茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧伊庭家住宅 ~滋賀県近江八幡市~

近江八幡市安土町にある旧伊庭(いば)家住宅は、旧住友財閥2代目総理事・伊庭貞剛(ていごう)の四男・伊庭慎吉の邸宅として、大正2年(1913)に建てられました。木造二階建て、屋根は切妻天然スレート葺き、外壁はハーフティンバー様式で、設計はW.M.ヴォーリズによります。ヴォーリズの作品としては珍しく、内部に和風を取り入れた和洋折衷の建築となっています。

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ベンガラで赤く塗られた玄関。現在の玄関は後年に増築されており、ヴォーリズは関与していないようです。

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一階北面に通された廊下。床は板張り、天井は竹の網代と、英国的な外観からは想像できない純和風な作りになっています。

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一階北東隅の和室。襖には春の風景が描かれています。

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慎吉夫妻が最もよく使用していたという、一階中心部の和室。一階は大部分が和室で構成されています。

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一階南側の和室。左手、庭園に面した縁側状の部分は後年の増築です。

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こちらの和室の襖には、秋の風景が描かれています。

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サロンとして使用されていたと思われる、一階・洋間。北側には暖炉を備えています。

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一階洋室の小窓は、十字架をデザインしたものと言われます。

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現在は事務室として使用されているサンルーム。創建当初は天井と窓のない、屋外テラスだったようです。

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色付きのダイヤガラスを使用した、サンルームの窓。

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サンルームの床は、青を基調とした爽やかなタイル貼りになっています。

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一階東部の和室。一見茶室に見えますが、炉は設けられていません。

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一階の中心にある階段室。創建当初は階段下に玄関が開けられ、玄関ホールとして機能していました。

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二階洋室。天井や引き戸は和風になっています。伊庭慎吉は絵画を趣味とし、二階は主にアトリエとして使用されていたようです。

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伊庭慎吉の父・伊庭貞剛は旧住友財閥の二代目総理事で、初代総理事・広瀬宰平の実の甥になります。叔父・広瀬が推し進めた近代化のために問題化していた別子銅山の煙害問題の解決に尽力し、住友林業や住友銀行を設立するなど、現在の住友グループの基礎を築きました。子の慎吉は沙沙貴神社の神主や安土村長を務めていますが、旧伊庭家住宅の建設資金の多くは父・貞剛が提供したそうです。旧伊庭家住宅は昭和53年(1978)に安土町の所有となり、一時は解体予定となっていましたが、地元有志の寄付により修繕が行われ、現在は民間団体により管理・保存されています。

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沙沙貴神社庭園 ~滋賀県近江八幡市~

近江八幡市安土町にある沙沙貴(ささき)神社は、宇多天皇と敦実親王を奉る式内社で、全国の「佐々木」姓発祥の地とされる、由緒ある神社です。境内には明治時代に作られた池庭が残されています。

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庭園は明治22年(1889)、勝元宗益により作庭されました。南北に細長い池泉を穿ち、西南部に築山を築いて、要所に石組を設けています。手前側の汀は後年にコンクリートで直前に固められてしまっています。

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西南部築山には立石による見事な石組が見られます。三尊手法で、下部は枯滝石組になっているようですが、雑草に隠れて詳細は確認できません。

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池泉南端、築山の手前には切石橋が架けられています。城郭の石垣で見られるような矢穴が打たれています。

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庭園中央付近にも小さな石橋が架けられています。周囲には立石による石組や小さなな岩島も配置されていますが、丸みを帯びた石ばかりで、意匠的にもあまりぱっとしません。

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池泉北端の出島と石橋。

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池泉北端の石橋にも矢穴が見られます。こちらの石橋はむくりを持った個性的な形状をしています。

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境内には庭園のほかにも、滋賀県の重要文化財に指定されている古建築がいくつか現存します。

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弘化5年(1848)に建立された本殿と幣殿。いずれも県指定重要文化財です。

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同じく弘化5年(1848)建立の拝殿。こちらも県指定重要文化財。

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延享4年(1747)建立の楼門。左右の回廊とともに県の重要文化財に指定されています。

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沙沙貴神社庭園を作庭した勝元宗益は長浜出身の作庭家で、鈍穴(呑月)と号しました。幕末から明治にかけて湖東・湖北の社寺や民家の庭を手掛けており、以前取り上げた五個荘の旧外村繁邸や旧中江準五郎邸の庭園も宗益の作とされます。

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西円寺庭園 ~滋賀県米原市~

滋賀県には古庭園が多く現存し、中でも米原市の福青岸寺庭園や福田寺庭園は名庭として高く評価されています。あまり知られていませんが、同じく米原市にある西円寺(さいえんじ)にも、江戸初期のものとされる庭園が残されています。





庭園は、書院裏手(西部)の斜面との間に弧型の池泉を穿ち、山畔には石組を施しています。





池泉は現在は枯れていますが、護岸の形状から、かつては水を湛えていたものと思われます。





山畔南部の石組。やや左手奥には三尊石組を意匠しており、護岸にも見事な石組が見られます。三尊石組の下部斜面には栗石が敷かれており、枯流れを意匠したものかもしれません。





