茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

津和野の古い町並み ~島根県鹿足郡津和野町~

山陰探訪4日目、昔から憧れていた「山陰の小京都」、津和野の町並みを歩きます。

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津和野は古くから津和野城(三本松城)の城下町として発展し、関ヶ原合戦後に入封した坂崎直盛によって現在の町並みの基礎が整備されました。

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周囲を山脈に囲まれた盆地で、中央を津和野川が流れ、古い町屋が多く残る市街地は、「小京都」の名に相応しい景観になっています。

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町並みの中心となる本町通りにある、河田商店(国登録有形文化財)。主屋は明治後期の建築、津和野らしい石州赤瓦屋根の町屋です。

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河田商店の向かいに残る財間家住宅。主屋は明治後期の建築(国登録有形文化財)で、主屋の奥には広大な庭園が残されています。

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本町通り沿いの椿家住宅(国登録有形文化財)。椿家は蝋燭や髪付油を取り扱ったかつての御用商人で、「分銅屋」を屋号としていました。主屋は江戸末期の建築で、改造されている箇所もありますが市街地に残る最古の町屋です。

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椿家の隣に建つ、旧布施時計店(国登録有形文化財)。昭和9年(1934)に建てられた洋風モダン建築で、現在は山陰中央新報津和野支社として使用されています。

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本町通りのささや呉服店(手前)とゑびや(奥)。ささや呉服店の主屋は椿家と同じく江戸末期の建築です(国登録有形文化財)。

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ささや呉服店の向かいにある、現役の酒造・古橋酒造(国登録有形文化財)。比較的新しい、大正期の建築ですが、うだつを備えた立派な町屋です。

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古橋酒造の主屋には、モルタル壁の洋風玄関が付属します。

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享保2年(1717)創業の、橋本本店(橋本酒造場)。津和野で最も古い造り酒屋だそうで、現存する主屋は明治中期に建てられたものです(国登録有形文化財)。

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こちらも明治中期に建てられた町屋、俵種苗店(国登録有形文化財)。

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こちらも享保15年創業の老舗造り酒屋・華泉酒造場(国登録有形文化財)。主屋は明治中期の建築、店名にもなっている地酒「華泉」の製造元です。

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本町通り沿い、後田にある洋風の近代建築。詳細不明ですが、昭和初期頃の建物と思われます。

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本町通りの南端はかつての武家屋敷街で、「殿町通り」と呼ばれています。

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殿町通りの両脇には初代津和野藩主・坂崎直盛が整備したと言われる掘割が残り、津和野を象徴する景観となっています。

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殿町沿いにある津和野町役場。大正8年(1919)、鹿足郡役所庁舎として建てられたもので、現在も現役の官庁建築として健在です。

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町役場の南隣に残る、多胡(たこ)家表門。多胡家は尼子家の旧臣で、戦国時代、多胡辰敬(ときたか)は毛利氏との合戦で自刃しますが、江戸時代以降は津和野藩亀井氏の家老として活躍しました。なお、津和野藩亀井氏初代・亀井茲矩は多胡辰敬の孫にあたります。

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殿町通り沿いにある、津和野カトリック教会(国登録有形文化財)。昭和6年(1931)に建てられたゴシック様式の教会です。次回の記事で詳細に取り上げます。

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津和野には国の有形文化財に登録されている町家が多く、また財間家や椿家、岡崎家(ささや)、亀井家(亀井温故館)には江戸末期~明治期の庭園も保存されています。なお津和野は地酒の銘柄が多く、造り酒屋では地酒の試飲ができますので、飲み比べをしながら町を歩くのも良さそうです。

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永明寺庭園 ~島根県鹿足郡津和野町~

山陰探訪4日目、最終日です。この日は、古くから「山陰の小京都」として知られる、津和野を歩きます。まずは市街地西方にある曹洞宗の寺院、永明寺(ようめいじ)を訪ねます。

