茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

出石の古い町並み ~兵庫県豊岡市~

兵庫県内陸部に位置する豊岡市出石町は、古くから出石城(有子山城)の城下町として栄えてきました。明治期の大火により町の8割が焼失しましたが、現在でも城下町としての面影をよく伝えています。

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町並みを南北に走る田結庄(たいのしょう)通り。現在でも商店街として栄えています。

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田結庄通りには、昭和初期頃のものと思われる町家が多数残されています。

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うだつを備えた立派な町家。

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県道2号線沿いにある永楽館。明治34年(1901)に建てられた芝居小屋で、昭和39年(1964)に閉館したものの、平成20年に復活し、現在も歌舞伎や落語、演劇などの公演が行われています。

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田結庄通りに南北に交わる宵田通り。古い民家が密集しています。

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宵田通りにある旧浅井家住宅。ベンガラ格子が特徴的な町家で、現在は喫茶店として使用されています。

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宵田通りにある旧福富家住宅。明治期に建てられた豪商の邸宅で、現在は豊岡市立出石史料館として公開されています(詳しくは前回記事をご参照下さい)。

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通り沿いに連なる、出石酒造有限会社の酒蔵。出石酒造は宝永5年(1708)創業の老舗蔵元です。






旧出石郡役所。明治20年(1887)に建てられた木造の擬洋風建築で、現在は出石明治館として公開されています。

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出石の町並みを東西に貫く本町通り。

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本町通りの一本南にある、八木通り。出石の町並みのメインストリートです。

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八木通りと大手前通りの交わる辺りは、観光地として最も賑わうエリアです。

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八木通りにある旧出石郵便局。昭和初期に建てられたコンクリート造の洋館で、現在は蕎麦屋に使用されています。

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八木通りの町家群。

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出石城大手門の櫓台に建つ辰鼓楼。明治4年(1871)に建てられたもので、出石のシンボル的な存在です。

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城下から望む出石城本丸跡。背後の山には戦国時代、但馬守護・山名祐豊の居城・有子山城がありました。

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出石城三の丸跡には、旧出石町役場の玄関車寄せ(昭和13年築)が残されています。

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内堀通りに面した出石藩家老屋敷。資料館として公開されています。

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出石は中世、但馬守護・山名氏の支配下にありましたが、天正8年(1570)山名氏は織田信長によって駆逐されます。江戸時代に入ると小出吉政により出石藩が開かれ、明治まで出石城の城下町として栄えました。なお、出石はそば本来の香りが楽しめる「皿そば」が有名ですので、出石に訪れた際はぜひお試し下さい(管理人は「甚兵衛」さんでそばを頂きました)。

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旧福富家住宅(豊岡市立出石史料館) ~兵庫県豊岡市~

城下町・出石にある旧福富家住宅は、明治期に建てられた豪商・福富家の本邸です。主屋、離れ、土蔵、門など一連の建築が現存し、現在は豊岡市立出石史料館として一般公開されています。

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建物は出石の町全体を見舞った明治9年(1876)の大火後に再建されたものとされます。主屋は木造二階建ての町家建築で、西側には離れ、中庭を挟んで北側には土蔵があります。

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主屋南面は、二階に虫籠(むしこ)窓、一階には卍崩しの格子が付けられてます。

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主屋は入口を入ると通り土間になっています。土間には流しとかまどが設置されています。

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主屋一階「ナカノマ」は、日常生活に使用されたと考えられる部屋で、囲炉裏や神棚が設けられています。正面の箪笥は箱階段になっています。

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中庭に面した、主屋一階・座敷。

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主屋一階「オクミセ」。主屋一階は通り土間に低い天井、太い梁など、伝統的な町家の構造を踏襲しています。

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主屋二階・座敷。壁には赤土が塗られています。

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主屋二階の釘隠し。鶴を象った釘隠しは、江戸時代の町家でもよく見られるものです。

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離れへと続く、主屋一階の廊下。

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主屋西側に続く離れ。木造二階建てで、一階南面には式台玄関が設けられています。





離れは賓客を迎えるための施設だったようで、ガラス窓の多用や内部の華やかな意匠など、主屋に比べより近代和風建築としての特徴を備えています。

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離れ一階の座敷。床脇天袋の襖絵は、幕末から明治にかけての日本画家・田能村直入(たのむらちょくにゅう)の作品とされます。