山畔の頂部には守護石が置かれています。




池泉北西部には鶴石らしき岩島が配置されています。荒廃していて不明瞭ですが、右奥の出島は鶴島に対する亀出島かもしれません。





北西部山畔には、遠山石風の立石が意匠されています。その右下には三尊石組が見られます。

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庭園北東部には、池泉の手前側に築山が築かれ、石組が施されています。

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築山の石組には、三尊手法のものも見られます。

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全体的に使用されている石はやや小振りで、地割や意匠的にも福田寺や青岸寺に劣る感はありますが、個々の石組はなかなか見事なもので、思っていたよりもはるかに見応えのある庭でした。




西円寺は南北朝時代、比叡山の末寺として創建されました。戦国期に織田信長による焼き討ちを受け衰退しますが、江戸時代に入り彦根藩の支援を得て復興、現在は黄檗(おうばく)宗に属しています。庭園については、彦根城楽々園を作庭した彦根藩士・香取氏家臣の作と伝えられており、第3代住職・仙林和尚により「玉泉庭」と命名されています。

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福田寺庭園 ~滋賀県米原市~

「長沢御坊」として知られる米原市の福田寺(ふくでんじ)は、天武天皇の勅願寺・息長寺を起源とする古刹です。本堂裏手、小谷城から移築されたと伝わる書院の前面に、江戸初期の枯山水庭園がひっそりと残されています。

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庭園は書院の前庭として築かれていて、砂敷きの枯池を中心とした池庭式枯山水の様式をとっています。

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枯池の南部と西部に築山を、東部には出島を設けて、それぞれ石組を施しています。

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豪壮な手法の枯滝石組。頂部を三尊手法とし、下部には水分石を配置しています。

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枯滝頂部の三尊石組。力強さと繊細さを兼ね備えた、美しい石組です。

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西部築山の石組。立石を中心に、傾斜をもたせた亀頭風の石も見られます。

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西部築山から、枯滝石組を見る。

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枯池東部に設けられた出島。

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出島突端の石組と岩島意匠。

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西部築山から東部出島を見る。

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庭園北東部の立石。

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奈良時代に創建された福田寺ですが、中世には浄土真宗本願寺派に改められ、本願寺第8世・蓮如も一時期滞在するなど、湖東における浄土真宗の一大拠点でした。庭園は数ある滋賀県内の庭園において指折りの名庭ですが、近年になって前住職が逝去されたそうで寺は現在無住となっており、今後の保存が課題になっています。なお、今回は米原市に確認し見学することができましたが、原則個人での庭園見学は受付けていないようです。

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慶雲館庭園 ~滋賀県長浜市~

2年振りの慶雲館再訪、前回は建築について取り上げましたが、今回は庭園について見て行きます。庭園は慶雲館竣工から25年後の明治45年(1912)、近代日本庭園の先駆者である7代目小川治兵衛(植治)により作庭されたもので、主屋南側の主庭、主屋北側の玄関前庭、表門と中門の間に築かれた前庭の3部構成となっています。

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主屋南側の主庭。池庭式の枯池を中心とした、石組本位の庭となっています。

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枯池北東部にある、斜面を利用した枯流れ。栗石を敷いて流れを表現しています。

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枯流れの起点近くに架かる石橋と橋添石。

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枯池南東部の枯滝石組。三尊手法で、水落石は高さ3メートル以上、左手の添石も2メートルを越す迫力ある石組です。自然主義庭園の先駆者だった植治の庭としては、異色の意匠です。

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枯滝の右手にある巨大な立石。こちらも高さ3メートル以上の巨石で、右手に傾斜した姿は、阿波国分寺庭園の石組を思わせる鋭さと迫力を備えています。

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巨石の奥の築山にも、栗石による枯流れと、立石を中心とした石組が見られます。

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枯池の中央付近には、力強い石橋が架かります。

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護岸石組と石橋。

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石橋右奥の山畔には、主庭の中で最も大きな枯流れが見られます。

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築山中央付近には、蓬莱石にも思える巨石も見られます。

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主屋北側の玄関前庭にも、「慶雲館の碑」を中心に、巨石による集団石組が見られます。桃山期を思わせる、立石を中心とした力強い石組です。

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玄関前庭のさらに北側にも、枯流れを意匠した前庭が作庭されています。

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7代目小川治兵衛(植治)は、日本庭園に西洋の作庭思想を取り入れ、その後の日本庭園の基礎となる自然主義庭園を広めたことで知られています(代表作に無鄰菴庭園、野村碧雲荘庭園、平安神宮庭園など)。植治以降の日本庭園が、それまでの伝統的な様式や手法を捨て去り急激に堕落していったことに、植治の自然主義的な作風が強く影響したことは事実だと思います。そんな中で慶雲館庭園は石組本位の庭であり、日本庭園の伝統に乗っ取った手法が随所に見られるなど、植治の庭としては異色の存在と言えるのではないでしょうか。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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