茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

向嶽寺庭園 ~山梨県甲州市~

山梨県甲州市塩山にある向嶽寺(こうがくじ)は、臨済宗向嶽寺派大本山の名刹です。方丈裏手には、発掘調査に基づき平成3年(1991)に復元された、蓬莱式の池泉庭園が残されています。原則非公開ですが、年に1日だけ、甲州市主催の見学会により公開されます(2018年11月18日訪問)。

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庭園は、山畔上部左右(東西)から流れを意匠し、その下部に上下二段の池泉を配置するという、珍しい地割となっています。滝と池泉は現在では涸れていますが、排水路の遺構が確認されており、往時は池泉庭園だったことが分かっています。

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作庭年代や作者は不明ですが、複数の滝と山畔を利用した流れの意匠、池泉を二段構成とする様式は、鎌倉時代に蘭渓道隆が作庭したと考えられる東光寺庭園(甲府市)と共通し、その影響を受けて作庭されたものと思われます。

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山畔から引かれた水は、左右の流れを落ちて上段池泉(写真中央)に流れ込み、滝石組(写真中央下方)を経て下段池泉へと落とされていました。滝石組の左手には洞窟石組、山畔の上部(写真右上)には三尊形式の蓬莱石組が見えています。

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西部流れから下段滝石組までを望む。山畔を利用した長大な流れであることが分かります。

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西部流れ上段の詳細。流れの下部(写真中央下)に滝石組が設けられており、この滝を経て上段池泉に水が落とされていました。

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蓬莱石組と、東部流れの石組(写真下方)。

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東部流れも、滝石組を経て上段池泉へと繋がっています。写真では分かりづらいですが、白い巨石が添石、その左手にある茶色がかった小さな石が水落石です。

 



蓬莱石組の詳細。三尊石組で、中尊は遠山石を兼ね、巨石を手前に強く傾斜させることにより、迫力を出しています。

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下部滝石組付近。写真中央の茶色がかった板石が水落石、その上部にも小さな滝があり、さらにそのすぐ上部が上段池泉に当たります。

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滝石組の左手にある洞窟石組。池泉対岸(写真右下)には礼拝石が見えています。

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滝石組の右手は出島となっています。先端(左手)に亀頭石を備えた亀出島としての意匠で、こちらも滝石組との位置関係が東光寺庭園のものと酷似しています。

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左から、洞窟石組、滝石組、亀出島。

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複雑に入り組んだ下段池泉の汀線と護岸石組。山畔側の護岸石組は巨石を用いた豪快なもので、桃山時代を思わせる手法です。

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下段池泉の東端にも滝石組らしきものがありますが、ただ石を埋め込んだだけのような粗末なもので、近年の改修と思われます。

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東部滝石組の手前にはかつて石橋が架かり、飛石により山畔を伝って上段池泉に至る廻遊路が設けられていましたが、調査の結果、他の石組との素材の違いなどから後補と判断され、現在ではこれらの遺構は撤去されています。

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向嶽寺の歴史は、室町時代の永和4年(1378)に、抜隊得勝(ばっすいとくしょう)が竹森に庵を結んだことに始まり、康暦2年(1380)に現在地へ移転されました。

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資料がなく地質調査も行われていないため、庭園の作庭年代は不明ですが、伽藍が整備された江戸初期に作庭され、その後火災等の度に改修されたものと推定されています。地割、石組手法とも申し分のない見事な庭園で、東光寺庭園や恵林寺庭園、大善寺庭園などとともに、甲州地方の庭園文化の水準の高さを物語る遺構です。

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早雲寺庭園~神奈川県足柄上郡箱根町~

箱根湯本にある早雲寺(そううんじ)は、後北条氏5代の菩提寺として知られる、臨済宗大徳寺派の寺院です。方丈裏手に、江戸時代の作庭と推定される枯山水庭園が残されています。

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庭園は、方丈北部の山畔を利用して3本の枯滝を意匠し、下部には東西に細長く枯池を穿っています。往時は水を湛えた池泉であったとも言われます。

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寺伝では、北条早雲の四男・北条幻庵(げんあん)の作庭とされ、これが正しければ室町末期~桃山期の作庭ということになりますが、早雲寺が再興されたのが江戸時代の寛永4年(1627)であることや、様式・手法から、江戸初期の作庭とする説が一般的となっています。

