茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

龍蔵寺庭園 ~山口県山口市~

山口市吉敷にある龍蔵寺は、天平13年(741)に開創されたと伝わる、真言宗御室派の寺院です。境内には、室町時代の画僧・雪舟作庭と伝わる観賞式の池泉庭園があります。

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庭園は、山畔と境内を流れる小川に挟まれた、細長い土地に築かれています。東西に細長く池泉が穿たれ、周囲には立石を中心とした意欲的な石組が施されています。

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現地案内板によれば、庭園は「流水の庭」と呼ばれ、室町時代に雪舟が作庭したとされます。昭和31年(1956)、重森三玲により修復を受けています。

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池泉東部は、洲浜状の入り組んだ地割となっています。正面奥には山畔を利用した出島状の築山が築かれ、池中には岩島が配置されています。

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築山には、三尊風の石組が設けられています。

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築山右手には枯滝にも思える石組がありますが、植栽や雑草に阻まれ、詳細は確認できません。

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築山下部の岩島。立石を用いた鋭い手法です。

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築山の対岸(写真右手)にも、纏まった石組が見られます。一部は鶴の羽石手法にも思えます。

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築山の右手、池泉東端にも、三尊石組をはじめ纏まった石組が見られます。左端池畔の石は亀頭石にも見えます。

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西側から池泉を見る。池泉西部(写真手前側)は幅が狭まり、流れ式となります。

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雪舟作庭と伝わる庭園は中国〜九州北部にかけて数多く存在しますが、そのほとんどが雪舟作庭を裏付ける明確な根拠のないものばかりで、龍蔵寺の庭園に関しても同様のことが言えます。

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また現状の庭を見る限りでは、石組などの意匠の意図がいまいち掴めず、また庭の観賞位置が定まっておらず、かといって廻遊式の庭でもなく、焦点がぼやけているような印象を受けます。それでも、森の中にひっそりと佇む庭園は、幽玄な雰囲気に満ちていて、独特の魅力があります。

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漢陽寺庭園 ~山口県周南市~

漢陽寺は、山口県周南市にある臨済宗南禅寺派の寺院です。境内には、昭和日本庭園界の巨匠・重森三玲が手掛けた6つの庭園があります。このうち一般公開されている5つの庭園をご紹介します。

<本堂前庭・曲水の庭>
6つの庭園の中で主庭となるのが、本堂前庭です。

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禅宗寺院に見られるような枯山水を基本としながら、前方には流れを設け曲水の地割としています。

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曲水は、毛越寺庭園などをはじめ平安~鎌倉時代の庭園に多く用いられた地割です。漢陽寺では「平成の名水百選」に選ばれた「潮音洞」の豊富な湧水を利用し、底部に高低差をつけることで流れを構成しています。

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流れの後方、庭園の南西隅には苔敷の築山が設けられ、その上部には蓬莱連山の石組が築かれています。石組中心部は三尊手法で、枯滝石組を兼ねています。

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築山下部にも、三尊石組が意匠されています。

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白砂敷部分の石組。

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<中庭・地蔵遊戯の庭>
本堂と書院の間には、枯山水庭園が築かれています。白砂敷の空間に、円形に石を配置した珍しい地割が見られます。




中庭は地蔵菩薩と童子が戯れる様を表現したもので、北西の大きな立石が地蔵菩薩、その他の石が左右に逃げる童子を表現しています。

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<書院北庭・蓬莱山水の庭>
書院裏手には、小規模な池泉庭園が築かれています。

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「潮音洞」から引いた水で流れ式の小池泉を造り、築山には巨石による石組を設けています。

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築山の石組は蓬莱連山を表現したものです。立石を中心とした力強い表現です。

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築山下部の護岸石組も、立石を用いた力強いものになっています。

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<書院東庭・九山八海の庭>
蓬莱山水庭から続く「潮音洞」の流れを利用して、書院東部にも観賞式の池泉庭園が築かれています。

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九山八海(くせんはっかい)とは、仏教の世界観にある、須弥山を中心とした九つの山と八つの海のことです。築山上部に石組により九山を表現し、流れを利用した小池泉が八海を表現しています。