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座敷の欄間は富士を象ったもので、江戸末期、藤井正之助の作品とされます。

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欄間障子の意匠。

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離れ一階には、炉の切られた茶室のようなスペースもあります。

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離れ二階の座敷。二階は南・東・北の三面に入側が通され、窓はガラス張りと、開放的な作りになっています。

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離れ二階の欄間。

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離れ二階、茄子の釘隠し。釘隠しのデザインの豊富さも、旧福富家住宅の見所の一つです。

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中庭から見た主屋(左)と離れ(右)。福富家はもともと鋳物を扱う商家だったようで、明治の頃には生糸を扱っていましたが、戦後には当地を離れます。その後、建物は旧出石町の所有となり、昭和52年(1957)には出石史料館として開館しています。江戸時代の城下町としての面影が色濃い出石にあって、旧福富家住宅は近代商家の暮らしぶりを伝える、貴重な遺構と言えます。

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宗鏡寺庭園 ~兵庫県豊岡市~

兵庫県豊岡市の城下町・出石にある宗鏡寺(すきょうじ)は、沢庵和尚ゆかりの寺として知られる臨済宗の寺院です。本堂裏手には、沢庵和尚が作庭したと伝わる池泉観賞式庭園があります。

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庭園は、本堂と書院からの観賞を本位とし、山畔を利用して東西に細長く築かれています。

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寺伝では沢庵和尚により元和2年(1616)に作庭されたといいますが、地割や手法からするとそれよりも後、江戸初期末年頃の作庭ではないかと思われます。

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庭園北東部にある滝石組。三段落ちで、水落石がそれぞれ異なる方向を向いている点など、醍醐寺三宝院庭園の滝石組を彷彿とさせる滝石組です。

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滝右手の添石は高さ2メートル近くある巨石で、鶴の羽石としての意匠と思われます。 

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植栽で見えづらいですが、滝石組の上方には三尊石組があります。

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三尊石組のうち、向かって右手の添石は前方へ傾斜させた亀頭風の手法で、旧亀石坊庭園(福岡県添田町)の枯滝石組と酷似しています。

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滝石組の前方にある亀島。丸みを帯びた石が多く、やや手法的には弱さを感じさせます。

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池泉東部の石橋。

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池泉西部の石橋。

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山畔の上部にある、茶室・対来閣と露地。この辺りは後世のものでしょう。

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宗鏡寺は元中9年(1392)、東福寺の大道一以禅師を開山とし、山名氏の菩提寺として山名氏清により開基されました。庭園は江戸初期末年から江戸中期にかけての様式をよく伝えていて、豊岡市内に残る多くの古庭園の中でも取り分け美しい庭園と言えるでしょう。

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護念寺庭園 ~兵庫県朝来市~

兵庫県朝来市和田山地区にある護念寺(ごねんじ)は、但馬西国観音霊場第16番に数えられる浄土宗の寺院です。書院裏手には、江戸末期作庭とされる池泉観賞式庭園が残されています。

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庭園は書院からの観賞を本位とし、山畔を利用して東西に細長く池泉を穿っています。山畔には斜面を覆い尽くすように、石組が隙間なく設けられています。

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石組は一見すると無造作に石を並べただけのように見えますが、よく見ると左右に設けられた2つの枯滝が観賞のポイントであることが分かります。

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向かって右手の枯滝石組。使用されている石はさほど大きくはないものの、力強い手法の石組です。

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枯滝石組下部。上段は洞窟石組のようになっていて、下部池中には水分石も配置されています。

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枯滝付近の護岸石組も、豪健で見応えがあります。

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向かって左手の枯滝石組。こちらは斜面をS字形に下るように意匠されています。

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石組群の頂部にある三尊石組。

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西部山畔の奥部にも、塁々たる石組が見られます。

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池泉手前側の護岸石組。山畔側の石組と比べると簡素なものになっています。