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永明寺は応永27年(1420)、津和野(三本松)城主だった吉見頼弘により創建され建てられた寺院です。書院裏手にある庭園は、ほぼ円形の池泉を中心に、池泉観賞式の蓬莱庭園が広がります。

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池のほぼ中心にある中島。亀島でしょうか。

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中島東部の立石は、亀頭石に見えます。

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池泉の西部は山畔となり、水落の滝が設けられます。

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池泉北西部は山畔から続く緩やかな築山となり、立石を主体とした纏まった石組が見られます。

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池泉北西部の護岸石組と、築山の集団石組。

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南西部から見た庭園と書院。

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境内に建つ茅葺の本堂や鐘楼は、享保14年(1720)に建てられたもので、風格を備えています。なお永明寺は歴代津和野藩主の菩提寺で、初代津和野藩主であり「千姫事件」で知られる坂崎直盛の墓も残されています。

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永明寺庭園の明確な作庭時期は不明で、一部には室町時代作庭とする情報も見られますが、地割や石組の意匠などから、現在の姿に整備されたのは江戸中期以降ではないかと思われます。

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江津本町の古い町並み ~島根県江津市~

山陰探訪3日目、小川庭園からバスで江津市街へ移動し、赤瓦屋根の古い町並みが残る江津本町へ。

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江津は、「中国太郎」の異称をもつ一級河川・江の川河口に位置し、古くから港町として栄えてきました。江戸時代は、天領として幕府の管理下にあり、北前船の寄港地でもありました。

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赤瓦屋根の多い町並みにあって、黒瓦が目立つ藤田佳宏家。かつて江津町長も務めた藤田龍夫氏の居宅で、江戸末期に建てられた主屋と、明治期に建てられた門や土蔵が残り、いずれも国の有形文化財に登録されています。

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旧山陰道沿いにある、円覚寺。江津本町には計6つの寺院があります。

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町並みのほぼ中心、山辺神社参道脇に、大正15年(1926)に建てられた旧江津町役場があります。

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鉄筋コンクリート及び木造二階建ての洋風建築で、正面パラペットや、壁面のアール・デコ風のデザインが秀逸です。

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現在は「江津本町甍街道交流館」として一階部分のみ公開されています。

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旧山陰道沿いに残る、藤田家住宅主屋。藤田家は廻船業で財を成した豪商、嘉永6年(1853)に建てられた主屋をはじめ、土蔵、門などが国の有形文化財に登録されています。

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旧山陰道から藤田家住宅の脇を南へ入ります。

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旧山陰道の一本南の通りには、本町川が流れます。

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本町川通り沿いには、赤瓦屋根の古民家が密集しています。

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川通り沿いの横田家住宅(右)。横田家も回漕業(海運業)により材を成した豪商で、「沖田屋」を屋号としていました。

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古い民家の合間で一際目立つのが、旧江津郵便局です。

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旧江津郵便局は、明治20年(1887)頃に建てられた木造二階建ての擬洋風建築です。現存最古の郵便局舎といわれ、長年荒廃していましたが修復により往時の姿を取り戻しました。

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本町川沿いで最も広い敷地を有しているのが飯田家住宅です。初代江津市長の家で、かつて裏手には「二楽閣」と呼ばれた別邸もありました。

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旧山陰道に戻ると目に入ってくる、花田医院。昭和12年(1937)に建てられた和風建築で、一階には洋風の意匠も見られます(国登録有形文化財)。

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町並み北東部にある個人宅。資料がなく詳細は不明ですが、昭和初期頃のものと思われる洋館です。

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江津は江戸時代から昭和初期にかけて、石見地方有数の都市として繁栄しましたが、鉄道開通により衰退します。昭和37年の市庁舎移転に伴って市の中心も北方へと移りましたが、江津本町だけは時代に流されずに、昔ながらの風景を今に残しています。

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小川庭園 ~島根県江津市~

山陰探訪3日目、温泉津から電車で都野津まで移動し、江津市和木の小川庭園を訪ねます。古くから和木の地に居を構え、「和木将軍」とも呼ばれた旧家・小川家の邸宅に、室町時代築造と伝わる池泉観賞式蓬莱庭園が残されています。

