茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

龍安寺庭園 ~京都府京都市~

龍安寺は、京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院です。方丈前庭である枯山水庭園は、「石庭」としてあまりに有名ですが、今回久々に再訪しましたので、改めて取り上げたいと思います。

龍安寺庭園・石組



庭園は方丈南庭(前庭)にあたり、平庭式枯山水の様式をとっています。土塀で囲まれた長方形の空間に白砂を敷き、植栽は一切用いず、計15石により、5群の石組を七五三風に配置しています。

龍安寺庭園・全景



意匠は極めて抽象的で、虎の子渡し、中国の五岳、鶴亀の蓬莱庭園、黄金分割に基づいた配石、借景庭園など様々な説が唱えられていますが、真相は不明です。ここでは5群の石組を東から西へ、順に見ていきます。

龍安寺庭園・全景



方丈から向かって左、最も東にある石組。五石で構成され、鶴島との解釈もあるようです。言われてみれば、中央の巨石は羽石のようにも見えます。




庭園の中央ややから東寄り、塀際に配置された石組。二石で構成され、重森三玲によれば大きい方の石は「蓬莱山的」とのことですが、蓬莱石にしては小ぶりで存在感に欠けるように感じられます。





庭園の西部寄りに配置された石組。三石によるもので、一種の三尊石組ともとれます。





庭園の南西部に位置する石組。こちらは二石で構成されています。





方丈から向かって右、最も西に位置する石組。三石で構成され、亀島との解釈もあるようです。

IMG_0244_201901232053152f9.jpg



龍安寺庭園では、個々の石組はどれも力強さ・鋭さが感じられるものではなく、石組手法としては決して優れているとは思えません。個々の石組よりも、5群の石組の配置の妙と、白砂、苔地、土塀も含む庭全体のバランスが、この庭の魅力なのでしょう。

龍安寺庭園・石組   



龍安寺庭園では意匠の意図だけでなく作庭年代・作者も不明で、これまで細川政元説、相阿弥説、小太郎・口二郎説、小堀遠州説、金森宗和説と様々な説が唱えられてきました。現在では寺が再興された明応8年(1499)頃、細川政元による作庭という説が一般的になっているようです。




一方で、確認されている本庭についての最古の資料が江戸時代のもの(『東西歴覧記』など)であること、江戸初期の古図では方丈前方に庭はなく門が描かれていること、豊臣秀吉の龍安寺における花見の記録で庭に触れられていないこと、などの理由から、江戸時代以降の作庭である可能性も指摘されています。

龍安寺庭園



龍安寺の境内には、古い庭園遺構がもう一つ残されています。「鏡容池(きょうようち)」と呼ばれる広い池泉を中心とした池庭で、三島を配置する古い様式から、寺の開創以前に作庭されたものと考えられます。

龍安寺庭園・鏡容池



鏡容池では古い石組がほとんど見られませんが、池泉南部には比較的古いものと思われる2つの岩島があります。現地案内によると、「水分石(みくまりいし)」という、池泉の水位を測るためのものであるとされます。

龍安寺庭園・鏡容池(岩島)



龍安寺は宝徳2年(1450)、もともと徳大寺家の山荘があった地に、室町幕府管領・細川勝元が義天玄承(ぎてんげんしょう)を開山として建立しました。応仁の乱で荒廃しますが、勝元の子・政元により再興されています。現在では京都で最も人気のある観光地の一つとなっています。

龍安寺・三門

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関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
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