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護念寺庭園の作者は、江戸末期の作庭家・岩崎清光とされます。江戸末期という時代ながら、岩崎の作品には石組主体の造形的なものが多く、同じく朝来市和田山地区の古茂池庵(こもいけあん)庭園や、豊岡市気比の観正寺庭園(後日紹介予定)も岩崎が手掛けたものとされます。特に観正寺庭園は、山畔を覆い尽くすような石組や、2本の枯滝石組など、その地割や手法が護念寺庭園と酷似しています。

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旧苗加家住宅(奈良町南観光案内所・鹿の舟「繭」)

旧苗加(のうか)家住宅は、奈良市市街地の南部・奈良町(ならまち)地区にある、大正初期に建てられた近代和風建築です。建築当初は民家でしたが、その後長い間医院として使用され、現在は奈良町南観光案内所「繭(まゆ)」として利用されています。

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南西から建物を見る。主屋は木造二階建てで雁行型の構造となり、北西には二階建ての土蔵が付属します。当初は一階西面に玄関があったといいますが、診療所時代の改造により現在は南面に位置しています。

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南東から見た主屋。かつて主屋東側には庭園が広がっていましたが、近年になって失われています。

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玄関を入るとロビーになります。建築当初は土間だったようで、左手には診療所時代の受付カウンターが残されています。

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一階内部。現在は図書スペースとなっていますが、当初は座敷だったようで、天井には見事な格天井が残されています。

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一階東側もフリースペースも、もともとは座敷でした。お洒落な蚊帳の向こうに、床の間が見えています。

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一階座敷の欄間。

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玄関ロビーの西側には、二階への階段があります。

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二階から見た階段室。

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二階は廊下を挟んで北側に座敷、南側に応接間が配置されています。

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二階・座敷。違い棚と書院障子を備えた、正統な書院造りです。

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床の間の天井は格天井になっています。

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座敷の障子腰板のデザインも見事。

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座敷の東側に付属する次の間。こちらは床柱に皮付き丸太を用い、数寄屋風の意匠としています。

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次の間は雪見障子で囲まれ、その外側は入側となります。

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次の間東側の入側。階段から続く廊下と繋がっています。

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主屋南側にある応接室。天井は折上格天井ですが、建具には洋風のデザインが用いられるなど、和洋折衷の空間となっています。

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応接間の窓は、桟のデザインが幾何学的なものになっていて、西洋建築からの影響を感じさせます。

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応接間内壁の腰板にも、洋風デザインの影響が見られます。

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旧苗加家住宅は、江戸時代に蚊帳製造業を創業した勝村商店の分家の住宅として、大正初期に建てられました。戦後は苗加家が開業した医院として長い間使用され、平成5年(1995)の改修後に奈良市ならまち振興館として公開、平成27年(2015)からは奈良町南観光案内所として使用されています。なお、建物に関する資料は見つけることができず、本記事の内容は、主に施設スタッフの方に伺った話を参考にしています。

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平城宮東院庭園 ~奈良県奈良市~

平城宮東院庭園は、昭和42年(1967)、発掘調査により発見された奈良時代の庭園遺構です。調査に基づき庭園と付属する建造物が復元され、一般公開されています。

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庭園は奈良時代初頭にあたる天平年間(729~748)に作庭され、その後天平勝宝年聞(749~756)に現在の形に改修されたものと推定されています。池泉を逆L字形に大きく穿ち、計3箇所に発掘に基づいて建造物を復元しています。

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池泉の汀は複雑に入り組んだ洲浜風の意匠となり、表面には小石が敷き詰められています。池泉部分は遺構に土盛りをした上に復元され、遺構そのものは地下に保存されています。





庭園の中央にある建物と中島。建物は舞台のような構造で、法隆寺伝法堂の前身建物を参考に復元されています。

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中央の建物には、池泉東岸から架かる平橋が接続しています。




池泉北岸の池畔には、集団石組が築かれています。中央に立石を据えた須弥山風の鋭い石組で、奈良時代の庭園に観賞に耐えうるこれだけの石組が存在していたことに驚かされます。





集団石組と、庭園中央の建物を北東方向から見る。





池泉北東部には反橋が架けられています。

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西部方向から見た集団石組と反橋。奥には庭園北東隅に法隆寺食堂を参考に復元された建造物があります。





庭園南東隅に復元された、二階建ての楼閣。

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庭園西部にある遣水(やりみず)。北方の小川から池泉への導水路となっています。

