茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録

 
 
 
 

木之本の古い町並み ~滋賀県長浜市~

滋賀県長浜市の木之本は、浄信寺(木之本地蔵院)の門前町として、また北国街道と北国脇往還の合流する宿場町として、古くから栄えてきました。北国街道沿いを中心に、現在も古い町並みが残されています。

木之本・古い町並み




北国街道と北国脇往還の分岐点から、北国街道を北(金沢方面)へと進みます。ちなみに北国脇往還は木之本から関ヶ原を結ぶ街道で、関ヶ原で中山道に合流します。

木之本・古い町並み




嘉永5年(1852)創業の、大幸醤油。建物は創業時のものと考えられています。

木之本・大幸醤油




江戸時代、南木之本村の庄屋を務めた竹本助六家住宅。

木之本・竹本助六家





北国街道を北進すると、うだつのある立派な町家が建ち並びます。

木之本・古い町並み



昭和10年(1935)に建てられた旧湖北銀行木之本支店。イオニア式の円柱が特徴の洋風建築で、現在は「きのもと交遊館」として使用されています。

旧湖北銀行木之本支店




戦前の洋風建築と思われる、たばこや呉服店。昭和初期頃の建築でしょうか。

木之本・たばこや呉服店



延享元年(1744)に建てられた冨田八郎家住宅(冨田酒造)。冨田家は佐々木京極氏を祖とし、戦国時代に京極氏が没落すると帰農して酒屋を営みながら庄屋を務めました。地酒「七本槍」は北大路魯山人も愛したとされる銘酒です。

木之本・冨田八郎家




木之本宿の本陣だった竹内五左衛門家住宅。

木之本・竹内五左衛門家





竹内五左衛門家住宅の軒下には、古い薬の看板がいくつも吊るされています。明治26年(1893)、当時の当主が日本薬剤師第1号の免状を取得しているそうです。

木之本・竹内五左衛門家




木之本の町並みの中心となる、浄信寺。「木之本地蔵院」の別称で知られ、境内には江戸中期作庭の池泉観賞式庭園が現存します。

木之本・浄信寺




浄信寺の手前は「札の辻」と呼ばれるT字路で、江戸時代の高札場でした。

木之本・札の辻




浄信寺を過ぎ、町並みはさらに北へと続きます。この辺りの町家は近年に改修されているようですが、町家の雰囲気は保たれています。

木之本・古い町並み




弘化4年(1874)に建てられた、上阪五郎右衛門家住宅。北木之本村の庄屋だったようです。

木之本・上阪五郎右衛門家




木之本宿の脇本陣だった山路清平家住宅(山路酒造)。天文元年(1532)創業の酒蔵で、会社HPによると国内で5番目に古い酒蔵だとか。旧冨田八郎家住宅とともに、木之本でも一際目を惹く建築です。

木之本・山路清平家





山路家を過ぎると道幅は一気に狭くなり、旧街道の趣が増します。

木之本・古い町並み




木之本では室町時代から昭和初期まで、年に2回、民家を宿として牛馬市が開かれていました。こちらの馬宿平四郎家住宅は、山内一豊の妻・千代が、夫の出世のきっかけとなった名馬を購入したことで知られています。

木之本・馬宿平四郎




木之本駅付近から札の辻へと伸びる、浄信寺の表参道。駅近くの路地沿いには、かつての旅籠らしき旅館も散在しています。

木之本・古い町並み




木之本駅の近くにある江北図書館。昭和12年(1937)、旧伊香郡農会庁舎として建てられた木造洋風建築です。

木之本・江北図書館




木之本は明治の町村制施行時に木之本村、大正7年(1918)には木之本町となりますが、平成22年(2010年)、長浜市に編入されています。江戸時代後期に2度の大火に遭っているようで、現存する町家はそれ以降に建てられたもののようです。今回、4年ぶりの再訪となりましたが、古い建築が変わらず残されていることに安心しました。

木之本・古い町並み


 
 
 
 

