茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

願勝寺庭園 ~徳島県美馬市~

四国探訪2日目、徳島市街でレンタカーを調達し、徳島県内の庭園を回ります。最初に訪れたのが石井町の童学寺でしたが、最近火災で本堂が焼失した影響で庭園の拝観ができなかったため、次に訪れた願勝寺庭園からご紹介します。

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願勝寺は奈良時代に起源を持つ真言宗御室派の寺院で、本堂裏手には鎌倉〜南北朝時代に作庭されたとされる枯山水庭園が残ります。

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庭園北西部の山畔には、龍門瀑形式の優れた枯滝石組が見られます。





枯滝下段。水落石と添石には青石を使用し、水落石の下部に鯉魚石を配しています。

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龍門瀑の石組は、水落石より滝添石の方が高いことや、鯉魚石の手法から、京都・嵐山の天龍寺と酷似すると言われています。

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枯滝頂部の石組。弁天堂建立時に大幅に改変されており、当初の面影は残っていません。

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枯滝下部の護岸石組。青石を用いた力強い造形意匠が見られます。

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枯滝北部山畔の遠山石と護岸石組。

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庭園の枯滝より南部(左手)は、江戸時代以降に大きく改変されています。

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枯池南部の石橋と護岸石組。石橋の奥には、石組による亀島も見られます。いずれも江戸時代以降のもの。

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願勝寺庭園の作庭についての記録は残されていませんが、①山畔の石組が南北朝期の手法であること、②龍門瀑の石組が天龍寺のそれと同様の手法であること、③南北朝期の当地の豪族・細川頼春が、天龍寺開創に携わった足利尊氏と懇意だったこと、などの理由から、南北朝期に作庭されたとする説が主流となっています。

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瑞巌寺庭園 ~徳島県徳島市~

四国探訪1日目、観音寺庭園を後にし、眉山の東麓、徳島市東山手町にある瑞巌寺(ずいがんじ)庭園を訪れます。

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瑞巌寺は慶長19年(1614)、徳島藩初代藩主・蜂須賀至鎮が、一鶚禅師を開山として再興した臨済宗妙心寺派の寺院です。山畔を利用し細長く池泉を穿った回遊式庭園は、江戸初期作庭と考えられています。

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池泉中央に架かる石橋。池泉には計3箇所に石橋があり、いずれも青石の自然石を使用しています。

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石橋南部の滝。青石を用いた石組が見られます。

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植栽で見えづらいですが、滝の周囲には護岸石組が見られます。

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石橋と護岸石組。

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石橋の先は、山畔に回遊路が付けられています。

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池泉北部の山畔にも集団石組があり、滝石組のようにも見えますが、雑然としていて不明瞭です。

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池泉北部の石橋。

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池泉南部には、立石を用いた鋭い護岸石組も見られます。

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本堂の東方にも、昭和の作庭ですが、青石を用いた見事な枯山水庭があります。

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当初、瑞巌寺を訪問する予定はなかったのですが、観音寺を訪れた際、お寺の方に「ここから歩いて行けますよ」と教えて頂き、寄ってみました。護岸などに優れた石組が見られるものの、植栽の繁茂が激しいため、訪問は冬場がお勧めです。

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観音寺庭園 ~徳島県徳島市~

引き続き四国探訪1日目、徳島城表御殿庭園を後にし、徳島市勢見町にある観音寺庭園を訪れます。





観音寺は元和2年(1616)、徳島藩の藩祖・蜂須賀家政により当地へ移建・再興された寺です。書院裏手にある庭園は、眉山東麓の山畔を利用し、南北に細長い池泉を穿った、池泉式鑑賞式庭園となっています。

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庭園南部には、豪快な枯滝石組があります。前回までにご紹介した阿波国分寺庭園や徳島城表御殿庭園と同様に、緑泥片岩(青石)を使用しています。

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滝石組は頂部を三尊手法とし、写真中央の横石による水落石は、鶴首石を兼ねているとされます。巨大な立石による滝添石は、桃山期らしい豪快なものです。

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枯滝上部から石組を見下ろす。作庭者・作庭時期については不詳ですが、様式・手法などから、桃山時代(江戸初期)頃に作庭されたと推定されています。

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滝石組は現在は枯滝となっていますが、重森三玲らによる実験の結果、当初は水が落ちていた可能性も指摘されています。

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枯滝上部から書院方向を見る。t池泉西部(写真左手)は天然の岩盤が剥き出しになっています。

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池泉北部は不自然なほど狭くなっており、後世の改修が指摘されています。

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池泉北部には青石による立派な石橋と橋添石がありますが、池泉北部が後世に改修されているとすれば、これらもその際に他の場所から移されてきたのかもしれません。