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平城宮東院庭園では、洲浜風の汀や「枯山水」を思わせる集団石組、遣水など、後に作庭記に書かれることになる作庭技法が既に多く見られます。復元とはいえ、現存する奈良時代の庭園として非常に貴重な遺構と言えます。

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旧大乗院庭園 ~奈良県奈良市~

奈良市にある旧大乗院庭園は、かつて存在した大乗院の庭園として平安時代に作庭された池泉舟遊式庭園です。当ブログでは約2年半前に紹介していますが、今回再訪しましたので、一部旧記事の写真も使用し改めて取り上げます。

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庭園は、「東大池」と呼ばれる大池泉を中心に展開します。作者は不明ですが、随所に平安時代の庭園書『作庭記』に基づく手法が見られ、平安末期の庭園様式を伝えています。

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池泉の汀は洲浜風となり、複雑に入り組みます。

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池泉の汀線には栗石が敷き詰められ、浜の意匠となっています。





池泉北部に位置する中島。江戸時代の古絵図に基づいて木橋が復元されています。

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池泉西部の中島。天神社が祭られていたようで、「天神島」と呼ばれています。

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池泉南東部には、3つの小島が「品」文字式に配置されています。

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池泉北東部にわずかに残された護岸石組。大乗院は明治の廃仏棄釈により荒廃したため、庭園の石組はほとんどが外へ持ち出されてしまったようです。




東大池の西側に、発掘に基づき江戸末期の姿に復元されたもう一つの池庭があります。「西小池」と呼ばれる曲水式の小庭で、南池と北池の2つの池泉から構成されています。




南池には中島が2つ配置され、そのうち大きい方の中島は「オシマ(男島?)」と呼ばれています。南池、北池とも石組は一切残されていません。

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南池の2つの中島と両岸の間には3つの石橋が、それぞれ向きを違えて架けられています。

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3つの石橋のうち2つは切石橋ですが、中島どうしを結ぶものは自然石の豪壮な石橋となっています。

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南池より一段高い位置にある北池。中央には「メシマ(女島?)」と呼ばれる小島が配置されています。

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西小池でも、池泉の汀には栗石が敷かれ浜の意匠となっています。

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大乗院は寛治元年(1087)に興福寺の門跡寺院として創建されました。明治に入ると廃仏棄釈により寺は廃され庭園も荒廃しますが、平成7年(1995)から発掘・復元事業が行われ、現在は日本ナショナルトラストの管理の下、一般公開されています。

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円成寺庭園 ~奈良県奈良市~

円成寺(圓成寺=えんじょうじ)は、奈良市郊外の忍辱山(にんにくせん)町にある、真言宗の古刹です。境内には、平安末期のものとされる池泉庭園が残されています。

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庭園は池泉廻遊式の様式で、伽藍と一体となって浄土を表現した「浄土庭園」に分類されます。伽藍群の南側に東西に長く池泉を穿ち、2箇所に中島を配置しています。




東部中島。楼門の正面に位置し、かつては南北両岸に橋が架けられ、毛越寺庭園永保寺庭園のような泮池(はんち=橋によって池を2つに分ける地割)の形態をとっていました。

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中島南部には橋台の遺構があります。かつては反橋が架けられていたようです。

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中島北側にも、橋台の遺構があります。池泉が泮池であったことを物語っています。





西側の中島は草木に埋もれ荒廃しています。手前側の池中には小さな岩島が配置されています。





2つの中島を、北西方向から望む。

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東側の中島の北東には岩島が見られます。複数の石で構成されており、もともとは鶴島か亀島として意匠されていたものと思われます。

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池泉北岸の汀(みぎわ)。円成寺庭園では基本的に護岸石組は見られません。

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円成寺では、庭園以外にも見所があります。本堂は、平安時代の様式にならい、室町時代の文正元年(1466)または文明4年(1472)に再建されたものとされます(重要文化財)。

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鎌倉時代の安貞2年(1228)に建てられた、春日堂と白山堂。こちらは国宝に指定されています。

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室町時代の応仁2年(1468)建立とされる楼門。重要文化財に指定されています。