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庭園は、南北に細長い池泉(現在は枯池)を穿ち、南東部には山畔を利用して滝石組を設けています。一般的に「小川家雪舟庭園」の名で知られているようですが、雪舟が作庭したという客観的な根拠は存在しないようです。

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滝石組は二段構成で、上段が枯滝、下段は水落式の滝になっています。現在は石組保存のため水を落としていません。

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滝石組上段。頂部は三尊手法で、守護石は右手にやや傾斜した古式な手法となっています。

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滝石組下段。立石を中心とした力強くも美しい石組で、下部には水分石も見られます。

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北西部から滝石組を見る。手前には小規模な出島が設けられていますが、付近の石組は後世の改変を受けています。

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池泉南端の石橋。石橋自体は後世のものですが、周囲の石組は見事です。

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石橋と、池泉西岸の護岸石組。

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池泉北西岸には亀頭石風の石組が見られます。亀頭石付近は地表が盛り上がっていますが、もとは亀島としての中島だったようで、後世になって周囲の池泉を埋め立てたために現在は出島状になっています。

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小川庭園は現在も小川家によって管理されていますが、これほどの庭を個人宅で500年以上も維持されてこられたことに畏敬の念を抱かずにはいられません。訪問時は奥様に色々とお話を伺ったのですが、会話の端々から庭への思いが感じられ、とても有意義な時間を過ごすことができました。

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【再訪】温泉津の古い町並み ~島根県大田市~

山陰探訪3日目は、島根県大田市の温泉津(ゆのつ)からのスタートです。温泉津の町並みは2年前に訪問し当ブログでも紹介していますが、改めて取り上げたいと思います(2年前の記事はこちら)。

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温泉津は大森(石見)銀山の西方に位置し、古くから港町として、またその名の通り温泉地としても栄えてきました。JR温泉津駅の北方、温泉津の温泉街は、鄙びた温泉街としての雰囲気を色濃く残しています。




温泉街の入口付近に建つ、内藤家庄屋屋敷。大内氏や毛利氏に仕えて銀山奉行を務めた内藤氏の住居で、現在も内藤氏の末裔の方が居住されています。2年前に温泉津を訪れた際は、当主の18代内藤又座衛門さんから色々とお話を伺うことができました。

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温泉街入口付近の個人商店。町屋の一部をモルタル塗りの洋風ファサードとした、ユニークな近代建築です。

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内藤家庄屋屋敷の先を進むと道は右手に折れ、古くからの商店や旅館が見えてきます。

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古くから港町だった温泉津は、中世に入ると大森(石見)銀山からの銀輸送の仕立港としてさらに発展しますが、近世以降は徐々にその役割を広島や岡山に奪われ、銀の涸渇も重なって衰退していきます。

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江戸時代には主に北前船の寄港地としての役割を担いますが、近代に入ると鉄道や国道9号線の開通により、急速に衰退しました。しかし近代的な発展から取り残されたことで、時が止まったかのように古い町並みが今日まで残ることとなりました。

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通り沿いには、昭和初期のものと思われる洋風建築も見られます。一階は改造されていますが、頂部のメダイヨンや雷紋の意匠は見事です。

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昭和初期のものと思われる立派な個人宅。

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温泉街の中心には温泉旅館が建ち並びますが、その温泉の湯元の一つが薬師湯です。昭和29年(1954)に建てられたレトロな外観の新館と、その奥にある大正8年(1919)築の旧館から構成されます。

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薬師湯旧館は木造二階建ての擬洋風建築で、一階は改造されているものの、全体的に大正期の建築意匠をよく残しています。

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薬師湯の入浴施設としての機能は新館に移り、旧館は一階がカフェとギャラリー、二階座敷は入浴客用の有料休憩所として活用されています。

