茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧山本有三邸 (三鷹市山本有三記念館) ~東京都三鷹市~

東京都三鷹市にある旧山本有三邸は、劇作家・小説家であった山本有三が住まいとした、大正15年(1926)築の洋風建築です。現在は「三鷹市山本有三記念館」として一般公開されています。

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建物正面となる北面。木造(一部鉄筋コンクリート造)2階建て、屋根は銅板瓦葺で、屋根裏部屋と地下室(ボイラー室)を備えています。イギリス山荘風の外観で、3箇所に設けられた煙突が、デザイン上の特徴となっています。

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建物南面。1階には大谷石を用いたテラスが、2階にはバルコニーが設けられています。2階バルコニーの手摺には、デンティル(歯型)と、城壁の狭間(さま)のような三角形の意匠が施され、屋根には屋根裏部屋の採光用に窓が付けられています。





スクラッチタイルと大谷石を用いた外壁には、F.L.ライトが手掛けた旧帝国ホテルからの影響が表れています。

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窓の桟や外壁角部にも、ライト的な幾何学的意匠が見られます。

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1階北面の玄関ホールは、ゴシック様式の教会のようなリヴ・ヴォールト風の天井になっています。扉は近世ヨーロッパ風で、帯型蝶番や取手にも凝ったデザインが見られます。

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玄関内部のホール。奥は階段室となっています。

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ホールの脇には、半円形の暖炉を備えたイングルヌックがあります。イングルヌックとは、イギリス近代住宅でよく見られる暖炉のある小スペースで、旧山本邸では来客用の控え室や家族団欒の場として使用されました。

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1階・応接室。こちらの暖炉は、煉瓦で檜垣模様が意匠されています。





応接室のステンドグラス。ハンドルの金具も、アール・ヌーヴォー風の凝ったデザインです。

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現在は応接室と二間続きになっている1階・食堂。こちらはスクラッチタイルを用いた暖炉が設けられ、天井からは重厚な雰囲気の照明が吊るされています。

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食堂のドアは、玄関ドアと同様に近世ヨーロッパ風のデザイン。ダイヤガラスのようなレトロなガラスがはめ込まれています。

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食堂、応接室、ホールはいずれも寄木張りの床となっており、部屋毎に異なる寄木意匠を見ることができます。

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1階・旧長女部屋。もともとサンルームだったのを改修したものと考えられ、アーチ窓、スクラッチタイルの壁、漆喰部分のロンバルディア帯(連続した小アーチ)など、見所の多い部屋です。


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2階に上がり、階段室を振り返る。踊り場には巨大なステンドグラスがはめ込まれ、梁や手摺にも凝った装飾を見ることができます。

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2階は主に書斎や寝室として使用されていました。こちらは旧書斎で、現在は洋室(展示室)となっていますが、かつては洋室と和室に分かれていました。

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同じく展示室として使用されている、2階・旧書庫。左手の窓下にはベンチが作り付けられていますが、これは2階の他の部屋にも共通した作りになっています。

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数寄屋風の2階・和室(書斎)。もとは洋室だったものを、山本有三が入居時に自身の好みに合わせて改修しています。

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2階南東隅にある旧長男室。こちらも左手の窓の下部にベンチが設けられています。




旧山本有三邸は大正15年(1926)、貿易商・清田龍之介の住居として建てられ、昭和11年(1936)から進駐軍に接収される同21年まで、山本有三とその家族が居住しました。設計者は不明ですが、岡田信一郎が手掛けた旧鳩山一郎邸(鳩山会館=東京都文京区)との類似性が指摘されています。平成6年(1994)には、クラウドファンディングによる保存修理が行われています。

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旧小石川御殿庭園(小石川植物園) ~東京都文京区~

東京都文京区にある小石川植物園は、江戸時代初期、松平徳松(のちの徳川綱吉)の別邸・小石川御殿(白山御殿)があった場所です。植物園の北西部に、丘陵を利用した池泉廻遊式庭園の遺構が残されています。




庭園は、承応年間(1652~1655)、小石川御殿の造営に際して作庭されたものと推定されています。宝永年間(1704~1711)に徳川綱吉により改修されましたが、御殿が廃されて以降は荒廃、関東大震災の被害を受けたのち、昭和30年(1950)に修復されています。




庭園は、小石川の河岸段丘の下部に、東西に3つの池泉を配しています。このうち最も東部の池泉は既に庭園としての形態を失っていますので、ほかの2つの池泉を中心にご紹介します。




中央の池泉には、中島が配置されています。護岸をはじめ、古い石組は残されておらず、当初の意匠がどのようなものだったのかは判然としません。

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中島には石橋が架けられていますが、これも手法的にあまり古いものではなさそうです。





中島の対岸・池泉南部には出島が設けられています。




西部の池泉。正面(西岸)にある洋館は、明治9年(1876)に建てられた旧東京医学校本館で、現在は東京大学総合研究博物館小石川分館として使用されています。

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西部池泉にも中島が配置されていますが、石橋や護岸石組など、やはり古いものは残されていません。

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池泉西岸にある立石は、その姿から「ガマ石」と呼ばれています。江戸中期にもなると、石組手法よりも個々の石の珍しい形状が重視されるようになりますが、このガマ石も、当時のそうした趣向を反映していると言えるでしょう。

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西部池泉北部の小築山。

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3つの池泉とも、護岸石組は後世の改変を受けているようで、古い手法は見られません。昭和の改修時に、護岸が石組から乱杭に変更されている箇所もあるようです。

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庭園北部の斜面には、巨石を用いた滝石組が残されています。現在は枯れていますが、往時は千川上水から水が引き込まれ、池泉へと注いでいました。





丘陵斜面にも、所々に石が置かれています。いずれも影石程度のもので、特に見応えのあるものではありません。





庭園北東部にある次郎稲荷。




庭園とは関係ありませんが、小石川植物園には、旧東京医学校本館のほかにも近代建築が残されています。こちらは昭和14年(1939)に建てられた小石川植物園本館で、東京大学の諸建築を手掛けたことで知られる内田祥三の設計です。

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こちらは大正8年(1919)に建てられた柴田記念館。東京大学植物学教室の教授だった柴田桂太に関する資料などが展示されています。

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植物園内には、ソメイヨシノをはじめ多くの桜が植樹されています。訪れた時(3月下旬)は、ちょうど満開の桜を観ることができました。

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徳川綱吉の没後、小石川御殿は廃され、その敷地は旗本屋敷と御薬園に分割されました。都立図書館で色々と調べたのですが、庭園に関する資料が少なく、当初の地割や意匠については全く分かりませんでした。一方、『帝国大学植物園一覧図』という古図を見る限り、少なくとも大正初期から地割はほぼ変わっていないようです。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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