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円成寺の創建については諸説ありますが、『和州忍辱山円成寺縁起』では天平勝宝8年(756)、聖武上皇と孝謙天皇の勅願で、唐僧・虚滝和尚が開基したとされます。なお撮影禁止のためここでは紹介できませんが、相應殿には運慶作の大日如来像が安置され、国宝に指定されています。

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高野山の重森三玲作品④本覚院庭園、桜池院庭園、西南院庭園 ~和歌山県伊都郡高野町~

高野山の重森三玲作品、今回で最終回となります。今回は、本覚院庭園、桜池院庭園、西南院庭園をまとめて取り上げます。

<本覚院庭園>
本覚院は、高野山千手院谷にある真言宗別格本山の寺院です。境内には昭和28年(1953)、重森三玲により作庭された枯山水庭園があります。

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回廊に囲まれた場所に、回廊に沿って弧を描くように築かれた珍しい地割で、苔地に石組を配置し、回廊に面する下部には玉石を敷いています。

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ある一点からではなく、回廊を歩きながら観賞するようになっていて、観賞位置によって石組の見え方が変わるように工夫されています。

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本覚院は平安時代の建久年間、行空上人が建立した講坊を起源とし、江戸時代の元禄年間に本覚院と改められました。現在は宿坊としても利用できますが、一般観光客の拝観は原則不可のようですので、庭園拝観を希望する場合は電話等で相談された方が良いでしょう。

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<桜池院>
桜池院(ようちいん)は、高野山西院谷にある真言宗別格本山の寺院です。境内には、昭和27年(1952)に重森三玲が作庭した、枯山水庭園があります。

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庭園は、本堂前庭としての平庭式枯山水庭園です。伝統的な禅宗寺院の枯山水の様式をとり、白砂敷の長方形の空間に、抽象的な石組を配しています。

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石組は、京都・龍安寺庭園と同じ全15石を使用して築かれています。

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庭園は「鶴亀蓬莱の庭」とされますが、どれが鶴島・亀島なのか、よく分かりません。

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羽石のようにも思える石組。鶴島でしょうか。
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桜池院は大治2年(1127)、白河天皇の第四皇子・覚法親王により養智院として開基されたといい、後に後嵯峨上皇が当院で詠んだ歌に因み桜池院と改められました。枯山水庭園は予約せずとも拝観可能のようですが、境内にある江戸末期の池泉庭園は通常拝観不可のようです。

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<西南院>
西南院(さいなんいん)は、桜池院と同じく高野山西院谷にある、真言宗別格本山の寺院です。境内の庭園は昭和27年(1952)に重森三玲により作庭されたものですが、どういう訳か後年に大きく改変されてしまっています。

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枯池に配置された鶴島。庭園はもともとは池泉庭園として作庭されましたが、現在では枯山水庭園に改造され、作庭当初の面影はほとんど残されていません。

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亀島も改造により重森の作風は失われています。唯一、龍門瀑の滝石組のみ当初のまま保存されているようですが、樹木に埋もれてしまって確認できません。

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西南院は平安初期、弘法大師空海の弟子・真然大徳により開基された古刹です。現在は院内にカフェが併設され、庭園はカフェか宿坊利用に限り拝観可能となっています。

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高野山の重森三玲作品③光臺院庭園 ~和歌山県伊都郡高野町~

先日から高野山の重森三玲作品を取り上げていますが、3回目となる今回は、光臺院(光台院)庭園を取り上げます。

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庭園は、既存の池庭を改造する形で昭和38年(1963)に作庭されました。重森三玲の作品としては後期のものになります。

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池泉の中央には中島を一つ配置し、正面にはいくつもの小築山により高野山を囲む山々(八葉)を表現した、創作庭園となっています。

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中島の三尊石組と、築山の石組。

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庭園西部の出島。三角形の巨石は、鶴の羽石のような手法です。

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池泉の汀は洲浜風の意匠となり、複雑に入り組んでいます。

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軒下の延段も洲浜風の意匠になっています。重森三玲が好んで用いた手法です。

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書院東側には、重森が手掛けたもう一つの庭園があります。

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こちらは昭和28年(1953)に作庭されたもので、やはり洲浜風の地割が特徴の観賞式庭園となっています。もとは池泉庭園でしたが、現在では水が抜かれ涸池となっています。