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築山頂部の須弥山石組は三尊形式となっています。築山下部の護岸石組も見事です。

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<山門前庭・曹源一滴の庭>
山門前にも、豪華な石組を主体とした枯山水庭園があります。

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築山の上部と下部に二段に石を組み、蓬莱連山を表現しています。築山上部は下部よりも小振りの石を使用した、絵画的な遠近手法となっています。

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庭園の中央やや左手には、渓谷風の枯滝石組が築かれています。上部に石橋を渡す玉澗流の手法がとられ、滝の左右には鶴亀の抽象表現としての巨石が据えられています。





巨石を縦横無尽に組んだ様は、阿波国分寺庭園を彷彿とさせます。

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漢陽寺は室町時代、当地を支配した守護大名・大内盛見により開創されました。6つの庭園は昭和44年(1969)から5年に渡り作庭され、現在は「瀟相八景庭」を除く5庭が公開されています。伝統手法によるものから前衛的なモダン庭園まで、いずれも重森三玲の感性が遺憾無く発揮された作品と言えます。

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下関の近代建築群 ~山口県下関市~

本州最西端に位置する下関は、古くから外国船の寄港地として発展した港町です。関門海峡に臨む唐戸地区を中心として、市内には多くの近代建築が残されています。

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唐戸地区にある、山口銀行旧本店。大正9年(1920)に三井銀行下関支店として建てられた、鉄筋コンクリート造二階建ての建築です。日本銀行本店などを手掛けた長野宇平治の設計で、現在は「やまぎん史料館」として一般公開されています。随所に古典主義的な意匠が見られますが、全体的に品良く纏められている感じがあります。

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同じく唐戸地区にある、旧不動貯金銀行下関支店。昭和9年(1934)に建てられた鉄筋コンクリート造二階建ての建築で、現在は中国労働金庫下関支店として使用されています。トスカーナ様式の円柱が特徴で、玄関上部にもナツメヤシのレリーフや持ち送りなどの意匠が見られます。

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唐戸地区にある旧赤間関郵便電信局。明治33年(1900)に建てられた、煉瓦造二階建ての建物で、下関市内で最も古い近代建築です。

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旧赤間関郵便電信局は、現在も下関南部町郵便局として使用されています。現役の郵便局舎としては最古のものとされますが、過度な装飾はなく、全体的にシンプルなデザインになっています。

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南部町郵便局の隣にある、旧秋田商会ビル。大正4年(1915)に建てられた鉄筋コンクリート造三階建ての建物で、ドームを冠した塔屋と屋上庭園を持つ、個性的な建物です。

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唐戸地区のTACビル。モダニズム然としたシンプルなデザインが特徴で、昭和10年(1935)に建てられたようです。近年まで周囲には多くの近代建築が残っていたようですが、再開発によりほとんど取り壊されてしまったようです。

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唐戸地区にある旧下関英国領事館。明治39年(1906)に建てられた煉瓦造二階建ての建物で、旧秋田商会とともに下関のシンボル的存在になっています。

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旧下関英国領事館は、国内に残る領事館建築では最古と言われます。現在は一階が展示コーナー、二階がカフェとして使用されています。

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唐戸地区の旧関門汽船株式会社(関門ビル)。モダンなデザインの鉄筋コンクリート造五階建ての建物で、昭和6年(1931)築、現在もテナントビルとして使用されています。

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唐戸地区を望む丘陵に残る、藤原義江記念館(紅葉館)。ホームリンガー商会の創立者フレデリック・リンガーの息子の住宅として、昭和11年(1936)に建てられました。モダニズム然とした外観は、旧秋田商会や旧領事館とは好対照です。

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唐戸地区の東方にある老舗割烹旅館・春帆楼本店。本館の脇に、昭和12年(1937)に建てられた日清講和記念館があります。

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日清講和記念館は、春帆楼で開催された日清講和会議と講和条約の歴史的意義を後世に伝える目的で建てられました。鉄筋コンクリート造の近代和風建築で、内部には講和会議の会場が再現されています。