浄信寺庭園 ~滋賀県長浜市~

長浜市木之本にある浄信寺は、「木之本地蔵院」の別称で知られる時宗の寺院です。書院の裏に、江戸中期作庭と推定される蓬莱式の池泉観賞式庭園があります。




書院から見た全景。庭園は東西に長く池泉を穿ち、背後を芝敷の築山としています。池泉中央に出島を設け凹字形とした池泉で、江戸中期の池泉庭園の典型的な地割とされます。





北西部にある枯滝石組(写真奥)と亀島。





枯滝石組は、江戸中期だけあって手法的にはやや弱いものになっています。

浄信寺庭園・枯滝石組




2015年5月訪問時の、枯滝石組と亀島。築山の雑草が刈られ、上部にも石組が見えています。

浄信寺庭園・枯滝石組と亀島




亀島は亀頭石を東部(写真右手)に向け、中心石は蓬莱石を兼ねるとされます。





池泉中央にある出島。





出島突端の護岸石組。先端は鶴石組とされます。

浄信寺庭園・鶴石組




出島の付け根付近にある、巨石による護岸石組。

浄信寺庭園・護岸石組




書院側の護岸石組。

浄信寺庭園・護岸石組




池泉東部の護岸石組。立石などに力強さが感じられます。

浄信寺庭園・護岸石組




浄信寺は天武天皇の時代、難波の浦に流れ着いた本尊を奉るため、難波に伽藍が建立されたのを起源とします。その後、天皇の勅旨により祚蓮(それん)上人が現在地へ移建したと伝わります。庭園は本堂が再建された宝暦年間(1751~1764)頃の作庭とされ、江戸中期の作庭書『築山庭造団』に基づく作庭として、よくその特徴を表しています。

浄信寺・書院から望む庭園


 
 
 
 

浄瑠璃寺庭園 ~京都府京都市~

浄瑠璃寺は、京都府南端・木津川市にある、真言律宗の寺院です。境内には、平安時代に造営された本堂、三重塔、池泉廻遊式庭園が現存します。

浄瑠璃寺庭園・本堂と中島



庭園は久安6年(1150)、関白藤原忠通の子で興福寺の僧だった恵信(えしん)により作庭されました。昭和48年(1973)から同50年にかけて、庭園研究家・森蘊の指導の下、発掘・復元されています。




東岸から望む庭園と本堂。庭園は池泉東岸に薬師如来像を安置する三重塔を、西岸に阿弥陀仏像を安置する本堂を配置しています。現世(此岸)で薬師如来が衆生の苦しみを除き、善行を重ねれば阿弥陀仏のいる西方極楽浄土(彼岸)へ導かれる、という浄土教の理念を表した「浄土庭園」となっています。




池泉の汀は洲浜の意匠で、玉石が敷かれています。宇治平等院庭園や毛越寺庭園など浄土庭園に共通して見られる特徴で、日本最古の庭園書『作庭記』に基づく作庭手法です。

浄瑠璃寺庭園・洲浜




池泉中央にある中島。東西に細長い地割で、中央には弁天社が祀られています。

浄瑠璃寺庭園・中島



発掘調査により、中島は池底に溜まった泥土をその都度盛ったため、時代とともに大きくなっていったことが判明しています。南部(写真左奥)には切石橋が架けられていますが、明らかに江戸時代以降のもので、あまり美しいものとは言えません。

浄瑠璃寺庭園・中島




中島北部先端の石組。鋭い立石を中心とした構成で、『作庭記』にもある「荒磯(ありそ)」の表現となっています。

浄瑠璃寺庭園・中島の石組




池泉東部の出島。こちらも緩やかな洲浜の意匠となっています。

浄瑠璃寺庭園・東部出島



本堂は保元2年(1157)に建てられたもので、国宝に指定されています。内部には平安時代に作られ、やはり国宝指定されている9体の阿弥陀仏像が安置されています(本堂内部は撮影禁止)。

浄瑠璃寺・本堂




本堂手前にも出島が配置され、池汀に変化をつけています。

浄瑠璃寺庭園・洲浜



池泉西岸に建つ三重塔(国宝)。治承2年(1178)、一条大宮から移築したものとされ、内部には平安時代作の薬師如来像(重要文化財)が安置されています。

浄瑠璃寺・三重塔



庭園には、2基の石燈籠が池泉東岸と西岸に建っています。近世以降に持ち込まれたものと思われますが、いずれも南北朝時代の作品とされ、重要文化財に指定されています。

浄瑠璃寺庭園・石燈籠



三重塔の南方、山畔付近には三尊石組があります。『作庭記』では池庭から離れた位置に築かれた石組を「枯山水」と呼びますが、この石組はまさにそれに当たります。

浄瑠璃寺庭園・三尊石組



庭園北部、鐘楼の周囲には、巨石を用いた集団石組が見られます。こちらも『作庭記』で言うところの「枯山水」石組で、先ほどの三尊石組とともに、鎌倉時代のものとする説もあるようです。

浄瑠璃寺庭園・集団石組



浄瑠璃寺は永承2年(1047)、義明上人により開創された「西小田原寺」を起源とします。当初は興福寺一乗院の末寺でしたが、明治期に奈良・西大寺の末寺となったようです。庭園は鎌倉時代に改修されているものの、幽邃な山里に平安時代の浄土庭園と伽藍・仏像が一体となって現存する様は、この世の浄土とでも言うべき美しい光景でした。

浄瑠璃寺庭園・本堂と池泉


 
 
 
 