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山畔の中央頂部にある蓬莱石。遠山石を兼ねています。

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蓬莱石の左手にある枯滝石組。3つの枯滝のうち中央に位置し、左手には鶴石とされる立石が、下部(写真右下)には大きな水分石が配置されています。

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鶴石は別の角度から見ると、右手に強く傾斜していることが分かります。

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枯滝の下部左手には、池中に三尊石組が配置されており、亀石組とされます。

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左から鶴石、蓬莱石、亀石(右下)。蓬莱石の奥には、茅葺きの開山堂が見えています。

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3つのうち、最も西にある枯滝石組。中央の枯滝よりも小規模なものになっています。

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枯池中央にある石橋。他の石組と素材が異なり、後補かもしれません。

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最も東にある枯滝石組。3つの枯滝の中では最も小規模です。

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方丈側の護岸石組。巨石を用いた力強い手法が見られます。

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早雲寺は大永元年(1521)、後北条氏第2代である北条氏綱により、京都・大徳寺の第83世・以天宗清を開山として創建されました。豊臣秀吉の小田原征伐に際して焼き払われますが、慶安元年(1648)に菊径宗存により再興されています。

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庭園は丸みを帯びた石が多く、やや物足りなさはあるものの、関東に残る数少ない江戸初期の寺院庭園として貴重な遺構です。通常は拝観不可で、毎年11月初旬に「寺宝特別公開」として、北条5代の肖像画、本堂襖絵などと合わせて見学することができます。

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篠山の古い町並み② ~兵庫県篠山市~

篠山の古い町並み、後編です。今回は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、河原町と御徒士町(おかちまち)をご紹介します。

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八上方面から旧篠山街道を西に進み、篠山川を渡ると河原町に入ります。京都方面からの篠山の玄関口にあたり、篠山城築城に合わせて町並みが整備されたと言われます。

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河原町一帯は「河原町妻入商家群」と呼ばれますが、妻入の町家だけでなく、平入の町家も多く残されています。うだつや千本格子、虫籠窓の見られるものや、黒漆喰塗籠のものなど、そのデザインはバリエーションに富んでいます。

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江戸時代後期に建てられた高田家住宅。篠山の妻入商家を代表する建築です。

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かつて町医者だった小林家住宅。明治12年(1870)築の町家で、東半分が平入、西半分は妻入となっています。

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明治12年(1879)築の鳳凰会館。主に銀行に使用されていた建物で、平入の町家に妻入の土蔵が付属しています。

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旧街道沿いにある、篠山能楽資料館。全国で初めて設立された能楽専門の資料館です。

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広い間口を持つ川端家住宅。通りに面した主屋と土蔵はは明治前期に建てられたもので、ほかにも大正時代に建てられた離れが残されているようです。

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江戸時代に建てられた、西坂家住宅。高田家住宅と同じく、篠山の妻入商家を代表する建築です。

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河原町を西に抜けると、篠山城址にたどり着きます。。篠山城は慶長14年(1609)、徳川家康により築城された近世城郭で、建造物は失われているものの、見事な高石垣と水堀が残されています。

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平成12年(2000)に復元された、篠山城二の丸大書院。

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篠山城址の西側には、かつての武家屋敷街である御徒士町(おかちまち)の町並みがあります。

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御徒士町にある安間(あんま)家史料館。幕末に建てられた武家屋敷を利用した史料館です。

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御徒士町には、他にもかつての武家屋敷と思われる古民家が多数残されています。

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2回にわたり篠山の町並みを取り上げましたが、篠山は篠山城址を中心に古い町並みが広範囲に渡って残されていて、見所の多い町です。篠山には今回紹介した他にも、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている福住の町並みや、昭和12年(1938)築の木造校舎・八上小学校など、魅力的な町並みや建築が多く残されています。

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篠山の古い町並み① ~兵庫県篠山市~

兵庫県内陸部に位置する篠山市は、江戸時代を通じて、篠山城の城下町として発展しました。現在でも江戸時代の町家や近代の洋風建築が多く残り、観光地として人気を集めています。