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唐戸地区の北方、田中町にある旧宮崎商館(旧ロダン美容室)。明治40年(1907)に建てられた煉瓦造二階建ての建物で、バルコニーのアーチなど、前年に建てられた旧英国領事館からデザイン面で影響を受けているようです。

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同じく田中町にある、旧下関郵便局電話課庁舎。大正13年(1924)、逓信省営繕課の設計で建てられた、鉄筋コンクリート造三階建ての建物です。塔屋や窓のアーチ型のデザインは、当代の電話局舎建築の特徴をよく示しています。

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旧下関郵便局電話課庁舎は、現在では田中絹代ぶんか館として一般公開されています。内部は大部分が改装されていますが、階段室は往時のまま残されています。

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入江町にある擬洋風建築・喜楽湯。近年閉店した老舗の銭湯で、建築年代は不明ですが、大正~昭和初期といったところでしょうか。

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入江町の北、丸山町に立派な近代和風建築があります。大正~昭和初期頃に建てられたと思われるミニ洋館付きの立派な建物で、各種地図では「和光荘」とされていますが、詳細は不明。

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丸山町にある、旧日本メソヂスト下関教会(日本基督教団下関丸山教会)。昭和13年(1938)に建てられた木造の礼拝堂で、スパニッシュスタイルの瀟洒な塔屋が目を引きます。

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唐戸地区の西方、岬之町の高台にある旧東洋捕鯨下関店(蜂谷ビル)。大正15年(1926)に建てられた煉瓦造二階建ての建物で、モルタル壁の中にデザインとして一部赤煉瓦を見せることで、アクセントとしています。

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下関では近年、臨港地区の再開発が進み、多くの歴史的建築が失われたようですが、それでも未だ多くの近代建築が残されています。関門海峡の対岸・門司港地区にも多くの近代建築が残っているので、合わせて回るのも良いでしょう。


 
 
 
 

宗隣寺庭園 ~山口県宇部市~

山口県宇部市にある宗隣寺(そうりんじ)は、長州藩家老・福原氏の菩提寺として寛文10年(1670)に創建された、臨済宗東福寺派の寺院です。境内には山口県最古の庭園と言われる池泉庭園が残されています。

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庭園は方丈裏手の山畔を利用し、南北に2つの池泉を並べた観賞式庭園です。2つの池泉を並べる地割が京都の南禅院庭園常在日光寺(知恩院)庭園と共通することから、これらの庭園と同じく鎌倉末期~南北朝時代の築造と考えられます。

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庭園の主景となる北池。南北に細長く築かれており、背後は急斜面になっています。






北池山畔には枯滝石組が意匠されています。上部の立石から三段に組まれ、周囲の護岸まで石組が続いています。

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この庭の特徴の一つとして、北池の「干潟様」という意匠があります。平安時代に編集された『作庭記』で紹介されている、池畔に荒砂利を敷いて水位の変化により干潟に見せるもので、宗隣寺庭園では方丈側(手前側)の池畔に洲浜状に意匠されています。管理人訪問時は水位が高くなっていて、池泉中央の入江付近だけが水面上に表れていました。

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干潟様とともにこの庭の特徴とされるのが、北池の池中に配置された夜泊(よどまり)石です。夜泊石は、財宝を求め蓬莱島へ向かう途中、海上で錨泊している船舶を表現したもので、本庭では八石を二列に並べる手法をとっています。

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枯滝、夜泊石、干潟様。

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北池山畔側の護岸石組。北池・南池とも、護岸石組はあまり積極的に設けられていません。

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北池に比べ小規模な南池。手前側の護岸石組は近年に整備されたものでしょう。

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南北の池泉は、出島状の地形で南北二つに分けられています。二つの池泉の境には石橋が架けられています。

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庭園正面の山畔には、遠山石らしき立石を始め、複数の石組が見られます。

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宗隣寺の建つ地には、もともと宝亀8年(777)に創建された普済寺という寺院があり、宗隣寺の創建は江戸初期であることから、庭園は普済寺の庭として築かれたものと考えられています。庭は長い間荒廃していましたが、昭和43年(1968)に重森三玲により調査・復元され、現在の姿となりました。夜泊石や干潟様はこの時の調査で発見・復元されたもので、全国的にも現存事例が少なく、貴重な遺構と言えます。