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温泉街奥部に向かい合う、もう一つの湯元・元湯温泉。薬師湯よりも古い湯元で、1300年の歴史を誇ります。2年前に立ち寄りましたが、湯治場らしい激熱のお湯で、腰から下しか浸かることができなかったのを記憶しています。。

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温泉街には古くからの旅館が多く存在しますが、そのほとんどが現在も営業しているのか不明です。

 
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温泉街の中にある、龍御前神社。天文元年(1532)の創建とされ、北前船の守り神として信仰を集めました。

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龍御前神社の社殿背後の崖には「龍岩」と呼ばれる奇岩があります。龍の頭のような形状の岩で、この岩が神社の名称の由来になったのでしょう。

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温泉街からやや離れたところにある、温泉津港。三方を丘陵に囲まれた天然の良港で、北部には銀の積出港だった頃の遺構も残されています(2015年9月撮影)。

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温泉津は平成16年(2004)、国の重要伝統的建造物群指定地区に指定され、平成19年には「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界文化遺産にも登録されています。2年前の訪問時は観光客がほとんど見られませんでしたが、今回は町を歩く人の姿が増えているような気がして、少し安心しました。この町並みがいつまでも保存されることを願います。

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吉田の古い町並み ~島根県雲南市~

山陰探訪2日目、櫻井家庭園から車で移動し、雲南市吉田町の古い町並みを訪れます。

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吉田は、奥出雲町の絲原家櫻井家とともに「出雲鉄師御三家」と呼ばれた田部(たなべ)家を中心に、たたら製鉄により発展した町です。

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明治の町村制施行により飯石郡吉田村となりますが、平成16年(2006)に三刀屋(みとや)町や掛合(かけや)町など周辺の町村と合併し、雲南市吉田町となりました。





現在でも本町通り沿いを中心に、古い町並みが残されています。

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本町通りに入るとすぐ見えてくるのが、田部家の土蔵群です。江戸中期から明治期までに建てられた多数の土蔵が並ぶ様は圧巻です。

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かつての庄屋屋敷を改装した古民家カフェ。築150年以上経っているそうです。

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本町通り沿いにある、吉田町商工会館。吉田信用購買販売利用組合の事務所として昭和初期に建てられた擬洋風建築です。

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本町通り沿いには、古い町屋が点在しています。いずれも、屋根は山陰地方でよく見られる石州瓦(赤瓦)で葺かれています。

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本町通り沿いには、「鉄の歴史博物館」と呼ばれる博物館があります。

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博物館では、たたら製鉄の技法や歴史に関する資料を展示しています。絲原家住宅の記事でも触れましたが、江戸時代、出雲地方における製鉄業は松江藩の保護を受け、その鉄生産量は全国の7割近くを占めていたと言われます。

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江戸時代、藩の保護を受け発展した出雲の製鉄業でしたが、明治以降は廃藩置県や西洋の製鉄技術の輸入により急速に衰退し、田部家による製鉄も大正期を最後に廃業となりました。範囲が限定的ではありますが、吉田には製鉄業が盛んだった頃の面影が色濃く残っており、本町通りからやや離れた山内(さんない)地区には、かつてのたたら場も現存しています(菅谷たたら高殿)。

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櫻井家庭園 ~島根県仁多郡奥出雲町~

山陰探訪2日目、絲原家を後にし、同じく「出雲鉄師御三家」の一つ、櫻井家を訪ねます。主屋東部には、かつての松江藩主・松平不昧も訪れたと伝わる、江戸末期作庭の池泉庭園が残されています。





庭園は書院南部、天然の岩肌を流れ落ちる滝を主景とした、池泉観賞式庭園です。

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滝は庭園北東部の「寿宝山」から水を引いています。なかなかの水量があり、迫力と同時に清涼感が感じられます。

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滝はこの庭を訪れた松平不昧により、「岩浪(がんろう)」と名付けられています。

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滝の下部では、左手に出島が設けられ、その手前には池中に水分石のような岩島が配置されています。重森完途によると出島と岩島は、それぞれ江戸中期の池泉庭園でよく見られる亀出島と亀頭石が退化したものとされます。

