茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

旧松本家住宅(掛川市竹の丸) ~静岡県掛川市~

静岡県掛川市にある旧松本家住宅は、江戸時代から掛川で葛布問屋を営んでいた松本家の住宅として、明治36年(1903)に建てられた和風建築です。掛川城竹の丸址にあることから、現在は「掛川市竹の丸」として一般公開されています。5年程前に一度紹介していますが、昨秋再訪したため、改めて取り上げます(2017年9月訪問)。

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旧松本家住宅は、商売及び生活空間としての主屋(木造平屋建て)と、特別な客をもてなすための離れ(木造二階建て)、土蔵などから構成されます。離れはもともと平屋でしたが、大正9年(1920)に二階部分を増築しています。

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主屋南面に設けられた式台玄関。近年になって復元されたもので、武家屋敷のような格調高い造りになっています。

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主屋仏間(2013年10月撮影)。主屋は南側が見世、帳場、応接室などの公的な空間とし、北側は仏間、茶の間など私的な空間になっています。





主屋・台所。現在はフローリングが敷かれていますが、往時は土間でした。小屋組が見事で、梁は長いもので18メートルもあるといいます。

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主屋北西に続く離れ。二階南面は、東半分が和風の高欄、西半分が洋風の鉄製バルコニーという、ユニークな造りになっています。

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離れ一階の座敷。北側五畳分を一段高くし、上段の間としています。右手には「家人の間」が続きます。

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家人の間には小さな床の間が設けられています。地袋付きで、落し掛けには手斧削りを意匠として残しています。

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離れ二階・貴賓室。床の間のある書院造ですが、椅子坐で、南面にバルコニーを設け欄間にはステンドグラスを嵌め込むなど、和洋折衷の空間になっています。壁紙には葛布が張られています。

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貴賓室のステンドグラス。オウムがデザインされています。

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こちらは四十雀でしょうか。

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貴賓室の付書院。板欄間には鳳凰が意匠されています。

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貴賓室の床は寄木張りになっています。市松の美しい意匠です。

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貴賓室東面の板戸には、樹齢200年の杉の一枚板が使用されています。貴賓室の東側には、廊下を挟んで座敷が配置されています。

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離れ二階・座敷。数寄屋風の書院造で、桐材を多用していることから「桐の間」と呼ばれていたようです。





座敷の南東隅には床の間が設けられ、天井は屋久杉を使用した格天井になっています。

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座敷の東面は入側が通されています。

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座敷北側の水屋。

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座敷の襖には、桐の模様や桐を象った引手が見られます。

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松本家は、もともと掛川の中町で葛布問屋「松屋」を経営し、掛川藩の御用達として、苗字・帯刀を許される家柄でした。廃藩置県で旧掛川城竹の丸の地を取得し、当主・松本義一郎により住宅が建設されましたが、昭和11年(1936)に松本家の東京移住に伴い、土地と建物は掛川町(現・掛川市)に寄贈されました。長い間、市職員の厚生施設等に使用されていたため荒廃していましたが、平成19年からの修復工事により、往時の姿に復元されています。

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仏法紹隆寺庭園 ~長野県諏訪市~

仏法紹隆寺(ぶっぽうしょうりゅうじ)は、長野県諏訪市にある真言宗の寺院です。本堂と庫裏の裏には、観賞式の池泉庭園があります(2017年10月14日訪問)。

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庭園は寺伝では桃山時代のものとされていますが、学術的には江戸時代に入ってからの作庭と推定されています。山畔を利用し、南北に長く池泉を穿っています。

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庫裏から見た庭園正面。山畔には巨石による石組が組まれ、滝石組は南北二箇所に設けられています。随所に後世に設置された灯籠があり、景観を損ねている点が惜しまれます。

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南部の滝石組。二段落ちの滝で、立石を効果的に用いた力強い石組です。