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上二階町付近の町並み。商店街に、戦前の建築と思われる町家が残ります。

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上二階町から旧篠山街道を西に進むと、下二階町に入ります。

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下二階町にある、老舗料理旅館・潯陽楼。明治41年(1908)創業といい、篠山名物であるぼたん鍋が頂けるそうです。

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下二階町の個人宅。

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下二階町の古民家。無料休憩所として使用されています。

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街道から一本入った道も良い雰囲気。

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北新町にある大正ロマン館。大正12年(1923)、篠山町役場として建てられた木造擬洋風建築です。

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篠山城址のすぐ北側、青山歴史村に移築された旧澤井家長屋門。澤井家はかつての篠山藩士で、長屋門は文化年間(1804~1818)の建築とされます。

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呉服町にある篠山市立歴史美術館本館。篠山地方裁判所の庁舎として明治24年(1891)に建てられたもので、現存する木造裁判所建築としては国内最古とされます。

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呉服町にある鳳鳴酒造。主屋は江戸時代後期に建てられたものです。

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洋風のデザインが見られる呉服町の古民家。呉服町には近代の洋風建築が点在します。

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呉服町にある、井塚歯科医院。昭和初期頃のものと思われる洋館です。

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呉服町にある味庵一超。昭和初期のものと思われる洋館です。

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同じく呉服町にある木造洋館。昭和初期頃の建築でしょうか。

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呉服町から旧街道を南下すると立町に入ります。立町にも古い町家が点在しています。

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立町にある小田垣商店。丹波名物の黒豆を扱う商家で、こちらの主屋は江戸時代後期の建築です。

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小田垣商店に付属する離れ。大正年間のものと思われる木造二階建ての和風建築で、洋間も付属します。

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洋間内部。見学はできませんが、たまたまイベント中で、外側から見ることができました。

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②に続きます。

 
 
 
 

正覚寺庭園 ~兵庫県篠山市~

正覚寺(しょうがくじ)は、兵庫県篠山市にある浄土宗の寺院です。書院裏手には、近代日本庭園界の巨匠・重森三玲により作庭された、池泉観賞式の蓬莱庭園があります。

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庭園は、もともとあった池泉を大幅に改造する形で、昭和45年(1970)に作庭されました。池泉に鶴島、亀島を一つずつ配置して、北東隅の山畔(写真中央奥)には滝石組を設けています。

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青石を用いた鋭い石組や洲浜風の汀線、山畔のサツキ類の刈込みなど、重森三玲の作風をよく表しています。

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池泉中央に配置された鶴島。立石で鶴首を、青石の巨石で羽石を表現し、護岸石組も二重に組むなど、豪華な意匠となっています。

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鶴島の北部に配置された亀島。北東部(右)の強く傾斜させた亀頭石が印象的です。

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北方から見た亀島(手前)と鶴島(奥)。観賞主体の庭園ですが、石橋が渡され廻遊もできるようになっています。

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池泉南西部には舟石も配置されています。

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山畔にある滝石組は、三玲が好んだ龍門瀑となっています。鯉魚石が直接水を受ける鹿苑寺式の龍門瀑で、2メートル以上ある水落石や傾斜角度の強い添石など、同年に作庭された半べえ庭園(広島市)のものと酷似しています。

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亀島北部の石橋。青石の巨石を用いた豪快な手法の石橋です。

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池泉南部の石橋の袂は出島となり、鋭い石組が施されています。

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池泉西岸の護岸石組。

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池泉東岸は、洲浜風の苔地の汀線に、護岸石組をリズミカルに配置しています。

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山畔から庭園を見下ろす。躍動的な石組、龍門瀑、洲浜風の地割など、重森三玲の感性が遺憾なく発揮された庭ですが、近年、池泉に防鳥ネットが張られ、観賞の妨げになっている点が惜しまれます。

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正覚寺は、江戸時代に実誉善西が建立したとされる寺院です。篠山市街からバス(八上本町下車)と徒歩で訪問することができますが、バスは本数が少ないため注意が必要です。なお、庭園も含め拝観には事前予約が必要です(お寺の了承を得て、庭園の写真を掲載しています)。

