用された、二階・10畳座敷。二階は10畳と8畳の座敷が南北に並んでいます。

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干網と亀甲の意匠が施された、10畳座敷の書院障子。細い組子を繋ぎ合わせた、見事な意匠です。

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二階10畳座敷も、北面と東面が猫間障子で囲まれています。上部の欄間の意匠も見事。

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10畳座敷の南側に並ぶ、8畳座敷。10畳座敷が主客用であるのに対し、こちらは付き人のための部屋でした。

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座敷の仕切り欄間には、雌雄の鳳凰の透かし。

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内野家は、万延元年(1860)、酒造業を営んでいた本家から分家したのを始まりとし、「ブコー(武功)醤油」というブランドで3代に渡り醤油醸造業を営みました。昭和55年(1980)に醤油醸造業を廃業すると、一時は内野邸の解体も検討されたようですが、現在は内野家所有のもと、非営利団体・板橋まちなみファクトリーによって管理されています。なお、小田原はかつて別荘地として多くの政財界人が別邸を構えた地で、内野邸の近くにも松永安左ヱ門の老欅荘や、山縣有朋の古稀庵庭園などが残されています。

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旧久松家別邸・萬翠荘 (愛媛県松山市)

萬翠荘(ばんすいそう)は、旧松山藩主・久松家の当主だった久松定謨(さだこと)伯爵の別邸として、大正11年(1922)に建てられたフランス・ルネッサンス様式の洋館です。2014年に一度訪れ、当ブログでもご紹介しましたが、改めて取り上げます。

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構造は鉄筋コンクリート造2階(地下1階)建てで、東南隅に尖塔を、二階南面にはバルコニーを設けています。外壁はタイル張り、屋根は上部を銅板、下部を「鱗瓦」と呼ばれる半円形の天然スレート葺きとする、マンサード屋根になっています。





一階南面に設けられた玄関。上部にはペディメントを伴います。

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玄関では、扉や欄間にアール・ヌーヴォー風の装飾が施され、床は大理石を市松風に敷いています。

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玄関内扉。階段は大理石製、欄間にはアール・ヌーヴォー風のステンドグラスがはめ込まれています。

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一階東南部にあたる謁見の間。サロンとして使用されていた部屋です。

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大理石を用いた、謁見の間のマントルピース。萬翠荘では各部屋に大理石のマントルピースが設置されていますが、いずれも当時最先端だったガス暖房を備えています。

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一階・晩餐の間。木工が多く用いられ、天井も格天井と、和の雰囲気が感じられます。

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晩餐の間の照明は、水晶を使用した豪華なもの。

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階段室を兼ねた玄関ホール。階段手摺にはチーク材の一本木が使用されています。

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階段踊り場には巨大なステンドグラスがあり、萬翠荘における見所の一つとなっています。宇野澤辰雄、別府七郎と並んで、日本におけるステンドグラス製作のパイオニアである木内真太郎の作品です。

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二階・迎賓室。天井には中心飾りをはじめ、細かな彫刻が施されています。

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迎賓室入口上部のステンドグラス。各部屋の入口上部には、それぞれ異なるデザインのステンドグラスがはめ込まれています。

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二階・貴賓室。白を基調とした、清楚な空間です。

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貴賓室西側。窓に囲まれた開放的な空間で、裕仁親王(昭和天皇)が滞在時にここで食事をしたそうです。

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萬翠荘は愛媛県で最古のコンクリート建築で、設計はお隣・愛媛県庁や三津浜の旧石崎汽船本社を手掛けた木子七郎によります。太平洋戦争終結後、一時的に米軍に接収されますが、その後は裁判所や美術館の施設として使用され、現在は管理棟とあわせて重要文化財に指定されています。

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1ヶ月近くに渡って四国の庭園や建築を取り上げてきましたが、今回の記事で最後となります。お付き合い頂きありがとうございました。

 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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