龍源院庭園 ~京都府京都市~

龍源院(りょうげんいん)は臨済宗大徳寺の塔頭寺院であり、大徳寺南派の本院です。方丈北庭に、室町時代作庭と推定される枯山水庭園「龍吟庭」が残されています。





東部よりから見た全景。庭園は平庭式の枯山水で、東西に長い長方形の空間に、塀際に平行して石組を配置しています。

龍源院庭園・全景




西部から見た全景。全庭に敷かれた杉苔は大海を、石組はそこに浮かぶ岩島の表現であるとも言われます。

龍源院庭園・全景




庭園の主景となる枯滝石組。三尊手法の抽象的な枯滝で、主石を強く傾斜させた、古風で鋭い手法です。

龍源院庭園・枯滝石組  



枯滝石組は、須弥山(しゅみせん)石を兼ねるとも言われ、手前には水分石も意匠されています。石組を覆うような刈込は後世に加えられたもので、このような抽象的な石組にはそぐわないものです。

龍源院庭園・枯滝石組




枯滝右前方、3石からなる石組。

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枯滝を含む、庭園東部の石組群。

龍源院庭園・東部石組




庭園西部の石組群。

龍源院庭園・西部石組 




庭園西端の石組。木の陰で見えづらいですが、こちらも中尊石を強く傾斜させた三尊石組になっています。

龍源院庭園・西部石組



南部から見た庭園と方丈(重要文化財)。方丈は永正年間(1504~1521)の建立とされ、庭園も同時期に、当院開山の東渓宗牧(とうけいそうぼく)により作庭されたものと推定されています。

龍源院・方丈と庭園



方丈と庫裡の間には、「東滴壺(とうてきこ)」と呼ばれる坪庭が築かれています。昭和33年(1958)、重森三玲の『日本庭園史図鑑』掲載の実測図を製作した鍋島岳生により作庭されたもので、「現代を代表する坪庭」と評価されています。

龍源院・東滴壺




方丈南庭「一枝坦(いっしだん)」。もとは樹齢700年の山茶花「楊貴妃」1本のみが植えられた簡素な庭でしたが、昭和55年(1980)に枯れたため、モダンな枯山水庭園が作庭されました。

龍源院・一枝坦




一枝坦の東部にある亀島。円形の苔地に2石のみを配した抽象表現です。

龍源院・一枝坦の亀島




一枝坦の西部にある鶴島。こちらは鋭い立石が用いられています。

龍源院・一枝坦の鶴島




一枝坦の蓬莱石組。2石のバランスが見事ですが、鋭さに欠ける印象です。

龍源院・一枝坦の蓬莱石組



龍源院は文亀2年(1502)、東渓宗牧を開山として、畠山義元、大友義長、大内義興らの守護大名により創建されました。方丈北庭はなかなかの渋さで通好みな庭かもしれませんが、枯滝石組の圧倒的な存在感に、室町時代の作庭における美的感覚の鋭さを感じずにはいられません。

龍源院・庫裡


 
 
 
 

興臨院庭園 ~京都府京都市~

興臨院(こうりんいん)は、京都を代表する寺院・大徳寺の塔頭の一つです。境内には、足立美術館の作庭で知られる作庭家・中根金作が手掛けた枯山水庭園があります(通常非公開)。

興臨院庭園・全景





庭園は、重要文化財である方丈の南庭に作庭されています。方丈前面を広く白砂敷として大海を表現し、方丈から向かって右奥(南西隅)に築山を設け石組を意匠しています。

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庭園の主景となる築山部分。暗くてよく見えませんが築山頂部には立石による遠山石を、中央は立石2石により渓谷風の景観とし、それらの間に蓬莱石らしき山形の石を立てています。

興臨院庭園・全景




築山頂部の遠山石。左手が蓬莱石でしょうか。

興臨院庭園・遠山石




深山幽谷を思わせる、中心部の石組。中央の切石橋は、中国の天台山国清寺の石橋を模したものとされますが、中国の山岳などで見られる天生橋のようにも見えます。

興臨院庭園・石組




築山下部は入江のような地割となり、水分石や岩島も意匠されています。

興臨院庭園・入江の意匠




庭園西部の石組と岩島。岩島は舟石のようにも見えます。

興臨院庭園・石組




境内にある茶室・涵虚亭(かんきょてい)。方丈庭園とは無関係ですが、4畳台目の茶室で、昭和初期に建てられたものです。

興臨院・涵虚亭



興臨院は大永年間(1521~1528)、名君と称された能登守護・畠山義総により創建されました。義総の法名をとって興臨院と名付けられ、畠山家の菩提寺となりますが、天正14年(1586)に前田利家により再興され、以降は前田家の菩提寺にもなりました。

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庭園は昭和53年(1978)、中根金作が資料に基づいて復元したとされますが、どのような資料に基づきいつ頃の時代を想定して復元したのかは不明です。中根金作は作庭において石組に重きを置いていない印象がありますが、興臨院では水墨山水画のような石組本位の庭を見ることができます。

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プロフィール

Hakka

Author:Hakka
関東近郊を中心に、古い町並みや建築(近代建築中心です)、日本庭園を訪ねています。どうぞよろしくお願いします。
※建築は基本的に内部公開されているものを取り上げています。
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