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福山市福寿会館 ~広島県福山市~

広島県福山市、福山城二の丸址にある福寿会館は、海産物商・安部(あんべ)和助の別荘として昭和初期に建てられた、和洋館並列型の住宅建築です。本館(和館)、西茶室、洋館、南茶室、土蔵などの建築物と庭園が残り、福山市の管理の下、一般公開されています。

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建物の中心となる本館は、木造平屋建ての数寄屋で、入母屋造桟瓦葺、庇は桟瓦と檜皮で葺かれています。昭和10年(1935)から同12年頃にかけて建てられたもので、西側に西茶室(写真左手)と、東側には洋館が続いています。

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本館の玄関は東側に設けられています。唐破風を冠した立派な車寄が、施主の財力を物語っています。

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本館玄関の格天井。玄関外扉とともに、高級木材を使用した豪華なものになっています。

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本館の主室となる大広間。床の間と違い棚を備えた書院造で、21畳もの広さを誇ります。

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床の間の左手は貴人畳とされ、見事な折上格天井と、書院には火灯窓が設けられています。

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大広間や広間の襖には、ユニークなデザインの引手が付けられています。引手のバリエーションは気づいただけでも10種類近くありました。

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本館の南面には入側が通され、前面に築かれた庭園と、福山城の復元天守を眺めることができます。

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本館西側の便所。ここにも数寄屋風の洗練された意匠が見られます。

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便所の天井は、2パターンの網代と筵張による、洒落たデザイン。

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本館と西茶室を繋ぐ渡廊下。西茶室は昭和15年(1940)の増築で、設計は大河内山荘などを手掛けた当代を代表する数寄屋建築家・笛吹(うすい)嘉一郎によります。

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西茶室・客間。踏込床を備えた数寄屋風の座敷です。

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西茶室には、3畳台目の茶室と2畳中板付きの茶室があります。茶室内の地袋や障子腰板も、網代や竹皮で丁寧に仕上げられています。

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本館東側にある洋館。本館と同時期に建てられたようで、木造一部二階建て、外壁はモルタル仕上げで、屋根は二階建て部分が洋瓦葺、平屋部分が桟瓦葺になっています。二階部分の南面には、メダイヨンや窓上の装飾など、ルネッサンス風の意匠が見られます。

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洋館正面となる北面。現在は一階が喫茶室、二階が貸会議室として使用されています。

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アーチ型の洋館玄関。エンタシス風の円柱や洋風のレリーフなど、特に凝った造りになっています。

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洋館一階内部。

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洋館一階の天井には、当初のままのシャンデリアが保存されています。天井の中心飾りやモールディングの装飾、四隅のレリーフなども見応えがあります。

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洋館二階。シャンデリアや天井中心飾りは、一階のものとはデザインが異なっています。

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庭園の南側にある、南茶室(望城亭)。西茶室と同じく笛吹嘉一郎の設計により昭和初期に建てられました。周囲には腰掛待合や雪隠も残されています。

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福寿会館の施主・安部和助は福山の実業家で、「削り節」を発明したことで知られています。福山城天守が戦災で焼失したにも関わらず、戦災を免れた福寿会館は、所有者の交代を経て、昭和28年(1953)に福山市へ寄贈され、市の迎賓館として使用されたのち、修復工事を経て平成21年(2009)から一般公開されています。


 
 
 
 

半べえ庭園(聚花山の庭) ~広島県広島市~

前回取り上げた縮景園の南東約4km、広島市本浦町の地に、料亭・半べえがあります。広大な敷地内に、昭和日本作庭界の巨匠・重森三玲が手掛けた池泉庭園「聚花山(しゅうかざん)の庭」があります。

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庭園は、聚花山と呼ばれる緩やかな丘の北麓に築かれた、石組本位の池泉廻遊式蓬莱庭園です。池泉の中央に大きな中島を置き、これに架かる三つの石橋によって、池泉を大きく三つに分けています。