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篠山観光ホテル如月庵庭園(旧畑宗志氏邸庭園・逢春庭) ~兵庫県篠山市~

篠山観光ホテルは、城下町として知られる兵庫県篠山市にある宿泊施設です。その食事処である如月庵に、重森三玲が手掛けた枯山水庭園があります。

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庭園は、禅院で見られる枯山水と茶庭(露地)を融合させたような様式となっています。全体を白砂敷とし、東部に苔地の小築山を設け、洲浜風の入り組んだ汀線としています。

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庭園の主景となる三尊石組。手前の鋭く傾斜した石は舟石のようです。

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先ほどの三尊石組の南側に、もう一つの三尊石組があります。

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舟石の向きからすると、こちらの三尊石組は蓬莱石組ということになるでしょうか。

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庭園南部から北部の石組を望む。

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庭園北部の石組。庭園内の石組は、北部から順に7石、5石、3石となっており、七五三石組としての意匠と思われます。

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白砂敷部分に飛石を打つのは、康国寺庭園絲原氏庭園など出雲流庭園によく見られる、枯山水に茶庭の要素を取り入れた手法と言えるでしょう。

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庭園中央にある袖垣。角を落とした玉袖垣になっています。

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如月庵庭園はもともと当地にあった畑宗志氏邸の庭園として、昭和44年(1969)に作庭されました。今回は篠山観光ホテルを宿泊で利用したのですが、女将さんにお願いして、翌朝に庭園を見せて頂くことができました。なお、現在は重森三玲の孫である重森千靑(ちさお)氏が、定期的に庭園の手入れに来られているそうです。

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観正寺庭園 ~兵庫県豊岡市~

観正寺(かんしょうじ)は、兵庫県豊岡市にある、臨済宗南禅寺派の寺院です。書院の北側に、江戸末期の文化4年(1807)作庭とされる枯山水庭園があります。

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庭園は書院からの観賞を本位とした、築山式枯山水庭園です。山畔を埋め尽くすような石組は朝来市の護念寺庭園とよく似ていますが、作者は同じ岩崎清光とされます。

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山畔には、2つの枯滝石組が設けられ、下方で合流します。

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向かって左手の枯滝石組。

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向かって右手の枯滝石組。

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全体的に平石や横石が多く用いられていますが、枯滝の添石は立石を用いた鋭い手法となっています。

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山畔頂部の蓬莱石(左手)と遠山石(中央)。三尊のような配置になっています。

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向かって右手の山畔頂部にも、遠山石風の石組が見られます。

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山畔下部の石組。

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山畔下部の石組。

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山畔の前面には、飛石が打たれています。

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江戸末期では植栽や景観を主体とした自然主義庭園が多くなる傾向にありますが、観正寺庭園は江戸末期の但馬地方における石組本位の作庭例として、護念寺庭園とともに興味深い遺構と言えます。なお、庭園を拝観する場合は事前に電話確認を入れた方が良いでしょう。

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高源寺庭園 ~兵庫県丹波市~

高源寺は、兵庫県丹波市にある臨済宗中峰派の寺院です。仏殿の左手には、江戸中期に作庭された池泉庭園「心字池」があります。

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室町時代には既に境内に庭園が存在していたようですが、現在の形に整備されたのは、天岩明啓(てんがんめいけい)により寺が再興された、享保年間(1716~1736)とされます。

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上部から見下ろした庭園。池泉はコの字形をしていますが、後世に改変されているようです。

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庭園中央は北部から大きく張り出した出島状の地形で、もともと中島だったのではという気がしますが、記念碑が立てられるなど改変を受けており作庭当初の姿は不明です。

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汀線は曲線が多く、一種の曲水式のようにも見えます。

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護岸には、ほぼ全周に石組が組まれています。石組は全体的に丸みを帯びた石が多いですが、立石や平石を織り交ぜ、変化をつけています。

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池泉西部の石橋と橋添石。

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池泉南部の石橋。岩島が2つの石橋を繋いでいます。

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庭園北東部にある滝。石組は全体的に弱めで、作庭当初からのものなのかは不明です。

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「心字池」より一段上、方丈の南部にも、山畔を利用した築山があります。