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滝右手の山畔に見られる、三尊風の石組。

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池泉東部には護岸石組や、山畔に自然の岩盤を利用したと思われる石組も見られます。

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池泉東端、土橋による太鼓橋と茶亭「掬掃亭」。掬掃亭は、日本画家・田能村直入による意匠と伝わります。

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庭園の西部に建つ書院。庭はこの書院からの観賞を主体として意匠されています。

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書院手前には、「出雲流庭園」の特長である、短冊石を用いた飛石が打たれています。

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書院の西側に続く主屋。重要文化財に指定されています。

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主屋は江戸中期の建築で、藩政期には藩主を迎える本陣としても使用されていました。現在も住居として使用されているため、内部へ上がっての見学はできません。

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庭園南部にある御成門。藩主御成の際に使用された門です。

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櫻井家は、大坂夏の陣において戦死した戦国武将・塙団右衛門の子・直胤を祖とする旧家で、江戸前期に鉄山業の経営を開始、「可部屋」を屋号としました。庭園は江戸末期らしく石組などの造形的魅力には欠けるものの、それを補って余りあるほど、「岩波」の滝を中心とした地割と景観の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。

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絲原家庭園 ~島根県仁多郡奥出雲町~

前回に引き続き、奥出雲町にある絲原家をご紹介します。前回は建築でしたが、今回は江戸末期作庭と伝わる庭園を取り上げます。

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庭園は、主屋書院の東部及び南部に築かれています。南部は山畔を利用した池泉庭園、池泉東部から北部にかけては飛石を配置して露地風の意匠としています。

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池泉西部山畔の石組と丸刈込み。江戸末期らしく、石組は景石風で、あまり凝った意匠は見られません。

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池中には二つの立石が並べられています。江戸末期にしては鋭い意匠で、この庭で最も優れた石組と言えます。

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山畔東部には、小規模な滝が落ちています。

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池泉北側、書院前面は飛石が打たれ、露地風になっています。

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飛石は、「出雲流庭園」の特長である、短冊石や石臼を用いたものになっており、奥には手水石が据えられています。

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池泉北側、前座敷の前面は、池泉から続く流れの意匠になっています。ここにも石組が散見されますが、江戸末期という時代を反映した弱い手法になっています。

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池泉東部、南倉との間も露地風の意匠になっています。右手には昭和初期に建てられた待合が見えています。

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露地風の意匠は、池泉東部から御成門付近まで続いています。この飛石の上を、松平不昧や近衛文麿が歩いたのでしょう。

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絲原家庭園の作庭については記録が残っておらず、作者や明確な作庭年代は不明ですが、様式や手法から江戸末期・天保末年頃のものと推定されています。江戸末期の庭園らしく石組などの細部意匠には物足りなさが否めないものの、同じく奥出雲町に残る櫻井家庭園(次回紹介予定)とともに、現存する出雲鉄師住宅の庭園として、また出雲市の菅田庵や康国寺とともに出雲流庭園の典型例として、文化的価値の高い庭園と言えます。

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絲原家住宅 ~島根県仁多郡奥出雲町~

山陰探訪2日目、出雲市街から車を一時間余り走らせ、奥出雲町の山間にある絲原(いとはら)家住宅を訪ねます。

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絲原家は江戸時代に「たたら製鉄」と呼ばれる製鉄業により財をなした旧家で、同じく出雲で製鉄業を営んでいた田部家、櫻井家とともに「鉄師御三家」と称されました。広大な敷地内には、明治〜大正期に建てられた主屋、前座敷と、その他の土蔵、茶室と、江戸末期に作庭された庭園が現存します。




主屋は大正13年(1924)、10代・徳右衛門の植林した材を使用して13代武太郎により建てられました。木造二階建て、入母屋屋根を山陰地方特有の赤瓦(建築当初は栗そそぎ)で葺き、東面に玄関と車寄せを設けています。