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蓬莱島とされる、池泉中央の中島。これ以外にも、周囲の三つの池泉にそれぞれ中島が配置されています。

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蓬莱島南部の池泉。青石による立石や横石を用いた力強い護岸石組は、徳島城表御殿庭園を彷彿とさせます。

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南部池泉の東部池畔のみ、護岸石組を設けずアヤメ系の植栽を用いています。

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亀島とされる、南部池泉の中島。






蓬莱島北部の池泉。こちらも立石を中心とした見事な護岸石組が施されています。

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蓬莱島西部の池泉。中島は白砂を敷いた珍しいもので、一見亀島に見えますが、パンフレットによると鶴島とのことです。

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西部池泉の山畔には滝が落とされます。青石の巨石による添石が見事。

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滝は、下部に鯉魚石のある龍門瀑になっています。鯉魚石の配置は、京都・鹿苑寺庭園のものとよく似ています。

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蓬莱島南部の石橋。立石による見事な添石は、いかにも重森三玲らしい、力強さと美しさを兼ね備えたものになっています。

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聚花山の庭の南側、一段高い場所には、重森三玲の長男・重森完途が手掛けた「水車の庭」があります。

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水車の庭の東部は曲水となります。

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曲水の先に、江戸中期作庭とされる池泉庭園があります。昭和43年(1968)に改修され、「林泉の庭」と呼ばれています。




林泉の庭は江戸期の面影が薄れ、あまり見応えのない庭になっていますが、池泉北部の洲浜だけは、栗石敷きで京風の上品な意匠になっています。

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半べえ庭園の歴史は、もともと当地で果樹園を経営していた金井半(なかば)が、敷地内に10万本ものツツジを植え、昭和11年(1936)に「金井公園」としてオープンさせたことに始まります。第二次大戦後、「廣島遊園地」と名を変え、昭和45年(1970)に重森三玲により庭園が築造されました。伝統に忠実な蓬莱山水の様式をとりつつも、地割の斬新さや鋭い石組本位の作風に、作者の鋭い美意識を感じ取ることができます。

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縮景園 ~広島県広島市~

広島市にある縮景園(しゅっけいえん)は、桃山時代、広島藩主・浅野長晟の別邸庭園として築かれた池泉廻遊式庭園です。浅野家の家老で桃山時代の代表的作庭家の一人・上田宗箇(そうこ)による作庭で、大名庭園の先駆的存在として知られています。






庭園は、濯纓池(たくえいち)と呼ばれる大きな池泉を中心に、東西北の三方に築山を築き、随所に茶亭や四阿を設けています。




池中には多くの島を配置して多島式とし、池泉中央には跨虹橋(ここうきょう)と呼ばれるアーチ型の石橋を架け、池泉を東西に二分しています。もともとの庭園は元和六年(1620)頃に作庭されましたが、宝暦の大火(1758)の被害を受け、天明3年(1783)から3年に渡り、京都の庭師・清水七郎右衛門の手で大改修されています。





南側の入口から入り、池泉を左手に見ながら右回りに廻遊します。池中に見える中島は右手が小蓬莱、左手が青漣島です。

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池泉東部には映波橋、昇仙橋、望春橋の三橋が、角度をずらして架けられています。

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三橋を超えると、右手に銀河渓と呼ばれる小渓谷、その奥には迎暉峯と呼ばれる本庭で最も大きな築山があります。銀河渓の左手には有年場と呼ばれる水田跡があり、かつて藩主自ら田植えをしていたと言われます。


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三橋を超えると、左手に悠々亭と呼ばれる四阿があります(昭和44年再建)。ここから池泉北岸を廻遊します。

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池泉北岸に出て、対岸の数寄屋建築・清風館を望む。清風館は本庭で最も大きい建築物で、現在の建築は昭和39年(1964)に再建されたものです。

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池泉北岸から、跨虹橋(ここうきょう)と清風館を望む。跨虹橋はいまや縮景園のシンボル的存在ですが、建設されたのは天明6年(1786)のことで、作庭当初は木橋が架けられていました。