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青石の産地ということもあり、徳島市周辺には優れた日本庭園が多く存在しますが、ここ観音寺庭園の存在はあまり知られていないようです。正直なところ僕自身あまり期待せずに訪問したのですが、滝石組の迫力は予想をはるかに超えるもので、良い意味で裏切られた気分でした。お寺の方にも、突然の訪問にも関わらず、おもてなしを頂き、ゆっくりと庭を堪能することができました。

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徳島城表御御殿庭園(千秋閣庭園) ~徳島県徳島市~

四国探訪1日目、阿波国分寺庭園を後にし、徳島城表御殿庭園を訪れます。

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徳島城は天正13年(1985)、蜂須賀家政によって築かれた城で、表御殿庭園は関ヶ原合戦後に蜂須賀家の客将に迎えられた上田宗箇の作庭と考えられています。池泉部分と枯山水部分からなる構成は、桃山期の庭園の特徴とされます。

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枯山水部分の石橋。長さ10mの自然石を用いた、前代未聞の巨大石橋です。

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石橋の袂には豪快な鶴石組があります。地元・阿波の青石をふんだんに使用した豪華なもので、石橋とともに枯山水部分の最大の見所と言えます。

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枯山水部分の中島(亀島)。こちらの護岸にも見事な石組が見られます。

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枯山水部分・北東の築山上には、立石による遠山石が置かれています。

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遠山石北側の築山上の石組。子孫繁栄を願う陰陽石とされます。

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枯山水部分北部の枯滝石組。

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池泉部分の沢渡り。青石の巨石を使用し、周囲には岩島を配した、豪華なものです。

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池泉中島に架かる石橋。青石の自然石を使用した豪壮なもので、奥には沢渡りが続きます。

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池泉東岸の枯滝石組。

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池泉北岸より中島を望む。中島の護岸石組も実に見事です。

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池泉部分・北部築山の護岸には、三段に組まれた豪壮な石組が見られます。

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池泉部分・北部築山上の枯滝石組。

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枯滝はそのまま渓谷風に築山を下り、途中で90度に折れ曲って池泉へと繋がります。

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池泉南部に浮かぶ舟石。

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徳島城表御殿庭園は、大名庭園としては比較的規模の小さいものですが、その意匠の素晴らしさは随一で、名古屋城二の丸庭園などとともに、桃山時代の庭園文化の水準の高さを今に伝える、貴重な遺構と言えます。


 
 
 
 

阿波国分寺庭園 ~徳島県徳島市~

四国地方は優れた日本庭園が多く存在することで知られますが、今回、連休を利用してその中の幾つかを回って参りました。まずは四国八十八箇所霊場の第15番札所、徳島市の阿波国分寺庭園からご紹介します(現在本堂の屋根葺き替え中で、絵的にやや残念な感じになっていますがご容赦下さい。。)

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阿波国分寺は曹洞宗の寺院で、本堂の東側に枯池を中心とした枯山水庭園が展開します。石組が崩落するなど長い間荒廃していましたが、平成19年からの調査に基づき、忠実に復元・整備されました。


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本堂東側、枯池北西部の築山。頂部の蓬莱連山石組は水墨画から影響を受けたものとされ、中国の廬山五老峰を表しているとも言われます。

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北西部築山には玉石を敷いた枯滝が見られます。枯滝下部の自然石による石橋も見事。

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枯池北端の枯滝。立石で滝を表現しています。

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枯池南部の築山。地元・阿波の青石を自在に配した石組に圧倒されます。

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本堂下から南部築山を望む。





枯池南西部にも、玉石を敷いた枯流れが見られます。枯流れ右手の巨石は鶴羽石とされます。

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枯池南東部にも蓬莱石組が見られます。手前の石橋は二枚の自然石を斜めに連ねています。

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南東部石橋と南部築山の蓬莱石組。


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枯池の中央には亀島である中島が配されています。

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枯池手前にも、亀石組が見られます。

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北西部築山の本堂直下には、三尊石を中心とした枯滝石組があります。本堂の屋根葺き替えに伴って足場に隠れてしまっていますが、特別に見せて頂くことができました。


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本堂直下の枯滝に架かる石橋。中国の渓谷などで見られる天生橋を表現しています。

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天生橋の石橋を上部から見る。

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本堂北側から西側にかけても見事な石組が続きます。特に本堂西側は三尊石組を中心に、巨石を用いた豪快な石組が続きます。

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阿波国分寺庭園は、その豪壮な石組の手法などから、専門家の間では桃山時代に作庭されたとする見解が主流でしたが、平成19年から行われた発掘調査ではもとの庭園に江戸末期に大改修を施していることが判明しています。もとの庭がいつ造られ、江戸末期の改修がどの程度のものだったのか、正確なことは分かりませんが、いずれにしても圧倒的な石組の数々は、数ある日本庭園の中でも随一のものであることは間違いないでしょう。


 
 
 
 
プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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