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主屋南部は平屋の書院となります。書院東部と南部には「出雲流」の庭園が広がりますが、こちらについては次回の記事でご紹介したいと思います。

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主屋玄関。賓客用の玄関で、天井は格式高い格天井になっています。

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重厚な梁組が見られる、主屋中央の土間。主屋は現在も居住区域として使用されているため、二階は見学不可、一階も室内へ上ることはできません。

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土間から南部の書院方向を望む。独特の意匠の欄間が目を引きます。

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客間としても使用される書院。正式な書院造りになっています。

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書院と二の間との間の仕切欄間には、出雲地方の古歌“八雲立つ”にちなんだ、八雲を象った個性的な意匠が見られます。

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主屋東部にある前座敷。平屋の書院建築で、明治期に創建、昭和11年(1936)に一部改造されています。

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前座敷・上の間(前座敷も主屋同様、室内へ上がっての見学は不可となっています)

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前座敷上の間から二の間を見る。

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前座敷の仕切欄間には、細かな意匠が施されています。

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前座敷・控えの間。隣には和洋折衷の応接間があり、近衛文麿も滞在したそうです。

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御成門と前座敷。御成門は藩主専用の門で、江戸末期の建築とされます。

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書院南部にある茶室・為楽庵(いらくあん)。大正13年(1924)の主屋建造時に、松江の向月亭を参考に建てられたものです。

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前座敷南部の南倉。明治期の建築で、外壁には海鼠壁が見られます。



江戸時代から製鉄業を営んできた絲原家ですが、大正末期に廃業し、その後は山林業に転業しました。かつては松江藩だけで全国の鉄生産量の7割を占め、絲原、田部、桜井の奥出雲鉄師三家だけでも全国の4割を占めていたといいます。奥出雲の緑に囲まれてほぼ完存する絲原家住宅は、出雲の郷土史においても、製鉄業の歴史においても、また建築・造園史においても極めて貴重な遺産と言えます。

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次回は絲原家の庭園を取り上げます。


 
 
 
 

康国寺庭園 ~島根県出雲市~

山陰探訪2日目、出雲市にある康国寺庭園へ。康国寺は正平24年(1369)、康國という名の当地の豪族が、三光国師を開山として開創したと伝わる、臨済宗妙心寺派の寺院です。書院北側には江戸中期の作庭と推定される枯山水庭園が広がります。

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庭園は、枯山水に茶庭の手法を取り入れており、ヒイラギモクセイの大刈込と、赤砂利敷きの中に打たれた飛石を主景としています。通常、禅宗の枯山水庭には三尊石や枯滝などの石組がありますが、康国寺庭園では石組がほとんど見られません。

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飛石を主景とする手法は江戸末期の出雲地方の庭園でよく見られ、こうした庭は「出雲流庭園」と呼ばれています。出雲流庭園の手法は松江藩お抱えの作庭家・沢玄丹が考案したものと言われ、茶庭からの影響が顕著に見られます。

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康国寺庭園のもう一つの特徴として、借景が挙げられます。錦鏡池と呼ばれる貯水池や周囲の自然を借景として大胆に取り込むことで、絵画的な空間を創出しています。

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庭園西端には、松の刈込と、わずかに捨石が見られ、風景を引き締めています。

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庭園と書院。


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書院南部にある茶室・博淵亭。長年荒廃していましたが、近年になって整備されています。

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康国寺庭園は天明年間(1781~1788)、拙庵禅師による寺域拡大の際に作庭が計画され、その後の韜光(とうこう)禅師のとき、沢玄丹により作庭されたと言われています。江戸中期以降、安易に自然風景を取り入れたことで日本庭園は堕落していきましたが、ここ康国寺庭園は、そういった安易な自然主義庭園とは違う、何かもっと本質的な部分で自然と調和しているような印象を受けました。なお、庭園見学の際は事前に寺へ連絡を入れることをおすすめします。