池泉南岸・清風館手前の池畔は、小石を敷き詰め白浜を表現しています。

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池泉北岸に戻り西へと歩を進めると、踏雲橋と呼ばれる木橋の架かる、渓谷風の石組があります。

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池泉北西岸にある、積翠巌(右奥)と蒼雪島(左)。積翠巌には三尊手法による蓬莱式鶴石組が施され、枯滝石組を兼ねるとされます。あまり豪華な石組が見られない本庭において、最も傑出した石組です。

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庭園北西部の築山には明月亭(昭和49年再建)と呼ばれる茶亭があり、その下部は白龍泉と呼ばれる流れとなっています。

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池泉西岸に建つ茶亭・夕照庵(昭和45年再建)と護岸石組。護岸石組は、立石を用いた力強いものとなっています。




池泉西南部には本庭最大の中島が配置され、その中心に超然居(ちょうぜんきょ)と呼ばれる四阿が建ちます。この付近は天明の改修時にも改変されず、上田宗箇作庭当初の姿が保たれているとされます。

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超然居から池泉南岸へ歩を進め、先ほどの積翠巌の石組と白龍泉の滝(右奥)を見る。これで本庭を一周したことになります。

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縮景園を作庭した上田宗箇は、小堀遠州とともに桃山時代を代表する作庭家で、名古屋城二の丸庭園徳島城表御殿庭園、粉河寺庭園を手掛けたと考えられています。天明の頃に大改修を受けた縮景園ですが、地割は作庭当初とほとんど変わっておらず、大名庭園としては傑出した景観を誇る名庭と言えます。

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旧栃木県庁舎(第4代栃木県庁舎昭和館) ~栃木県宇都宮市~

宇都宮にある昭和館は、昭和13年(1938)、四代目の栃木県庁として、当時の宇都宮市塩田町に建てられた、鉄筋コンクリート造四階(地下一階)建ての近代建築です。平成20年(2008)、正面部分のみが現在地へ移築復元され、公開されています。

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設計は、栃木県出身の建築家で、日比谷公会堂や早稲田大学大隈講堂の設計で知られる佐藤功一によります。もともと戦前の庁舎建築に多いロの字形の平面をしていましたが、移築保存されているのは正面部分のみとなっています。

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外壁には人造石やタイルが使用され、二階から四階までは、フルテーティング(縦溝)のある通し柱(ジャイアント・オーダー)が設けられています。通し柱の頂部にはパルメットのレリーフが見られます。

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玄関ホール。階段を上がった所が二階になります。

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建物内部は中央に階段室があり、廊下の南側に各部屋が配置されています。かつて西側には議事堂が接続していました。

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階段室の窓にはステンドグラスが見られます。

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内部の柱や壁のタイルには、よく見るとパルメットのレリーフが施されています。

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豪華な装飾が施された、二階・旧警察部長室。現在は食堂として使用されています。

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旧警察部長室には、外壁に設けられていた通し柱(ジャイアント・オーダー)の頂部が保存されています。

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同じく旧警察部長室に保存されている、かつて議事堂の天井にあったレリーフ。

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三階・貴賓室。マントルピースには電熱式暖房が備えられていました。

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3階の廊下にはダストシュートが残されています。ダストシュートとは、かつて高層建築で多く用いられていたゴミ投棄用の設備で、投入口にゴミを入れるとチューブを通って一階又は地下まで落ちていくというものです。

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四階・正庁。現存する最も大きな部屋で、会議や式典などに使用されていました。

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正庁の演壇。

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正庁の天井やペディメントには、石膏による豪華なレリーフが施されています。シャンデリアは昭和47年のものとされます。

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正庁のカーテンボックスとラジエーターカバー。ラジエーターカバーには大理石が使用されています。

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正庁の扉。

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旧栃木県庁舎は、四代目の県庁舎として昭和13年から平成15年まで使用され、歴代の栃木県庁舎の中では最も長く使用されていました。保存されているのは旧庁舎のごく一部に過ぎませんが、正庁や貴賓室などは綺麗に修復されており、往時を偲ぶことができます。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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