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山畔の滝石組。龍門瀑とする資料もありますが、龍門瀑の構成要件である鯉魚石らしき石は確認できませんでした。

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光臺院(光台院)は高野山においては格式の高い寺院で、仁和寺と関係が深く「高野御室」とも呼ばれます。なお、境内には江戸時代のものと思われる池泉庭園も残されていますが、庭園も含め、拝観には前日午前までに電話予約する必要があります。

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高野山の重森三玲作品②西禅院庭園 ~和歌山伊都郡高野町~

前回に続いて、高野山内の重森三玲作品をご紹介します。今回は、前回取り上げた正智院の東隣にある、西禅院(さいぜんいん)庭園を取り上げます。境内には重森三玲が手掛けた、様式の異なる3つの庭園があります。

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<枯山水庭園>
新書院と茶室に面した枯山水庭園は、昭和28年(1953)に作庭されたものです。

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苔地に青石を用いた鋭い石組を配置し、燈籠や蹲踞(つくばい)を設けた、創作茶庭となっています。

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正智院庭園と同じく、石組で高野山の峰々を、苔で雲海を表現しているとされます。暗くて見えづらいですが、奥の山畔には遠山石も配置されています。





庭園の中央に位置する三尊石組。




手前側にある三尊石組。青石は石そのものの美しさが際立つ素材ですが、これを優れた造形作品として完成させるには、言うまでもなく作者の優れた美的感覚が必要とされます。





庭園南端の石組。脇には燈籠と蹲が置かれ、この庭が茶庭であることを示しています。




<枯流れ>
新書院北側には、天然の岩盤を利用した枯流れによる庭園があります。

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枯流れ南端の枯滝石組。手前には自然石の豪快な石橋が設けられています。

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枯流れ北端の石組。絶妙な傾斜が美しい三尊石組です。

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<池泉庭園>
奥書院東側には、枯流れと同じく昭和26年(1951)に作庭された池泉庭園があります。





池泉庭園は既存の池庭を改造したもので、斬新な創作などは見られず、伝統的な蓬莱山水を主題とした観賞式庭園になっています。





護岸石組と岩島。

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奥書院から向かって左手・庭園北端には、山畔に滝石組が設けられています。

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西禅院は平安時代、明寂(めいじゃく)上人によって開創された古刹で、浄土真宗の宗祖・親鸞上人もここで修行したと伝わります。庭園は常時公開されているわけではなく、拝観には事前に電話での確認が必要となります。

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高野山の重森三玲作品①正智院庭園~和歌山県伊都郡高野町~

国内有数の仏教都市・高野山には、多くの庭園が存在します。前回まで山内の古庭園を紹介してきましたが、今度は昭和の日本庭園界の巨匠・重森三玲が手掛けた庭園を複数回に渡り取り上げていきます。今回は、正智院(しょうちいん)の庭園をご紹介します。

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正智院は、金剛峯寺壇上伽藍の北側に位置する寺院です。本堂裏手に、「明神岩」と呼ばれる天然の岩盤を背景として築かれた、枯山水庭園があります。

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立石を中心とした、水墨山水画風の石組。鋭さと優美さを兼ね備えた石組で、雲海に浮かぶ高野山の峰々を表現しているとも言われます。

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石組は、抽象的ながら、絶妙なバランスで配置されています。

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苔と白砂による洲浜の意匠。重森三玲が好んで用いた手法で、東福寺光明院庭園常栄寺南瞑庭光明禅寺庭園などでも同様のものが見られます。

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庭園背後の明神岩は、正智院を再興した道範大徳が、弘法大師空海を高野山へ導いた高野明神を感得した、神聖な場所とされます。

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庭園の北西部にも、小ぶりの石組が見られます。

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正智院は永久年間(1113~1117)、教覚正智(きょうがくしょうち)坊により開基されました。高野八傑の一人とされる中興の祖・道範大徳をはじめ、多くの傑出した学僧を輩出したと言われます。

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重森三玲は昭和26年(1951)から37年(1957)にかけて、高野山の8院に作庭しており、正智院庭園は比較的古く昭和27年に作庭されています。一般観光客の庭園拝観は原則不可のようですので、拝観を希望する場合は、事前に電話で確認を入れた方が良いでしょう。

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Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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