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深田氏庭園 ~鳥取県米子市~

山陰探訪1日目、鳥取から米子へ移動し、深田氏庭園へ。深田氏は佐々木秀義(佐々木源氏)の子孫・佐々木三郎兵衛信輝が当地に土着したのを起源とする旧家で、住居の南側には、江戸初期作庭とされる池泉観賞式庭園が残されています。

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庭園は、かつて存在した書院から観賞する形となっています。池泉のほぼ中央に鶴島、その東部に亀島を配置し、南西部には築山を築いて三尊石組を設けています。

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築山の三尊石組は、三つの凝灰岩による立石で構成されています。動き出しそうなほどの躍動感、一種の不気味ささえ感じさせる見事な造形です。

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池泉中央に位置する鶴島。江戸時代らしい具象的表現ですが、「雛を抱え込む姿」を表現したという石組は、息が漏れるほどの美しさです。

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池泉東部にある亀島。こちらも江戸時代らしい具象的表現ですが、石組は見事なものです。

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亀島の亀頭石。亀が首を伸ばした姿を立石で表現した、力強い造形です。

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北西部から望む鶴島(手前)と亀島(奥)。ともに同じ方向を向いて並んでいます。

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亀島の南部対岸には山形の巨石が置かれており、蓬莱石としての意匠と思われます。

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池泉手前には飛石が打たれています。手法からして、江戸末期以降のもののようです。

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深田氏庭園は、三尊石組の手法が京都南禅院のものと酷似することなどから、鎌倉末期の庭と評価されてきました。しかし、平成12年の国名勝指定に係る調査により、江戸初期の作品であることが判っています。庭園は現在も深田家が管理されていて、見学の際は事前の予約が必要です。

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観音院庭園 ~鳥取県鳥取市~

山陰探訪1日目、興禅寺庭園を後にし、同じく鳥取市内の観音院庭園を訪れます。2年前にも訪れ当ブログでも紹介しましたが、内容の乏しい記事でしたので、写真をすべて更新し改めてご紹介します。

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江戸初期作庭と推定される庭園は、書院東部の山畔を利用して築山とし、その前面に池泉を穿った、鑑賞式蓬莱山水庭園です。池泉を大きくとり、山畔を芝生として植栽を最小限にし、また背後の源太夫山を借景として取り入れることで、壮大かつ優美な空間を作り出しています。

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池泉北部には一島の中島が配され、その奥の池畔には枯滝石組が築かれています。

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枯滝石組は頂部に立石を置き、その下部に比較的小ぶりの石を組んだもので、前面には水分石を浮かべています。以前は植栽に隠れて石組がほとんど見えない状態でしたが、近年植栽が大胆に伐採されたようで、全容を確認できるようになりました。

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北部方面から見た中島。亀島とされ、蓬莱島を兼ねています。中島から池泉北岸にかけて池中に四島の岩島が配されていますが、これは蓬莱島に向かう舟が夜中に停泊しているのを表現した、夜泊(よどまり)石の意匠と思われます。

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中島の石組。観音院庭園ではあまり凝った石組が見られませんが、中島には中心石をはじめ、比較的多くの石組を見ることができます。

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池泉南東部の出島。亀島に対する鶴出島とする説もあるようです。出島の左手には、比較的大きめの岩島が見られます。

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池泉東岸の護岸石組。ほとんどが小ぶりの石です。

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池泉南部の土橋と切支丹灯籠。切支丹灯籠は、興禅寺庭園で見られたものと酷似しています。

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観音院庭園は昭和12年(1937)に国により名勝の指定を受けましたが、同18年の鳥取大地震により石組などが崩落、昭和59年度~昭和62年度、平成20年度~平成25年度にかけて保存修理が行われ、現在の姿になっています。豪壮な石組などは見られないものの、自然地形を活かした雄大な地割がこの庭の魅力で、再訪だったにも関わらず、その美しさにしばし時が過ぎるのを忘れて見入ってしまいました。