築山には石組や枯流れの意匠が見られます。築山は「大痩嶺」と呼ばれ、室町時代の画僧・雪舟が作庭したとする伝承があるようですが、詳細は不明です。





枯流れ上部にある遠山石風の石組。

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築山頂部から枯流れを見下ろす。

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高源寺は、鎌倉時代の正中2年(1325)に開創され、室町時代には後柏原天皇の勅願寺となり隆盛を極めます。戦国期の兵火により衰退しますが、江戸中期には天岩明啓、江戸末期には弘巌玄猊(こうがんげんげい)により再興されています。「もみじの寺」と呼ばれ、春には新緑、秋には紅葉の名所として知られています。

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圓明寺庭園 ~兵庫県朝来市~

圓明寺(えんみょうじ)は、兵庫県朝来市にある、臨済宗妙心寺派の寺院です。本堂から書院の裏手にかけて、2つの池泉庭園があります。

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<本堂北庭>
2つの庭園のうち、西側にある本堂北庭は、明治24年(1891)頃に作庭されたものと推定されています。

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自然主義庭園が主流となった明治期の庭としては珍しく、池泉に蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)の三仙島と思われる3つの中島を配した、伝統的な蓬莱庭園の様式を取っています。




3つの中島のうち、最も西のものは亀島としての意匠が施されており、蓬莱島と思われます。

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3つのうち、中央に位置する中島。方丈島でしょうか。

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最も東にある中島。こちらは瀛州島でしょうか。中央か東部の中島は西の亀島に対する鶴島かと思いましたが、いずれも鶴らしき意匠は確認できませんでした。

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中央と東部の中島は石橋で繋がれています。2つの石橋を繋いだ、明治期にしては古風な二橋式の手法となっています。

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正面の山畔下部には座禅石とされる、2つの切石が置かれています。

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<書院北庭>
2つある庭園のうち、東側のものは書院北庭として築かれています。

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書院北庭は江戸末期に作庭されたものと推定されています。小さな池泉の奥に小築山を設け、石組を施しています。

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小築山にある石組。

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書院北庭の北方、山畔の下部にも、小ぶりの石を用いた石組が見られます。

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圓明寺の由緒については情報が見つけられず不詳ですが、但馬地方において明治期の庭園が残されていること、そしてその庭園が明治期にしては珍しい神仙蓬莱に基づいて作庭された庭園であるということが、非常に興味深いところです。石組など造形的な魅力には欠けるものの、古庭園が多く残る朝来市和田山地区においては、出色と言えるでしょう。

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光福寺庭園 ~兵庫県朝来市~

光福寺(こうふくじ)は、兵庫県朝来市にある、臨済宗妙心寺派の寺院です。本堂裏手には、江戸初期作庭と推定される池泉観賞式庭園があります。

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山畔を築山風に利用して、その下部に東西に長く池泉を穿ち、池泉には亀島のみ配置するなど、江戸初期末年頃の典型的な作庭手法が見られます。

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山畔には随所に観音像が配置され、全部で三十三観音を構成していますが、作庭当初にはなかったものと思われます。

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山畔西部には枯滝石組が設けられていますが、石が倒れていたり失われていたりで、旧状を想像するのは難しい状態です。

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枯滝石組のすぐ上方には、三尊石組があります。右手の立石は遠山石のように見えますが、これは後世に立てられた石碑のようです。

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池泉南岸には、枯滝石組と対応する位置に礼拝石が置かれています。





池泉中央にある中島。亀島とされますが、雑草に囲まれ、それらしき意匠は確認できず。

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東部から見た亀島。両岸に石橋が架けられています。

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山畔の下部には纏まった石組が見られますが、これといった意匠は見られず、単なる土留めという印象。

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池泉西部の石橋。

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庭園の東部にもう一つの池泉があります。こちらは後世に大幅に改造されているようです。

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東部池泉に面した山畔の石組。

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光福寺は慶安3年(1650)に開創、元禄年間(1688~1704)に再興されており、様式手法から、庭園はこの再興時に作庭されたものと考えられます。江戸末期以降の庭が多い但馬地方では比較的古い貴重な遺構ですが、荒廃または改造により作庭当初の姿が失われている点が惜しまれます。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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