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滝石組上段は、石橋を渡す「玉澗流」の手法がとられています。名古屋城二の丸庭園や粉河寺庭園など、上田宗箇が関与した桃山時代の庭園でよく見られる手法です。

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山畔には累々たる石組が見られます。斜面を覆うように多くの石組を配置している点は、東光寺庭園や浄居寺庭園などの山梨県に残る古庭園と類似しています。

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山畔頂部の三尊石組。

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山畔南部には三尊手法の蓬莱石組が見られます。手前池中には亀島が配置されています。

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山畔北部にはもう一つの滝石組があります。

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北部の滝石組は直下式で、巨石を用いた豪快なものになっています。

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庫裏の東方には、もう一つの池泉庭園があります。明治~大正期に築造されたもので、二つの池泉から構成されます。

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こちらの庭園でも、二箇所に滝石組が見られます。

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仏法紹隆寺は大同元年(806)に坂上田村麻呂により開基、その後弘法大師空海により開山となり、永禄2年(1559)に現在地へ移建されたと伝わります。古くから諏訪大社の別当寺(神宮寺)で、江戸時代には高島藩の祈願寺を務めています。なお、裏山は諏訪大社上社大祝を務めた諏訪氏の桑原城址で、郭や堀切などの遺構が残されています。

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旧下諏訪宿本陣庭園 ~長野県諏訪郡下諏訪町~

下諏訪の岩波家は信濃守護・小笠原家庶流の出身で、江戸時代には下諏訪宿の本陣を務めた名家です。現在その邸宅跡は資料館「本陣岩波家」と旅館「聴泉閣かめや」の敷地となっていますが、それぞれの敷地内に本陣時代の庭園が残されています(2017年10月14日訪問)。

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本陣岩波家に残る庭園は、座敷の東から西にかけて築かれています。山畔を利用した観賞式の池泉庭園で、様式や手法から江戸末期の庭と推定されています。

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池泉は江戸中期初頭の庭でよく見られるような、山畔に沿った細長いL字形をしています。

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庭のほぼ中央、刈込みの間に滝が落とされています。

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滝には石組もあるようですが、暗さと植栽のせいではっきりと確認できません。滝の手前には石組による出島を設けています。

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南部山畔には巨石による石組が見られますが、江戸末期らしく、鋭さや力強さは感じられません。

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山畔上部の石組。繁茂する植栽が石組を隠してしまっています。

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池泉西端に架かる石橋。

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和宮や明治天皇が宿泊したとされる座敷。庭園はこの座敷からの観賞を本位としています。

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「本陣岩波家」に隣接する旅館「聴泉閣かめや」に残る庭園。こちらも観賞式の池泉庭園になっています。

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こちらの庭も本陣岩波家のものと同様、山畔を利用しL字形に細長く池泉を穿っています。

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東部山畔にある滝石組。水落石は高さ1.3メートルほどあります。

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山畔の南東隅にも、枯滝のような石組が見られます。

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南部山畔の石組。上部の三尊風の石組は蓬莱石組でしょうか。

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旅館の一角に残されている「上段の間」。かつて皇女和宮も使用したと伝わり、庭園はここからの観賞を本位として築かれています。

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聴泉閣かめやに残る庭は、伝承では小堀遠州により桃山〜江戸初期に作庭されたとされますが、小堀遠州作庭の客観的根拠はなく、個人的には地割や石組手法から江戸中期頃の庭ではないかという気がします。本陣岩波家に残る庭と比べ、石組は小ぶりながら美しいものになっています。

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地蔵寺庭園 ~長野県諏訪市~

長野県諏訪市にある地蔵寺は、天正12年(1584)に建立された曹洞宗の寺院です。境内には江戸中期に築かれた池泉観賞兼廻遊式庭園が現存します(2017年10月14日訪問)。

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庭園は書院北側、山畔との間に東西に長く池泉を穿ち、池泉には大小二つの中島を浮かべ、北東部の山畔には枯滝石組を設けています。

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池泉北東部にある中島。亀島とされ、巨石を用いた石組が見られます。