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興禅寺庭園 ~鳥取県鳥取市~

8月末、遅めの夏休みをとって、2年振りに山陰を訪ねました。日本庭園や古い町並み、古建築など、前回訪問できなかった所を中心に取り上げて参ります。1日目、まずは鳥取城址のすぐ近くにある興禅寺庭園を訪れます。

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興禅寺は、天正年間、岐阜に開創された広隆寺を起源とする黄檗(おうばく)宗の寺院で、鳥取藩主・池田家の菩提寺でもあります。書院裏手にある庭園は、江戸初期作庭と考えられる池泉鑑賞式の蓬莱庭園です。

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庭園は、書院北部の山畔との間にやや東西に長い池泉を穿ち、池泉北部には山畔を利用した築山を築いて、石組を設けています。

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築山石組にはさほど大きな石は見られませんが、古風で上品な印象を受けます。

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池泉北西部の出島には亀石組とされる石組があります。上部の築山石組と連続していますが、立石や巨石を用いた力強い石組になっています。

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築山の東部にはもう一つ小さめの築山があり、その麓の池畔には太鼓橋風の土橋が架けられています。

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2つの築山の間には滝らしきものが見られますが、石組はなく、手前の池中に水分石のようなものが一石残されているのみです。

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庭園の片隅にひっそりと佇む切支丹灯籠。切支丹灯籠は、キリスト教が禁止された江戸時代、隠れ切支丹の礼拝物として造られたもので、鳥取市内には興禅寺のほか、観音院庭園など計五箇所に現存するそうです(現存は棹石部分のみ)。

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興禅寺はもともと池田輝政の居城・岐阜城下に広隆寺として開創されましたが、輝政の転封の都度、ともに転封先へ移建され、寛永9年(1632)池田光仲の鳥取入封とともに鳥取へ移されました。

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庭園の明確な作庭時期は不明ですが、様式手法から寛永末年頃に築造されたものと推定されています。専門家の間では桃山期の庭園様式からの影響が顕著であるとの評価を受けていますが、桃山期の造形美を受け継ぎつつも、個人的には穏やかで品の良い庭、という印象を受けました。

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永保寺庭園 ~岐阜県多治見市~

永保寺は正和2年(1313)、夢窓疎石により開創された、土岐川に臨む古刹です。境内にある庭園は、夢窓疎石作と伝わります。




庭園は、国宝に指定されている観音堂の前面に池泉(臥龍池)を穿った、回遊式兼舟遊庭園です。池泉には三つの中島が配置され、多島式の様相を呈しています。

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水月場とも呼ばれる観音堂。正和3年(1314)の建築で、和様と唐様の折衷建築とされます。

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池泉を東西に分ける無際橋。橋によって池泉を二つに分けた形態を泮池(はんち)と呼び、宇治平等院や平泉毛越寺に代表される浄土式庭園の流れをくんだ意匠と言えます。

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池泉北西部にある岩山・梵音巌と滝。梵音巌は天然の岩山ですが、目立った石組が見られない永保寺庭園において、景観を引き締めています。

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池泉西部の中島と無際橋。中島の護岸石組は全て後世のもので、往時のものは消滅しています。




無際橋近くに二つ目の中島があります。こちらは亀島なのか、水中に亀頭石や手脚石らしき石組が見えますが、これらの石組も後世のもののようです。

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北西部から見た池泉と三つ目の中島。中島や汀線の護岸石組は全て後世のもので、往時の面影はありません。

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庭園西方に残る開山堂。文和元年(1352)の建立と伝わり、観音堂とともに国宝に指定されています。

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永保寺庭園では、後世の改変等により、石組など細部に見るべき意匠がないものの、観音堂を中心とした全体の空間構成は素晴らしく、自然や建築と一体となった独自の美しさが最大の魅力と言えます。なお、重森三玲は著書『日本庭園史大系』において、庭園は永保寺建立以前に当地にあった土岐氏居館の庭園として作庭されたものとし、夢窓疎石作庭説を否定しています。夢窓疎石の名にあやかった庭園は多く存在しますが、永保寺庭園も含め、その真偽は不明です。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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