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南部から見た亀島。三方から石橋が架けられています。

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苔むして古色を帯びた、亀島東部の石橋。奥の対岸には護岸石組も見られます。

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亀島北部の石橋。奥には山畔への廻遊路が続いています。

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池泉東岸には、珍しい手法の滝があります。滝石組ではなく、導水のための切石をY字形に組んだもので、支柱の刻字から、宝暦7年(1757)には存在していたようです。

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山畔西部に設けられた枯滝石組。

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池泉西部には、もう一つ中島があります。亀島と比べると小規模で、これといった石組も見られず、後世に追加されたものとされます。

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地蔵寺はもともと諏訪・金子城の鬼門除けとして諏訪頼忠により創建され、元禄2年(1689)に諏訪家の祈願寺として現在地へ移されました。庭園はその頃から造営が始まり、宝永末年頃に完成したものと考えられています。細長い池泉の形状などは元禄以前の様式で、江戸末期の庭園が多い諏訪地域においては貴重な遺構と言えます。石組は荒廃していたり後世の改修箇所が多いものの、周囲の緑と透き通った池泉が美しい庭園でした。

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旧田中銀行主屋 (旧田中銀行博物館) ~山梨県甲州市~

旧田中銀行主屋は、山梨県甲州市勝沼町にある明治期の擬洋風建築です。もともと勝沼郵便電信局舎として明治30年代に建てられたもので、大正9年(1920)から田中銀行社屋として、昭和11年(1936)以降は田中銀行頭取だった田中家の住宅として使用されました。現在は旧田中銀行博物館として一般公開されています(2017年8月5日訪問)。

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明治期の山梨県内には、藤村紫朗の指導の下、多くの擬洋風建築が建てられました。旧田中銀行主屋は、旧睦沢学校などの藤村式建築を手掛けた、松木輝殷の施工とされます。

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木造二階建て、屋根は入母屋造桟瓦葺で、正面に千鳥破風を備えています。一方で窓は上げ下げ窓、外壁には灰漆喰を使用して石造りのように見せるなど、和洋折衷のデザインになっています。

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一階玄関ポーチ。天井は菱組天井になっており、扉には塗装による「ペンキ木目」が描かれています。ペンキ木目は、建物内の他の扉にも見られます。

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玄関ポーチの支柱には、細かい矢羽根状の装飾が施されています。

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一階内部。郵便電信局舎時代は4つの部屋に分かれていましたが、銀行社屋として使用するにあたって壁が撤去されています。

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一階には銀行時代にカウンターが設置されていましたが、住宅時代に撤去されたようです。天井には古民家で見られるような立派な梁が通されています。

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一階に展示されている事務用の机。銀行時代に頭取が実際に使用していたものです。

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一階には電話室も設けられています。

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一階便所の、陶器製の便器。

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二階への階段は螺旋階段になっており、手摺にも洋風意匠が見られます。

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二階は中央の廊下を挟み、左右に和室が設けられています。

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二階和室は、第二次大戦中に田中本家へ疎開していた北白川宮家の侍従・水戸部孚が住居として使用していました。

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現在も北白川宮家にまつわる調度類が多数残り、展示されています。

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二階・バルコニー手摺の意匠。

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主屋の北側には、大正9年に建てられた土蔵が残されています。

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コンクリート製の門柱。中央にはガス灯が設けられています。

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長い間、田中家の住宅として使用されていた旧田中銀行主屋ですが、平成9年(1997)に国の有形文化財に登録され、翌平成10年には勝沼町(現在の甲州市)に寄贈され、同17年から博物館として一般公開されています。山梨県内には旧津金学校旧室伏学校など「藤村式」の擬洋風建築がいくつか残されていますが、いずれも校舎建築であり、旧田中銀行は藤村式建築の流れをくむ銀行建築として、貴重な存在と言えます。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
※画像の無断転載はお断りします。

 
 
 
 
 
 
 
 
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